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やがて、エアリィが戻ってきた。取材が終わったのだろう。いつものごとくカークランドさんとジャクソンが一緒だが、だが少しいつもと雰囲気が違う。二人の表情には、緊張感と不安のようなものが浮かんでいるように思えた。ジャクソンはセキュリティたちの部屋には戻らずにドアのところに立ち止まったままで、カークランドさんは、一直線にロブのところに向かっている。その手には、丸めた雑誌が握られていた。
「ビュフォードさん、あなたはこれをもうご覧になってますか?」
ロブの前に置かれた雑誌が丸めた状態から広がって、雑誌名とそこに写った僕が見えた時、僕も思わず小さな声が出た。ロブは明らかに顔色が変わっている。
「うっそだろ、おい?!」と、ジョージが声を上げているのも聞こえた。
「ここの取材だったのか、今日は……?」
ロブは詰まったような声で問い返していた。
「そうです。このライターではなかったですけれどね。でもわざわざこの記事をエアリィに見せて、コメントを求めたんですよ!」
「なんだって?!」
ロブだけではなく、僕も、そしてミックやジョージ、ロビンも一斉に声を上げた。
「もういいよ、モートン」
エアリィは部屋に入ってきて、小さく首を振った。
「僕はジャスティンがこんなこと言うはずないって答えたし、相手もとりあえずは納得してくれた、のかな? 一応。そのまま書いてくれたら、いいんだけど……」
「いや、こっちも録音しているからね。もし捏造するようなら、考えがある。ビュフォードさん、ローリングスさんの方の記事はもう抗議したんですか?」
カークランドさんに問いかけられ、ロブは頷いていた。
「ああ。昼頃、連絡を入れた」
「こっちにも知らせてくれたら、こんな事態は避けられたのに」
「すまん、モートン。この雑誌のエアリィへの取材は、昨日だと勘違いしていたんだ」
ロブ――とんだボーンヘッドだ。なぜ確認しなかった――おそらくそう思ったのは僕だけではないようで、ミックやジョージも視線を向けていた。それにしても、このメディアの厚顔無恥さもひどい。昼に抗議を受けておきながら、何食わぬ顔で、僕の捏造インタビューを、攻撃された本人に暴露するとは。幸いエアリィも、本気にはしなかったようだが、気分は良くなかっただろう。
「ありがとうな、信じてくれて」
僕は思わず、そう声をかけた。
「あ……そう言われると、ちょっと決まり悪いけど……」
エアリィは少し戸惑ったような表情で、開いているソファにぽんと座り、僕を見上げた。そして少し黙った後、言葉をついだ。
「正確には、信じたいな、って感じだから」
「はあ?」
頭をがんと殴られたような気がした。僕は思わず立ち上がった。
「どういう意味だよ」
「そこまで深い意味はないんだけど……ちょっとショックだったんだ。あれ、もしかして僕がやってきたことって、そういうふうに思われるかもしれなかったのかぁって」
「と言うか、おまえは考えてなかったのか、その可能性は?」
ジョージがそこで、少しからかうようなトーンで口を出してきた。
「うん。全然」
「だろうなぁ」
「でも、僕はそんなことは言わなかったぞ。おまえもそれは信じたんだろ?」
我知らず、少し強い口調になっていた。エアリィも、そのトーンに驚いたような表情で、首を振っている。
「うん。そう言ったし、それは信じてるよ。なんかジャスティン、怒ってる?」
「怒ってはいないさ。おまえが信じたい、なんて言ったから、ちょっと悲しいだけだよ。おまえの中での僕への信頼は、そんなものなのかと思ってさ」
「ああ、ごめん。そんな意味じゃないんだ……」
エアリィは言いかけて言葉を止め、僕をじっと見てきた。ソファから立ち上がり、僕の方に二、三歩近づいて立ち止まる。
「なんだよ?」
「よくわからないんだ。なんで信じたいなんて、さっき言っちゃったのか。信じるってことと、信じたいっていうのは、下手すると、意味逆になるかもしれないのに……うーん、でも違うんだ。言ってないっていうのは信じる。でも、本当にそう思われてないかどうかっていうのは……そうじゃないって、信じたいってことかな」
「なんでだよ。僕が本心ではそう思っているんじゃないかって、まさかそう思っているのか? 信じてくれないのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど――ああ、もう、なんていったら伝わるのかな」
エアリィは戸惑ったような表情で頭を振り、しばらく考え込むように少し黙った。
「ごめん! 正直に言えば百パーは信じきれない、かもしれないって、チラッと思っちゃったんだ。だからって、ジャスティンのことを信じてないわけじゃないけど。なんか、本心ではこれに近いこと思ってるか、今は大丈夫でも、近いうちにそうなる可能性ってあるのかなって」
「なんでだよ!?」
あっさり言ってくれるが、僕にはまるで爆裂弾のようなショックだった。
「なぜ信じてくれないんだ。おまえは僕をわかっているはずじゃないのか、エアリィ。信じてくれているんじゃなかったのか? こんなでっち上げのインタビューを真に受けるほど、僕に対するおまえの信頼は揺らいでしまったのか? どうしてなんだよ」
「ごめん! 信頼してないとか、そういうんじゃなくて……ああ、でも……ホント、わかんない。どうしてジャスティンがそんなに尖るのか、どうして僕が動揺してるのか」
「もう、そのくらいにしとけよ、おまえら。これ以上こじれないうちに」
ジョージがそこで、僕らの間に入ろうとした。
「ううん、待って! このまま終わると、もやもやする」エアリィがそう言い、
「そうかもな!」と、僕も声を上げ、椅子から立ちあがった。
「おまえが僕に不信の種があるなら、はっきり誤解を解きたいんだ」
「うん。僕も自分の直感が間違ってることが証明できたら、すごくうれしいけど」
「直感なのかよ、それって」
ジョージがそこで叫んだが、それは僕も言いそうになった。
「うん。あのジャスティンの最後らへんのコメント――いや、言ってないことはわかってるけど、あれ読んで、ああ、そうか――このツアーの違和感の、根本的な正体って、これなのかなって、感じたんだ」
「違和感? 騒がしいから、神経に来てるだけじゃないか?」
僕は辛うじてそう言ったが、自分の心臓の鼓動が感じられるくらい、気分は波立っていた。動揺? 怒り? 突き上げてくるものは熱く、そして冷たい。
「騒がしいから、疲れるのはたしかだけど、それはまあ、自分で蒔いた種だし」
エアリィの口調は普段より少し緊迫感はあるが、淡々としているように感じた。
「本当は、何も変わってないのかもしれない。でも、変わり始めてるような気もしてる。少し、距離が遠くなってしまったような。そう思ってたところにあれ読んで、ああ、って思ったんだ。僕はみんなの恨みを買ったのかもしれない、僕は突っ走りすぎたんだろうかって。だからみんなが、少しずつ遠く感じ始めたのかなって。そう、ジャスティンだけじゃない。ロビンもジョージもミックも……それが僕の思い過ごしだったら、どんなにほっとするか知れない。けど、本当にそう思い始めてしまってるんだったら、教えてほしいんだ。僕も自重――できるかどうかわからないけど、どうしたらよくなるか、考えなきゃいけないから。ジャスティン、本当に本当に、あれに書かれてたことって、かけらも思ってない? 思ってたっていいし、責めてるわけじゃないし、もしそうだったら、話し合おうよ。だから教えて。おまえの本当の心は、どう思っているのか」
(僕の本当の心は、どう思っているのか──?)
その言葉を、僕は無意識のうちに自らに繰り返した。――おまえは僕がネガティヴな思いを持っていることを、前提に話すんだな。変わるはずはないじゃないか。バンドの現状に、今の自分の立場に、何の不満があるだろう。おまえは僕の親友であり、音楽パートナーだ。あのインタビュアーがでっち上げたような悪感情など、抱いているはずがない。でもそう言ったら、おまえは信じてくれるのか? 僕を見る目はまっすぐで、無邪気だが、少し悲しげだ。それに、まるで僕の心を突き刺して、真実をつかみだそうとするような、そんな圧力を感じる。やめろ。なぜ、ありもしない感情を探ろうとする──。
その時、一つの思いが浮かび上がってきた。本当に、それはありもしない感情なのか? 僕の本当の心は――心の奥底では、どう思っているのだろう。
突然、背中から冷たい水をかけられたような気がした。不意に何かがプツッと切れたような、軽い衝撃を感じた。それは僕の心の底に蓋をして、外に出ないようにかたく縛っていた紐だったのだろうか。たちまち、封印してあったものが、勢い良く蓋を開けて飛び出してきた。それは僕が今まで意識すらしなかった、いや、意識にのせるのを拒み続けてきた、意外な感情だった。僕は思わず震え、その衝撃に呆然となり、我を忘れた。まるで自分が別の誰かに変貌したような、恐ろしい感覚を覚えた。
「本当に僕の、本当の心が知りたいのか、エアリィ。知らないほうがお互いに良かったと、あとできっと思うぞ」
自分でも驚くほど冷静な声で、僕はそう言っていた。
彼は一瞬びくっとしたような、驚いたような顔になり、ついで凍りついた、緊迫した表情で僕を見た。その反応は、僕の視界に明確過ぎるほど入ってくる。僕らは細いテーブルを挟んで、一メートルほどの距離で対峙しているのだから。僕は相変らず彼を見下ろしていた。それもかつてこんな目で見たのは初めてだろうと自分でも思えるほど、冷たい視線で。これから続く言葉が容易ならざるものであることは、エアリィにもきっと、わかっているだろう。彼は左手を胸の前でぎゅっと握っただけで、なにも返答はしなかった。答える以前に、驚きや衝撃の方が大きかったのかもしれない。僕は重ねて問いかけた。
「どうなんだよ、アーディス・レイン・ローゼンスタイナー。おまえは本当に、僕の本心を聞きたいと言うのか?」
まるでなにかがとりついたように、僕は残酷になっていた。たとえ彼がここで、『もう聞きたくない』と言ったとしても、僕は言葉を止められなかったかもしれない。『おまえが聞きたいと言ったんだ。いまさら逃げるのか?』と。だがエアリィは首を振りはしなかった。目を見開き、青ざめた顔で僕を見ながらも、はっきり答えた。
「うん……どんなことでも……聞くよ。僕が言い出したことだから」
「よし。じゃあ、言ってやる」
僕は相手をじっと見据えながら、口を開いた。そして一息吸いこむと、続けた。つい一瞬前までは、思いもしなかった言葉を。
「僕はあんなことは言わなかった。それは本当だ。でもその言葉は、僕の紛れもない本心だ。なぜかは知らないが、あのインタビュアーは僕の心の声を書いてしまったんだ。でも僕はそんな感情を意識しまいとしてきた。そうさ、おまえが僕のバンドをのっとってしまったこととか、三枚目からこっち、全部自分のカラーに染め上げてしまったこととか、そういうことが、僕は面白くなかった。おまえはたしかにモンスターだよ、エアリィ。何がおまえを変えたのかわからないが、いや、元々おまえは僕の及びもつかないような、とてつもない才能の持ち主だ。何をやっても、僕はおまえにかなわない。音楽はもちろんだが、容貌も人気も人を惹きつける才覚も、勉強もスポーツもゲームも……そうさ、なにひとつとして。それも普通の場合なら、僕もがんばっていつか追いついてやる、勝ってやると思えただろう。でもおまえの場合は、桁違い過ぎる。次元が違う。どうやったって追いつけない。おまえはモンスターだからな。おまえにやれないことなんて、ほとんどないだろう。僕らが苦労して苦労してやっとやり遂げることを、おまえは楽々と何の苦もなくやってしまう。僕らには及びもつかないレベルで。それが悔しい。僕はおまえに会うまでは、自分のプライドを傷つけられることはなかった。でも、おまえが僕の前に現われてからは、僕のプライドはずたずただ。エアレースは、もうおまえのバンドだよ。おまえがなんと言おうと、事実はそうだ。バンドはとてつもなくビッグになったが、それはおまえのやったことだ。とんでもない旋風を巻きおこして社会を騒がせもしたが、それも全部おまえがやったことだ。僕じゃない。僕らじゃない。なのに、僕らまで巻き込まれる。いつもいつも、つけたしでしかない僕らが。おまえはいつか言ったな。回りを巻きこみたくない、と。それなら、僕らを引きずるな。道連れにするな。おまえが何をやろうとしているのかはわからないが、そのとばっちりを僕まで受けるのはごめんだ。おかげで僕までひどい妨害を被って、家庭はめちゃめちゃになってしまった。去年の秋までは、本当に幸せなファミリーだったのに。そこまでおまえのせいだとは言いたくないが、でもおまえと組まなかったら、こんなことにはならなかったはずさ!」
僕は何を言っているのだろう。何も考えられない。まるで何かに憑かれたように、憤激はヴォルテージを増してくる。さらに言葉が滑り出てきた。
「それに僕は、おまえの無邪気な完全さが気に触る。少なくとも以前は好きだったが、今はだめだ。一度でいいから言ってみろよ! 『エアレースは僕のバンドだ。みんな、誰のおかげで、ここまで有名になれたと思っているんだ』って。スーパースターらしく、偉ぶってみろよ! 一番良い部屋にしてくれなければイヤだとか、ギャラを倍にしてくれとか、僕たちなんか自分の部品に過ぎないんだとか、そんなことをいっぺんでいいから言ってみろ。おまえの立場だったら、それが当たり前だろう。他のバンドの連中だって、No1スターって奴は、そうしているだろう。みんな、平然と他のメンバーを踏みつけるんだ。おまえもそうだったら、僕はもっと気楽だったよ。かりにおまえが口先やポーズだけの偽善者だったとしても……そうさ、ディーン・セント・プレストンが言ったようにだ。おまえがわがままでプライドの高い、傲慢なスターだった方が、さもなければ口先だけの偽善者だった方が、まだ僕は救われた。もっと早く面と向かって反発できたし、影でせせら笑うこともできた。だがおまえは、正真正銘の聖人だよ。本心から無邪気で、おごりもなく振舞う。おまえは自分をバンドの五分の一だと平然と言うが、僕にとっては、いやみにしか聞こえない。おまえはこのバンドの百ではないかもしれないが、九〇には確実になっている。おまえはOne of Themなんかじゃない。One with themだ。僕らは添え物だ。おまえは昔ソロ独立を断ったが、結果的に、ほとんど同じことになっているじゃないか。それが事実だ。それなのにそんなことを言われても、はいそうですかと喜べるわけはないだろう。自覚しろよ。それらしく振舞えよ。おまえがそんな奴だから、僕はネガティヴなことなんか、何も言えなかった。いや、不満を感じることさえ許されなかったんだ。おまえは知りもしないだろう。その無邪気な完全さで、僕を拷問にかけていることを。理解もできないだろうな。おまえには僕らの感情なんて、決してわかりはしない。僕ら人間の心が、わかっちゃいない。そうさ、おまえは言ってみれば、天使のようなものだからな。皮肉でもなんでもなしに。だがそれだけに、おまえは僕らの気持ちに無頓着過ぎるんだ。そう、おまえは本当に気にしなさ過ぎるんだよ。振り回される側の気持ちを。でもおまえに悪気はないのだから、怒ることもできない。だから僕にとっては、まだおまえが悪魔の方がましだったと思える時もあるんだよ」
僕はそこで一呼吸を置いた。エアリィは半ば呆然としたような表情で、黙ったまま僕を見ている。でも僕は、彼の心の中がわかるような気がした。僕の言葉はきっと、避けることのできないナイフのように、ガラスのかけらのように傷つけているのだろうな、と。その衝撃の強さに、彼は混乱している。目の前にいるのは本当に僕なのか、それとも見も知らぬ他人なのか訝っているような、そもそもこれが本当に現実に起こっているのか、すべてが信じられないように。だがその一方で、これは紛れもなく現実なのであり、苦い事実なのだとはっきり認識している、そのことが今までの幸福な世界を崩壊させた──そんな思いも明らかに感じている。感情が激しく交錯し、破綻の一歩手前でかろうじて踏みとどまっている、そんな印象だ。だが、僕の良心は凍りついていた。僕は──そう、その時の僕は彼のそんな反応を、半ば心地よくさえ感じていたのだ。なぜこれほど残酷になれたのか、後で考えれば不思議なほどだった。僕は相変らずさめた、冷たい視線で見下ろしながら、容赦なく言葉を継いだ。
「おまえは、その無邪気な完全さで、僕らを縛り続けるのか、エアリィ。そして僕を拷問にかけ続けるのか? おまえの理想を、おまえの意図を完結させるための手足として。でもなぜ、僕らなんだ? たまたま最初に出会ったからか? それともそれが、すでに意図されていたものなのか? でも、それは何も僕らでなくとも、そうさ、シルーヴァ・バーディットだっている。あいつは昔の約束にこだわって、おまえと組みたがっているのだろう? そうなるとエアレースとSBQの立場は完全逆転するだろうが、僕はそのほうがよっぽどいい。エアレースを自分の手に取り戻して、自分だけの成功をつかみたいんだ。たとえ今よりかなりスケールダウンしたとしても、僕はそれで満足だ」
「……そう。じゃあ、僕はもう……ここにはいられないって、こと……?」
エアリィはそこで、やっと口を開いた。真っ青な顔で、つぶやくような口調で。
氷のような沈黙が落ちた。長い沈黙が。
「ジャスティン!」
ロビンが悲鳴に近い声を上げた。
「そんなことを言わないでよ! いやだよ、僕は。みんなと五人で、行きたいよ!!」
その声で、僕ははっと我に返ったような気がした。何を――何を言っていたんだ、僕は?
ジョージもミックも明らかな動揺と驚き、そして激しい当惑の入り混じったような表情で見ている。ロブは唇まで真っ青になっていた。みなの表情は一様に語っているようだった。『ついに恐れていたことが起きたか──こんな事態は、絶対避けたかったのに』と。
「そう……わかった……」
エアリィは再び口を開いた。青白かった頬に血の気が上り、目には光が戻っていたが、それは失望から来た憤激のように見えた。
「ごめん……僕がおまえを苦しめてたなんて、知らなかった。間に合ううちに何とかできたらって思ったんだけど、もう手遅れだったんだ……」
「エアリィ、おまえも真に受けるなよ! もうちょっと話し合おうぜ」
ジョージが二、三歩近づき、声を上げた。
「話し合って……僕もそう思ってたけど……」
エアリィは首を振り、僕らを見つめた。悲しげな、失望と寂しさが入り混じったような目で。 「でも、僕にはみんなの気持ちがわからない……ホントにそうかもしれない。最初から、わかってるべきだったのかもしれないな。僕には本当の意味での仲間なんて、ここでは望めないんだって……」
皮肉でも怒りでもない、失望でさえない、純粋に魂の底から湧き出して来たような孤独──そのトーンは僕を、そしておそらくここにいた全員をはっとさせるほど、深い悲しみを感じさせた。かつてランカスター草原で、『誰も僕を救うことは出来ないから』そう言った時と同じように。
「ごめん……少し考えさせて……どうしたらいいのか……」
エアリィは大きく息をつくと、頭を振って、テーブルを回り込み、僕の横をすり抜けて、奥にある着替え用の個室に入っていった。少しふらついたような足取りだった。
「エアリィ、おい……」
ロブも含め、ジョージたち四人がはっとしたように呼びかけたが、エアリィは立ち止まらなかった。ドアを閉め、かちゃっと小さな音がして、鍵をおろしてしまったようだ。この楽屋は――他の会場もみな同じつくりだが、大きい楽屋スペースの奥に五つ、着替え用に個別の小さな部屋があり、ここは鍵もかかるようになっていたのだ。
残された僕らはその場に立ち尽くし、黙りこんだ。
「あ……ああ……」
次の瞬間、僕は全身の力が抜けたように感じ、二、三歩よろよろと前に出ると、思わず床に座り込んで手をついた。
「なぜだ……どうして、あんなことが言えたんだ。思いもよらなかったことなのに……」
僕が、この僕が、あんなことを本気で思っていた。そう、さっき僕がエアリィに向かって言った一言一言、それは紛れもない本心だった。それを認めた時、奈落の口が開いたような気がした。はっきり自覚したのは今だったが、深い意識の底では、以前からその感情が、はぐくまれていたに違いない。いつから――? おそらく前作『Eureka』の制作時だ。『Abandoned Fire』のレコーディングが終わった夜に、感じた思い。バンドも作品も、ほとんどがエアリィのものになってしまっているのだと気づいた、あの夜から。かつてのツートップから、僕もファンや音楽ビジネスの人々からは、ロビンやミック、ジョージと同じサイドに落ちかけている、いやもう落ちているのだと気づいた時から、この感情が少しずつ心の奥底で育ってきていたに違いない。
だが、僕の意識は認めなかった。友にそんなネガティヴな感情を持つのは罪だ。そんなことは決して思ってはいけないと。それに、エアリィ自身はその優越性を誇ったり、人を見下げたりは決してしない。ただ、とんでもない特性を“保持している”だけだ。それなのに彼を羨み責めることは理不尽だとわかっているだけに、余計だった。
意識の闇にもぐったその思いは、しかし不気味に膨らみ続けていった。成功の激流が拍車をかけ、少しずつ助長していく僕のプライドが、影から囁き続けた。観客が僕を見るのは、エアリィがステージの視界から去って、インスト四人になる時だけだ。そこで初めて観客と目が合い、コンタクトできる。観客が僕のプレイに集中し、喝采してくれる。長めのインストブレイクでは、時々スマートフォンで何か打っている人も、中には見かけるが。おそらくライヴ情報をネット上に報告しているのだろう。でも盛り上がったコンサートのノリは維持されている。その中心は僕だ。だが五人に戻ると、観客の焦点はまた、一気に僕から去ってしまう。歌のない間奏時ですら。それは他の誰にも太刀打ちできない、アーディス・レインの作り出す空間だ。僕は単なる、その中の一要素だ。
インストブレイクやギターソロのような、長めのインストオンリーの時にしか観客にアピールできない今の僕は、まるで月のようなものだ。太陽がない時にだけ輝ける。その栄光も、太陽の光を反射しているに過ぎない。でも僕は月ではなく、太陽になりたい。他の誰かの恩恵ではなく、自分が自らの手で達成した、満足感のある成功を成し遂げたい。今より規模は小さくなっても良いから、自分自身の栄光のただ中にいたい。もっと僕を見てくれ! もっと僕に喝采してくれ! 僕は天才なんだ! 自分にはそれだけの才能があるのだ、と。
だが、今のままでは、僕にスポットライトが当たる機会は多くない。そして今後、もっと僕の見せ場は減っていくかもしれない。今作では『Message to Carry』や、ファーストシングル『Parabolic』のような、ギターよりもキーボードが目立っている曲がある。曲の性格上、その方が効果的と思い、自分でも納得したアレンジのはずなのだが、心の奥底で僕は不愉快だった。ミックにさえ負ける? ありえない。このままでは潰されるかもしれない。ここでは、僕が太陽になれる機会は永遠にない。アーディス・レインがバンドに君臨する限り、僕の才能は日の目を見ることなく埋もれてしまう――。
それは決して意識に上ることのない、闇の言葉だった。しかし闇に潜む悪しき思いを増長させるには、充分すぎた。さらに、シルーヴァ・バーディッツ・クエイサーの存在だ。去年フェスティヴァルで会ってから、ずっと心に引っかかっていたこと――もちろんその時には、僕ははっきりした感情を意識することはなかった。でも、その時からに違いない。エアリィのパートナーは、なにも僕でなくとも良いのかもしれないと、潜在意識の中で思い始めるようになったのは。それは自分の立場が脅かされる不安以上に、僕とシルーヴァ・バーディットとの立場が入れ替われば、もっと僕も彼のように正当な評価がしてもらえるかもしれないという思いだった。そう――僕は心の底では、シルーヴァをライバル視していた。同じ条件だったら、決して人気投票で負けたりしないのに、と。僕は彼に負けたのが悔しかった。今は、はっきりとそう認識できる。そしてその原因を、(シルーヴァはバンドのナンバー1で、他のパートもすべて彼のためにあるから目立つ。僕は自分のプレイは、彩り程度にしか認識されない。僕はナンバー2で、このバンドはすべてアーディス・レインのためにあるから)と思っていた。(おまえも僕の立場になったら、わかるさ。喜んで交換してやる)――そんな思いを、感じていた。それがあの時からシルーヴァ・バーディットに対し感じていた、もやもやの正体だったのだと。
決して意識には上ることのなかったそんな思いが複雑に絡まり、増長し、ついに今爆発するに至った。だが冷静に考えれば、今までまったく完全な無意識に鎮静していたわけではない。昨年ロンドンで陰謀にあった時、帰りの飛行機の中で思った。僕はいつも第二選択なんだと。そのことにひどく苛立った。あの時は薬の後遺症だと思っていたが、それは潜在意識での思いだったのだ。あのあと、最初のバンドミーティングで言わなくても良かった○×のツアーの秘密を語り、『おまえが未踏の領域に目覚めたから、業界はおまえを抹殺したいと思っている』と、はっきりエアリィに告げてしまったことも。さらにこのヨーロッパツアーに出る前日、エイヴリー牧師から詰問された時、僕は友をかばいきれず、かえって義兄に悪い印象を与えるようなことを言ってしまった。言うつもりじゃなかったのにと驚きはしたが、その時にはそれ以上深くは考えなかった。自分では特に意識しなかったが、きっと同じようなことがヨーロッパで受けたインタビューの中でも、起こっていたに違いない。そう――僕は、本当はなんと言ったのだろう。インタビューが僕の言葉でなくなりはじめた、あの質問から。コンセプトの話から。
『僕は答えようがないな。答える立場にもないと思う。歌詞を書いているのはエアリィだから、コンセプトも全面的に彼の領域なんだ。もちろん僕たちインスト陣も、歌詞の主題にあったアレンジを考えてはいるけれどね。だから完全に無関係というわけでもないけれど、トータルコンセプトという点においては、完全に僕の領域外なんだ』
『最初にアルバムを通してプレイバックした時、僕自身でさえ衝撃で立ちすくんだし、怖くなった。このまま出すと、反響が恐ろしくなりそうだって。でもエアリィは今の彼の必然がこのアルバムだから、きっと何度作ってもこうなると言っていた。だから彼の意思を尊重して、それにコンセプト自体に問題はないと信じて、出すことにしたんだ』
そして僕は、たしかにこんなことも口にした。『サード以来、彼の意思はバンドの意思でもあるんだ』『僕は音楽を難しく突き詰めたい方だから、たぶん僕の意見が通っていたら、ここまで成功はしなかっただろうね』『エアリィは基本アレンジには参加しないけれど――自分で全部作ってきたものを除けば――でも彼の思うアレンジが、僕らの最終アレンジと同じになったと言っていた。つまり、僕らは彼の意図したデザインを、無意識になぞっているだけなんだろうね。不思議なことだけれど、きっと要所要所で、僕らは彼にコントロールされている部分があるんだと思う。それだけ強い力なんだろうね。だからバンドも、ここまでモンスターになったんだと思う』
その言葉と、僕の口調や表情から、あのライターは僕の本音を探り取り、言葉にして書いたのだろう。僕の潜在意識を見透かされたわけだ。初めにあの記事を読んだ時に気づいていれば、もう少しなんとかなったのかもしれない。でも僕の良識は、ネガティヴな思いが浮かび上がることを、かたくなに禁じた。
『ジャスティンのそういう美点、良い子の部分が、人間として当然のもっと認められたいとか、人より劣っていたくないとか、そんな感情を封印してはいないか、それが気になる』
前作のレコーディング時に聞いた、ローレンスさんの言葉。それは真実だった。その時はまだ心の奥深くで芽を出しかけていた頃で、僕はその存在にまったく気づいてさえいなかった。それから二年以上の年月の間に膨らみつづけたその思いは、今、意識の奥底から理性や良心のコントロールを突き破って暴走し、一気に噴き出してしまったのだろう。闇の中に蓄積された言葉が堰を切ってあふれ、とんでもない言葉をとどめに投げつけてしまった。『おまえは僕を苦しめる。僕はバンドを自分の手に取り戻したい』と。それは間接的には、『出ていけ!』と同じ意味なのだ。
僕ら五人は、幸福な共同体だった。それは紛れもない事実だ。なのに僕は、すべてを崩壊させるようなことを言ってしまった――そう気づいたとたん、底なしの自己嫌悪が襲ってきた。
「ジャスティン――」
ロビンが僕の肩に手をかけ、顔を覗き込むようにして、気遣わしげに呼びかけていた。
「ジャスティン、本気か? いいのか、おい、本当にエアリィがバンドを出ちまっても? おまえは本気で、そう望んでいるのか?」
ジョージの悲しげな声も聞こえる。
僕は二人に顔を向け、激しく首を振った。
「違う! 本気じゃない。本気なんかじゃないんだ! いや、そう言った時には、たしかに本気だった。でも、あれは僕の悪い心で、本当の僕は冗談じゃないって叫んでいるよ。なぜあんなことを言ってしまったのか、自分でもわからないくらいなんだ!」
「カタルシスが起きたんだよ、きっと。ネガティヴな感情を我慢しすぎたんだね、君は。だから……」
ミックは僕に近づいて、そっと背中に触れた。
『我慢のしすぎは良くないよ』――誰かがそんなことを言っていた。そうだ。去年のセッションで、ディーン・セント・プレストンが言っていたのだった。
『カールもきれい事ばかり言っていて、本心を認めようとしなかった。そのあげく我慢が限界に達して突然切れた。僕がいかに彼のやりたいことを邪魔しているかをあげつらい、僕がかっとなって反論すると、ギターを叩き壊し、バンドを飛び出していった』と。
僕は同じことをしてしまった。違うのは、エアリィは反論しなかったことと、僕はギターを壊さなかったことくらいだ。さらにシュミットさんと違い、僕は間接的にせよ、出ていけ、などと言ってしまった。まだカール・シュミットさんの方が奥ゆかしい。僕は創立メンバーだ、このバンドはまだ僕のものだ、そんな傲慢な思いあがりが心にあったから、そんなことを言ってしまったのだ。僕のバンド――よくも、そんなことを思えたものだ。バンドはみなの共同体だときれいごとを言いながら、僕はミックやロビン、ジョージを見下し、自分は彼らとは違うのだと奢り、彼らは自分の思い通りになるだろうとさえ思っていた。傲慢な偽善者になっていたのは、僕の方だ。だからあのロビンの叫びが、僕を正気に戻したのだろう。
『僕はいやだ。五人で行きたい』
――ロビンは僕を、僕だけを慕っていた。エアリィに対しては僕を取られる、と嫉妬の思いを持っていたという。ならば今だって、もしかしたら心の奥底では、そう望んでいるんじゃないのか? 僕を慕ってついてきた、あの忠実なロビンなら、喜んでついてくるのでは――そんな傲慢な思い上がりを、その言葉が砕いた。そして僕は、我に返ることができたのだ。
改めて思うと、なぜそれほどに思い上がれたのか、傲慢に盲目になれたのか、不思議なくらいだ。冷静に考えてみろ。もし本当にバンドが分裂したら、僕は自分の活動に満足できるだろうか? きっと思うように成功せず、シュミットさんと同じことになってしまう公算が高い。エアリィのいないエアレースに、どれほどの価値が――少なくともマスコミやファンが見出せるというのだろう。自分でもさっき言った。彼はバンドの九〇なのだ。残った一〇に、何の価値があるというのだ。バンドは普通の――いや、抜け殻のようになってしまうだろう。インスト陣など、取替え可能だ――あの妨害者たちはそう言っていた。それは本当なのだろう。そして今は、シルーヴァ・バーディットもいる。エアリィにバンドの枷が外れたら、シルーヴァはかつての約束の実行を、嬉々として迫るだろう。結局、今のエアレースの立場が、そちらに行くだけだ。僕らは取り残され、ファンには見捨てられ、今のSBQレベルの成功すら、おぼつかないに違いない。SBQは少なくともぱっと聞きのインパクトと華があるが、僕らは地味な曲芸を得意とするから――エアリィが才能的にモンスター化する前ですら、エアレースが成功したのは、彼のもたらすフックに飛んだメロディととっつきやすさ、そして華が、インスト陣の複雑さとうまく融合したからだ。
動画サイトに投稿された、僕らのインストナンバー。シングルCDのカップリングとしてのアルバム没曲を、買った人たちが買えなかった人向けに投稿するそれに寄せられたコメントを、僕は一度か二度、読んでみたことがある。
【きれいな曲ね】【でも少し地味だなあ】【一回聞けば十分な感じ】【良いとは思うけれど、本体とは比べ物にならんね】【没曲だけある】【BGMとしては良いかも】【というか、完璧なBGMだね】【メロディは良いと思うし、インストとしての出来はいいんだけれど、でもアルバム曲とは雲泥の差】――そんなコメントがほとんどだった。【ヴォーカルなしのエアレースって、意味あるの?】という露骨なコメントさえ、少なからずあった。それに賛同する声も。再生数もアルバム曲たちとは二桁ほど差があり、有名曲やフルアルバムのそれとは、三桁くらい違う。それですら、“AirLace”というバンドの力で稼いだ数字。僕個人のものではない。
それが現実なのだ。インストだけでは、おそらくSBQの半分いくかどうかすら怪しいだろう。ましてや今のエアレースとは比べ物にならない。僕はこんなはずではと、余計にフラストレーションを募らせるに違いない。そう、バンドを飛び出した、カール・シュミットさんのように。彼は実力はあるが地味で、プライドが高くてプロモーションが下手だから、ソロとして市場を開いていくことができなかったという。僕にも同じような匂いがすると、プレストンは言っていた。認めたくはないが、たしかにそうだ。僕もプロモーションは苦手だ。エンターテイメント的な要素も嫌いだ。市場のトレンドなんて蹴散らせたモンスター的な力は、僕にはない。そんな中、かつて世を席巻したバンドのメンバーというだけで、しかもその原動力は欠いているのに、どうして成功できるというのだろう。家庭はもう半分壊れかけている。この上音楽活動もうまく行かなくなったら、きっと僕もシュミットさんのように酒に逃げ(実際、最近の酒量はかなり増えてきている)、そして同じような経緯をたどったかもしれない。僕は思わず身震いをした。
「まあ……いくぶん安心したぜ、ジャスティン。今のおまえを見てたらな。本心から分裂を望んじゃいないって、よくわかったからな」
ジョージが僕の背中に手をかけ、軽く叩いた。
「そう落ちこむなよ、ジャスティン。人間誰しも、聖人じゃないからな。おまえがそう思うのも、俺だってちょっとは理解できるぜ」
「そう。誰だって、みんな基本的には自己中心なんだよ。自分が王さまだと思いたいのさ。それが人間としての本能だし、また煩悩だとも思うんだ」
ミックも頷きながら僕を見、落ち着いた口調で言う。
「みんなも……やっぱり、そうなのかい?」
僕は思わず頭を上げてきいた。
「ジャスティンが言ったことかい? そうだね。似たような感情は、多少あるかもしれないね。僕は外に行くと、見られることは多いけれど、あまり話しかけられはしないんだよ。『エアレースのミックね』『ああ、キーボードの』『実物、本当に太ってるわね』なんて言われて、終わってしまうことが多いんだ。それで僕が傷つかないと思うかい? 中には『サインください』という人もいるけれど、たいていそんなに熱心じゃない。彼ら彼女らからすれば、僕は彼らが大好きなグループのメンバーだけど、本当にそれだけで、僕自身にはほとんど重きを置いていないんだな、と思い知らされる。それは、あまり愉快な気分じゃないさ」
「うん。僕もそうだよ、それは。話しかけられても困るけれど、全然気づかれなかったり、『ああ……』って認識だけされて素通りされたりすると、ちょっと複雑な気分になるし」と、ロビンは肩をすくめ、
「俺もそうだな。見られはするが、『誰だっけ?』『エアレースのドラムだよ』『ああ、ああいう顔してたんだ。ちょっとごついね』なんて言われる。複雑だよな」
ジョージは苦笑して、頭をかいている。
「だが、おまえはましだろう、ジャスティン。おまえはまず間違いなく、話しかけられたりサインを求められたりするだろうからな。かなり熱心に」
「まあ、それはそうなんだけど……それはそれで煩わしいかな」
僕はちょっと肩をすくめた。
「俺たち三人とおまえとの間には、大きなラインがあるんだよ、ジャスティン。ファンや関係者には。でもまあ、俺たちも最初からそれはわかってるし、諦めている部分もある。おまえが持っているものには、俺たちは到底叶わない、と。おまえは才能もあるし、カリズマもある。エースになれる奴だ。俺たちは裏方だが、その中で自分のベストを尽くそう。俺たちがいなければバンドは困るんだ。セッションを入れればいいなんて言われないよう、がんばるぞ。最初から、俺たち三人はそういうメンタリティだから、ファンのそういう言動に多少傷つきはするが、出来るだけ気にしないようにしている。そうだよな」
ジョージの言葉に、ミックとロビンも頷いていた。
「だがサードアルバム以来、エアリィとおまえの間にも大きな線が出来ちまった。しかもこのラインは、どうやっても踏み越えられない。それが、俺たちも気になっていた部分なんだ。ジャスティンは完全な二番手に落ちるのには、慣れていないだろうと思ってな」
「そう。ローレンスさんが一昨年の夏に言ってたみたいに。君は聞いていたんだよね、ジャスティン」ロビンが僕を見、
「ああ。本当にローレンスさんの仰っていたことは、すべて当たっていたよ」
僕はため息をついて頷いた。
「さらに悪いことに、エアリィ本人はド天然だからな、言ってみれば。わかっていて、あえて言っているわけじゃない。あいつはマジでずれてるんだ、感覚が。だから俺たち四人の、なんていうか、そういうコンプレックスを理解できない。人より劣ると言う悔しさが、あいつにはまったくわからないんだろうな。というか、そもそも人に優劣をつけると言うことすら、考えもしないんだろう。だから、『えー、みんなおんなじだよ〜』とか、素で言ったりもする。まあ、あいつはそういう奴だってわかってるから、腹は立たないが、多少神経を逆撫でされることはあるからな、俺も。そういうことを言って角が立たないのは、本当に平均的な奴だけだ。あきらかに上のやつが言うなよ、とな。でもそれが、あいつにはわからないんだ」
「それはあるね、たしかに」
ジョージの言葉に、僕は思わず小さな笑いを漏らした。ローレンスさんもあの時、似たような事を言っていたなと思い出しながら。
『あの子はものの見方や考え方が、他のみんなと違っている。それゆえに、自分が理解できない感情に対して、無頓着になってしまう部分もある。いい関係を築いているうちは、そういうナチュラルな無頓着さも笑い話で流せるんだ。だがその関係がきしんでくると、相手の神経を逆なでする原因になる。そこだけは注意が必要だね』と。
ジョージは膝をついて僕と同じ目線になり、続けた。
「だから、おまえが言ったような感情は、俺たちも大なり小なり持ってるのさ。ただ、悪感情にはなっていないし、排除したいとも、まったく思っちゃいない。俺たちはみんな、あいつのことが好きだ。ネガティヴな気持ちより、そっちの方が大きいからな。あいつはバンドの活力だ。前にミックが言ったように。いないと寂しいし、何か一本肝心なものが抜けたような物足りなさを感じてしまう。しかも、あれだけとんでもない才能とステータスにもかかわらず、ド天然で無邪気で、俺らみんなのことを信頼しきっているから、その信頼に応えたいとも思う。それにエアリィを排除したって、俺たちがナンバーワンになれるわけでもない。俺たちは元々、裏方のメンタリティだからな。バンドをとんでもないところへ引っ張って行くあいつのパワーに、ただ感嘆するだけなんだ。だがまあ、おまえは単純に驚くには、ちょっとばかり才能がありすぎたし、エース的なプライドも持っていた。それだけさ」
「そう言ってくれると……少しは気が楽になったよ。ありがとう」
僕はふっと大きく息をつき、立ち上がった。
「そう。君は本当に才能のある人なんだ、ジャスティン。君は真の天才だ。君は聞いていないかもしれないが、去年君が参加したディーン・セント・プレストン氏の曲は、君のギターのインパクトがあまりにも強すぎて、歌を霞ませてしまったために、向こうのエンジニアやプロデューサーは、君のギターの音圧を下げようとしたり、エッジをなくそうとしたり、相当苦労したらしいけれど、それでも君の音が突出するのは避けられなかったようなんだ。だけど、このバンドにおいては、その君さえも取り込まれてしまう。それだけ特殊なバンドなんだ、AirLaceは」
ミックは僕の目を見ながら、腕を軽く叩いた。
『長い音楽生活の間には、真の天才と言われる人たちも見てきました。でもその人たちにさえ到達できなかった。それが未踏の領域なんです』
四年前、集中練習のあとに行った旅の途中、ローレンスさんがそう言っていた。僕が(自分で認めてしまうには、まだくすぐったさが残るが、しかし無意識領域では、はっきりと自覚していた)ギターの天才だったとしても、その領域には手が届かない。その領域に行ってしまったエアリィとの間には、どうしても踏み越えられない線が存在する。そう、ジョージが言ったように。そのことに対して、しかし僕のプライドは抵抗し続けていたのだろう。自分には決して到達できない領域ゆえに、どんなにそこに近づこうとも、超えられないそのラインのために僕は焦れ、もう少しなのに、少なくともミックやロビンやジョージより、近いところにいるのに――そんな傲慢さとともに、よけいに焦燥の気持ちが強くなっていったのだ。僕自身には、まったく自覚されないままに。
「ジャスティン。まずは正直にそれを認めることだ。君は誠実な上に、正義感や道徳観念が強い。それは君の美点でもあるけれど、同時に自分の心を縛る枷になることもあるんだ。いつも正しくあろうとするその心は、自分の中の悪感情や、人間として当然持っている原始的な欲望を認めまいとする。そうして君のネガティヴな感情は、潜在意識の中に封じられてしまう。それがたまって大爆発が起きたんだ。いずれは爆発する運命だったんだよ」
ミックは静かにそう言葉を継いだ。
「ああ、本当にそうだった。僕は今、はっきりそう自覚したよ」
「たとえ爆発する形になったとしても、君の中のその思いを君自身が自覚できて、良かったんだと思う。そう、逆に言えば、今爆発してくれて良かったのかもしれない。これ以上潜在意識の中にネガティヴな思いを封じ続けると、もっとひどいことになったかもしれないからね」
ミックの言葉で、僕はあらためて気づいた。そうだ。僕はつい三十分ほど前までは、ネガティヴな気持ちなど、ほとんど意識していなかった。あくまで自分の気持ちは変わりないと、思い込み続けていた。もし封印を切られず、このまま膨らみ続けたら、どうなっていたのだろう。
去年、ディーン・セント・プレストンとのセッションで僕が連中の妨害工作に捕らわれた時、奴らが最後に言っていたことが、不意によみがえってきた。
『分裂でなく内乱を狙うという意味が、わかりますか? これは遠まわしの三段論法です。まずローリングスのもっとも大事にしているものに、打撃を与える。そして、よりフラストレーションを感じやすい状態にする。その状況では、たとえ今は友達だと思っていても、我々が望む感情をだんだん持つようになってくるでしょう。人間ですからね。そうすれば、やがて味方にも……』
『善良な人間が堕ちていくのを見るほど、快いことはない。かつての親友を手に掛けてしまって後悔する図、など、想像しただけで愉しいではないですか』
『いやみなぐらい善良なバンドがクーデターで崩壊する、か。面白いね』
今爆発せず、もっとたまり続けていたなら――僕の闇の心は、アーディス・レインという存在を排除することを願っていた。間接的にではあるが、『出て行け』と言ってしまったように。それがもっと膨らんでいき、そして暴発することになったら――。
『連中が目標としているのは、ジャスティンを使ったエアリィ潰しなのだろうと思う』
ローレンスさんはそう言っていた。妨害者たちの話からも、最終的な目標は間違いなくそこなのだろう。でも僕が――いくらネガティヴの塊になり、排除したい気持ちが暴発したとしても、積極的に友を手にかけるとは思えない。そこまでは――僕は殺人者にはならない。だが、このまま闇の気持ちが膨らんでいき、暴発してしまったら――。
ふっと、イメージが浮かんできた。致命的な場面での一押し。たとえばビルの屋上や、海に面した断崖のような――いや、ビデオ撮影でもなければ、そんなところへなど行かないだろうが、まったくないとは言えない。さもなければ、夏に何度かあったように、一つ間違えば命を奪われても不思議ではない攻撃をされた時、あえてエアリィの邪魔になるような行動をとってしまう可能性だってある。彼の集中を乱すような行為や、もっとひどい場合には犯人を後押ししてしまうような――。
激しい寒気を感じた。自分がまるで別の誰かに変貌したかのような、あの経験をしてしまった以上、絶対にないとは言い切れない。そしてたぶん、やってしまってから僕は我に返る。そうなったらもう、取り返しがつかない。それは分裂よりひどい、最悪のシナリオだ。『双方にとって、非常に悲劇的なことになってしまう』と、かつてロブが訴えていたように。エアリィは百パーセントは死なないかもしれないが、仮に生き延びても、僕に裏切られたという衝撃は残るだろう。もし最悪、命を落としてしまったら――いや、そんな事態は、仮定でも恐ろしくて考えたくない。僕は犯罪者に成り下がり、その人生は破滅する。ステラやクリスまでもが、自分の名誉欲のために親友を殺そうとした、最低の犯罪者の家族という目で見られてしまう。いや、そこまであからさまに発覚しないような罪でも、僕はその呵責に耐えきれないだろうし、今はネット社会だ。僕への疑惑は広がり、同じような目で見られてしまうだろう。
僕はとんでもないところへ向かって、突き進んでいたのかもしれない。己の人間的な弱さや傲慢さのために。僕は再び床に膝をついて、震えた。
「ま、まあ、行き着くところまで行っちまわないで、良かったな、本当に」
他のみなにも、僕の思っていることが伝わったのだろう。ジョージの声は少し震えていた。見上げると、ロビンとミックも青ざめた顔をしている。
「それに比べりゃ、今の状況は、まだまだ救いようがあるぜ。まあ、いきなり『出てけ』は焦るけどな」
ジョージは再び、僕の肩をぽんと叩いた。
「わかってるよ。たしかに今爆発した方がましだったとはいえ、あそこまでひどいことを言うつもりはなかったんだ。自分の中にあんな思いがあったことなんて、ちっとも気づかなかった。あの時の僕は、別の人間だったと言いたいくらいさ」
僕は首を振り、立ち上がった。
「でも、もう取り返しがつかないかい? 手遅れかい? エアレースは分裂するしかないのか? ああ、もしそんなことになったら、僕は自分が許せないよ」
「バンドが分裂するかどうか、それはおまえ次第だ。ただ俺たちは、そんな事態はいやだ。それははっきり言うぜ。このまま五人で行きたい。最悪分裂になったとしても、無条件でおまえについて行くとも、約束は出来ない。まあ、最悪の場合には、最終的にはたぶんそうなるのかもしれないがな」
ジョージの言葉に、ミック、ロビンも再び頷いている。
「ああ。わかってるよ。僕はエアレースの分裂なんて、望まない。最初から、望んでなんかいないんだ」僕は強く頷いた。
「僕は大事なことを見失っていた。僕たちはなぜミュージシャンになったんだ? バンドを結成した、そもそもの動機は何だった? 有名になりたいからじゃない。成功したいからでもない。ましてや、自分がヒーローになるためなんかじゃないんだ。音楽をやりたいから、一緒に音楽をやっていて楽しいから、幸福だから。僕たちの音楽を聴いてくれる人が感動したり、好きになって欲しいから、だから僕は音楽を始めた。バンドを作った。なのに、それを忘れていたんだ。僕たちは幸福な仲間だったのに。僕ら五人、ずっと一緒でいたい。誰も失いたくはないよ」
「僕たちもそうだよ。みんなで一緒にいて楽しくて、一緒に演奏するのが楽しくて、お客さんも喜んでくれる。だから僕たちは一緒にやっているんだ」
ロビンは熱っぽい口調で同意し、
「そうだよ。そして、その気持ちがある限り、たぶん大丈夫だ。君が本気で現状維持を望むなら、エアリィもわかってくれるだろうし、バンドも続いていくことが出来ると思うんだ」と、ミックは頷く。
「まあ、結構なことを言っちまったから、取り返すのは大変かもしれないがな。でも、修復できないことはないさ。エアリィが人を許さないなんてことは、絶対ないだろうからな」
ジョージは僕の肩を、再びぽんと叩いた。
「ああ。あいつはそういう奴だよ……」僕は頷いた。
「本当に、あんなことを言って、悪かったと思う。それを謝りたい。それに、まだ話は終わっていない。あれだけが僕の本心じゃないんだ。そのことも伝えないと」
僕は立ち上がった。そして、ふと思った。今作のプリプロダクションの初日、あの忌まわしいセッションのことを話した時、『でもプレストンさんって、幸せな人には見えないな。むしろ寂しい人だって印象なんだけど、ジャスティンの話聞いてると』そんなエアリィの言葉と、『こいつはいい奴だよ、決して裏切らないからな』と犬を見ていたプレストンさんの目を。そう――あの人は、たしかに寂しい人だ。それはかつての相棒、カール・シュミットさんに裏切られたから。彼らは小学校時代からの親友だったという。同じ相手に恋をして、その彼女が最終的にカールさんを選んだ時も、二人の友情は続いていたと聞く。その親友が、さっきの僕のように突然豹変した。無二の親友と信じ、バンドへの情熱もともに分かち合っていると信じていた友の、突然の裏切り。そのことはプレストンさんに非常な衝撃を与え、彼は二度と人を信頼できなくなったのかもしれない。そうだ。実際、彼も言っていた。『もう誰かと共同作業なんてたくさんだと思い、バンドを解散させた』と。それだけ大きな衝撃だったのだろう――そう理解した時、彼に対して感じていた憤りと憎しみが消えた。プレストンさんが僕に対してやったことは決して許せることではないが、恨んでもどうにもならないことなのだ。憎しみや憤りは心を腐食する。嫉妬も。
僕はふっと息をついた。でも、僕らは違う。そうはならない。僕はカール・シュミットさんの二の舞はしない。エアリィは僕が離反したとしても、根本的にプレストンさんとは人間の質が違うから、まったく違う道を行くだろうが、それでも僕らの道はここで分かたれたりはしない。最後まで――僕はもう裏切らない。
僕は個室のドアを叩いた。しかし、返答はなかった。いくら呼んでもドアを叩いても、返答もなければ物音ひとつしない。閉じこもってしまって出てこないというタイプではないと思っていたので驚いたが、それだけ衝撃が深かったのかもしれない。だがここの鍵はラッチ式だから、中から開けてくれなければ、外からは開かない。
そこで僕はふと思い出した。『ラッチ式の鍵だから、細い定規を突っ込めば、なんとか開けることができた』と、去年シルーヴァ・バーディットが彼の身の上を話していた時、言っていたことを。ぴったり密閉したものなら無理だが、木造の農家のドアなら、可能だったのだろう。ここのドアもプレハブ的な作りだから、少し隙間がある。無理やり開けて入るのは、デリカシーがないと言われればそれまでだが、あまりにも反応がないので、多少の実力行使をする必要があるかもしれない。僕はそのことをみなに話し、全員が頷いた。そこでロブが持っていた定規を隙間に差し込み、上にスライドさせて、鍵を開けた。
僕らは「入るぞ」と声をかけ、中に踏み込んだ。
着替えや、一人で落ち着きたい時に使っているこの小部屋は、五つともみな作りが同じで、衣装クロゼットと小さなテーブル、椅子が置いてあるだけだ。会場によってはカーテンやスクリーンで仕切られただけのこともあるが、ここはアルコーブ式になっていて、鍵もかかる。ファンからのプレゼントは、数の格差をあまりあからさまにしないようにとの配慮で、この小部屋に置いた箱の中に入れておかれるのが常だ。ロード中ずっとステージ衣装などを入れておく専用クロゼットは、間違えないように、メンバーで色が違う。エアリィは青に近い水色、僕は深い色合いの赤、ロビンが明るい緑でジョージが黄色、ミックはラベンダー色だ。この色合いは、僕らが未来世界で取り寄せた上着の色だ。
その濃いスカイブルーのクロゼットの前にある大きな箱の中には、プレゼントがたくさん入っていた。しかも箱が一つでは足らなかったようで、その隣にももう少し小さい箱が置いてあり、そこにもあふれるように入っている。さすがに桁違いの多さだ。今までにもエアリィは、寄せられる膨大な量のプレゼントに、【使いきれないし、着きれないし、もったいないから、僕のプレゼントに回すお金は、他の用途に使ってください。音源買ってもらったり、ライヴに来てくれること、それで僕らのギヴアンドテイクは完結しているはずだから】と、二、三回個人ページの更新に書いたらしいが、効果はあったのだろうか。まあ、一時はホテルの一部屋を占領するほど来たから、それに比べれば改善されたのかもしれないが。僕ら五人全員みなそうなのだが、すべて中身は一度スタッフによって開封され、包装を外して、中身と送り主のメッセージだけが、透明なビニール袋の中に入っている。食べ物や花、ぬいぐるみや人形の類は、中に何か混入している可能性が排除できないので、受け取れない。それがルールだ。本も過激なものや悪趣味なものは、僕らに届く手前ではじかれる。それゆえ、衣類や小物、アクセサリーや無害な本、ゲームソフトや小さな電化製品が多いが、それは大小さまざまな、カラフルなシャボン玉のように見える。その横に小さなテーブルと椅子が置いてあるのだが、彼はテーブルの上に両肘をつき、深くうつむいて頭を支えているような格好で、じっと座っていた。
「エアリィ、おい……さっきは悪かった。僕はどうかしていたんだ。もう一回話を聞いてくれ……」
僕はその肩に手をかけた。その途端、彼はぱたんと前に落ちた。腕が外れてクロスするような状態でテーブルに投げ出され、その上に突っ伏すように、うつ伏せになっている。完全に眠ってしまっていたのだ。勢い込んでいた僕は、その瞬間、思い切り拍子抜けした。さんざん外で呼んでも反応しなかったわけが、寝ていて聞こえなかっただけだったとは。
もともとエアリィは一回寝てしまうと、眠りが浅くなったタイミングでなければ、めったなことでは起きない。昔バスでオーバーナイトの移動をしていた頃などは、明け方ホテルへ着いて起こされても、五回に四回くらいは、セキュリティにそのまま抱えて運ばれていたくらいだから。そんな運搬は体格差あってのことなので、僕とホッブスでは、たぶん無理だろうが。セキュリティが来る前は、バスの運転手さんが背負って連れて行っていた。特に終盤、ツアーの疲れが溜まってくると眠りがちになり、加速度的に寝起きも悪くなる。回復のために、身体が眠りを欲しているのだろう。
それはともかく、別にエアリィだって、気楽に居眠りをしていたわけではないだろう。僕が言ったことが、彼にショックを与えなかったはずはない。あの体勢で寝ていたということが、その衝撃の深さを物語っている。気持ちを落ち着けようとしているうちに、疲れの方が勝って、眠ってしまったのだろう。
彼も疲れている。精神的にも肉体的にも、たぶん僕らの誰よりも――もともと体質的に丈夫ではなく、よくツアー途中で熱を出すのだが、今回はそれ以上の疲労があったのだろう。五月にツアーに出てから今まで半年間、激しい賛同と一部の過激な妨害との十字砲火を浴び続け、凄まじいファン攻勢、マスコミの取材、中傷や嫌がらせ、時には生命の危機にまでさらされて、それでも彼は平常心でいようとしていた。その気丈さゆえに、僕も気づかなかった。自分にふりかかってくる火の粉を払うことばかりに、一生懸命になりすぎて。『君の無事を祈る』と、ローレンスさんも言ったのに、僕にはその思いが欠落していたのかもしれない。バンドメイトで、親友だと思っていたのに――。
エアリィのプロヴィデンスの友人、トニー・ハーディングとその仲間たちはあの忌まわしい事件の後、九歳前だった彼に、『何かあったら守ってやるから』と言ったという。でも僕は逆に背を向け、彼がトラブルに見舞われるたびに、(自分がまいた種じゃないか)という冷ややかな傍観者の思いで、眺めていたのかもしれない。自分自身のイライラと、さっき暴発してしまった嫉妬から来る、ネガティヴな思いのために。エアリィも人のネガティヴな側面を理解することはないのかもしれないが、その存在には敏感に気づくのだろう。だから彼は、あの時僕に問いただそうとしたのかもしれない。違和感がある。距離が遠くなったと言って。
「なんかさ……学校で良く居眠りしているやつがさ……爆睡している時って、こんな体勢で寝てなかったか」
ジョージは苦笑と慈しみの入り混じったようなトーンで口を開いた。
「そうだな……でも、さすがにエアリィも学校では、ここまで爆睡はしてなかったな。僕が知っているのは、最終学年の一年だけだけど」僕も頷く。
「プロになってからは、よくあったね。新世界から帰って、ボルチモアのスターバックスで合流した時も、こんなふうに寝てしまっていたし、初のオーストラリアで、時差ボケの中での記者会見の時にも、こんな感じで落ちていたよ。ぱたんと寝るのって、本当に子供みたいだよね」
ロビンはほんの微かに笑い、言葉を継いでいた。
「僕は思うんだ。エアリィって、僕らの中じゃ一番若いけど、それだけじゃなくて、その年以上に子供の部分があるんじゃないかって。子供っぽいっていう意味じゃなくて、逆に、すごく大人の部分もあるけど。僕も、なんとなくわかってきたよ。彼がおそらく無自覚に周りを振り回してしまうのは、元々の気質なんだろうけれど、その子供の部分のためなんだろうなって。それに強い力と磁力が伴っているから、結果的にそうなるんだろうって」
「そう。純化された子供的な部分は、あるのだろうね」
ミックが手を伸ばし、テーブルの上に広がった淡い金色の髪を一房取った。そしてそれを背中側へ戻しながら、言葉を継いだ。
「不思議な子だと思うよ。そう言うと、本人は嫌がるけれど。時々、あまりにも桁外れな力のために、僕も巷で言われていることを、ふと考えてしまうことがある。エアリィは本当に、僕らと同じ人間なんだろうかって。ローレンスさんが言われていたように、人間には到達できない場所が未踏の領域なら、そこに行き着いてしまった彼は、人間を超えていることになるから。でも本当はどうあれ、彼は僕らと同じ、無力な人間の部分も持っている、確実に。そうも思える。そして彼が実際はなんであれ、僕らは仲間だ」
「そうだね」ロビンが頷き、言葉を継ぐ。
「ジャスティンだけじゃなくて、僕らも遠くなってるって、あの時エアリィは言っていたけれど……たぶん僕らも、気づいてはいなかったけれど、このVIの騒動で、『なんでこれをやろうとしたんだ』って、彼を責めちゃっていた部分って、あると思うんだ。心の奥底で。僕らも納得したはずなのに。僕は今、それに気づいた。だからもう責めない、それに羨まない。そう決めたよ」
「本当にそうだな、ロビン。俺もだ」
ジョージが静かな口調で頷く。
「僕たちは仲間だ」僕は静かに繰り返した。
「僕たちは幸せな共同体だった。これからも……そうありたい。それに今なら、本心から言える。僕はおまえを恨まない、妬まない。そして、おまえのことが心配だ。おまえを守るのはセキュリティやマネージメントの仕事だが、でも僕は、おまえと一緒に戦う。もう二度と……背は向けない」
「おい、寝ている奴にそんなこと言っても、聞こえないぞ、ジャスティン」
ジョージが苦笑して僕を見た。
「いや、いいんだ。起きていたら、絶対に笑うから。それに僕も面と向かっては、面映くて言えないよ」
僕も苦笑すると、手を伸ばして肩にかけ、揺さぶった。
「エアリィ、起きろ! まだ話したいことがあるんだ! 開演ぎりぎりまで寝ていられると、時間がなくなる。準備もあるし、夕食もあるし、話もあるんだ!」
相変わらず、寝起きは悪い。ツアーの終盤で、本当に疲れてしまっているのだろうなと思いつつも、僕は揺り起こし続けた。最初の一、二分ほどは、なにも反応しなかったが、ようやく彼は目を覚ました。眼を開き、身体を起こすと、しばらくぼんやりと部屋を見ている。ぱちぱちっと瞬きをし、片手で髪をかきあげながら、呟いた。
「寝ちゃったんだな、いつのまにか……やな夢みた……」
そしてゆっくりと振り返り、周りを取り巻いた僕らに目を移すと、しばらく黙った後、言葉を継いだ。
「いや、違うんだ。夢だったら良かったな。変な夢を見たんだって」
「夢だと思ってくれたら、それでも良い」
僕はその肩に再び手をかけた。
「実際僕も、その方がありがたいよ。だけど、もう取り消せるものでもないから、仕方がない。認める。あれは僕の本心だ。否定はしない。僕は長いこと、ああいうネガティヴな感情を、意識しまいと殺し続けてきた。だから、あんな大爆発が起きたんだ。あれは僕のシャドウの反乱だ。ユング的に言えばさ。でも、信じて欲しいんだ。それが僕の心のすべてじゃない。悪い感情を思い切り表に出して、自分で認めたら、それに支配されることはなくなったんだ。だから僕は前言を撤回する。エアレースの分裂なんて言う事態は、僕らは誰一人として望んではいない。みんな、今のまま行きたいと思っている。本心からね。おまえに引きずられたり巻きこまれたりするのも、覚悟の上だ。僕らは運命共同体なんだから。それでおまえを恨んだりなんて、絶対にしない。本当だ。信じて欲しい」
「なんかまた……白ジャスティンになったな。さっきのは黒、なんだ。元に戻って、ほっとしたけど」エアリィは僕を見、弱々しく笑った。
「もう黒には変身しないさ」僕は苦笑した。
「爆発したら、黒は消えた。光が当たって、影が消えたみたいに」
「でも、また黒になるかも……って思うと、ちょっと怖いな。たぶん僕は、自分を変えることができないから。でも、状況が変わらなくて、自分も変わらないなら、また同じことになっちゃいそうな気がするし……」
「僕らは変わったぞ」
僕は首を振って遮った。
「だから、繰り返しはしない。バンドの現状も、おまえのことも、自分自身のことも、以前より、よく理解できるようになった。おまえには、何か大きな目的があるんだろう。僕らには想像できないような、おまえ自身もそれに逆らえないような、無意識の大きな何かが。だからあえて、VIを作った。ああいう形で。反発も覚悟の上で。それは、その目的のために、必要だったからだ。それがなんなのかはわからないが、少なくとも悪いものでは絶対にない。より良い何かのためになんだということは、僕にもわかる。僕らも、おまえを信頼する。だから、ついていこうと思う。ただ、黙ってついていくわけではなく、自分の意見は、これまでどおり言わせてもらうが。そして、さっき僕が言ってしまったことは……おまえは忘れることはできないから、本当に悪かったと思う。許してくれ。でも、それはもう考えないで、過ぎた問題だと思ってくれるとありがたい。それに、おまえと組んだことでのネガティヴな側面を、僕は言い連ねてしまったが、それ以上にポジティヴな側面の方が多いのも、事実なんだ。僕らだけでは到底到達できない音楽の高みに、おまえは連れて行ってくれた。それはたしかに怖いが、同時にあの高揚感や達成感は、おまえ抜きには絶対ありえない。僕の能力も最大限以上に引き出すことが出来て、飛躍的に成長できた。アーティストとして、最高の境地だ。成功がうんぬんじゃなく、僕はそれだけで満足なんだ。だからこれからもずっと、一緒にやっていきたい。僕だけじゃない。ロビンもジョージもミックも、みんなそう思っているんだ。僕らは五人だ。いつまでも」
僕の横で、他の三人もしっかりと頷いていた。
エアリィはしばらく何も言わず、僕をじっと見ていた。その言葉が本心なのかどうか、それを測っているような視線だが、疑っているわけではない。それははっきり感じ取れる。僕も正面から見返した。もう探られても困るような感情はない。ネガティヴな感情暴発も、たしかに本心には違いなかっただろう。しかし今言ったことも、紛れもなく僕の本心なのだ。どちらの心がより強いかといえば、圧倒的に後者だ。今は、間違いなくそう言える。エアリィもそれを理解したのだろう。やがて、ほっとしたように笑った。
「ありがとう。さっきはホント、このバンドを出なきゃいけないのかなって思って、すっごく悲壮になってたんだ。やっぱりいいことも、長くは続かないんだな。アイスキャッスルに行く前に、一回クラッシュする定めだったんだろうかって。僕はこれから、どうしたらいいんだろうって思ったら、でもその先が、何も考えられなかった。頭の中が真っ白になるって、本当なんだなって……よかった。ここにまだいることができて」
「僕らもそうだ。おまえがいなくなったらなんて、決して考えたくない。悪い心や妨害に負けて、落ちたくはない。潰れたくもない。最後まで、一緒に進んでいきたい。だから一緒に行こう、最後まで。これからもよろしくな」
あまり大きな言葉は使いたくなかった。彼が寝ている間に言ったような。だが、これもかなり大きいな、と言ってしまってから思ったが、彼が笑わないことを祈りながら、僕は手を差し出した。
「うん。ずっと、そうできたらいいな。なんか、みんなにもこれからも、いろいろめんどくさいことに巻き込んじゃうことになるかもしれないけど……ごめん。でも、ありがとう」
エアリィは笑うことはせず、最初は左手を出しかけ、「あっ、右か」と手を変えて、僕の手を握ってきた。彼はファンたちと握手する時にも、癖なのか、時々利き手が先に動いてしまうようだ。その手を握った時、ふと夢の中で握手したアリステアさんの手の感触が、一瞬よみがえってきた。あの人も指の長い、細い手だったが、それでも男らしい大きな手だった。でもエアリィはそれより一回り、下手をすると二回りくらいは小さいだろう。指は長く、すらっとはしているが、本当に女の子の手に近い。――胸の奥に、愛しさに似た、熱いものを感じた。いや、変な意味じゃない。彼は表面は気丈で、何でもできる超人だが、同時に生身の傷つきやすい一人の人間なのだな――その手の感触は、改めて僕にその思いを起こさせたからだ。
ここ二年ほどの間に少しずつ入ってきた、微妙な影。それが完全に消えた瞬間だった。僕は思い出していた。四年前、異国の星の下で感じた思いを。『トロント時代も、幸せだと思う。みんなと友達になれて、一緒にバンドをやれて』エアリィにそう言われた時、僕も完全に同じ気持ちを共有していた。彼はそれからも、同じ思いをずっと抱き続けていたのだろう。『このバンドは僕のホームだと思ってる』と、シルーヴァにも、はっきりそう言っていた。しかし僕の方は、それを少しずつ変質させてしまっていたのだ。僕の心の弱さのために。だが四年の歳月を経て、ようやく僕もあの時の気持ちを取り戻すことができた。
ジョージやロビン、ミックもほっとしたような、うれしそうな声をあげて笑い、僕らを抱き抱えるように押し寄せた。「良かった。良かったな!」と、熱っぽい口調で、しきりに言っている。ああ、これだけ愛情深い仲間たちに温かく見守られている自分は、なんて幸せなのだろう。みんながいてくれることを、これからもみんなでやっていけることが、本当にありがたく思えた。
僕たちの思いは、周りにも伝染したようだった。ロブはうつむいて目頭を押さえているし、スタッフやクルーたちも、いつのまにか控え室から出てきて、この小さな部屋のドアのところに集まり、見守ってくれていたようだった。僕は一つの家族の存在を感じた。バンドの仲間たち、ロブ、スタッフやクルーたち、みんなみんな、大きな一つの家族だ。僕らのバンドを取り巻く、普遍のかけがえのないファミリーだ。それは僕だけでなく、みんなが感じていた思いだと言うことを疑わなかった。
僕たちはその時、バンドにとって何回目かの新しい出発点に立ったのだと感じた。そのたびごとに、絆は深まっていく。今もそうだった。バンドの中の刺が消え、友情が再び元どおりにつながった。その晩のコンサートは、新たな興奮と幸福をそそぎ込んでくれた。僕たちは五人、みんなが好きだ。みんな幸せだ、一緒にやれて――そんな思いを強く感じた。明日でヨーロッパ公演は終わりだが、まだアジア・オセアニア、そして二度目のアメリカ公演が残っている。周りの喧騒は変わらないだろうが、これからはずっと楽しくやって行けるだろう。その先は、またレコーディング。五年先まで、未来は祝福されているように感じた。これで僕のプライベートさえ順調なら、これ以上言うことがないほど幸せなのだが、格言も言っている。神は完全な幸福を好まないと。
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