2月7日(木) “弁護士、ブラジル被爆者援護に奔走  研修医は帰国へ  渡日治療の報告に拍手”

 広島、長崎で研修をしていましたサンタクルス病院(サンパウロ市)の藤村ゆり様が、今日日本を発たれました。
 日本での研修が今後のブラジル在住被爆者のためになることを期待しています。

 今ブラジルにこられている足立弁護士は、2月2日、サンパウロ近郊に在住する21名の被爆者を前にして、
「日本における在外被爆者の施策の進展と課題」
「『被爆者は何処にいても被爆者である』との理念に基づく援護措置はどこまで実現出来たか」
と題して解説して下さいました。

 この中で、

 昨年11月1日、”三菱広島元徴用工被爆者補償請求訴訟・最高裁判決で、402号通達を発出したこと自体に対し国家賠償の責任を負う”。

 厚生省は、1974年7月22日、公衆衛生局通達(402号)通達)で「日本の領域を越えて居住地を移した被爆者には同法(原爆特別措置法)の適用が無い」。「手当ては失権」と指示し、在外被爆者には被爆者三法の適用は無いとしてきた。
 402号通達の内容が違法であることは、これ以前の裁判で確認されてきたが、この判決は公務員が職務上の注意義務を怠らなければ、通達自体を発出しては行けないことが分かっていたはず ――

としています。

 また今後の課題として、
在外被爆者への援護について残された問題は何か?
ということで、

1) 被爆者健康手帳の日本国外からの交付申請
2) ブラジルの、廣瀬さん、大平さんの継続中の訴訟(2008年3月13日結審予定)
3) 医療給付・医療費の支給
   (*在外被爆者に被爆者援護法を適用する方向はないか)
4) 402号通達で権利を剥奪されてきた事に対する損害賠償請求
   (ブラジルでは1984年在ブラジル被爆者協会を結成して以降、永年、日本の被爆者と同等の援護を求めて活動してきたが、なかなか実現しないという精神的苦痛を感じていたと言う点で共通する)

 2007年11月2日、舛添厚生労働大臣は、国会で謝罪し
「同じ立場にある人に、一日も早く支払いが出来るよう、財務省と折衝中である」
と発言したが、現状では、あまり進展していない。

 2007年12月の日本の支援者の会議では、集団訴訟を視野に入れて取り組む方針を決め、声明を発する ――

 と、このような説明が有りました。

 我々会員も、もし国が結論を先延ばしにするようなら、すぐにでも集団訴訟に臨めるように準備を始める事になりました。

………

 足立先生は、今日早くリオ市にお住まいの被爆者に会いに行かれ、午後サンパウロに帰り、夕方日本に向けてブラジルを発たれます。

 カルナバルの期間中、精力的にブラジルの被爆者とお会いになり、問題解決にご尽力下さいました。

 日本の長崎医大に帰国治療中であった鮫島様が、帰国報告をされました。
 長崎に行ったお陰で、足を切断することなく、歩けるようになって帰ってきましたと。
 長崎県、長崎市、長崎医大の先生方、それに長崎の支援の会の平野先生にも本当にお世話になりましたと、報告があり、皆さんの拍手を受けておられました。

 7日に帰国治療で長崎に着いています芦原さんも、長崎医大に入院され、首の血管の手術を受けられる予定です。
 無事に良くなって帰られますように祈っています。

(盆子原 国彦)

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