民法あれこれ図解編 
法的な能力者とは
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 民法には多数の能力が登場します。
 民法用語集(1)事理弁識能力でも触れましたが、権利能力意思能力行為能力責任能力受領能力不法行為能力のほかに、
 欠ける者として制限行為能力者(成年被後見人、被保佐人、被補助人)や責任無能力者(未成年と制限行為能力者の総称)が登場します。
 そして、能力を資格と読み替えるような解説もありますがスッキリしないものがつきまといます。
 先にあげた能力の中で不法行為能力は最もわかりにくいものです。許されないものまで何で含まれるかという疑問を感じませんか。
 民法の定義は大枠を示し、含まれないものを並べるがためのわかりにくさが伴います。
 
 法的な能力というのは何かといえば、一人で権利義務を行使できることです。
 意思表示するために専門家に相談し、自分でできないことを代理人に任せるにせよ判断を行うのは本人です。
 一人で権利義務を行使するというのは、委任や代理が介在するにせよその責任を本人が負うわけです。
 そのために欠かせないのが、@資格、A意思表示、B法律行為の三つでしょう。

 資格というのは、人であることですが自然人と法人であることをいいます。家畜の牛や豚あるいはペットの犬猫には資格はありません。
 ペット愛好者には不満でしょうが法的な資格は人でないものには財産権・身分権・人格権が認められません。
 自然人には、制限付きですが胎児や外国人も含まれます。そして、法人の能力は定款の目的に拘束され、組織としての責任も負います。
 ただし、資格に制限を受ける人がいます。事理弁識能力が欠けるとされる次の人たちです。
 @年齢で一律に法的能力が欠けるとする「未成年者」
 A精神的な障害の程度により法的能力が欠けるとされる「制限行為能力者」
 注意して欲しいのは制限されるのであって、権利がないわけではありません。人は生まれた時から権利を持っているからです。
 親権者や法定代理人の補助により権利の行使はできます。

 意思表示というのは、自己の内心(心の内)を効果の及ぶ相手方に誤りなく伝えることです(本人と相手を含めて当事者といいます)。
 とはいえ、錯誤や虚偽表示のような「意思の不存在」は無効、あるいは詐欺や強迫のような「瑕疵(キズ)ある意思表示」は取消しとして除かれます。
 ただし、へそ曲がりが内心と異なる意思表示をした場合は原則的に有効とされます。
 無効・取消し・有効の違いは、意思決定に至る過程を考慮したものです。
 民法は意思表示についてのパターンを分類するだけでなく、総則編の法律行為で状況に応じた意思表示の有効・無効・取消しに触れています。

 行為は適法な行為に限られ、権利義務の変動や移転がかかわる場合を「法律行為」といい、変動や移転を伴わない場合は「準法律行為」と区分されます。
 ただし、その行為に本人の故意または過失があれば「債務不履行」や「不法行為」の責任を負うことになります(「帰責事由」といいます)。
 自分の意思決定の誤りは、その結果として相手に与えた損失を償うしかありません。
 責任能力や不法行為能力が登場するのはなじみにくいのですが、結果に対する責任で考えれば欠かせない能力です。
 損害賠償を求めるには、行なった人に責任能力や不法行為能力があることにしなければ問えないからです。
 法人の場合は、組織としての「会社の責任」と執行機関としての「役員の責任」の両方が問われます。

 以上の三つと例外を整理すると法的な能力者は次のようになります。
  @資格つまり権利能力を持っている者(自然人か法人である)
  A正常に判断できる意思表示能力を持っている者(つむじまがり、へそ曲がりも含む)
  B事理弁識能力がある者(未成年や制限行為能力者でない者)
  C起きた結果の責任能力がある者(Bと同じ)
  D自ら法律行為を行える者(他人まかせにしない者)

 【法人の存在について ■以下はわたしの独断です】
 民法は法人を人としていますが、経済学を学んだ者には現代の株式会社制度は株主の集合体とみなせません。
 所有と経営の分離が行われている株式会社制度は内部に多くの利害関係を含みつつ実在する有機体として活動しているからです。
 そういう考え方が判例としてありますので参考にしてください。
 ●製鉄会社の政治献金が問われた判例は法人に「人権享有主体性」を肯定しており(最高裁昭和45年6月24日判決)、
 ●学生運動参加歴のある者の本採用拒否が争われた判例は憲法の基本的人権が私人相互の関係を直接規律することを予定していない(最高裁昭和48年12月12日判決)、
 としています。
  ★判例の内容はウキペディアにリンクしましたのでご自分で確かめてください。
 対等である私人間の規律を民法が扱うにせよ、対等ではない現実にいかに対応しているかは判例を知るしかないようです。
 法人に基本的人権を認めた場合、思想や信条の自由をもって採用拒否したり、財産権や信教の自由をもって解雇権を濫用されたらたまりません。
 わたしが法人に触れないのはそんな疑問が伴うからです。

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