4月3日(木)[A] “「アンゼラスの鐘」サンパウロでの上映会の報告を、有原監督が執筆してくださいました(下)”

  続・サンパウロ上映会の報告 「サンパウロの若き平和教育者たち」

 サンパウロ日伯文化協会での上映会(26日)をのぞけば、各学校での上映会は、アンドレア先生(サンフランシスコ デ アシス校)とクリスチアーノ先生(ジメンソン高校)、お二人の歴史教師の学校の垣根を越えた尽力によることが多かった。学校の異なる二人が、どうして他の小中学校や大学、教育委員会にまで影響力があるのか不思議に思った私は、通訳を担当された斉藤やす子さん(被爆二世、被爆者協会)のお力を借りて、最終日の29日の昼に、お二人にインタビューをしました。

 
 私「お二人をはじめとする教師たちの、学校を越えて平和教育に熱心な姿が印象的ですが、それはどんな集団で、どんな目的を掲げてやっているのですか」
 先生方「私たちの活動はまだ組織ではない。教育者として、人間として、平和を大切に思う友情をベースにして連帯、協力し合ってやっている。教育者としての情熱だけで活動している。幸い、さまざまな学校も協力的で設備を使わせてもらっている」「2年前にサンパウロの被爆者の会と出会い、私たちと共通するものを感じた。歴史的事実を知るだけでなく、森田さんたち(被爆者)のおはなしを聞いて、感性面からも理解し、子どもたちにもっと向上心を持っていただきたいと願っている。その活動を通じて、私たち自身も高められる。」「被爆者のおはなしを聞いた子どもたちは、早く署名(核廃絶の)をしたいと願う。28日の教育委員会での上映会に参加した子どもたちは、公立学校の中学生たちで、彼らも同様に早く署名をしたいと思っています。」「森田さんたちを尊敬しています。」
 
 私「28日午後の教育委員会の上映会は教師のためのものと聞いていたが、子どもたちがおおぜい来たので驚いたけど・・・」
 先生方「実はあの上映会は、予定と違ってしまって残念に思っています。おおぜい参加するはずだった教師たちに他の会議が入ってしまい、急遽、公立学校の中学生たちに参加を呼びかけました。教師たちはいろんな問題を抱えていて、もっと時間があればと、とても残念です。」
 
 私「教育委員会は、こうした学校を越えた活動にいつも協力的なのですか?」
 先生方「さまざまな問題はありますが、教育委員会は教師達のさまざまなプロジェクトに費用を援助するプランがあります。 私たちは平和教育に関する新しいプロジェクトを積極的に提案していく積もりです。」
 
 私「27日の夜のイビラプエラ大学での超満員と、深夜に及ぶデスカッションには驚きましたが・・・」
 先生方「360席の会場でしたが、500名は越えていたでしょう。そのうちの100名は、バス二台でやって来ました。彼らは大学生ではなく、働きながら高校生の資格を取るたに学ぶスブレチーブ校といわれる学校の生徒たちですが、とても熱心です。私(アンドレア)は、そこでも歴史を教えています。同様の学校はサンパウロ郊外に7校あります。」
 私「バス代はだれが負担したのですか、学生達ですか?先生たちですか?」
 先生方「大学側です。」
 私「すごい大学ですね。学生だけでなく、学長や教授たちも最後まで参加していましたが・・・」
 先生方「上映が終わってすぐに退席した学生達は、授業が待っているからです。それがなければ彼らも残ったはずです。」
 私「映画が終わったとき、夜九時を過ぎていましたが?」
 先生方「学校は、朝、昼、夜と授業があり、学生達が働きながら学べるように配慮されています。最後まで残ったのは、コミュニケーション学科の学生達です。学長を始め大学側は、平和教育を実践する私たちの活動に大変に協力的です。実は、移民100周年を記念し、今回のようなイベントを企画し大学側に提案するように進められています。お知恵を貸してください。」
 私「えっ・・・・?」

 
 以上が、アンドレアとクリスチアーノ二人の教師との私のやり取りですが、歴史を教える高校教師の二人に、教育委員会や大学がなぜにこうまで協力的なのか、肝心なことが聞き出せていません。閉鎖的な日本の学校のあり方と大きく異なる実態におどろき、面食らってしまったというのが正直なところでした。最後に私は「日本の教員組合も平和教育に熱心ですが、みなさんは労働組合に参加していないのですか?」と、聞きました。するとアンドレア教師がポケットから二つの会員証カードを出して「私学の教職組合と公立の教員組合があって、私はその二つに参加している。」と答えました。すると、すかさずクリスチアーノ教師が「公立の組合は政党と近すぎて、ぼくはもっと自立しているべきだと思う。」と述べ、アンドレア教師とのちがいを強調しました。私は「日本の教職員組合も同様の問題を抱えていて、絶えず論争している。」と述べると、二人は苦笑していました。
 
 サンパウロ被爆者協会会長の森田隆さん、盆子原国彦さん、渡辺淳子さん、斉藤やす子さんたちは、どの学校でも児童や学生たちの大きな温かい拍手と歓声で迎えられていました。そこには、ブラジルの地に生きる被爆者たちへの信頼、尊敬のまなざしがありました。私の目にその光景は、サンパウロの被爆者たちが被爆証言を通じて困難な中でブラジルの若い教師たちと共に咲かせた平和教育の大きな花木のように見えました。
 
                         2008年4月1日 ありはらせいじ
 
 サンパウロのみなさまの御健勝と御活躍を祈っています。

 ……
 有原誠治監督の報告書は以上です。

 さて。
 ブラジルの教育現場で働く教師から、サンパウロ大学の歴史科の入学試験の問題の中には、広島、長崎、原爆についての質問が何題かもう何年間も出ているが、日本ではどうですかということを聞かれました。
 果たしてどうなんでしょうか。

(盆子原 国彦)

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