【廃墟マニヤ File038】

H立鉱山(茨城県)

(その2)

大煙突と阿呆煙突

大雄院にある精錬所。現在も一部稼働中とのことです。真ん中にある円筒形の構造物が「阿房(阿呆)煙突」と呼ばれる「ダルマ煙突」です。銅精錬によって発生する亜硫酸ガスの煙害対策として1911年に作られた「神峰煙道(百足煙道)」が全く効果を発揮しなかったどころか被害をさらに拡大する結果となったため、急遽、国の指導でその2年後に作られました。

大きさは高さ36m、直径18mで、基部に13個の送風孔と送風機が備えられていて、それで亜硫酸ガスを含む煙を希釈するという原理でしたが、こちらも全く期待した効果を得ることはできず、精錬所内に煙が流れ込んで仕事にならず、すぐに使用停止となりました。

その上部にある短い煙突が有名な大煙突で、こちらは現在も使用されているようです。大煙突というわりに短いなあ……と思った人は正解で、1993年に老朽化のため上部が倒壊しています。当時新聞記事にもなったのですが、上部3分の2が崩れ落ちたにもかかわらず、気づかなかった人が多かったそうです。夜間とはいえ、かなり大きな音がしたのではないかと思うのですが……。

 

1989年の精錬所

こちらは1989年5月の姿(この写真ひどいですね)。この大煙突は1915年に建設され、それによってかなり煙害は改善されたようです。高さは155.7mあり、建設当時は世界最高の高さを誇っていました。ちなみに現在は54mほどしかないそうです。

 

鉱山事務所か病院?

1989年頃は鉱山住宅がまだたくさん残っていました。この写真は大雄院付近だったか、M山付近だったのか記憶が曖昧なのですが、病院だったような気がします(ずいぶん前のことなので……)。

ちなみに海に近いあたりにも、足尾で見かけるような住宅がたくさん残っていて、一部は人が住んでいたものの、ずいぶん空き家が目立つ状況でした。そのへんはビデオに撮ってあるので、気が向いたらアップすることにしましょう。

 

事務所か寮?

うーん……、中にも入ったのですがどんな施設だったか全然覚えていません。外観からすると事務所か寮っぽいですね。

あ、そういえばここで珍しくカメラを持った女性に遭遇しました。当時は廃墟に写真を撮りに行く人は今ほど多くなかったので(たぶんですけどね)、ちょっとびっくりしたことも、今となっては甘酸っぱい思い出です(なにが甘酸っぱいのかよくわかりませんけど……)。

 

取り壊しが進む住宅

この時には既に少しずつ取り壊しが始まっており、翌年(1990年)来たときには、これらの建物は跡形もなくなっていました。

 

鉱山住宅群

今から思えば、きちんと内部の写真も撮っておけばよかったですね。

 

鉱山住宅

まあ、雰囲気だけでも感じとっていただければと思います。

 

(続く)


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