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第一文学部社会学演習

 (1987年〜2005年)

 

 第一文学部配当の「社会学演習II」(2001年度から「社会学演習III」)、1987年度から91年度、94年度、98年から2001年度、2004年度から05年度と、12年にわたって担当しました。

 この種の社会調査実習は、プライバシー尊重、オートロック、消えゆく表札など、社会の大きな変化で、不可能な時代となりました。

 その最初の頃は、バブルに向かう「ニッポン経済」絶頂期でしたが、そのみなさんも、ベテランから還暦、退職を迎える年代となりました。それから、10年、1990年代後半のみなさんは、バブル崩壊後の日本経済社会低迷の時期で、ずいぶん違う社会経済状況に苛まれたと思っています。同じ名称の実習、演習でありながら、学生さんたちの表情はずいぶん違っていました。

 そういう点では、旧き良き20世紀のたいへん想い出深い授業経験だったと思っています。

 

「都の西北」を聴きながら・・・

 


1987年 

第一文学部3年生「社会学演習」

 私が教壇に立った年であり、若かったこともあり、過剰な1年でした。その成果は私にとっても、きわめて大きなものでしたが、それまで私自身が培ってきた、郵送留置調査員派遣回収調査、面接調査、社会統計分析を学ぶための演習でありながら、十分にそれらを習得しえたか、それよりはフィールドを歩いたという体験のだけが重要だったのか、授業成果について難しいところがあるかもしれないところもある。

   

  日本中が注目する逗子の市民運動の動きに、マスコミの取材にもまざりながら、アンケート調査、インタビュー調査、参与観察などなど、その後に例を見ない、盛りだくさんのゼミであった。八王子セミナーハウス(5月)、伊豆高原(9月)の合宿、池子の森ハイキング(5月)の他、現地に行った回数多数。

 社会調査実習報告会というものが、年度末(あるいは翌年度初)に行われていた。成果報告会であると同時に新3年生の実習のオリエンテーションの意味もありましたが、結果の分析よりも、プレゼンテーションをしたい、見せたいという人たちも少なくなく、その「選ばれし学生」という自負は案外滑稽であったかも。

     

 調査地逗子からは、当時あった「緑と子供を守る市民の会」の中心メンバーも機器に来てくださり、意見をいただいた。

  報告書は、4年生の7月に、私が完成させることになった。その点では、その後の演習とは違い、やりっぱなしという感も残りました。

 ちょっとお洒落にということで、クリスマスは、広尾でやった。長期にわたる調査がほぼ終了したところで、口当たりのよいシャンペンがぼんぼん空いていきました。酒代は私持ちということになり、請求書は11万円。なんとも、苦いシャンペンであった。

 この時のメンバーはみな、私の当時の年令もはるかに超え、それぞれに人生を歩んでいるが、良きにつけ悪しきにつけバブル世代の特徴「目立つ」「自分が・・・」を残し続けている。

 卒業後10年以上経っていたが、高田馬場のワインバーで集まり。某新聞社の記者バリバリと言いながら、店をゲロだらけにし、今はもうないが、急性アルコール中毒の運び込まれる常連病院「大同病院」に救急搬送。もう直接の教員でもないのに、未明、家族が来るまで病院外、夜空のもと待機。驚いたのは、未明になって、「なんで先生がいるの」と悪びれることない挨拶と、いい年齢をしても、まだなおあるその甘えに閉口した。

 そんなことはどこ吹く風か、後日、ワインバーに、私は、申し訳ありませんと侘びに行った。バブルで甘えたまま卒業が許された時代の禍根か、失われた30年の原因はここにあろう。後にも先にも、こんな常識を越えた経験はない。

大同病院

1988年

第一文学部3年生「社会学演習」

 この年の実習クラスの抽選は高い倍率となりました。前年の影響か? しかし、前年に比べおとなしく静かなゼミでした。

  

 静かとはいえ、このゼミは、国際部留学生対象に英語の質問紙票を作りました。国際感覚がテーマでした。私としては、やや悪乗りの主題でありました。これは私の責任。

  

 クラスの仲がよかったのは前年と同じ。青表紙の報告書を作りました。


1989年

第一文学部3年生「社会学演習」

 再び、調査地を逗子に設定。87年よりも大きなアンケート調査を実施しました。ただし、実査初日は大雨で、みんなずぶ濡れ、地図などがぐちゃぐちゃになり、苦労しました。ただし、たいへん優秀で、きっちりとした作業のできるメンバーたちばかりでした。

 紛争地の旧池子弾薬庫ゲート前での記念写真。しかし、この撮影の直後・・

 この年度末まで調査報告会がありました。たいへん学術的にもレベルの高い、精密にコンピュータを使った結果分析の報告でした。そして、逗子調査初年とは違い、春休み、きっちりとした報告書をまとめあげました。

 当時の主流は、左の5インチのフロッピー・ディスクでした。87年もそしてこの89年も、キーパンチャーに入力してもらったものは、8インチでした。統計ソフトは、今と同じSPSSでしたが、大型電子計算機を使いました。


1990年

第一文学部3年生「社会学演習」

 この年度も主題は、逗子でした。ただし、実査は行わず、電子計算機の徹底利用、87年のインタビュー・データの分析、大量の新聞資料の分析を行いました。最も頭を使ったゼミでした。

 そのことは、この報告書の厚さからもわかります。また、この報告書は、研究者からも非常に重宝がられました。


1991年

第一文学部3年生「社会学演習」

 この名簿の表紙が面白いのは、私がこの実習の講義内容として記したものをそのまま抜き出してきたことです。下線が付されております。「雑務を厭わず、短い時間内に能率的で積極的な調査活動を行い、忌憚なく意見を主張し徹底的に議論を行う学生の参加を歓迎する。(逆に言うと、自分の都合ばかり言う人、依存心の強い人には不向きな演習だということである。)

 このゼミも、過剰なゼミでした。対象地は練馬で、主題は統一地方選挙の投票行動追跡でした。ゼミのあった水曜5限はしばしば9時すぎまで作業が続きました。そしてその後、必ず飲みに行くというパタンが続きました。調査票も細かいものでした。

  私の36歳誕生日への寄せ書き。 それよりも、報告書は緻密な分析ができ、よく書けました。

 卒業後、今も音信良好のゼミで、ほぼ毎年何やらで飲み会があります。


 

このクラスの組織力もあって、87年以来のメンバーを集めて会を催すことがました。

 やはり、一本締めをしたのは、87年の「リーダー」?でした。

 懐かしい顔が集まりました。


  しばらく休憩


1994年

第一文学部3年生「社会学演習」

 久しぶりに調査実習に復帰。政治の新しい流れが主題でした。しかし、ブランクがあったからか、若い人達の雰囲気の変化を見誤ったからか、このゼミと私との関係は、冷えたものに終わりました。

 そうではありますが、卒業後、彼らは、報告書をまとめて、送ってきました。


1995年

第一文学部2年「社会学演習」

 調査実習や二文の7限の授業は、なぜか年輩の先生方は持ちませんでした。そうした慣行が一部崩れ、調査実習に、これまで登板することの少なかった先生があたり、結果として、就職以来担当したことのなかった、一文の2年生の演習を担当しました。実習ではありません。古典を読むのが課題でした。

 写真は、八王子セミナーハウスでの合宿の時のものです。

 初めて担当した演習でした。飲み会、合宿といろいろありました。

 卒業式の時に、記念の色紙までもらいました。

 卒業式後の「謝恩会」、2年生のゼミでありながら、よくまとまっていました。卒業後も親しくしてもらっています。リーガロイヤルにて。

 ところで、このクラスは、一時、学生部の広報ポスターにも載った「もりもりクラブ」という名称を作ってくれました。その企画者は、今や芸能界狭しと大活躍をしています。是非とも、一度ご訪問ください!

 


1996年

第一文学部2年生「社会学演習」

      

 前年の影響からか、このゼミも明るく楽しくの前期が終わりました。しかし、この年は9月から、学生担当教務主任となり、風雲急を告ぐフロントに赴くため、途中降板となりました。これは、たいへん残念なことでした。


1998年

第一文学部3年生「社会学演習」

 非情にも、まだ学担の任期が残り、とくに「ミルクホール」でしたが、「ローテーション」とやらで、実習に復帰しました。「ローテーション」や「負担公平」をすぐ口にする人は、行動で示しましょう! みなさん、ローテーションは守りましょう!

 テーマ「東京」の最初の年であり、臨海副都心開発問題を扱い、台場で調査を行いました。

  

  台場近く、浜松町で合宿。よく勉強をしました。また、報告書を、Webで公開するようになりました。

 1年生の時に、私の基礎演習の履修者が多かったのも、この調査実習の特徴でした。やはり、1年の時に八王子セミナーハウスで合宿をしました。その前の年にも基礎演習を担当しましたが、その時は追分セミナーハウスに行きました。


1999年

第一文学部3年生「社会学演習」

 東京都知事選挙の投票行動分析を課題にしました。6400通の郵送調査で、およそ2300通を回収しました。作業量がかなり多く、それとかつてほど、実習時間の延長がありえなくなりました。そういうメンタリティーに学生さんがなってきたのでしょう。

  あるいは、私が年をとって疲れてきたのでしょう。十分な分析作業にまでは至りませんでした。しかし、精密な調査手法は学びました。8カ所でサンプリングをやりましたが、これはかなりの強行軍でした。その度に、お食事会となりましたが・・・。

 こんなこともありました。回収した調査票の整理作業中、しゃべりながら、こともあろうに、缶コーヒーを飲みつつ作業をする人がいました。やるだろうと思ったら、やはり調査票にコーヒーを・・・。コーヒーには「C」の字がありましたが、「C」はあげませんでした。時代が変わったのか、社会学に進んできた学生さんが、社会調査、それも対象者が書いてくれたものを粗末にするとは・・・と考え込みました。

 


2000年

第一文学部3年生「社会学演習」

 前年度に出来なかった分析と、新たに補足インタビュー調査を行いました。まとまりのある楽しいゼミということで言えば、これまでで最高となりました。6月に箱根、12月にで合宿。、コンパ無数。写真は多すぎて、現在整理中。その一部を、ご紹介します。

  

 仲がよく、そしてよく飲んだゼミでした!

 6月に箱根で合宿をして、勉強を深めていきました。そしてまた飲みました。

  

 7月は東京都庁のbeer garden、そして赤シャツ集合は、革命か!? 悪乗りか?

  

 剽軽さでも、これまでになかった人たちのあつまりでした。

 

 11月は、ちょっとお洒落にお食事会!

 

 12月は、オープンした川奈セミナーハウスで合宿をしました。

 


2001年度

第一文学部3年生「社会学演習」

 たいへんよく勉強をしたゼミ。とくにコンピュータをよく習得しました。Exce;のかなり面倒くさい扱いから、SPSSを習熟し、後半は「国勢調査データ」「事業所統計データ」を細かく分析をしていきました。
川奈セミナーハウスでの合宿
冬の八王子での合宿では、よく学び、そして仲のよいゼミとなりました。

川奈では作業量が多すぎて、あまり飲んで騒いでとはなりませんでしたが・・・。 調子に乗りすぎ、私に怒鳴られる人もおりました。

 社会調査それ自体が、昨今の個人情報保護の風潮で、たいへん行いにくくなり、フィールドで足で行う調査実習から、国勢調査などの大規模既存データをコンピュータの技術を習熟しながら徹底分析していく形式を採用した最初の実習ゼミとなりました。

  

  そして、分析・研究レポートと1年間のアルバムを整理して、一枚の濃厚なCDRを作成しました。報告書をCDRとして作成した最初の演習となりました。つづく、このゼミの後輩たちの優れた教材となります。

 


2004年度

第一文学部3年生「社会学演習」

 今回は選挙管理委員会から学生の調査実習では選挙人名簿の閲覧は許可できないということを言われ、急遽、住宅地図で精密なサンプリングする方法を開発。東京都内7地区に6300サンプルという大量観察を行った。すでに結果概要もまとまっている。

 過去にない困難に見舞われたけれども、とっても楽しく、言いたいことは言い、仕事をする時は仕事をするたいへん素晴らしいゼミでした。

 春は川奈に、晩秋は鴨川にそれぞれ2泊3日の合宿を行いました。それぞれ準備してきたレポート、とりわけ秋も深まった頃鴨川での合宿では、調査結果を精密に分析したレポートも少なくなく、学生さんたちの才能に感心しました。

 得られた結果をもとに05年度は、さらに深さのある継続調査を実施します。

      

 川奈セミナーハウスでの春合宿。まだ緊張で固さもありましたが、次第に元気溌剌となっていきました。

 


2005年度

第一文学部3年生「社会学演習」

 昨年度と同様に、住宅地図からの精密サンプリングで、東京都内4地区に4800サンプルの郵送調査をしました。回収率は22%で昨年よりも向上。 昨年同様に、よく勉強をしよく作業をしたゼミでした。結果報告は、現在作成中ですが、たいへん優れたレポートで充実したものができる予定です。

    

 春は川奈セミナーハウスで調査の枠組み、調査票の内容について議論をして決めました。後期は、鴨川セミナーハウスを予定していましたが、たまたま満員で、川奈に再び行きました。各グループの報告は、大学の情報処理室を十二分に利用してSPSSをよく習熟して、とても素晴らしいものでした。やはり、早稲田大学の学生はよくできると思いました

    

 

 


 

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