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祝辞
 学部、大学院修士課程そして博士課程、それぞれの学業課程を終えられ、これから新しい道に進まれること、心よりお慶び申し上げます。同時に、証券奨学同友会の会員になられることを歓迎します。また、みなさんの参加により、この同友会も会員数2,000人を超えることとなりました。まことに喜ばしいことだと思います。 


 思えば、私も、すでに11年前のこととなりますが、この場で、みなさんのおられるところにおりました。1987年、学部卒業の方々は、まだ小学生あるいは中学生というころでしたから、記憶云々はないでしょうが、おそらくはすでにご存知のとおり、当時の社会経済状況は、円高不況を克服しつつ、景気が急速によくなりつつなり始めた頃のことで、見方によっては、幸せな時代の始まりであったのかもしれません。その後のいわゆるバブル期と言われる時には、この景気は10年以上続くと豪語したエコノミスト、社会経済学者もおりました。おもしろいことに、今もそうした人たちはそれぞれの仕事をしており、この不況はまだしばらく続くと言っていますが・・・


 みなさんが新たな出発をされる、この1998年春、経済状況はきわめて悪く、構造転換、構造変革も、企業組織のそれのみならず、人格のそれ、あるいは飲み食いの仕方、人とのつき合いの仕方、さらにはコミュニケーション一般のそれをも転換、変革、作り換えざる終えない状況に至っているといって過言ではない時に来ています。


 かつては、この証券奨学同友会も、他の、まったく異なる業界の誰それさんを、この会をつうじて、知っていた、あるいはあの会社の誰それさんにすぐ電話のできる、頼み事のできる、そういうことのために重宝する会であり、そうした会を持っていることが宝なのだと宣伝されてきたこともありました。いわゆる名刺交換の会の、きわめてインフォーマル版とでも考えればよいのでしょうか。私も、そうしたことを幾度となく聞かされてきました。そして、たしかに、そうした面は、そうした面で、これからもなくならないでしょう。そうした日本的な会食の風景は、昨今の接待問題にもかわらず、これからもあるでしょう。クロ・マグロの値段が安いのは今だけです。


 ただし、鍵括弧を付ける必要のある「接待」をはじめ、さまざまな問題が、毎日の新聞に吹き出し、それがあたかも恒なる状態となっているかのような現状に目をやれば、何とか、この国の構造の改革であるとか、変革であるとかを口にする人は少なくはないでしょう。しかしながら、そうしたことを口にする人たちも、すでにそうした構造の中に、時にはどっぷりつかりきって、それを口にしていることしばしばであり、そうである以上、私はそこにはそれほど大きな期待はできないだろうとさえ考えています。残念なことに、私もそうした中に、膝あたりまでつかった部分をすでにもっていると思わねばならない年代なのかもしれませんが。


 けっして年齢だけのことを言っているのではありませんが、そうした、古い殻にはまっている確率が、経験的に見て、より高いと言っていいかもしれまんが、必ずしも、それは年齢に比例しているとは言えないでしょう。むしろ推測される確率や、これまでの経験を超えていく技術革新は、必ずしも年齢は関係ないかもしれません。


 「郵便馬車をいくら連続的に加えても、それによって鉄道をうることはけっしてないであろう。変化は、その体系の内部から生ずるものであり、それはその体系の均衡点を動かすものであって、しかも新しい均衡点は、古い均衡点からの微分的歩みによっては到達できないものである」というのは、経済学者ヨゼフ・アロイス・シュムペータ『経済発展の諸理論』に出てくる、よく知られた、古典的な名言ですが、私もできる限り、長くつながる郵便馬車の一台にだけはならないようにしたいと思います。


 おそらくみなさんの方が、経験的に、そうならない確率は高いだろうと思います。バブル期、新人類というような言葉があり、新しい時代の担い手であるかのように、ちょうど私たちの世代の後、そしてみなさんの先輩にあたる人たちの世代の人々をさしていうことがありました。のちになって「新人類は、実は新人にすぎなかった」という、要するに「しきたり」「慣習」を知らなかっただけだと結論された、バブル期の新人たちの多くも、ちょうど私のように、この「しきたり」そして「慣習」に、すでに染まり、時には染まりきって、今の激動期というよりは、この会社の遭難期にあたって、そうしたなかのある人たちは新たな道に進め、そして不幸にもある人たちは路頭に迷うこととなっています。


 新聞等の報道からすると、ちょうど私の年齢くらいから、いわゆる再就職の難しい、新しい道を選択するのが難しい、あるいはもはや見出し得ない年齢ということになっています。三十五歳から四十が限度、それ以降の再就職は難しいというのが、それですが、しかしながら実は、そうした見方で、道を、再度、とりわけ与えられる、与えてもらうということは、考えようによっては、郵便馬車の一台になっている、あるいはなり続ける可能性があります。郵便馬車が、自らの生きている時代は、とりあえず使われつづけてくれれば、そこそこそれでよいのでしょうが、御承知のとおり、現在では郵便馬車が使われているところはありません。


 ただし、新しい均衡点への移動は、まさに創造的な破壊であり、つねに不確実性をともなっています。年齢を加えるとともに、もしかしたらそうした不確実さをおそれることになりがちです。あるいは、もっと不幸なことに、若いうちからそうした不確実さを恐れるように育ってきてしまっている可能性が、今の時代にはあります。たんなる、ある種の冒険的な行動がつねに素晴らしいなどとは思いませんが、郵便馬車の一台にしかならない、あるいは郵便馬車をただつなくだけのこと、どうぞ、みなさん方の将来を終わらせないようにしてい
ただきたい。証券奨学財団からの奨学金を受けたみなさんは、そうした人であることを期待されています。


 さて、証券奨学同友会は、こうした会報を毎年出しています。昨年度、これは私が編集したものですが、弁護士特集でした。同友会会員の弁護士先生に登場していただき、弁護士を頼むときのハウ・ツーをそれぞれ書いていただきました。次の17号は、まもなく出ます。巻頭に、この同友会の初代会長であった、現在、東海大学教授の川野辺先生が、「日本経済と日本証券奨学財団」という興味ある記事を書かれています。昨年、東京と行われた証券奨学同友会二十周年での講演が文章化されたものですが、日本の証券業界、金融全般にわたって、企業のみならず、政府組織すべてを含めて、まちがいなく、これから激動の時代です。そして、その意味で、「安定」をよしとする見方からすれば、今はきわめて状況のよくない時代です。しかしながら、経済のここ十年の大きな動きにもかかわらず、この財団が着実に成長し、そして現在きわめて悪い環境にありながらも、みなさん方を、これまでどおり送り出すことのできる、このシステムが自己組織していっている、このことについては是非とも理解しなければならない。それほど凄い組織、システムを、1960年代の証券不況後、まさに人材を創出するために、考案し、そして今に至っているということ。そうしたことが、書かれています。


 創設者たちの発想、意志、継承者、そして事務局の弛まぬ努力については、是非御承知おきください。


 この奨学金は、繰り返し聞かされてきたとおり、証券業界で活躍する人材を生むためのものではありません。そうであってもよいし、そうでなくてもよいというところに、創設者そしてこれを支え合ってきた人々の凄さがあります。その奨学理念、その向いているベクトルはきわめて多方面にわたっています。考えてみれば、この理念の高邁さを思えば、一九六〇年代の証券不況がやはりきわめて深刻なものであったものかということを、逆に想像しなくてはならないでしょう。自業界のみならず、広く社会全般にわたって活躍する人間を作ろうといった理念については、そしてそのもとで、みなさんの各課程の終了、あるいはその一部が成ったのだということを是非理解して、敢えて言えば、「理解してあげる」「あげなければならない」必要があると思います。

 先達たちが、鉄道の時代に郵便馬車を作るために、そしてそれをただつなげるために、こ の奨学財団を創設したのではないことは明らかであり、その創設自体は、それ以前のわが国のこの種の事業、そして今ある他の同種の事業とは大きく異なって、これ自体は郵便馬車ではなかったことも明らかである限り、是非、みなさん方、そして私も、郵便馬車とは根本的に異なる乗り物であり、あるいはそれとはまったく異なった乗り物を発明し、またその乗り手であること、そうなる将来を願って、私の祝辞とさせていただきたいと思います。


 なお、東京では本年11月初めの金曜日、大阪では11月第2週目の土曜十四日、同友会の懇親パーティを例年どおり開催致します。会員初年度、どんなに凄い第一歩を踏み出されたか、是非、議論しに来てください。

 1998年3月17日


日本証券奨学同友会代表幹事
(早稲田大学教員) 森  元 孝

 


 

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