この映画史エッセイ「映画史探訪」も「寂しい熱帯魚たち」をもってとりあえず一区切りをつけることができた。もちろん映画史の全てを語り尽くしたわけではないのだが、サイレント映画の歴史を一通りカバーすることができたかと思う。もちろん、取り上げられなかった作品や作家も多いし、十分に語り切れなかった部分もある。それらは今後も補遺という形で随時取り上げていこうと思っている。
それにしても、映画史探訪を始めたのは2002年だから、すでに11年が経過している。最初は20代後半だった僕も、30代を終えようとしている。僕もまさかこんなに時間がかかるとは想像していなかった。1889年にエジソンによって発明された映画はすでに120年以上の歴史を持つが、ここまでで語れたのはサイレント時代の終わりの1927年まで。ようやく1/3を終えたに過ぎない。
今回、すべての文章を読み返してみたが、文体も情報の質・量も最初とはずいぶん変わってしまっている。「映画史エッセイ」と銘打っただけに、最初のうちは僕が個人的に興味を持った作家やジャンルを取り上げていたのだが、思いの外反響が大きく、次第に映画史を俯瞰する教科書的な内容に変わっていった。それにつれて参照する資料も数が増え、完成に時間がかかるようになってしまったのだ。
各種の映画サイトでも好意的に取り上げてくれる人がいて嬉しい限りである。専らサイレント映画を取り上げていたので、「サイレント映画専門サイト」みたいな扱いをされたのには苦笑いするほかない。いや、これから発声映画もどんどん取り入れていきますよ。なお「映画への愛がいっぱいつまった」と評価してくれた人がいたのには大変感激している。それ以来、僕は例え嫌いな映画であっても悪口は極力慎むようにし
ている。
ところで、
こんなことがあった。とあるサイレント映画の上映会でのこと。僕の目の前の席に、中年男性が若い女性と連れだって来ていた。その男性は「映画の歴史の参考になるサイトだよ。」と言って、「映画史探訪」のトップページを印刷したものを女性に渡していたのだ。そこでおそるおそる「そのページ僕が書いてるんですよ。」と名乗り出たら、二人とも驚いていらっしゃった。
映画を勉強している学生からもメールや掲示板への書き込みをもらうことがある。「テスト勉強に役立ちました。」「レポートの参考にしました。」それくらいならまだいい。とある大学の学生の卒業論文がネットにアップされているので読んだところ、参考文献に「映画史探訪」があげられていた。もちろんそのこと自体は嬉しいし、僕も書いた内容についてはそれなりに自信を持っている。だが、まがいなりにも論文である。こんなエッセイを参照せず、きちんとした資料に当たって欲しい。 だいたい僕は映画の専門家でも何でもない。だから専門書や論文を引用・参照することは滅多に無いし、外国語もできないから海外の資料を使うこともまず無い。ほとんどが本屋や図書館で簡単に手に入る資料を使っている。せめて論文を書くのだったら一次資料に面倒くさがらずあたって欲しいものだ。しかし、そういうことがあってからというもの、例え孫引きであっても、 出典は出来るだけ記すようにした。直接引用しなかった資料も「参考資料」にあげるようにしている。そういったところも教科書みたいなのかもしれない。
映画の歴史を調べていくと、映画史自体が場合によっては映画以上に面白いことに気づく。いわゆる伝説が横行しているのだ。例えばこんなエピソードがある。「ヒューゴの不思議な発明」
(2011年米)にも登場したフランスのジョルジュ・メリエス(「20世紀の魔術師」参照)は、1894年のリュミエール兄弟による最初の映画上映に立ち会っている。その時、メリエスはリュミエール兄弟にカメラの購入を打診
したのだが、「映画に未来は無い。」と言って断られてしまった。技術者として終わったリュミエール兄弟と、最初の映画作家となったメリエスの比較として象徴的な言葉なので、多くの文献に“事実”として記されている。だが、実際にはリュミエール兄弟は上映会に立ち会ってすらいなかったという。
いくつかの伝説については僕もエッセイの中でそうではないかと指摘をしたが、中には気づかずにそのまま取り入れてしまったものもあるかもしれない。皆さんもぜひともすべてを鵜呑みにせず懐疑精神でもって読んでいただきたいと思う。
このエッセイのタイトル「映画史探訪」というのは、1970年から1978年にかけてNHKで放送されていた歴史番組「日本史探訪」にちなんでいる。この番組自体は僕はリアルタイムでは観ていないのだが、書籍版が祖父の家にあった。小学生の頃から歴史好きだった僕は、祖父の家に行くたびに「日本史探訪」の本を読んでいたのだが、映画史をたどるエッセイを書くにあたって、このタイトルを拝借してしまった。ところが、いろいろ映画史を調べていくと、すでに「日本映画史探訪:映画への思い」という本が存在することがわかったのである。しかしながら、すでに「映画史探訪」のタイトルに愛着があったため、変えることなく現在に至っている。
「映画史探訪」の旅がこれで終わったわけではない。今後は発声映画以降の映画史を追体験していこうと思う。ビデオやDVDで観られる作品もかなり増えてくるはずなので、今まで以上に時間がかかることだろう。だからといって焦らずマイペースで映画史探訪の旅を続けていきたい。
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