ISTANBUL
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地中海クルーズ
トルコ北西部、ボスポラス海峡南端、マルマラ海に臨むアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがるトルコ最大の都市。良港(金角湾)に恵まれ、古来東西交易の結節点。ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という1500年間3代続いた大帝国の首都として栄え、122人の最高権力者が手にしました。
紀元前658年ギリシャの植民市として創設され、ビザンチィウムと名づけられました。330年ローマ帝国のコンスタンチヌス1世の遷都で、古都の名でビザンツ帝国と呼ばれ、街はコンスタンチノープルと解明され、最盛期にはキリスト教の中心地、シルクロードの終着地として長安、バグダッドと並び、世界最大の都市のひとつになりました。1453年オスマン帝国のスルタンメフメト2世が征服し、イスタンブールと改称し、異教徒、異民族を往来させて発展を図りました。以来イスラム世界の政治、文化宗教の中心地およびアジアとヨーロッパを結ぶ点として繁栄してきました。イスタンブールの歴史地区は1985年に世界文化遺産に登録されました。(MSCの「PORT INFORMATION」から)
スルタン・アフメット・モスク(ブルーモスク) 旧市街の中心地にアヤ・ソフィア寺院と向かい合うように建てられています。優雅な6つの尖塔を持ち、高さ43mの大ドームと、4つの副ドーム、30の小ドームを持っています。スルタンアフメット1世の命で、1609年〜1616年に建築家メフメットにより作られています。モスクの内部に壁が美しい2万枚以上の青と白のイズニック・タイルで飾られていることから、ブルーモスクという名で広く知られています。(MSCの「PORT INFORMATION」から)
アヤ・ソフィア博物館 長い歴史の中最も素晴しい建築物の一つといえるビザンティン建築の代表的遺構。ギリシャ語で”ハギア・ソフィア”聖なる叡智、の意味。コンスタンチヌス大帝によって建てられ、537年にユスチアヌス帝によって再建されたこの建物の巨大なドームは、高さ55m、直径33m、ビザンティン帝国の終りまでギリシャ正教の大本山とされていました。集中式プランとバジリカ式プランの融合を特色とし、壁面は多色大理石と金地モザイクで飾られていました。(MSCの「PORT INFORMATION」から)
博物館入場口 入場券 正面入口
大聖堂の内部 カリフの名が書かれた円盤 コンスタンティヌス1世がコンスタンティノーブルを、ユスティニアヌス1世がアヤ・ソフィアを聖母子に献上する壁画
トプカピ宮殿 ボスポラス海峡、金角湾とマルマラ海を望む丘に、15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心となったトプカピ宮殿があります。トプは大砲、カピは門の意味。1453年メフメト2世がイスタンブールを大砲で征服したことにちなみ造営させ、以後400年間オスマン朝の支配者の居城、政治の中枢となりました。
宮殿は建物が迷路のようにつながり、豪華を極め、敷地面積70万u、2重の城壁に囲まれ、本体は幅180m、奥行き280mの長方形の建物で、多くのパビリオン、中庭、モスク、ハレム、図書館、浴場、宝物館、宮廷の調理棟などがあります。現在では国立博物館として古写本、細密画、帝国のクリスタル、銀、中国陶磁器のコレクション、ほかトルコの文化遺産が納められています。(MSCの「PORT INFORMATION」から)
博物館入場口(外邸の正門「挨拶の門」) 入場券 宮殿の模型
内邸の正門「幸福の門」 謁見の間 モザイク
トプカピ宮殿からボスボラス橋を望む。絶景!
旧市街のグランバザール バザールの賑わい モダンなニューバザール
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