【廃墟マニヤ File073】

T守之櫓/日本M資料館(茨城県)

(その4)

天守閣の変遷と大きさ

それにしても本当に城が好きだったようです。この熱意はどこからくるのでしょうか?(お前に言われたくないという話ですが……)

すごいのは文字がすべて手書きなんですよ! そういった関係か、技術系の仕事をしていたのでなければ、ものすごく几帳面な方だったんでしょうね。

 

名城行脚30星霜の足跡

30年かけてまわったという城のリスト。ちょっと自慢オーラが出てます。

 

全国名城大番附

番付表づくりはマニアにとって欠かせない作業といえるでしょう(?)。私も「全国廃墟番付」とか「珍スポ番付」を作ってみようかなあ〜。

 

1階

部屋の隅に穴があいていたので覗きこんでみると、この建物、石垣の内部が1階(地階?)になっていました。つまり三階建てだったんですね。

 

大東亜戦争の資料室&慰霊の間

「帝国陸軍戦車隊の奮闘と終焉」というタイトルの展示が見えます。1階は大東亜戦争の資料室&慰霊の空間のようです。梯子の強度に今ひとつ不安が残るので、降りるのは遠慮しておきました。裏に回り込めば入れそうですが、発見されるリスクが大きいので、一人脳内会議の結果、そのプランは却下されました(実はこの施設のデータや、築城に至る心境をよんだ漢詩などもあったそうです)。

 

3階へ

そろそろ二層(3階)へ上がってみることにしましょう。

 

床の間

あ・ぶ・なーい!!

危うく窓から隣家の人と目があってしまうところでした。みつからないよう階段の途中から無理な体勢で1枚。

……もう目を追加されることのないダルマが悲しい感じです。営業中は館長がここで話をしてくれたらしいのですが、狭い空間なので、あまり城に興味がない人間が面白半分で訪れ、ここでつかまってしまうと、相当ツラかったのではないでしょうか。

 

反対側

いろいろあったらしい展示も心ない侵入者に破壊されてしまったようです。

 

キジ

廃墟定番の剥製はかろうじて無事でした。

さて、だいたい見るべきほどのものは見てしまったようなので、みつからないよう脱出することにします。

 

破れた障子

どうせなら営業中に来たかったですね、ここには。

【おしまい】

 

……と、まあ軽いノリでここまで書いてきましたが、本当は最初の住居部分でテンションガタ落ちです。

R宮城Y田天国ちょんまげ村もそうですけれど、どうも個人的な施設は、生活していた人の想いが濃密に残っていて盛り上がれません。廃墟の幸福な姿、というのもおかしいのですが、この「T守之櫓」に関してはキレイに直して、資料館として復活させるのが一番ふさわしい気がします。


END
(2006.3)


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