第1章−映画の誕生(2) | |||
20世紀の魔術師 〜ジョルジュ・メリエスの魔法映画〜 |
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友人の家に遊びに行くと時たまホームビデオを見させられることがある。結婚式の披露宴だとか、子供の運動会がその定番メニューだが、当事者であるならいざ知らず、赤の他人が見て面白いものにはまずめったに出会えない。19世紀末に登場した映画というのも、最初はただそこにあるものを撮影しただけの、まさしくホームビデオの元祖とも言うべきものであった。例えばリュミエール兄弟の作品の中にも、「赤ん坊の食事」(1895年仏)だとか、タイトルを聞いただけでほぼ想像がつくようなものがある。 「レ・フィルム・リュミエール」というレーザーディスクが出ている。映画100年を記念してフランスで放送されたテレビ番組のLDだが、1日1本、1年間で計365本のリュミエール作品を放送すると言うプログラムであったらしい。解説(フランス語)つきで、観ていてなかなか興味深いものなのだが、それでも立て続けに何十本と観ていると飽きてきてしまう。それは当時の観客も同じだったに違いない。そこで、映画は次第に様々な要素を含んでくる。笑いやエロティシズム、恐怖といったもので、今日の映画に近い作品が生まれてくるのであった。 エジソンもそうであったが、記録映画の元祖のように言われているリュミエール兄弟もやがてストーリーのある作品を作るようになった。中には演劇をそのまま映したようなものもあるが、次第に映画ならではの工夫がなされてくる。それがこそがトリックである。今日のSFXの元祖とも言うべきトリック映画を生み出したのはフランスの魔術師ジョルジュ・メリエス(1861〜1938)であった。 |
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彼の映画は今日観てもあっと驚くアイディアがいっぱいである。彼は二重焼きのテクニックを得意とした。これは何度もフィルムを巻き戻して撮影することで、現実にはありえない映像を生み出す手法で、これを使えば同じ人物を何人も同時に出現させることができる。「一人オーケストラ」(1900年仏)では、何人ものメリエスが様々な楽器を同時に演奏する。「音楽狂」(1903年仏)では、メリエスが自分の首を取り外すと、次から次に首が生えてくる。その首を五線譜の上に並べるといっせいにコーラスを始める。この手の作品の中でも傑作なのが、「ゴム頭の男」(1903年仏)。机の上に置かれたメリエスの首。そこにもう一人のメリエスがやってきて鞴(ふいご)で空気を送り込むと首が膨らんで大きくなっていく。最後は空気を入れすぎたがために首は破裂してしまう。車輪のついた椅子に座ったメリエスが、カメラに近づいたり遠ざかったりすることで首が膨らんだり縮んだりすることを表現しているのだが、当時のカメラは手回しで式で、常にスピードを一定に保たなくてはならなかったから、今よりもはるかに大変なテクニックであった。それから62年後の1964年、フランスのテレビ番組が同じことを再現しようとしたところ、実に7回も撮り直さなくてはならなかったという(*1)から、メリエスの技術が当時から卓越していたことがわかる。 *1 マドレーヌ・マルテット=メリエス/古賀太訳「魔術師メリエス」 277ページ |
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「一人オーケストラ」(1900年仏) |
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メリエスの撮っていた“魔法映画”というジャンルは、今では絶えて無くなってしまったものである。それだけに、その諸作品は、今日の映画を観慣れた我々にしてみても非常に個性的な、ユニークな作品として映る。しかしメリエスは、その後も同じような作品を作り続けたために次第に世間から飽きられていった。 |
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1904年に彼が撮った「不可能な世界への旅」という作品を観た。ストーリーとしては上流階級と思しき一行が、機関車や船に乗ってあちらこちらを旅して回る…というものらしい。「らしい」と書いたのは、これが無声映画でセリフが一切無く、おまけに字幕もないので想像する他ないからである。何でも当時の映画には日本における活動弁士のような解説者がついていたらしい。さて、一行は雪山を、そして太陽を冒険し、深海に潜る。スケールの大きな珍道中が繰り広げられるのだ。太陽にはやはり顔がついていて一行の乗った機関車は、口の中に入っていく。いくつかの場面は「月世界旅行」と同様の設定で、結局のところ焼き直しのような印象を受けてしまう。はからずしもメリエスのマンネリ化を実感することとなった。 メリエスはストーリーを考え、演出するだけでなく、自ら主役を演じ、さらにはセットの製作までを一人で行なうワンマンの映画作家であった。一人の優れた芸術家ではあったかもしれないが、時代を読むことに関しては劣っていた。メリエスはやがて負債を重ねて、ついには破産してしまう。晩年はモンマルトルの駅の売店で売り子をやっていた(写真下)。メリエスの伝記としては晩年のメリエスと生活した孫娘のマドレーヌ・マルテット=メリエス(1923〜)が執筆した「魔術師メリエス」がある。孫の目から見た身びいきがあるとはいうものの、まるで見てきたかのようなタッチでメリエスの人生を再現し、祖父ゆずりの想像力を感じさせる作品になっている。 |
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20世紀初頭のフランス映画界を代表する二人の作家、メリエスとゼッカ。それぞれの代表作である「月世界旅行」と「或る殺人の物語」を見比べると、作風は面白いほど対照的である。かたや幻想的なファンタジックな作品であり、もう一方は写実的なリアリズムのあるものである。もちろんこれだけで、二人の作風を判断してしまうのは間違いであるのだが…。メリエスはドレフュス事件を題材に現実的な作品も作っているし、ゼッカもメリエスばりの幻想的な作品から出発しているのである。いずれにせよ、映画初期において幻想性と写実性という二面性が出現したことには注目して良いと思う。その後に出現したおびただしい数の映画もすべて、メリエスかゼッカの系統に属していると言えるのではないか。フランスの巨匠であれば、ルネ・クレール(1898〜1981)がメリエスの子孫で、ジャン・ルノワール(1894〜1979)はゼッカの子孫と言えるのかもしれない。 |
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