【廃墟マニヤ File067】
J磐炭礦N郷礦(茨城県)
(その5)
これまた苦労して、ようやく先ほどの建物に辿り着きました。
はじめは何だかわからなかったのですが、よく見ると鎖でした。相当太いのに、手で触れると芯も残さずボロボロと崩れ落ちていきます。ここまで酸化するのに、どれぐらいの年月が必要だったのでしょうか。
建物内部は炭鉱の施設という感じではなく、倉庫、あるいは別の製品の工場だったという雰囲気です。閉山後、別の用途に流用されたのかもしれません。
大量に残されていた空のボトル。
天井の扇風機が年代を感じさせますね。
通路のような部分の屋根は、完全に抜けていました。
上にはコンクリートの土台部分が見えますが、もはや登る気力もありません(どうやら運炭線の遺構という話です)。更に隣の選炭場らしき建物も、厳重なイバラのバリケードがあって断念。陽も沈んでしまったし、なによりあまりに寒いので帰ることにします。
向かいの高台から全体を眺めてから帰ろうとしたところ、何やらレンガの構造物を発見。送風用の扇風機座あたりかもしれないと想像してみたものの、正体は不明です。通行人をとっつかまえて聞こうかとも思ったのですが、寒いせいかまったく人通りがなく、あきらめることにしました。
今回、まわった地帯の全景。
もう少し時間があれば、いろいろ面白いものを見つけることができたかもしれません。しかし、あのイバラを何とかしないことには……。
※じつはその後、それぞれの施設が何だったかという資料を入手したのですが、今回再掲載にあたってその資料を探したところ、なんと行方不明に!? もし発見できたら補足説明を入れておきます。
また、この周辺にはもっと色々な遺構が残っているらしいので、機会があったらもっときちんと下調べをして、再訪してみたいと思っています。
END
(2004.1)
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