7月3日(火) “〈日本から ― 〉久間防衛相の発言に サンパウロへの返信”
インターネットで久間防衛相の発言を知った在ブラジル原爆被爆者協会の盆子原国彦理事(66)は電子メールで中国新聞に抗議の思いを寄せた。「何とも言えない怒りがこみ上げた。全世界の三十数カ国に、今も苦しみながら生きている被爆者がいる事実をご存じなのだろうか。いまだに私の母と姉の遺骨も見つかっていない。発言に責任を持っていただきたい」としている。 |
〈日本から ― 〉
盆子原さま
メールありがとうございました。
中国新聞ホームページでも、盆子原さんのお名前を拝見しました。
私もNHKで久間防衛相のニュースを知りました。
あまりにも発言内容がスットンキョウなので、このヒト何が言いたいんだろうと、ポカンとニュースを見てました。
…この報せを聞いたとき、以前に読んだ本の内容を思い出しました。
ハワイ生まれの日系3世で、米カリフォルニア大学バークレイ校の教授をされている方が書かれた本です。
久しぶりにページをめくってみました。
≪以下、『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』(ロナルド・タカキ 著、山岡洋一 訳、草思社、1995年)からの引用です≫
p.9 「ダグラス・マッカーサー元帥は西南太平洋方面の連合軍総司令官であったが、(…略…)軍事的にみれば、原爆投下は『まったく不必要だ』と(…略…)考えていた」「広島に原爆が投下されたのち、『(マッカーサー)将軍は激怒した』」「(原爆投下)この直後に将軍が『ふさぎ込んでいた』(…略…)将軍は『衝撃を受けて』いたようだった」
p.165 「(アメリカ)陸軍参謀総長のジョージ・マーシャル将軍は、(…略…)日本人にきわめて多数の死者がでたことは確かなので、喜びすぎるのはよくないとたしなめている」
p.166-167 (ウィリアム・D・レーヒ提督=アメリカ大統領付き参謀長の回顧録より)「この野蛮な武器を広島と長崎に投下したことは、日本との戦争でなんら重要な意味をもたなかった。日本軍はすでに敗北していたし、海上封鎖の効果と、通常兵器による爆撃の成功によって、降伏しようとしていた」「わたし個人の感想をいうなら、アメリカは原爆をはじめて使ったことで、暗黒時代の野蛮人並みの倫理基準を取り入れたことになる。わたしは戦争をこのようなやり方で戦うよう教えられてこなかったし、女性や子供を殺害することで戦争に勝てるわけではない」
p.167-168 「太平洋方面戦略空軍司令官のカール・スパーツ将軍も、広島への原爆投下に疑問をもっていた。(…略…)広島への原爆投下ののち、(…略…)長崎を目標からはずすよう求めた。ワシントンに電話し、つぎの原爆を人口が少ないところに落として、『都市と住民への打撃が少なくなる』ようにすべきだと主張した」
p.169 「大統領の側近のなかにも広島への原爆投下に疑問をもった者が多かったが、スティムソン陸軍長官はとくに自責の念にかられた」
p.176 (同長官のエッセイより)「第二次大戦の最後をかざるこの大きな作戦で、戦争とは死であることがあらためて示された。20世紀に、戦争はあらゆる面でますます野蛮になり、破壊的になり、下劣になっていった」
p.178-179 (1945.7.11、ジェームズ・フランク、レオ・シラードらの科学者の委員会が提出した報告書より)「核爆発の効果を知らされたとき、民間人を無差別に殺害する大量破壊兵器を実戦で使うはじめての国になることを、アメリカの世論が認めるかどうか、確かなことはなにもいえない」「おそらく、アメリカがただちに直面する最大の危険は、原爆の『示威』によってアメリカとソ連のあいだで、核兵器の生産競争が起こる可能性があることだ」
p.183 (1945.8.6、レオ・シラードが妻に宛てて記した手紙より)「日本に原爆を投下したのは、歴史上まれにみる失敗だ」
p.184-185 (フィリップ・モリソンの回想〜スタッズ・ターケル 著、中山容他 訳『よい戦争』晶文社 より) 「エノラ・ゲイ…が(テニアン島に)帰ってきたとき、われわれ科学者は搭乗員を出迎えなかった。(…略…)その夜、盛大な祝賀パーティが開かれたが、われわれは行かなかった。科学者はほとんどだれも出席していない。少なくとも十万人を殺したのだ。パーティを開くようなことではない」
p.185 「核科学者のジョン・グローブは、広島のニュースを聞いて喜びの声を上げた。『ほんとうに成功したんだ。プロジェクトにかかったカネが無駄ではなかったことを証明できた』。しかし、喜びはすぐに消えた。『2秒ほどして、衝撃を感じた。“広島だって…。連中は都市に原爆を落としたのか”』。グローブは怒りを感じた。『なんで都市に落としたんだ。…いったい、何人を殺したのか。十万人だろうか、五十万人かもしれない」
…きりがないので、本の引用はここまでにしますが、このように当時、アメリカ軍内部で、軍の中枢にいた多くの軍人や、核開発に携わった多数の科学者たちが、原爆投下に懐疑の念を抱き、怒り、悔み、苦渋し失望した事実。
そのことが、盆子原さんが書かれた通り「実際に人類の上に落とし」た単なる「実験」に過ぎなかったことを物語っているように思えます。
ソ連の参戦云々は、この、「歴史上まれにみる失敗」を糊塗するためにトルーマン政権が「創作」した「あとづけの理由」に他ならないと、私は理解しています。
「我々の気持ちを頭から踏みつけてしまうような」と記された盆子原さんのお気持ち、 新聞社にメールを送らなければならないほどの切迫したお気持ちを思うとき、長崎選出の議員でもあり、かつ、自衛隊を統率する立場の防衛大臣が、いかにも軽い意見を軽々しく口にした事実に、私は驚いています。
人や国家が歴史を語るとき、「自分(たち)の意見に都合のよい歴史的事実」だけをつまみ上げる傾向があります。
私とて「自分が好む歴史観」に陥る危険性があることは自覚していますし自戒もしているつもりです。
先に述べた「私の理解」は、あくまで私個人の考えにすぎません。もちろん他の考えもあるのが当然です。
さらに、人がどのような考えを持ち、意見を口にしようと、それは自由です。
特定の意見を封印して、自由にものが言えない(戦時中や、江戸時代の踏み絵のような)社会であってはなりません。
ゆえに、久間防衛相が、自分の考えを述べることは当然に自由ですし、今回の発言に対しても自由闊達な議論がなされるべきと考えます。
その上で、私が感じたのは、「しょうがない」という表現の「軽さ」です。
当時アメリカ軍の中枢にいてマンハッタン計画に関与させられずにいた軍人や核開発に携わった科学者たちの苦悩。
そしてなにより、原爆で亡くなられた30万人の命、62年が経った今も放射能の影響に心身とも苦しんでいる30万の方々。
それを「しょうがない」の一言で総括するのは、いかにも浅薄な気がするのです。
さらに、ソ連参戦と原爆投下との因果関係をいえば。
原爆が投下されても、ソ連は参戦しました。
北海道は日本から分割されませんでしたが、シベリアで日本人65万人(定説。一説には200万人以上=アルハンゲリスキーの著作およびマッカーサー元帥の統計より=とも言われる。※Wikipediaから抜粋)が抑留され推計34万人が命を落としました(確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名=アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証ーシベリア抑留』より。※Wikipediaから抜粋)。
先の引用を改めてひもとけば、「戦争とは死である」と。
それは原爆に限りません。
たとえば満州事変、重慶爆撃、ユダヤ人虐殺、ドレスデン爆撃、東京大空襲…。
近年であればルワンダ、アフガン、ソマリア、ボスニア、パレスチナ、イラク…。
国籍や人種、民族、信条、宗教etc.を問わず、その失われた無数の命を想うとき、私ならば「しょうがない」という言葉をつかう気持ちには、到底なることができません。
久間防衛相は、長崎で何を聞き、どんな本や資料を読んで、あのような認識を持つに至ったのでしょうか。私には不思議でなりません。
あまりにも「軽い」。その軽さが、不思議です。
3日付『毎日新聞』によれば、久間氏は2日安倍首相に「『しょうがない』という発言は説明不十分だった」と陳謝し、首相は「誤解を与える発言を厳に慎むように」と注意したといいます。
ならばぜひ、久間氏はもう一度、あの発言で本当は何が言いたかったのかを、十分に言葉を尽くして説明して欲しいと思います。
すみません長々と。
またのメールをお待ちしています。
追記:
いま、これを書き終えたとき、ニュースが飛び込んできました。
「久間防衛相が引責辞任 原爆『しょうがない』発言で」(共同通信)
(ホームページ管理者)