Tさん(入所時25歳→現在36歳)へのインタビュー

中村 2人目のお子さんが生まれたそうだね。    
    はい。今年の5月に生まれました。1人目は女の子・2人目は女の子です。長女は2歳で最近は非常におしゃべりで、よく話します。買い物に行ったときにパチンコ屋を見て「きれいー。行ってみたーい。」と言っておりましたので、「大きくなったらね」と言っておきました。 Tさん
中村 遺伝かな(笑)。昔の話になるけど、ギャンブルやるきっかけとどんな問題が起きたか話してもらえる?
   
    父親は公務員・母親は専業主婦で兄弟は僕を含めて3人の5人家族でした。多少厳しい家庭だったというイメージはあります。小さい時から片付けが苦手でした。ランドセルの中に墨汁とかのりをよくこぼしておりました。お道具箱は汚かったです。学校の成績は良く言語的な問題はなかったので孤立するということはあまりなく、むしろ学級委員とかをしておりました。ギャンブルは大学生になってからスロットをバイト先の友人に教えてもらったのがきっかけです。すぐにお金がなくなり、自動車教習所代にと親がくれた30万円をつかいこみました。社会人になってからはもっとひどくなり、消費者金融に200万程度の借金をしました。借金ができなくなると、家賃光熱費が払えなくなり、電気やガスが止まったり、ご飯が食べれないという日があったりました。彼女や親・祖父母・同僚にうそをついてお金を借りたり、街金みたいなところに行ったりもしていました。交通費が払えなくて家に帰れず公園で寝たりする日もありました。 Tさん
中村 結構悲惨な状態だったんたね。ワンデーポートにくるきっかけを教えてくれる?    
    最終的に逃げるように会社を辞めたのちに、親に助けを求めたんですが、助けてくれず、ワンデーポートに行くことだけは支援するということで、もう行くしかないのかなという気持ちでした。もうどうにでもなれという非常に投げやりな気持ちだったのを覚えております。 Tさん
中村 ワンデーポートに来たときの印象は?    
    思っていたより楽しいなという印象でした。 Tさん
中村 当時はGA参加が主体だったけど、GAははじめどんな印象だった? 参加しているうちに見え方は変わった?    
    最初は自分はギャンブル依存症だということを認めるんだと言われて、それに対しあらがっておりましたが、認めたほうが楽になれるという仲間の言葉を信じ、自分はギャンブル依存症なんだと考えるようになりました。「自分がしてきたことは、病気のせいだった」と考えることにより、非常に楽になりました。ワンデーポートに来て一年くらいはそんな気持ちでGAに前向きに取り組んでいました。GAの指針に従うことが自分の問題を解決する唯一の手段だと信じておりました。しかし、1年くらい経った頃からそういう考えに疑問を持つようになってきました。要因は様々あったと思います。GAを一緒に頑張ってきた仲間が途中で数多く離脱したこと、発達障害などのもともとの特性の概念を認識したこと、非行の会などに参加し自身の問題を病気としてとらえずに乗り越えている人たちの存在を知ったこと。自分はギャンブル依存症なんだということを認めることでGAのやり方のみが正しいと信じていた自分が、本当にそうなのか?という疑問を感じながらGAに通う日々は今思うと非常に辛かったように思います。ただ、自分自身がうまくいかなかったことの要因がすべてギャンブルに起因しないのではないかという疑問はむしろ正しく、今思うとほとんどがギャンブルが関係ない問題だったように思います。過去のとらえ方のうまくいかなかった原因が、来た時から出る時で、「周囲が原因」⇒「ギャンブルが原因」⇒「自分が原因」という風に変わっていったと思います。 Tさん
中村 ワンデーポートに来て3ヶ月くらいで、アルバイトをはじめたと思うけど、そのときの気持ちを聞かせてもらえる?    
    野菜の出荷場で時給800円でした。初日にレタスの袋詰めを1000個くらいおばあちゃんたちと一緒にやったのを覚えています。「俺も落ちたもんだ」と思いましたが、それを表面に出さずに一生懸命働きました。3か月後に、(ワンデーポートを出所するのに自立の資金をためなければならないので)もっと時給の高い仕事をする必要があり辞めたいと相談した際に、社員の人が時給を900円まで上げてくれました。異例のことだが辞めないでほしいので認めたと言われました。精一杯やれば見てくれる人がいるということを初めて実感したので今でもよく覚えております。 Tさん
中村 中小企業診断士の勉強をしようと思ったきっかけは?    
    GAにあまり居場所がないなと感じていて、ワンデーポートを出た後もGAをメインにする人生に疑問を感じていた時に施設長から何かやりたいことはないかと問われて、おぼろげながら探しているときに本屋で資格の本を見ていたら見つけた資格でした。NPOの支援ができるかもしれないと感じたので。 Tさん
中村 もし、私が勉強をしてはいけないと言っていたら?    
    たぶん別のことを見つけてきたと思います。今とはまったく別の人生になったかもしれませんが、その分野で道を切り開けたと思います。当時の自分にとって資格を取ることや勉強することは人生を切り開くための手段であり、目的ではなかったと思うので、施設長が違う提案をしてきていても多分そこまで抵抗がなかったと思います。 Tさん
中村 ワンデーポートには1年くらいいたと思いますが、出た後の生活はどんな感じだった?    
    出たすぐあとは資格の勉強がメインでした。資格を取った後、今の会社に入りずっと同じ職場で勤めております。今の会社は広告系の会社ですが、20人くらいの小さい会社です。そこで営業の仕事をしています。半年前からは営業責任者になりました。会社全体の営業メンバーが10人程度いますが、大半は先輩なので気を使います。仕事や責任が増え、ストレスはもしかしたら溜まっているのかもしれませんが、組織をまとめていくことはすごくやりがいを感じるのであまり苦ではありません。責任を負うことや努力することから逃げていたときのほうが人生うまくいかないことが多いように思います。結婚するまでも仕事は比較的前向きに頑張っていました。嫌なことなども多数ありましたが、結局は乗り越えることができたというのが現状です。 Tさん
中村 いま、社会の中では、ギャンブル依存に対しては、精神科受診や自助グループ参加で解決することが効果的だと言われていると思うけど、Tさんはどう思う?    
    個人的にはギャンブル依存は肥満とかと同じジャンルの生活習慣病みたいな感じだととらえておりますので、いくら診断をつけても生活習慣を改善するしか解決の方法は無いように思います。生活習慣を改善するための手段として精神科や自助グループが有効であれば活用すればよいと思います。ただ、医療や自助グループはその人自身の健康的な生活よりも、自分たち(精神科や自助グループ)が考える健康的な生活を強いる危険性があるので、そこは注意が必要だと思います。 Tさん
中村 Tさんのように自ら考える力がある人の多くは、自助グループや回復施設を利用しなくても解決できる人もいるのかもしれません。だからそこ、社会全体が「依存症は自己解決はないかと、進行性の病気」ととらえる必要性はないように思いました。