Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years' Sprint

六年目(4)




 いつの間にか、ソファで眠ってしまったようだ。何度も繰り返されるチャイムの音で目が覚めた。もう夕方になっている。誰が来たのだろうか。ジョイスは女友達と約束があるから、今日は来られないと言っていた。でも心配だからと、様子を見にきたのだろうか。それとも――もう一つの可能性を考えた時、僕は心が躍った。ステラかも――彼女が折れる気になったのかも知れない。僕のことを心配して、来てくれたのかも知れない。もしそうなら、僕は彼女を受け入れよう。明日にはロードが始まることなど、気にしない。お互いに謝って、二ヶ月半後にやり直そう。よく考えてみたら、ステラは決してこんなチャイムの鳴らし方はしないこと、さらに鍵を持っている妻が、チャイムなど鳴らすはずがないことをすっかり忘れるほど、この時の僕は愚かしい期待に満ちていた。
「どなたですか?」
 僕はインターフォンに向かって呼びかけた。
 ほどなく返答が帰ってきて、僕は冷たい水を頭から浴びたような気がした。来訪者はジョイスでも、ましてステラでもなく、姉の夫エイヴリー牧師だったからだ。彼は今もっとも会いたくない人だった。
 義兄の訪問理由は、察しがついた。先月カットした第二弾シングル、『Scarlet Mission』に関してなのだろう。あの曲は出したとたんに各国のチャートで一位になり、メディアでも、かなり露出されているという。動画サイトで公開した音楽ビデオも、桁外れの再生数だ。僕はアルバムが出た時から、義兄がこの曲を聞かないようにと願っていた。今、彼が訪ねてきた理由は一目瞭然だ。これだけ露出されているのだから、きっとどこかで耳にしたに違いない。
 義兄は法服を着てはいなかった。グレーの半袖シャツに紺色のズボンという普段着姿だ。きっちりと後ろに撫でつけた黒い髪は、いくぶんてっぺんが薄くなり始めている。元々血色の良い人だが、この時には真っ赤に近い顔色をしていた。眼鏡の奥の目は異様な輝きを帯び、まるで押し殺した火山のような形相だ。
「少し話があるのだが、いいかね」
 その声も、不快感がありありと滲み出ている。
「いらっしゃい、義兄さん。お久しぶりです。どうぞ……」
 歓迎しない客でも追い返すのは失礼だし、何といっても彼は姉の夫だ。僕は牧師をリビングルームに招き入れた。パーラーの方は掃除していないので、埃だらけだったからだ。
「すみません。今、家には僕しかいないんですよ。妻は息子と一緒に、彼女の実家に行っていて……なにか飲み物を持ってきましょうか?」
「いいや、そんなものはいい。それに、むしろ君の奥さんや子供がいない方が、都合がいい。あまり愉快な話ではないからな」
 エイヴリー牧師はソファに腰を下ろすと、僕をじろりとにらんだ。
「それで、君はこんな時間から酔っぱらっているのかね、ジャスティン君?」
「もう酔っていませんよ。まだ赤い顔をしていますか?」
 僕はあわてて顔をこすった。
「いや、顔色は普通だが、君は少し酒臭い。不謹慎なことだな。いい若い者が、まだ明るいうちから酒を飲んでいるとは。決して不品行はしないと、君は以前ジョアンナに誓ったのではないのかね?」
 返す言葉がなく、ただ苦笑いするしかない。
「だがまあ、無理もないだろう。あんな悪魔のような業界にいてはな。悪習に染まってしまうのは時間の問題ではないかと危惧していたが、案の定だ」
「いつもじゃないですよ」
 僕はかろうじて、そう言いわけした。
「まあ良い。たとえ君が酒やたばこ、さらには麻薬などに手を出して、その結果身を滅ぼしたとしても、それは君だけの悪徳だ。私も義理の兄として一応注意はするが、もう躍起になって諫めようとは思わない。これほどの大悪の前では、小さなことだ」
「何のことですか、大悪って?」
「君の心に聞いてみたまえ」
「えっ」一瞬びくっとしたが、すぐに理解した。
「もしかしたら義兄さんは、新しいシングルを聴いたんですか?」
「ああ。三週間ほど前に、偶然私が行った店のBGMでかかったのだ。FMを流していたのだろうな」
 その口調は穏やかだが、強い感情を内包しているように響いた。
「今度の君らの作品が色々と物議をかもしていることは、前から知っていたが、私自身はそれまで聞いたことがなかった。もっとも、君らの前の作品は二枚ほど、聞いたことがある。昔から君は私の非難に『絶対に悪魔崇拝などしていないし、不道徳を奨励した覚えもない』と、頑強に言い張っていたね。『僕らの音楽をちゃんと聴いて、理解してから、非難してくれ』とも。そこで私はジョアンナが持っていた君らの作品を聞き、君の言葉は真実だと認めた。君らの音楽にも、真理はあるとね」
「それは……ありがとうございます」
 意外な言葉に、僕は思わず目を見はった。
「礼などは言わなくともいい。私は先入観だけで事実を認めないような、そんな石頭ではないつもりだ。だから私は、君を信じた。過去の君たちのスタンスや方向は、間違っていなかったからね。だが正直に言えば、そもそも私はロックという音楽が好きではないし、君らの音楽は妙に気分をざわつかせるから、あまり積極的に聞きたくはない。だから今度の作品も、自分から聞いたことはなかった。大丈夫だろうと思っていたのでね」
「そうなんですか……」
「しかしあれは、本当に異様な光景だった」
 義兄は思い出すように、目を閉じた。
「曲がかかってしばらくすると、店の中の動きが、一気にスローダウンした。完全に止まってしまったものも、相当数いた。みんな、聴き入っているんだ。私も思わず聞いてしまった。曲が終わり、別のものになって――他のアーティストのものに変わった後、再び人々は動き出した。私もはっと我に返り、そしてぞっとした。あれは宗教を否定しているようにも聞こえる。考えすぎかとも思ったのだが、私の足元さえもぐらつかせるほど、動揺させることは確かなのだ」
「僕としては、あれは決してシングルカットしたい曲では、なかったんですが」
「では、どうしてそうなったのだ?」
「レコードレーベルが決定したんですよ。彼らは話題性があればいいわけですから。シングルカットに関しては、僕らはあまりタッチしていないので」
「そうか。それなら、経緯はまあいい。だが、問題は曲の方だ。私はその時一緒にいた妻に、問うてみた。『さっきの曲は、ジャスティン君のバンドの曲だね。君は聴いたことがあるか? あれは……はっきりそうは言っていないが、まるで神を否定しているように聞こえないか? それともそう感じるのは、私だけだろうか』と。ジョアンナは黙ったあと、頷いたよ。『ええ、ロバート。はっきり神を否定しているとまではいかないけれど、キリスト教や他の宗教を否定しているようには感じてしまって、わたしも少し戸惑っていたの』と。私たち二人がそう感じているのなら、その印象は正しいのではないか、そのことを君に会ったら、問いただしてみたいと思ったのだ」
「それで僕に確かめるために、ここにおいでになったんですか?」
「いや、君に問う必要は、もうない」
 義兄は重々しく首を振った。
「今日の昼過ぎに、姪のグラディスが来たのだ。君も知っているかもしれないが、私の姉の子供で、十六歳の娘だが。君たちのファンだというので、去年ジョアンナが君たちのコンサートの楽屋に一緒に連れていったこともある。覚えているかね?」
「ああ……そういえば」
 あまり印象に残っていなかったので詳しいことは思い出せないが、去年の夏、トロント公演に姉が連れてきていた少女だろう。長い茶色の髪をまっすぐに垂らした、そばかすの多い、地味な感じの娘だった。僕はたしか、一言だけ口をきいたような気がする。『よく来たね』と。その子も、『ええ、うれしいです……』と頬が紅潮させながら答えた。それだけしか、話をした記憶がない。
「グラディスは時々うちへ来るのだ。姉の使いでね。その時も届け物があって、家に来ていた。今はまだ学校も夏休みだから、お昼を済ませてすぐに来たらしい。そして我が家にあったノートパソコンで、動画サイトを見ても良いかと聞いてきた。私はかまわないと答え、彼女は喜んで見始めた。家ではパソコンを使ってもいい時間が決められているし、スマートフォンの画面では小さいとこぼしていてね」
「もしかしたら……義兄さんは、あの曲のビデオクリップを見たんですか?」
 このクリップは僕らの音楽ビデオを担当してくれている、著名なビデオ監督さんが、『曲を聴いてインスピレーションが湧いたんだ。ぜひ撮ってみないか』と僕らにもちかけ、製作されたものだ。ビデオを作るとシングルカットされる危険はあったものの、監督さんの熱心さに折れ、僕らも同意した。
 バックは三年前の『Evening Prayer』と同じ、マインズデール教会だ。『Evening〜』のテーマは“祈り”だったし、当時はシスター・アンネ・マリアも健在だったのですんなり撮影を許可してくれたのだが、『Scarlet〜』はテーマがテーマだし、シスターも死去している。それだけに撮影許可を下ろしてくれるかどうか心配だったのだが、キャラダイン神父は驚くほどあっさりと認めてくれた。亡きシスターへの敬意だったのかもしれないし、後でわかったことだが、エアリィの私小説を書いた小説家への情報提供者のうち、教会関係の証言者は神父さんだったことへの、少々の後ろめたさだったのかもしれない。
 ともかく許可は下り、肌寒い四月初めの空気の中、ビデオは撮影された。夕暮れの教会、墓地、ステンドグラス、キリスト像、マリア像、洗礼、葬儀のシーン、さらには仏像やモスク、寺院、新興宗教の礼拝――バックの映像はいろいろなものが入ってくるが、それはビデオ監督さんが編集段階で合成したものだ。
 僕らは教会を背景にして、演奏した。MVは当て振りで、演奏はしていないものが多いが、僕らの場合、音は録らないものの、公式音源とテンポを合わせて、実際に演奏している。この時のコスチュームは、僕を含めたインストの四人は黒いトップスとボトムス、デザインは一人一人違うが、基本的には黒一色に、銀色に光るラインアクセントがついている。エアリィは逆に白一色で、Vカットの長めのプルオーバーシャツ(ブラウス的なデザインだ)と、スリムラインのボトムス、襟元に金のラインが光る。衣装はすべてアデレードの師匠さんであり、ステラお気に入りのブランドでもある、ミシェル・クロフォード女史のデザインだ。『あなたのパートナーとそのバンドのステージ・コスチュームを一度デザインしてみたい』と、クロフォード女史がアデレードに話し、そして実現した。
 ビデオ撮りでも、バンド全員で衣装を合わせることはそう多くないが、実際に映像として仕上がってみると、このコスチュームも最大の演出効果を上げている。ブロンドの人に白はあまり似あわないと言われることもあるが、エアリィの場合はベストカラーだ。ことに今回のような純白で上下を揃え、そこに金色のアクセントを持ってくると、彼が本来持っている浮き世離れした美しさが、最大限に発揮されるようだ。これで翼でもつけたら、完全に天使に見えるほどに。さらに僕らが黒子といっては聞こえが悪いが、コントラスト的に黒と銀で回りを固めると、印象は余計に増幅する。うす曇りの、灰色がかった風景の中に立つ教会を背景に、彼は風に軽く髪をなびかせながら歌いかけている。
『既成の宗教を頭から信じる前に、考えろ! それは君を向上させるより、むしろ滅ぼすかもしれない』と。もちろん、そんな歌詞はない。はっきりと言葉には、何も出していない。あなたは厳格な恋人――あなたは口やかましい恋人――あなたは嫉妬深い恋人。そんなフレーズはある。それが僕の心を縛る、と。ただ、解放してくれ、とは言わない。あなたの目的は何、という言葉はあるが。一見ラヴソングに取れなくもない言葉と、抽象的なフレーズの組み合わせ。それでも言葉で訴える以上にはっきりと、その真のメッセージが感じられるのだ。映像は芸術的だ。これ以上ないほどのインパクトだ。それだけに、よけい始末が悪かった。もはやそのメッセージは疑いようがなくなってしまう。このビデオを、義兄に見ては欲しくなかった。動画サイトや音楽チャンネルなど見ない人だから、大丈夫だと思っていたのだが。
「ああ。私も見た」義兄は渋い顔で頷いていた。
「私が姉に頼まれたものと、ジョアンナからのジャムの瓶を持って、パソコンが置いてある部屋に入った時、グラディスはちょうど、その音楽ビデオの再生を見始めたところだった。表示を全画面にして、両手を前に組み合わせ、まるで夢見るように、うっとりとした表情で見ていたよ。私の言葉など耳に入らないことがわかっていたから、終わるまで待とうと思って、私も一緒に見ていた。以前の印象が気にかかっていたこともあってね」
 その返答を聞いた時、僕は思わず頭を抱えたくなった。
「間の悪い偶然ですね」
「君は偶然だと言うがね、ジャスティン君。それは神が私に教えたもうた警告だと思っているよ。それにしても……私は思わず、天を仰いでしまった。疑問は間違いなかったのだ。よりによって私の義理の弟が属しているバンドが、なんということをするのだと、まったく言葉もなかった。しかも直接的に攻撃しているわけではないから、私たち宗教関係者も表立っては、具体的にどうこうという強い非難はできない。あの歌だけなら他にも解釈できるし、ビデオにしてみても破壊的なものや冒涜的な映像は一つもない。だが、あれは紛れもない宗教破壊だ。なんと神をも恐れぬ、巧妙な悪知恵だ」
「僕もあの曲のレコーディング作業をしている時に、そのことには気が付いていました。ちょっとまずいなって」
「だったらなぜ、その時に止めなかったのだ? 世に出さなければ、何も大きな問題などなかったものを。それは君らの魂の罪としての問題だけで、無垢な若者たちを感化するような事態には、ならなかったろうに。私はあのビデオを見終えたあと、グラディスにもう見ちゃいかんと命じた。そうしたら、あの娘は激怒した。私がどんなに理を尽くして説得しても、まったく聞く耳をもたない。最後には、『叔父さまなんか大嫌い! だから聖職者って、あてにならない偽善者なのよ。わたしはキリスト教なんて信じないわ。否定してるからって、なんなの? 何が悪いの? 本当のことなんて、わからないじゃない? 叔父様だって、わかっていないのよ!』こう言い放つ始末だ。私は思わずその場にへたりこんだ。なんということだ。あのおとなしく素直で、女らしく慎ましやかだったグラディスが、私のお気に入りだった姪が、あんなことを言うとは」
「ああ……」
 僕は思わず頭を抱え、同時に意に反してこみあげてきた苦笑を、必死に噛み殺した。
「わかってます。一応は、わかってます。僕だって出来れば、あの曲は入れたくなかった。でもエアリィ……アーディス・レインが、どうしてもアルバムに入れたいと言ったので」
「ああ、アーディス・レインか!」
 義兄は激しいトーンで、まるで吐き出すようにその名前を繰り返した。その口調の強さに、僕は思わずびくっとしたほどだ。
「あの子はいったい、なにものだ? 外見は、まるで天使のようだが。そうだ。あのビデオを見る限り、この上なく美しく無垢な印象を与える。そして天上を翔る翼のような声で、忘れがたいほど印象的なメロディを歌う。そこに語られる言葉をそのまま受け取るならば、決して破壊的とも冒涜的ともいえないだろう。繰り返し呼びかける『あなた』が宗教や主イエス、牧師だなととは、一言もほのめかしていないのだから。だが、言葉以上に揺さぶってくる、あの感情は何なのだ。表面上の清浄さや心地よさの影から、なんと破壊的なメッセージを送ってくるのだ。どうやったらあんなことができるのか、教えてもらいたいものだ」
「それが、彼のマジックです。いや、マジックというと誤解があるから、アーディスの才能と言うべきでしょう。それも、彼しかやれないことです。あの曲を誰かがコピーしたとしても、その字面以上の意味は伝わらないでしょう。単なる一種のラブソングとしてしか、聞き手には感じられないはずです」
「そうだろうな。だからこそ始末が悪い。天使の虚像の影から、神を信じるなと無言のメッセージを歌う。恐ろしいことだ。私にはあの子がまるで堕天使のように見えるほどだ。グラディスはまるで神のように彼を崇拝しているが。そう、恐れ多いことに神のみ言葉より、彼のメッセージの方を信じている。恐ろしいことだ。人間を神として扱うほど、罪深いことはないのだぞ」
「別に彼は自分を神さまだとは、絶対思っていませんよ。ファンがどう思おうと、あいつの責任じゃないし、それに堕天使という言い方も当たってません。彼には邪悪さなんて、探したってかけらもありませんから。たまたま、飛び抜けたカリズマと才能と美を持っているというだけです」
「だとしたら、もう少し自分の力というものに自覚を持ってもらいたいものだが、邪悪さがないというのは、私には信じられんな。もしそうなら、いたずらに若者をたぶらかして破滅に向かわせるなど、するはずがない。私はグラディスと争ったあと、表示されたビデオの再生数を見て、背筋が寒くなった。48億だ。とんでもない数だ。その数字の裏に、どれほどの人々が影響されているのだろう。グラディスが帰った後、姉に電話したが、ここ数ヶ月、グラディスは手に負えないようになったと嘆かれた。以前はきちんとおさげに編んでいた髪を下ろしたがり、君たちのバンドTシャツを着こみ、ジーンズを履き、ということは前からだったが、最近はより反抗が激しくなったという。妹で、十三のルースも感化され、すっかりファンになって、グラディスに従っているらしい。何時間も一緒にCDを聞き、DVDを見、パソコンやスマートフォンで動画やネットの記事、掲示板などを読んでいると。しばしば同じファンの友達も家に来て、騒いでいるという。姉が少し熱を上げすぎるとたしなめると、二人とも口をそろえて『勉強はちゃんとやっているし、教会にも一応行っているわ。家の手伝いもしている。だからそれ以外の時くらい、わたしたちの好きにさせてよ』と反論するそうだ。以前は二人とも、親に口答えなどしたことのない子たちだったのに」
 義兄は長くため息を吐きだすと、頭に手をやった。
「『恥ずかしい話だから、今まで言わないでいたのだけれど』と姉は話していたが、先月、姉は熱を冷まそうと、姪たちが友達の家に行っている間に、CDとDVD、ポスターを取り上げたらしい。それに対して二人は猛烈に怒り、泣き叫んだが、姉は『あなたたちが熱を上げすぎるからよ。もう少し他にやることがあるでしょう』と叱ったところ、二人は無言で部屋に入っていったそうだ。姉は姪たちが納得してくれたものと思い、安心していたら、グラディスもルースも、それから三日間、部屋から出てこなかったという。【わたしたちは何も悪いことはしていない。なのに、お母さんは勝手にわたしたちの大事なものを取り上げた。こんな仕打ちは我慢できない。お母さんが謝って、取り上げたものを返してくれるまでは、わたしたちは抗議のストライキをする】というメールを姉に送り、部屋のドアが開かないよう机やキャビネットを移動させて、こもってしまったそうだ。学校にも行かず、食事の時も出てこず、姉がいない隙を見てバスルームに行ったり、買い物に行って食糧を買い込み、真夜中にシャワーを浴びていたらしい。そして結局音楽は、スマートフォンで見たり聞いたりしていた。それでは、あまり意味がない。さらに姉の夫に、『たしかに二人は、別に悪い事をしたわけではないだろう。成績も下がっていないし、むしろ上がっている。家の手伝いだって、ちゃんとしている。それをおろそかにしているなら叱っても良いが、趣味のことまで親に口出しはされたくないだろう。君も少しやりすぎたんじゃないか』と意見されて、姉は譲歩するしかなくなったらしい。もともとCDやポスターなどは捨てたわけではなく、目に付かないところへ隠しただけなので、それを戻して、二人に謝ったという。『たしかに冷静に考えてみたら、私もやりすぎたかもしれない。娘たちは自分の義務はやっているのだから、もう自然に熱が冷めるのを待つしかないわ』と、意気消沈したような口調で言っていた。そこまで姪たちは堕落してしまったのかと嘆いた私は、敵を知り、確かめてみなければならないと思い、問題のアルバムを初めて通して聞いた。愕然としたよ。何ということだ。君たちは……いや、あの子はいったい、何をしようとしているのだ!? 宗教だけでなく、あらゆる社会通念を破壊する気か? そんなことをして、どうするつもりだ? 君が彼の友達ならば、忠告したまえ。これ以上若者たちに間違った洗脳を続けるのは、今すぐやめろと」
「洗脳するつもりなんかありません。逆です。洗脳やコンプレックスや束縛、そういうものを、全部解いてしまうものです。だから幻想の消去なんです。まあ、たしかに姪ごさんたちのような騒動は、他にも多々あったらしいですが……それもこのアルバム関連で起きた騒ぎの一つだという話は、僕も聞いているので。でも、僕らは決して、間違ったことはやっていないと思います」
「幻想の消去か。そんなようなタイトルだったな、あの作品はたしかに。だが、それで真実まで消去してしまうのかね? 若者たちがこれまでの人生で学んだことを一挙に壊してしまうことの、どこが正しいことなのかね? あの作品には、恐ろしいほど吸引力がある。私ですら、一瞬引きこまれてしまったほどにね。聴き終わって数分後、正気に返って愕然とした。もう二度と聴いてはならない、処分してくれ、それができないなら、二度と私の目に触れないところにしまってくれと、ジョアンナにきつく言い渡したほどだ。私のようなものすら取り込みそうになるほどの力が、大勢の無垢な若者たちの上に、いったいどんな影響を及ぼすのか、そう考えただけで背筋が凍った。彼はいったいどういう理由があって、そんなまねをするのだ。君も承知しているのかね、ジャスティン君? あの子の本当の意図というものを、聞いたことがあるかね?」
「アーディスの真の意図ですか? 僕もこのアルバムのリプレイを最初に聴いた時、やはりさすがに怖くなったんで、聞いたことはあります。なぜこんな危ないコンセプトを設定するんだって。彼は答えていました。今の社会はあまりに物質偏重で、間違った規範で動いているような気がする。だから、そういう呪縛をほどきたいって。僕もたしかにそう思うことはあるし、そのコンセプトは間違ってはいないと、納得したんです」
「たしかに今の世はマンモン(お金の神)が支配している。だが、それゆえにいっそう、神の教えが必要なのではないか。物理的な欲望を捨て、精神世界に生きたいというのなら、なぜ宗教を否定する? 矛盾してはいないかね?」
「おそらく彼の言う宗教は、新興勢力をさしているんじゃないでしょうか」
「いや、宗教全般だ。カルトももちろんだが、古くからある伝統的なキリスト教や仏教も、明らかに否定している。君にはわからないのかね? それとも私を誤魔化すために、そんな詭弁を言っているのかね、ジャスティン君」
 思わず返事に詰まった。はっきり後者ですとも言いづらい。
「いえ、僕の言い方が悪かったようですが……違うんです。ただ、義兄さんの前で言って良いことかどうか、わからなかったから。でも正直に言ってしまえば、アーディスは既存の宗教を信じていません。キリスト教徒として赤ん坊の頃に洗礼を受け、小さい頃にはカトリック教会のシスターの元で暮らしていた期間もあったけれど、あまり礼拝に行ったことはないし、教義もピンと来ないと言っていました。それに、あの……恐れ多いことですけれど、イエス・キリストを神様としてあがめる気にはならない、なんて言っていたこともあります。せいぜい神様に目をかけてもらった一人に過ぎないと。だから、無神論者というわけでもないんです。彼はたしかに神を信じています。でもキリスト教も仏教もイスラムも、みんなそれぞれ自分の都合のいいフィルターをかけて、自分の理想にあった神様を作り上げてしまうけれど、本当はみんな同じ神様を見ている。神はただ一つのものしかないって、以前そう言っていたし、その信念は今も変わっていないようです。だから彼にとっては、今の宗教も消去する対象なんだと、思ったんじゃないでしょうか」
 それはたしかに事実だが、義兄の偏見を間違いなく増大させるだろう。だから僕は言うつもりはなかったが、なぜか口をついて出てしまった。自分でも驚いたほどだ。
 案の定、義兄は眉間にしわを寄せ、嫌悪に満ちた表情になっていた。
「ジャスティン君! まさか君まで、そんな異端思想に染まってはいないだろうな。世の中にはたしかに無神論者も懐疑主義者も掃いて捨てるほどいるし、そういう連中はなかなか持論を捨てないが、それは彼らの罪だ。そんな連中は神の国には入れず、その時になって後悔することになるのだ。君の友達のあの子は、君の話を聞く限り、無神論者や懐疑主義ではないが、明らかに異端論者だ。それは、まあいい。自分の中で勝手に宗教を消去して、その結果地獄に落ちたとしても、それは彼自身の罪だ。しかし異端の導師になるのは、明らかに神に対する敵対行為、悪魔の所業といわざるを得ない。大勢の無垢な若者たちを地獄に落とすような真似は……恐ろしい。恐ろしすぎる。自らの間違った信仰を広めれば、より多くのものを迷わせてしまうだろう。それにあの子の信じている神とは、いったい何なのだ?」
「僕もはっきりとはわかりません。でも悪魔なんかじゃ、間違ってもないですよ。義兄さんはそう思ってらっしゃるかもしれませんが、それは絶対違います。彼は以前言っていましたっけ。それは大きな存在。運命を動かすもの、宇宙を動かすものが神様なんだって」
 予想通りの反応に、僕は思わず苦笑しながら答えた。たしかにエアリィが持っている宗教的信念は、既存の概念にはそぐわないかもしれない。キリスト教の考えからすれば明らかに異端思想だが、しかし邪悪ではない。そう僕は感じる。彼は教会の礼拝にはめったに行かないようだが、ある意味では非常に信心深い――ふとした言葉の端から、そう感じることがある。ただ、その神がキリストでないだけだ。もっと大きなもの、そんな気すらする。きっと義兄は僕が友に感化されたのだと、憂うだろうが――。
「宇宙の神か。それでは、まるでニューエイジだな」
 義兄はふんと鼻を鳴らした。
「だが、君は知っているかね? ニューエイジ・ムーブメントはサタンの王国を作ろうとする試みなのだというのが、聖職者たちの通説だということを」
「ニューエイジとは、ちょっと違いますよ。自然と宇宙のリズムを感じて一体になろう、という感じじゃないですから。星空を眺めるのは好きらしいですけれど。アーディス・レインは、決してロード・マイトレーヤになろうとしているわけではないです」
「本当にそうなのか? 君は私よりは、あの子のことを知っているのだろうが、本当のところは君も、はっきりとわかってはいないのではないか。君も感化されたり、取り込まれたりしている懸念もあるからな。考えたくはないが」
 エイヴリー師は疑いがありありという口調と表情だった。そして重々しくため息をつき、頭を振って、言葉を継いだ。
「だがまあ、しかし現実問題、すでにあれだけ世に出回り、多大な害がなされた今となっては、きっと何を言っても何をしても、もう遅いのだろうな。もし私が発売前に実態を知っていたら、もっと早く君の元へ押し掛け、絶対に発売させるなと、君に誓わせただろう。こんな生ぬるい議論ではなく、君がそう承知するまで、私は帰るつもりはなかった。しかし、今となっては仕方がない。君を信用していた、私が愚かだったのだ。だが一つだけ、この場で約束してくれ、ジャスティン君。次の作品は絶対に、発売前に私に聞かせるんだ」
「次のアルバムを、ですか?」
「そうだ、この次だ。それが現在、私が一番恐れているものなのだ。たしかに今回の作品自体は、聞き手の心を白紙の状態に戻すのが目的なのだろう。それは私も認める。だが、それで終わりではないはずだ。消去する力が、次は何らかの概念を構築するために働くだろう。要は力の方向性だ。君たちは、いや、あの子はいったんまっさらにした土壌に、何を植え付けるつもりなのだ? 君は知っているかね?」
「い、いいえ。それに、そこまで深い意図はないはずです」
 そう答えたところで、思い出した。マスターを通しで聞いた日、エアリィが『ここを通過しないと、先に進めない』と口にしていたことを。『君はこの先も見越しているんだね、それはなんだい?』というローレンスさんの問いかけに、『今はまだ漠然としたイメージだから、言えない』と答えていた。この次のイメージは、たしかにあるのだ。エアリィの頭の中には。ローレンスさんは、『君を信用する』と言っていたが――。
「百パーセント自信を持って、そう言いきれるかね」
 義兄は重ねて、そう問いかけてきた。僕は一瞬、なんと返答したらいいか考えた。深い意図は、たぶんあるのだろうが、そう答えたら、話がよけいに複雑になる。僕にはそれがなんだかさっぱりわからないのだから、義兄に余計な懸念を抱かせるだけだ。知らないふりをしておこう――。
「と、思います。でも彼の行動は時々僕の予想を超えるから、完全に保証は出来ないのが現実なんですが。今回だって、まさかこんなテーマになるとは思わなかったというのが、正直なところだし。僕だって、出したくて出したわけじゃないんです。でもアーディスの意向はバンドにとって絶対に等しいから、誰も止められないんですよ」
 えっ――僕は自分の言葉が信じられなかった。ただ、そんなことはないと思う、と答えておけばいいだけなのに。それなのに僕は、今の騒動の原因も義兄の非難も全部エアリィの責任にして、自分は無関係だと、そんなことを口走ってしまった。僕だって最終的には納得したはずなのに。バンドは運命共同体だから、責任はみんなでかぶることを覚悟しているはずなのに。
「止められない? それは君に熱意が足りないからだ。どんなことをしてでも止める、と言う熱意がね。それができないなら、君も同罪だ。罪に加担したくなければ、もっと本気で止めなさい。私が君の立場だったら、何がなんでもやめさせるだろう。だから、次を聞かせてくれと言うのだ。まだ間に合ううちに。それが私の恐れているようなものだったら、私は躊躇なく君に命じるだろう。絶対に止めろ、と。そう、どんなことをしてもだ。それが君自身を救い、世界の若者たちを救う、唯一の道だ。もし、どうしても君に出来ないと言うのなら、私が自ら行動を起こしてもかまわない」
「どんなことをしてでも、というのは、ちょっと物騒じゃないですか、義兄さん」
 僕は思わずその激しさにたじろぎ、抗議せずにはいられなかった。もし次作がまた、今度のような問題作だったら――コンセプトは正しくとも、また社会に真っ向から対立するようなものだったりしたら、義兄は本気でレーベルを吹っ飛ばし、エアリィを殺してしまいかねないのではと、一瞬怖くもなった。まさかそこまでは、とは思うが、こういう妙な正義感に凝り固まった人は、その熱意のあまり、とんでもないことをやる可能性も拭いきれない。軽々しく約束などしたくはなかったが、そうしなければ義兄は帰りそうになく、仕方なしに、次の作品は発売前に聴かせると約束してしまった。エアリィがこれ以上危ないコンセプトを設定しないことを、祈るしかない。いや、もし製作段階で危険性を感じたら、今度こそ本気で止めなくては。義兄に渡る前に。真剣に警告しなければ。『こんなことをやり続けていたら、命がいくつあっても足りないぞ』と。
 でも、ひょっとして――僕はふいに気づいた。そんな風に感じている人間は、きっと義兄だけではないだろう。彼のようなタイプの人は、それこそ世界中に五万といるに違いない。今エアリィが、エアレースがやっていることは、僕らが覚悟していた以上に、とてつもなく危険なことなのでは。だから今回のツアーもあれだけ騒がしく、トラブルも多かったのだろうか。
 前作の製作時に、ローレンスさんが言っていたことを思い出した。『その潜在的な危険性を指摘する人もいる。それは、洗脳だ。リスナーを感化する力だ。善に向かっている分にはまったく問題はないが、仮に邪悪な人間だったら、とんでもないことになる、と』
 彼は今回も、エアリィに向かって告げていた。『君の力は諸刃の剣だ。君はその力ゆえに、一部の人々を竦ませるだろう。その力が破壊的に向かったら、と。君を良く知っている人は、そうは思わないだろうが、それよりも圧倒的に、イメージだけしか知らない人の方が多いのだからね。いや、君は負のイメージは決して持っていないが、その強すぎる力ゆえに、君の本質を疑う人も一部には出てきてしまうと思う』と。
 いや――でも、エアリィは破壊に向かうことは、決してないだろう。僕は彼を良く知っている。完全に隅から隅まで知り尽くしているとは言えないが――出生の経緯や失踪事件など、不可知な部分を残しているから――彼の本質が善であることは疑いがない。でも、ローレンスさんが言っていたように、生身のアーディス・レイン・ローゼンスタイナーという人間を知っている人は、ごく一部なのだ。その懸念は今、危険水域まで来ているのかもしれない。軽々しく立ち入るべきではないタブー、宗教問題に踏み込んでしまった今は。
 エイヴリー牧師も玄関で、立ち去り際にこんな警告を残していった。
「君は自分たちがしたことの重大さを、本当にわかっているのかね、ジャスティン君。社会や宗教を否定すると言うことは、それだけ多くの敵を作るということだ。ことに後者はな、魂の問題に関わってくる、重大なことなのだぞ。我々聖職者も真のキリスト教信者たちも、君たちにおもしろからざる感情を持っている。だが、とりあえず今のところは、やって良いことと悪いことの区別だけは、わきまえているつもりだ。しかし君たちは過激派や新興宗教、カルトの連中をも敵に回してしまった。彼らには洗脳を解かれるのは、致命傷だからな。過激派のテロの話はよく聞くだろうが、それよりも私はカルトのほうを懸念する。実際、いくつかの不穏な噂も耳にしているからね。私自身はそれで憂いが除かれるなら、彼らを非難するつもりはないが。連中の直接的なターゲットは君ではないが、バンド全体が標的となる可能性も十分にある。よけいな忠告かもしれないが、君のために言っておこう。くれぐれも用心し、祈ることだ。そして罪に荷担してしまったことを、深く悔いることだ」

 僕は義兄を見送ったあと、しばらく黄昏の庭に佇んでいた。にわかに恐怖を感じながら。全米ツアーでは、たしかに多くのトラブルに見舞われた。嫌がらせの手紙や物騒なプレゼント、爆弾脅迫、エアリィへの二度に渡る襲撃。それでなくとも、以前から彼の力を危険と見なす連中はいた。このまま走り続けるのを止めるには殺すしか──そんな台詞を聞いたのは、まだこのアルバムが出る前のことだ。なのに、それでも新しい敵を、同じことを考えるであろう敵を増やそうというのか。エアリィは本当にわかっているのか? わかっていて、自虐的になっているのか? いや、そんなはずはない。なのに、なぜわざわざ新たな危険を作ろうとする──?
『このアルバムを出すのは、ガラスの家に至近距離から特大のボールを投げ込むのと同じだ。飛び散る破片で、君自身かなり傷つく覚悟が必要だ。他のメンバーにも、そのかけらは降り注ぐだろう。それでも投げる勇気が、君にあるかい?』
 マスターが完成した時に聞いた、ローレンスさんの言葉。それが真実であることを、全米ツアーの間に僕らは思い知らされた。彼がエアリィにかけた言葉、『君の無事を祈る』――それは決してジョークでも、軽い気持ちでもなかったことも。だが、騒動はこれで終わりではないだろう。これからもまだツアーは続く。『Scarlet Mission』をシングルカットしたことで、さらに宗教関係、特にカルト連中の反感をより買ってしまったとしたら、これから先無事に済むだろうか。

 全米ツアーの終わり頃、そういう連中の存在を匂わせる不気味な事件があった。サウンドチェックとリハーサルを終えて戻ってきた楽屋のテーブルに、白い大きな箱がのっていたのだ。その中には十字架を逆さまに刺した犬の頭と、棘だらけの真っ赤なバラが入っていた。花束の上に、白いカードが置かれている。あきらかに血と思われる赤い文字で、こう書かれていた。
【アーディス・レイン・ローゼンスタイナー様へ。
 あなたの罪は万死に値します。我々はあなたの処刑を決定しました。どのみち、あなたは救われませんが、せめて罪を認めて、懺悔なさい。さもなければ、あなたは永劫の地獄をさまよいつづけるでしょう。あなたはそれだけのことをやってしまったのです】
 これがひときわ気味が悪かったのは、金属バット男に侵入されて以来、かなり警備を強化したはずのバックステージエリアにあり、メンバーと一部のスタッフしか入れない部屋のテーブルに、それまで誰も気づかれないまま置いてあったことであり、しかも送られてきたものは黒魔術などで使う、悪魔の呪いのシンボルだったことだった。僕らみなの本名はかなり公に知られているとはいえ、この場にフルネームで名指したことも(しかも血文字で)、不気味さを募らせた。
 エアリィはバラと犬の頭を呆然とした表情で眺め、ついでカードを見ると、ぎゅっと唇を噛んだ。そしてテーブルに手をつき、一瞬震えたあと、頭を振って、セキュリティに白い布を持ってきてくれるように頼んだ。ジャクソンが持ってきたのは白いバスタオルだったが、エアリィは手を伸ばして犬の頭を取り上げると、その頭に刺さった十字架を抜いてやり、その上からそっと手を触れて小さく何かを呟き、そのタオルにくるんだ。それを、さらにビニール袋に入れた。
「かわいそうに、こんなことに使われてしまって。でも、もう大丈夫だよ。ゆっくり眠って」
 そう呟くと、それをもって楽屋を出て行こうとした。
「どこに行くんだ?」と、ロブがはっとしたように問いかけると、
「エージェントの人に、適切な処理をお願いしてくる」と答える。
「いや、僕が行ってこよう。おまえはここにいろ」
 ロブも真っ青になりながらも、それを持って出て行った。その背後からエアリィが、「あ、適切な処置って、特に手順あるわけじゃないけど、ごみ箱には捨てちゃダメだって言っといて。できたら、一回燃やして、どこかに埋めてくれるといいんだけれど」と声を上げ、ロブは「わかった」と頷いていた。
 エアリィはテーブルに戻ると、今度はバラの花とカードを包むように、入っていた箱を二つ折りにし、ジャクソンにごみ袋を持ってきてもらうと、箱ごとその中に入れていた。
「こっちは普通のごみでも大丈夫かな。あ、棘がやばいから、うっかり触らないようにって書いとかないと、ダメかもしれないけど。花はきれいなんだけど、残念だな」
「おまえ……ずいぶん冷静だな」
 僕は思わず、そんな言葉をかけてしまった。名指しされた本人より、周りの方が動揺していたように見えたほどだ。僕もそうだが、ジョージも明らかに気分が悪そうな顔をしていた。ロビンは本当に気分が悪くなって吐き、ミックは真っ青になって震えていた。彼らはその意味を、よく知っていたから。あとで僕にも教えてくれた。DogがGodの逆さまで、神の反対者のシンボルであるということも。
 エアリィはそんな僕らを見、小さく首を振った。
「いや、そんなに冷静とは言えないけど、気にしても仕方ないし。あの犬はかわいそうだったけど。でもさ、大丈夫。オカルトや黒魔術みたいなことって、この段階じゃ、まだ効力を発揮するだけの力は、持ってないよ。気持ちだけの問題だから」
 そう、たしかに人を呪い殺すことなんて、実際にできはしないのだろう。ホラーや黒魔術、オカルトなどは、現実には効果がないだろうということも。それはわかっていても、強力な悪意だけは本物だ。いや、殺意といってもいいだろう。念だけで人を殺すことは出来ないが、具体的な行為を伴えば、充分現実になり得る。実際に、二度も未遂事件があったばかりだ。あのカードにも、【処刑を決定した】と書いてあった。それが単なる脅しならいいのだが……。
 思わず身震いがこみあげてきた。残暑の厳しい、暑い日だったにもかかわらず、急に寒気を覚えた。不意に吹いてきた秋の訪れを感じさせるような、冷たい風のせいかもしれない。漠然とした不安と恐怖が、心に忍び込んでくる。来年の四月まで、まだまだツアーは続いていくが、出かけるのが俄かに怖く感じられた。黄昏の空気の影響もあったのだろうか。我知らず、深いため息が漏れた。
 僕は頭を振り、鈍い黄色と赤の混じり合ったような空に背を向けて、家の中に入っていった。この荒涼たるオアシス、妻や子のいない名ばかりの家から逃げ出し、ステラとの確執も忘れて、再び音楽に没頭できるのは、ありがたいことなのだ。それにともなう妨害や危険を恐れるのはやめよう。出来るだけトラブルを遠ざけるため、マネージメントもレーベルもエージェントも、最大限努力してくれているのだから。
 僕は再び深いため息をつくと、一人ぼっちの夕食をとるためにキッチンへと向かった。

 九月になってまもなく、ヨーロッパツアーが始まった。アムステルダムから出発し、西ヨーロッパは言うに及ばず、東欧や南欧も回りイギリスで終わる、二ヶ月以上もの長いロードだ。九月、十月と、僕らはヨーロッパ大陸をかけめぐった。行く先々でアリーナやスタジアムを満員にし、熱狂の嵐を巻き起こしながら通りすぎていく。
 先の全米同様、この道中でもいくつかトラブルが起きかけた。宗教団体のデモにも遭遇したし、おなじみの爆弾騒ぎも二度ほどあり、実際そのうちの一つでは、会場正面入り口近くに置いてあった袋の中に、爆弾が見つかった。それはすぐさま撤去され、公演は一時間半遅れで始まったが。会場近くで銃を持ってうろついていた連中が見つかり、警察に捕らえられたこともある。入場前の荷物検査も、恐ろしく入念だ。だが、幸いにも公演自体に支障が起きるほどの深刻なトラブルには、見舞われずにすんでいる。
 僕らもある程度騒ぎに慣れつつあったし、外の雑音はできるだけカットして、ツアーそのものに集中しようとしていた。相変わらず外出はなかなかできづらいが、待遇は破格だった。ホテルの部屋はロイヤルスイート、移動はほとんど、チャーターした飛行機だ。食事も申し分ない。スーパースターなどという面はゆい言葉が、今では名実ともに現実のものだった。でも歓びや満足だけでなく、煩わしさや不安、当惑も増えていく。結局これも、消えていった幻想の一つなのかも知れない。いや、現実となって消え失せた夢だろうか。

 十月いっぱいまで大陸をめぐり、十一月とともに、僕らはイギリスにやってきた。まず自然保護を訴える音楽祭、『Green Aid21』に出演し、翌日からダブリン、グラスゴー、マンチェスターと回り、移動日をはさんで、最後は五日間のロンドン公演だ。アリーナ三回、スタジアム二回で、合計十五万人を動員する。チケットはすべて、売り出し初日に売り切れている。
 音楽祭とアイルランド公演、イギリス地方公演二回、そしてロンドンでのアリーナ公演三回が終わった。ここまでは順調にいった。とくに目立ったトラブルもなく、ただ熱狂した聴衆たちがいただけだった。

 スタジアムに場所を移した初日、サウンドチェックを終えて休憩している時、僕はふとマガジンラックに差してあった、雑誌の一つを手に取った。最近はどの雑誌でもオンライン展開をしているが、昔ながらの紙媒体も発行している。それはイギリスのある人気音楽雑誌の最新号で、一カ月半ほど前にここのライターが、僕らのヨーロッパツアーを取材するためにミュンヘンまで来て、僕にインタビューして帰った。僕はこのライターをよく知っているつもりだったし、わりといい人だと思っていたから、取材に応じた。その記事が載っているはずだ。
 最初にコンサートレビューを読んだ。現地のファンの熱狂ぶりやステージをかなりリアルに描きだしていて、コンサートそのものは激賛してある。だが、最後にこんなことが書いてあった。
【私は多くの素晴らしいロックコンサートを見てきた。多くの感動的なコンサートも、熱狂し涙する観客たちをも。しかし、かつてこれほど素晴らしく、これほど強烈に人の心を揺さ振り動かすコンサートは見たことがない。そしてこれほど熱狂し、感激のあまり涙を流し、身体を震わせ、果てにはトランス状態にまでなった、すべての観客たちをも。私はこの光景の中に陶酔したが、ホテルへ帰ってくる頃には、畏怖にも似た恐怖をも感じ始めていた。自分はとんでもないものを目撃したのかもしれない、と。
 光景が、鮮やかによみがえってくる。最初の四、五曲、観客たちは衝撃のために立ちすくむ。その目は見開かれ、ステージを凝視し、呆然とした表情で、まったく動くことなく、全身で聴いている。そして曲が終わって数秒後、我に返った観客たちは歓声を上げる。これが導入部だ。やがて観客たちは動き始める。ステップを踏み、こぶしを振り上げ、体を揺らし、時には一緒に歌う。それはロックコンサートによくある光景だ。しかし他と違うところは、彼らはみな、いっせいに同じ動きをしているということだ。どんなに練習をしても、これほどシンクロしないだろうと思えるほど、完璧なタイミングで。同じようにジャンプし、同じように腕を振り上げ、一斉にコーラス部を歌い、一斉に声を上げる。それは一つの糸で操られる、集団マリオネット。観客全員が――そう、私も実はその現場で、同じようにしていた。音楽に完全に我を忘れ、そうしなければならない、という強い欲求に動かされて。誰一人席を立たず、会場にいる三万三千人が、みなひとつのマインドスペースに取り込まれたかのように。
 やがてインターミッションになっても、最初の十分ほどは、誰もその場を動かない。それからやっと、動き始める。トイレに行ったり、飲み物を求めに行ったりする人が出てくる。しかし半数以上の人々はなお、陶酔が覚めやらぬ視線で、うつろにステージを見つめて過ごしていた。
 第二部が始まる。そしてまた繰り返される。この時の導入は一、二曲で、そして再び集団マリオネットと化す。その糸の操り手は、長いプラチナブロンドの髪を煌かせた、世にも美しいシンガー。まだ二十歳のアーディス・レインだ。もし彼がコンサートの熱狂の中『お互いに殺し合え!』と叫んだとしたら、観客たちはほとんど一人残らずその通りにするだろう。それほどの力を持つアーティストなど、かつて存在すまい。これは新興宗教の集団トランスだ。彼らをロックミュージシャンと呼ぶのは、もはやふさわしくないだろう。『Scarlet Mission』において彼らは宗教を否定したが、しかし今や、彼ら自身が一つの宗教になりつつある。だが、若く美しき教組アーディス・レインは、この先彼のバンドを、そして今や膨大な数に膨れ上がったフォロアーたちを、どこへひっぱろうとしているのだろうか? 持って生まれた、すば抜けた美とカリズマ、人を動かす力と、けた外れな音楽的才能という、おおよそ考えうるかぎりの恩寵を与えられた彼だが、その寵愛を注ぎこんだのは、どんな神なのだろうか――】

 まったく、こんなことを書くから、エイヴリー牧師のような人たちが、変な誤解をするんだ。そしてこの人も、力を懸念する人の一人か。たしかにコンサート会場では観客全員がシンクロするが――そして彼の言葉は観客たちには絶対のものだが、そんなことをエアリィが言うわけがないだろう。太陽が西から昇っても。
 首を振って苦笑し、続きを読んだ。僕はロック界屈指のギタリストの一人で、バンドのサウンド面を支えているという、お定まりのちょっと歯が浮くような解説の後、インタビューが載っていた。かなり長いものだ。たしか一時間くらいかかった記憶がある。
 最初の二ページは導入部とでも言うような、どこにでもある内容だ。使用機材とか、曲のギター解説など、今まで多くのインタビュアーたちに話したことと、ほとんど同じことが書いてある。ページをめくった。このあとはプライベートな質問が少し続いている。個人的な質問は、もともとあまり歓迎しないが、今は特に厳しい。でもまあ、そこそこ無難な受け答えだ。それからまた新作の話へと戻っている。

Q:ところで今、『Vanishing Illusions』がすごい話題だね。オンラインのダウンロード販売やストリーミングを平行しているにもかかわらず、発売して半年たたないうちに、CDセールスは全米で一千万に届きそうだし、世界レベルでも五千万近くになって、わがイギリスでもミリオンを軽く突破だ。過去のモンスターセールスを、早くも更新してしまったね。君たちの場合、ストリーミングや動画サイトで繰り返し聞いたり、ダウンロードでとりあえず入手したりした人たちのほとんどが、CDも改めて買っているようだ。形として所有しておきたいと。今はほとんどダウンロードやストリーミング主流で、CD実売はここ数年急激な下降線を描いているこの時代に、まるでバブル時代のような、ここまで桁外れな売り上げを出し、これだけの凄まじい成功を収めたことを、君はどう思っている?
A:アルバムが売れるのはうれしいよ。それだけ多くの人が聞いてくれているわけだからね。でも、そうやって具体的に数字を並べられると、ちょっと戸惑うね。なんだか天文学的数字のようだよ。今でも半分、現実のような気がしないんだ。
(僕はいつも自分たちの爆発的な大成功の感想を聞かれると、こう答えている。それが正直な気持ちだからだ)
Q:でもこの作品はセールス面でもさることながら、内容についても相当にマスコミを賑わせているね。非常に過激で大胆な内容で、歌詞に書かれている以上のメッセージが、受け手を震撼させるような。それは、意図してそうしたの?
A:さあ、わからないな。歌詞は全面的にエアリィの領分だから。今回のアルバムコンセプトも彼が決めたものだし、僕は全然タッチしてないんだ。僕だって、このアルバムの本当の意味での過激さを、実はマスターを聞いた段階で、やっとわかったくらいなんだ。不意うちを食らったのは、みんなだけじゃないよ。コンセプトの話なら、彼に聞いてくれ。僕は知らないから、答えようがないな。
(こんな投げ遣りな反応をしただろうか? よっぽど機嫌が悪かったのか……? それにしても、なんだかふてくされているような印象だ)
Q:では、君は今色々と取り沙汰されている論議に、直接的には関係ないってわけかい?
A:そうだよ。僕は実際、迷惑なんだ。色々言われて、騒がしくてね。そもそも僕はこんな問題の多そうなアルバムを、出したくはなかったんだ。ミックやロビン、ジョージも同じ意見だった。エアリィにも、はっきりそう言ったんだよ。このまま出すのは、まずいんじゃないかって。でも、彼はどうしてもこれでなきゃいけないって、きかなくてね。エアリィは今や、アルバム作りにおいてもステージにおいても、一から十まで自分の思うとおりでなければ、気がすまないのさ。それも、表面的には僕らの意見を言わせておいて、民主的に決めていると思いこませながら、僕らの上にプレッシャーをかけるのが天才的に上手いよ。僕らは結局、自分の考えでやっているように思いこんでいただけで、実際はずっと彼に振り回されているだけだと、やっと僕も気づいたんだ。彼は今回、過激にやりたかったんだろう。でもそのとばっちりを僕らまで受けるのは、勘弁してほしいよ。
(こんなことを言った覚えはないぞ! いくら記憶がはっきりしていなくても、決してこんな悪意に満ちたコメントはしていないと誓える。似たようなことは、言ったかもしれない。『騒がしくて困惑している』とか『最初聞いた時は、出すのを躊躇したのは事実だ。でもコンセプトは間違っていないと思ったし、作品そのもののクオリティも満足のいくものだったから、思いきって出すことにしたんだ』と。それはたしかに、本当のことだ。でも、ここに書いてあるようなことは、絶対に言っていない!)
 記事はさらに続いていく。
Q:そう。じゃあ、このアルバムには君自身の意見は、ほとんど入ってないわけだ。
A:そうだよ。三作目からずっとそうさ。皮肉にも僕の意見が通らなくなってから、バンドは爆発的な大ブレイクをしてしまったけれどね。僕はどちらかといえば音楽を難しく突き詰めたいほうだから、僕の意見を通していたら、ここまで大成功はできなかったかもしれないね。でも、僕はそれでもよかったんだ。まるで借り物のような大成功じゃ、少しも嬉しくないよ。やたら騒がしいだけでね。もうごめんだよ。僕はエアリィのバックミュージシャンじゃない。他人の意志で動かされるのは、もうたくさんだ。僕が今ほしいのは金でも名誉でもなく、自分自身がやりたい音楽をやることさ。
Q:じゃあ、君はなぜ今のバンドにいるんだい?
A:さあね。自分でもよくわからないな。きっと僕の意地なんだと思う。そもそもエアレースは、僕とロビンが、ジョージとミックに合流して始めたバンドなんだ。アーディスはメンバーとしては、五人目なんだよ。バンドを結成してから最初の十ヶ月間、僕らはインストバンドだった。でもずっとインストでいく気はなかったから、彼が入ってくれた時にはうれしかった。まさかあとでバンドを乗っ取られるなんて、ちっとも思ってなかったよ。僕らは当時、仲のいい友達だったしね。
Q:じゃあ、今は違うの?
A:今は……わからないなあ。友達っていうのは、ある程度対等な関係のことだろ? 少なくとも、自分の都合のいいように動かせる人間のことじゃないよね。それじゃ、ただの家来だ。
Q:じゃ、君はいつの日かバンドを自分の手に取り戻したいために、辛抱してるというわけなんだね。
A:そうなんだろうね。だけど、その保障もないから……他の三人が、どちらにつくかわからないし。彼らはアーティスティックな道より、今の大成功の方がいいかもしれないし。だけど、僕は負けたくないんだよ。

 思わず、雑誌を取り落としてしまった。こんなこと、僕は絶対に言った覚えはない。なぜこのインタビュアーは、こんなありもしないことを書く? これでは何も知らずにこの記事を読んだ人は、バンドが分裂を起こしかけていると誤解しかねない。僕もこんなに不満たらたらの、プライドだけが高い、わがまま人間だと思われてしまう。しかも自分の方向性を『アーティスティックな道』と自画自賛してしまうような、鼻持ちならない奴と。
「ロブ! この雑誌とライターに抗議してくれないか。このインタビューはとんでもないでっち上げだ!」
 ロブはメンバー楽屋に不在なこともけっこうあるが、今はいるのを認識していたから、思わずそう声が出た。
「あ……ああ、わかった」
 ロブは立ち上がり、僕のそばに来て、床に落ちた雑誌を拾い上げた。心なしか、その声には狼狽の色があった。
「ロブもこのインタビュー、立ち会っただろ? じゃあ、覚えているはずだよね。僕は絶対、こんなことは言っていないって」
「ああ、それはたしかだ。よく覚えている。これは、要注意だなと思ったからな。かなりきわどい質問を振ってきて、何度も警告したんだが、気づかないふりをされたしな。終わってからきつく抗議したら、『すまない。でも核心をぼやかしても、騒動は収まらないと思う』と主張されて、おまえも『それはあるかもしれない』と言ったから、僕も今後気をつけてくれと注意して収めたんだが」
「ああ。それも覚えているよ」
「……やられたな」ロブは嘆息するような声を出した。
「まさか、こんなとんでもない内容になるとは。それに、このレビューの内容も問題だ。まるでエアリィに対して、ネガティヴなミスリードを狙っているようにも聞こえる。今までここは、我々に好意的だと思っていたのに……」
 周りを見ると、他のみな――エアリィは取材中でいないので、ロビン、ミック、ジョージの三人が、顔を上げて僕らを見ていた。彼らにも事情を説明しなければ、と僕が口を開く前に、ミックが苦笑して首を振った。
「ここのマガジンラックを、チェックしておくべきだったね」
「うん。ここにもあるなんて、思わなかったよ」
 ロビンも小さく首を振る。
「当然、音楽雑誌の一つや二つ、あるだろうな。まさかすぐにジャスティンが読むとは思わなかったが」
 ジョージは肩をすくめている。
 妙な反応だ。まるで彼らはすでにその内容を知っていて、でも僕には見せたくなかったかのような。
「ああ。まあ……みんなには、見せたんだ。ホテルの部屋で。実は、僕は午前中には、事態を把握していた」
 ロブが少し極まりの悪そうな様子で、そう言い出した。
「雑誌の方には、もう抗議済みだ。記者が突っ走ってしまったのだと、向こうの編集長に謝罪された。二度とその記者には当てないと約束させ、もう一度やったら、今後は取材拒否すると通告した」
「そう……でも、どうしてみんなより先に、僕に見せてくれなかったんだい? 僕は当事者なのに」
「すまん。おまえには、こんなことで動揺させたくなかったんだ。これが嘘だということは、おまえに聞くまでもなく、僕自身が立ち会っていたのだから、わかっているしな」
 そうなのか――でも、知らなければ知らなかったでよい、という問題ではない気がする。それに僕もさっきは思わずメディアに抗議してくれ、と言ったが、向こうもそれで記事を撤回はしないし、できないだろう。せめて訂正とお詫びをしてくれたらいいのだが、ロブの話を聞く限りでは、それも保証できない。やっぱり僕のイメージは誤解されたままだ。仕方がない――早いうちに、公式ページにメッセージを出そう。あのインタビューはでっち上げだ。僕はそんなことなんて、思っていないと。
「あれ、最初の方は普通に見えるよね。ジャスティンのインタビューって感じだし」
 ロビンの言葉に、僕は頷いた。
「ああ、途中までは本当に、僕が言ったとおり書かれているよ。最後になって、急にねじ曲がったんだ。アルバムのコンセプトあたりから」
「ああ、おまえが怒涛のエアリィ批判やりだすあたりからだろ」
 ジョージが肩をすくめ、
「僕じゃないよ、言ったのは。書いたのは、あのライターだ」と、僕は訂正する。
「まあ、それは俺らみんな、わかってるけどな。おまえはそんなことを、たとえ心で思ったとしても、これほどはっきりとは言わないだろうってな」
「ひどいな。思ってもいないさ」
「言葉のあやさ。そう尖がるなよ」
 いや、別にとんがっているわけじゃない、と言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「でも今、エアリィがいなくてよかったね。ジャスティンじゃなくて、彼が先に読んじゃってたら、大変だったかも」
 ロビンは不安げな表情で、ロブが手にしている雑誌の表紙に目を向けた。そこには、ギターを構えた僕が、少し不敵にも見える表情で笑顔を浮かべている。
「まあな。ここに、でんと置いてあったわけだからな。でも俺の知っている限りじゃ、エアリィは音楽雑誌、ほぼ読まないぜ。最近じゃ、特にな」
 ジョージは肩をすくめている。
 そう言えば、僕の知っている限りでも、爆発的ブレイク以降、エアリィは音楽雑誌の類を読まなくなった。自分の受けたインタビューの事後チェックさえ、ロブやカークランドさん任せにしているようだ。
 知らないなら、それでいい――僕より先にこの記事を読んでしまって、ショックを受けるよりも。それにもしこの場に彼がいたら、僕もこんなに大っぴらにロブに訴えることができなかっただろう。ロビンが言うように、エアリィが不在で良かった。マネージメントの取材制限で、エアリィもこのツアーでは、一週間に一度あるかないかくらいの頻度でしかインタビューを受けていないが、ロンドンではさすがに需要が多く、全体で四本、今日も一本入っているのだ。この取材にはロブではなく、パーソナルマネージャーも務める専属スタッフの、モートン・カークランドさんが付き添っていた。

 ロブは手にした雑誌をストックの奥の方に戻し、直前に別の雑誌を置いていた。僕らは、それぞれやりかけていた作業――ジョージは漫画、ミックは新聞、ロビンはペーパーバックを読みはじめ、僕もバッグの中から、読もうと持ってきた小説を取り出して開いた。でも目は活字の上に注いでいたが、文章を読んではいなかった。なんだか妙に動揺する。あんな嘘八百を読んで憤慨したのはもちろんだが、なぜ妙な後ろめたさ──そう、本当にそれに近いものを、感じてしまうのだろう。それに、ロブは当事者の僕には、余計なことで煩わせたくないと何も言わなかったにもかかわらず、ミックやロビン、ジョージにはわざわざホテルの部屋まで行って相談している。何を相談したのだろう。事実確認なら、僕にこそすべきなのに。いや、ロブはそもそもインタビューに立ち会っていたから、真偽確認は僕にしなくてもわかると言ったし、それは本当なのだろう。それなら、なぜ。ああ、彼らがもしなにも知らずに記事を読んでしまって、僕がこんなことを思っていると、万が一にも信じてしまうといけないからか。それならわかるが――それだけだろうか。
 ああ、もうやめよう、考えるのは。プライベートでかなり打撃を受けているというのに、唯一の救いであるはずのバンドまでおかしくなったりしたら、とても遣り切れない。僕は手にした本を読もうと努めた。本当に、もう考えまい。この問題は、終わったのだ。バンドの分裂を狙った悪質な嫌がらせの一つ、そうに決まっている。こんなでっち上げインタビューでこれほど動揺するなんて、どうかしている。それこそ、妨害者たちの思う壺だ。もちろん、内容をゆがめて書くなんて、許せないことだ。僕はもうこの人のインタビュー、いや、この雑誌自体の取材を、当分受けないことにしよう。エアリィがこの騒動を知らないならそれでいいし、もし万が一彼の耳に入っても、他の三人のように、本気にはしないだろう。いや……他の三人は、本当に本気にしなかったのか? ならばなぜ、僕がその記事を目にしたことを気にしたのか……馬鹿野郎、何を考えている。これ以上考えないと、決心したばかりじゃないか。




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