第1章−映画の誕生(2)
20世紀の魔術師
〜ジョルジュ・メリエスの魔法映画〜



メリエスの代表作「月世界旅行」(1902年)
 


 友人の家に遊びに行くと時たまホームビデオを見させられることがある。結婚式の披露宴だとか、子供の運動会がその定番メニューだが、当事者であるならいざ知らず、赤の他人が見て面白いものにはまずめったに出会えない。19世紀末に登場した映画というのも、最初はただそこにあるものを撮影しただけの、まさしくホームビデオの元祖とも言うべきものであった。例えばリュミエール兄弟の作品の中にも、「赤ん坊の食事」だとか、タイトルを聞いただけでほぼ想像がつくようなものがある。
 「レ・フィルム・リュミエール」というレーザーディスクが出ている。映画100年を記念してフランスで放送されたテレビ番組のLDだが、1日1本、1年間で計365本のリュミエール作品を放送すると言うプログラムであったらしい。解説(フランス語)つきで、観ていてなかなか興味深いものなのだが、それでも立て続けに何十本と観ていると飽きてきてしまう。それは当時の観客も同じだったに違いない。そこで、映画は次第に様々な要素を含んでくる。笑いやエロティシズム、恐怖といったもので、今日の映画に近い作品が生まれてくるのであった。
 エジソンもそうであったが、記録映画の元祖のように言われているリュミエール兄弟もやがてストーリーのある作品を作るようになった。中には演劇をそのまま映したようなものもあるが、次第に映画ならではの工夫がなされてくる。それがこそがトリックである。今日のSFXの元祖とも言うべきトリック映画を生み出したのはフランスの魔術師ジョルジュ・メリエス(1861〜1938)であった。
 



ジョルジュ・メリエス
 


 メリエスがトリックの原理を発見したのは偶然からであった。それまでのメリエスは、リュミエール兄弟と同じようにただそこにあるものを映しただけの映画を撮影していた。ある日、彼が通りの風景を撮影していると、機械の故障でカメラが止まってしまった。しばらくして再び動き出したカメラで撮影を再開し、家に帰ってそれを上映してみたメリエスは驚いた。一瞬にして馬車が霊柩車に、男が女に変身するという不思議な映像が出来上がっていたのである。メリエスはこのことによって映画の可能性に気づいた。その後彼の生み出したユニークなトリック映画の数々は“魔法映画”というジャンルとして映画界をリードしていく。

 初期のメリエスのトリック映画は、彼がステージで見せるマジックの延長上にあるものであった。例えば彼の最初のトリック映画と言われる「ロベール・ウーダン劇場における婦人の消滅」(1896年)からしてそうである。また、「生きているトランプ」(1904年)といった作品。マジシャンに扮したメリエスが画面に現れ一礼して映画が始まる。彼が手にしたトランプは、一瞬にして違う模様に変わる。トランプの大きさも変わる。巨大化したトランプからはキングやクイーンが抜け出してくる…。一通りマジックを見せた後、メリエスは再び一礼して映画が終わる。
 



メリエス最初のトリック映画
「ロベール・ウーダン劇場における女性の消滅」(1896年)
 


 彼の映画は今日観てもあっと驚くアイディアがいっぱいである。彼は二重焼きのテクニックを得意とした。これは何度もフィルムを巻き戻して撮影することで、現実にはありえない映像を生み出す手法で、これを使えば同じ人物を何人も同時に出現させることができる。「一人オーケストラ」(1900年)では、何人ものメリエスが様々な楽器を同時に演奏する。「音楽狂」(1903年)では、メリエスが自分の首を取り外すと、次から次に首が生えてくる。その首を五線譜の上に並べるといっせいにコーラスを始める。この手の作品の中でも傑作なのが、「ゴム頭の男」(1903年)。机の上に置かれたメリエスの首。そこにもう一人のメリエスがやってきて鞴(ふいご)で空気を送り込むと首が膨らんで大きくなっていく。最後は空気を入れすぎたがために首は破裂してしまう。車輪のついた椅子に座ったメリエスが、カメラに近づいたり遠ざかったりすることで首が膨らんだり縮んだりすることを表現しているのだが、当時のカメラは手回しで式で、常にスピードを一定に保たなくてはならなかったから、今よりもはるかに大変なテクニックであった。それから62年後の1964年、フランスのテレビ番組が同じことを再現しようとしたところ、実に7回も撮り直さなくてはならなかったという
(*1)から、メリエスの技術が当時から卓越していたことがわかる。

*1 マドレーヌ・マルテット=メリエス/古賀太訳「魔術師メリエス」 277ページ
 



「生きているトランプ」(1904年)
 



「音楽狂」(1903年)
 



「一人オーケストラ」(1900年)
 


 メリエスは自分自身でセットを作り、背景を書き、どのような世界でも意のままに生み出すことが出来た。1902年に彼が製作した「月世界旅行」は、今日メリエスの代表作という評価を得ているが、20世紀初めのまだ人類が月に行くなんて夢のまた夢であった時代に、月世界に到達した人類の姿を描いて見せた。まさしく世界最初のSF映画である。
 「月世界旅行」の原作は一応ジュール・ヴェルヌ(1828〜1905)の「月世界旅行」とH・G・ウェルズ(1866〜1946)「月世界最初の人間」をヒントにしているらしいが、当然のことながら原作はほとんど原型をとどめていない。
ただ、巨大な砲弾に人間が乗り込んで月へと打ち上げられるという点がヴェルヌ作品に、月面の地下に月世界人が生活しているという点がウェルズ作品と似ている程度である。ストーリーはざっと次の通り…。
 果たして人類は月へ到達できるのかどうかという会議が喧喧諤諤続けられている。やがて、科学者らの一行は砲弾の形をしたロケットに乗り込むと、大砲によって宇宙へと飛び出す。月は大きな顔になっていて、ロケットは目のあたりに不時着。この時月は思わず顔をしかめる(写真)。月に到着した科学者達が地下の洞窟に入っていくと、一面に不思議な樹木が生えている。科学者が傘を地面に突き刺すとそれがキノコとなって伸びる。やがて角を生やし 手が巨大な鋏となった月世界人が現れる。彼らは傘で叩くだけで簡単に煙となって消えてしまうほど弱いのだが、あまりの数に科学者一行は捕らえられ、彼らの王の前に連れてこられる。しかし、科学者は隙を見て王をやっつけるとそのままロケットに乗って再び地球へと凱旋するのであった…。
 月に空気があって樹木が生えていたり、星や惑星が人の姿になっていたり、はっきり言って科学考証も何もあったもんではない。トリックもCG全盛の今日から見れば陳腐であること極まりないが、何とも愛すべき作品となっている。1902年といえば明治35年である。そんな時代にこんな作品が生まれていたなんてこと、考えるだけでもうれしくなってしまう。
 



「月世界旅行」(1902年)
 


 メリエスの撮っていた“魔法映画”というジャンルは、今では絶えて無くなってしまったものである。それだけに、その諸作品は、今日の映画を観慣れた我々にしてみても非常に個性的な、ユニークな作品として映る。しかしメリエスは、その後も同じような作品を作り続けたために次第に世間から飽きられていった。
 



「不可能な世界への旅」(1904年)
 


 1904年に彼が撮った「不可能な世界への旅」という作品を観る機会があった。ストーリーとしては上流階級と思しき一行が、機関車や船に乗ってあちらこちらを旅して回る…というものらしい。「らしい」と書いたのは、これが無声映画でセリフが一切無く、おまけに字幕もないので想像する他ないからである。何でも当時の映画には日本における活動弁士のような解説者がついていたらしいのである。さて、一行は雪山を、そして太陽を冒険し、深海に潜る。スケールの大きな珍道中が繰り広げられるのだ。太陽にはやはり顔がついていて一行の乗った機関車は、口の中に入っていく。いくつかの場面は「月世界旅行」と同様の設定で、結局のところ焼き直しのような印象を受けてしまう。はからずしもメリエスのマンネリ化を実感することとなった。
 メリエスはストーリーを考え、演出するだけでなく、自ら主役を演じ、さらにはセットの製作までを一人で行なうワンマンの映画作家であった。一人の優れた芸術家ではあったかもしれないが、時代を読むことに関しては劣っていた。メリエスはやがて負債を重ねて、ついには破産してしまう。晩年はモンマルトルの駅の売店で売り子をやっていた(写真下)。メリエスの伝記としては晩年のメリエスと生活した孫娘のマドレーヌ・マルテット=メリエス(1923〜)が執筆した「魔術師メリエス」がある。孫の目から見た身びいきがあるとはいうものの、まるで見てきたかのようなタッチでメリエスの人生を再現し、祖父ゆずりの想像力を感じさせる作品になっている。
 



晩年のメリエス(中央)
 


 メリエスに代わってフランス映画界をリードしていったのはシャルル・パテ(1863〜1957)である。パテは、メリエスと異なり、実業家としての能力に長けており大きな成功を収めた。鶏のマークで知られるパテ社は、現在まで続いている。
 そのパテの下で映画を製作していたのが、フェルディナン・ゼッカ(1864〜1947)であった。ゼッカは、メリエスほどは知られていないが、初期フランス映画界においては、メリエスと並ぶ巨匠と言ってよい。彼の作品は、幻想的なメリエスと正反対の、リアリズムにあふれるものであった。彼の最初のヒット作である「或る犯罪の物語」(1901年)を見てみよう。これは、殺人を犯してしまった一人の男の、犯行から逮捕、処刑までを描いたドキュメンタリー的な作品である。きわめて演劇的で、映画としての面白さには少々欠ける。主人公が処刑場に赴くシーンでは、背景の書き割りの空の部分にまで人物の影が映っているように、 作りも陳腐である。しかしながら、現実の再現と言う意味では、メリエスよりもよっぽど今日の映画に近いと言えるのではないか。

 20世紀初頭のフランス映画界を代表する二人の作家、メリエスとゼッカ。それぞれの代表作である「月世界旅行」と「或る殺人の物語」を見比べると、作風は面白いほど対照的である。かたや幻想的なファンタジックな作品であり、もう一方は写実的なリアリズムのあるものである。もちろんこれだけで、二人の作風を判断してしまうのは間違いであるのだが…。メリエスはドレフュス事件を題材に現実的な作品も作っているし(ただし僕は未見)、ゼッカもメリエスばりの幻想的な作品から出発しているのである。いずれにせよ、映画初期において幻想性と写実性という二面性が出現したことには注目して良いと思う。その後に出現したおびただしい数の映画もすべて、メリエスかゼッカの系統に属していると言えるのではないか。フランスの巨匠であれば、ルネ・クレール(1898〜1981)がメリエスの子孫で、ジャン・ルノワール(1894〜1979)はゼッカの子孫と言えるのかもしれない。
 




フェルディナン・ゼッカ
「大気の征服」(1901年)より
 



シャルル・パテ
 


(2002年1月31日)


(参考資料)
マドレーヌ・マルテット=メリエス/古賀太訳「魔術師メリエス」1994年4月 フィルムアート社
 

H・G・ウェルズ/白木茂訳「月世界最初の人間」1967年6月 早川書房
ジュール・ヴェルヌ/W・J・ミラー注/高山宏訳「詳注版・月世界旅行」1999年8月 ちくま文庫
 


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