6月30日(土) “「原爆投下しょうがない」久間章生防衛相の発言を見て”
ご無沙汰いたしています、一つずつ仕事をかたずけてきてはいるのですが、次から次に。
木曜日から体調をくずし、家で様子を見ています。
今朝中国新聞を見て、驚くやら腹が立つやら、残念です、そのことについて書いてみました。
私個人の意見です。
久間章生防衛相の発言を見て
6月30日ブラジルの朝、インターネットで中国新聞を開いた所、「原爆投下しょうがない」と言う記事が踊っていました。
始めなんだこれはと思いましたが、その内なんともいえない怒りがこみ上げてきました。
日本政府の要人が全世界に向けて広島、長崎に落とされた原爆を容認した初めての発言ではないですか、アメリカ政府は大喜びするでしょう。
これは久間章生防衛相が発言されたもので、記事にはソ連参戦を食い止めるためとか、アメリカが勝つと判っている時その必要があったのかと、いろいろと言い訳を述べておられますが・・・・・・
広島と長崎に落とされた原爆は、久間氏が述べておられるような側面もあったと思いますが。
それはアメリカ政府が莫大な開発費をかけて開発した2種類の原爆を、実際に人類の上に落とし実験した。
核実験だったと我々被爆者は理解しています。
1945年8月15日終戦となり、進駐してきたアメリカ政府の役人は、その年の12月末まで、広島、長崎に外国の報道陣は入れず、日本国内の原爆についての報道も禁止しました。
そしてその間にアメリカ政府が調査した資料は全部本国に持ち帰り公開はしていません。
もし62年前の原爆投下が純粋に戦争のための攻撃なら、アメリカ政府は、日本進駐の時世界の報道陣を引き連れて勝利の後を見せたはずです。
そうすれば原爆のために負傷した人々に世界各地から援助が寄せられ、多くの被爆者が助かったかもしれません。
そしてその悲惨さに原爆開発について、あるいは世界的規模で討議されたかもしれません。
この事実を久間防衛相はご存知なのでしょうか、62年前原爆のため8月から12月まで30万人が死に、30万人が被爆者として全世界30数カ国に今も苦しみながら生存しているこの事実を。
貴方が日本で発言された言葉は、一瞬のうちに世界を駆け回る事を。
先日の「女は産む機械」この言葉も世界中を回り外国に住んでいる日本人は揶揄されました。
私も一被爆者です。
母と姉は原爆が投下された日、死亡し遺骨も見付かりませんでした。
今年長崎県の高校生が自発的に行ってきた、原爆反対の一万人署名運動が10周年目を迎えるに当り、ブラジルからも2名の高校生がブラジルで集めた署名をもって、日本、韓国、ペルーなど4カ国の高校生と同道し8月下旬スイスのジュネーブにある国連本部に届けます。
こういう若い人の自発的思いを踏みにじるような、被爆国の要職にある人が、原爆投下を容認する発言をなさるとは、それも62年目を迎える慰霊祭の前に、貴方が言われた言葉に責任を持って対処していただきたいと願っています。
もう本当に情けなくて、我々の気持ちを頭から踏みつけてしまうような、もっと被爆の実相を多くの人達に知ってもらい、今我々が住んでいる母なる地球が救える何かのきっかけを若い方々に覚えてもらいたいですね。
ではまた
(盆子原 国彦)
久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。 米国が旧ソ連の日本への参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と指摘。 また「勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけない」と述べた。 久間章生防衛相の発言要旨は次の通り。 日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。当時、ソ連は参戦の準備をしていた。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本との戦争に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。長崎に落とすことによって、ここまでやったら日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。幸いに北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった。その当時の日本なら取られて何もする方法がない。長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。 |