Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

五年目(3)




 ギターパートの録音が終わったのは、その夜の九時ごろだった。
「いや、さすがだ。若々しいね、君は。いや、実際若いからなあ。二二だっけ。さすがだ。曲がぱっと若返ったようだよ」
 プレストン氏はそんなコメントをした。その表情は満足そうではあったが、かすかな苦みも感じて、僕は少しためらいがちに尋ねた。
「良いですか、これで……?」
「良いよ。素晴らしい。やっぱり君にやってもらって、よかった」
 プレストンさんは僕に向き直り、笑顔を見せた。
「ありがとうございます……」
「君がこれほど弾ける人だとは思わなかったな。カールの全盛時代よりも凄いよ」
 カール・シュミットさんは、アーノルド・ローレンスさんがその座を取ってかわるまでは、僕が一番好きだったプレイヤーだ。決して派手なプレイを見せびらかすタイプではなかったため、ギターヒーローと呼ぶには少し地味だったけれど、誰もが認める超一級の実力を持った人だった。
「そんな。僕はあの人ほどは……」
「いや、本当だよ。テクニックに関しては、カールはかなりのものだったが、フィーリングやソロのセンスなんかは、君の方が断然良いね。これは決してお世辞じゃないよ。断言しよう。君は世界一のギターヒーローになれる素質があるよ」
「まさか……」
 あまりに大げさな賛辞に、思わず肩をすくめたくなる。
 プレストン氏は声を上げて笑い、運ばれてきたコニャックの水割りに口を付けながら続けた。
「ただし、今のバンドにいては、だめだがね」と。
「えっ!?」
 僕は差し出された紅茶を飲みかけていたところだったが、その言葉に思わず手を止め、受け皿に少しこぼしてしまった。
「だめだよ、当世一のギターヒーローが引き立て役じゃ」
 彼は笑みを浮かべながら、まるでからかうように言った。
「そんなのがあるかい? 世界一のギターヒーローともあろうものが、バンドでは永遠にナンバー2で、他人の引き立て役をやっているなんて。それじゃあ、ヒーローたる資格はないよ。まあバンド自体は今や当世一の売れっ子だけどね。だが、誤解してはいけないよ。それは君自身の栄光ではない。君も感じてはいるだろうがね」
 はっきりとそう言われて、思わず頬に血が上るのを感じた。
「まあ、たしかにそうかもしれませんけれど……」
 僕は頷いて一息吸い込み、相手を見据えた。
「バンドの成功は、僕ら全員の栄光だと思っていますよ。少なくとも、僕ら自身はみんな、そう信じています。それに僕は、世界一のギターヒーローになんて、なりたくはないです。以前あなたたちのバンドにいたカール・シュミットさんと同じで、バンドの音楽を確実に支えていく、インストのリードパートとしての責務が果たせれば、それで満足なんです。ナンバーワンになりたいとは思わない。僕は今のバンドにいるのが楽しいんです」
「ほう、カールのように、か……」
 彼はグラスの中身を一気に飲み干すと、ため息と一緒にきいてきた。
「君はカールが今どうしているか、知っているかい?」
「いえ。ベースの人と一緒に新しいバンドを結成してから、しばらく活動していたのは知っていますが。アルバムを二枚出して……僕はリアルタイムでは、あなた方の現役時代を体験していないので、後追いなんですが……だから、リリースされて何年かたってから、アルバムを手に入れて聞いたんです。中古ショップで。もう普通のレコード店にはなくて。作品自体は、かなり好きでした。でも、あまり商業的には成功しなかったと聞いて……そういえば、僕があなた方を追いかけだしてから、カールさんの動向は何も聞いていないですね。気にはなっていましたが。今はもう、現役を引退されているんですか?」
「引退というか……彼は廃人だよ、もう。元々バンドの後期から、かなり酒浸りだったが、新しいバンドがあまりうまく行かなくて、よけいひどくなってね。そう、君も知っての通り、彼はベースのマーティンを連れて脱退し、新しくドラマーとヴォーカルを入れてバンドを作った。そしてアルバムを出した。ところがそのセールスは、僕らのバンドの十分の一にも届かなかった。そのあとヴォーカルが引き抜かれて脱退し、オーディションでもいいのが来なかったために、二枚目は三人のインストバンドになったが、当然のことながらセールスはますます落ち、前作の半分にも届かなかった。それでレーベルに見放されて、カールのバンドは解散した。僕はカールが脱退してから、彼と直接連絡は取っていないんだが、知り合いの人脈から聞いたんだ。彼は新しいバンドで、ますます酒びたりで、さらにドラッグにも溺れて、彼のバンドが解散した四年後に、危うく死にかけて病院に担ぎ込まれたそうだ。その後遺症で頭がダメージを受けて、いかれてしまった。奴の女房はその二年前に娘を連れて離婚し、両親や兄にも縁を切られ、誰も引き取り手がいないものだから、今は田舎のリハビリ病院に、ずっと入院しているらしい。彼はもう自分が誰か、わかっていないという。元通りになる見込みも、ほとんどないらしい。本当に救いのないありさまさ」
「ええ……?」
 僕は思わず絶句した。あの人が? あれほど憧れたカール・シュミットさんが、今ではそんなことになっているなんて。
「なぜそんなことになってしまったか、君にはわかるかい?」
 プレストンさんはグラスを置き、僕の目をのぞき込むように見た。
「奴は自分の正直な気持ちを、誤魔化しすぎたんだ。バンドは四人の共同体だ。誰が欠けても成り立たない。みんなが自分にしかできない役割を果たして、僕らの音楽が出来ている。誰がナンバー1だろうが2だろうが関係ない。バンドの栄光は、みんなの栄光だ。そう、あいつはまさに、今の君と同じことを言っていたよ。インタビューで、しょっちゅうそう言っていた。君もたぶん、その発言を本気にしたんだろうな。だが、それは建前でしかないんだ。彼の本心は、たいへんな野心家だった。自分が中心になれないフラストレーションを、そんなきれいごとで誤魔化していたにすぎなかったのさ。そのフラストレーションを酒や薬で紛らわせることができた間は、まだ良かったんだろう。だが、とうとう我慢できなくなったらしい。あれは……そうだ、最後のアルバムのレコーディング中だ。我々はある曲で、意見が対立した。そういうことは、まあ、よくあることだ。僕もその時には、それほど重く受け止めてはいなかった。だが彼はいつになく激しく、言いつのってきた。おまけに僕がどれほど彼のやりたいことを邪魔しているかと、あげつらい始めた。僕もかっとなって反論した。今まで思いもよらなかったことだったからね。そうしたら彼はギターを床に叩きつけて壊し、スタジオを飛び出していった。それきり、もう戻らなかった。次の日、奴はバンドを脱退すると通告してきた。僕らメンバーやマネージャー、スタッフも含めて連絡を取ろうとしたが、無駄だった。ベースのマーティンは、前からカールに相談を受けていたらしい。申し訳ないけれど、カールと行動を共にする約束だからと、レコーディングが終わった後、一緒に脱退した。僕とドラマーのジョンは仕方なく、残ったギターパートをスタジオミュージシャンに依頼し、アルバムを仕上げた。僕はもう、誰かと共同作業なんてたくさんだと思い、ツアーが終わった後、バンドを解散させた。カールのその後は、さっき話した通りだ。あいつは限界まで我慢しすぎたせいで、僕らのバンドを破壊し、自分の人生も破壊したんだ」
「そんな……」
「限界まで我慢するなんて、結局ろくなことにはならないんだ。人間、もっと自分に素直になった方がいい。誰でもみんな、自分が王様になりたいのさ。その気持ちを認めて、もっと早く解放していたら、カールもあんなことにはならなかったはずなんだ。話し合いの余地はあっただろうし、バンドを抜けるにせよ、もっと円満に脱退できただろう。酒や薬浸りにもならなかったはずなんだ。君だって、その気持ちはあるのではないのかい?」
「そんなことはないです。僕は……」
「そうかい。それなら幸いだけれどね」
 彼は頷いたが、その顔は納得していないようだった。(相変わらずきれいごとを言って、認めないんだな)表情がありありとそう語っている。僕は再び頬に血が上るのを感じた。
「まあ、君たちが十年後に、僕らと同じような顛末をたどっていなければいいと思うがね」
 プレストン氏は、ふふっと笑ってそんなことを言う。
 十年後? 十年後の世界なんて、もうすでに断崖の先なのだから、そのころどうなっているかなんて考えるのは、無に等しい。そう思ったら、昂ぶりかけていた気持ちが、すとんと落ちたような気がした。残された時間は、あと六年しかない。その間に僕らが……僕がそこまで落ちることは、まずないだろう。ゴールからはずれるようなまねは、絶対出来ない。カール・シュミットさんは気の毒だと思うが、僕は彼とは違う道を歩むつもりだ。
 僕が黙っていたせいだろう。相手もしばらく黙ったあと、微かに肩をすくめていた。
「まあ結局、君はバンドを離れたくないと。それも、わからないではないな。あれだけの大成功を納めたんだからね。今や世界で一番売れているんだから、そこから飛び出すなんてとんでもないと思うのは、無理はないよ。そこに属してさえいれば、スーパーバンドとしての恩恵が受けられるのだからね。なかなかそこから離れる勇気は、持てないだろうな」
 その言い方もどうも気に入らない。でも僕が返事をするまもなく、相手は言葉を続けた。
「じゃあせめて、ソロでも作ったらどうだい? バンドに在籍していても、メンバーがソロ名義で作品を出すのは、決して珍しいことではないだろう。そういうことさえ、考えたことはないのかい? それが出来れば、良い気晴らしになるだろうに」
「ソロアルバムですか? 僕の」
 思わず考え込んだ。思いもよらなかったが、出来ないことではないかもしれない。すべて自分で自由にやれる作品を作る。その考えには一瞬、誘惑を感じた。セールスなんて、どうでも良い。自分だけの作品が作れれば。
 でも実現するには、いろいろと問題がある。まず、メンバーの人選だ。僕は表面上のつきあいはあっても、そう簡単に人に心を開かないたちなのか、バンド以外のミュージシャン仲間に、友達といえるような人はいない。かりにいたとしても、今のバンドのメンバー以上にしっくりくる仲間たちに出会うことは、まず無いだろう。あえて飛び出すとすれば、僕はきっとくつろげない。一からメンバーをオーディションするというのも、気が進まなかった。バンドの初期で、オーディションはもううんざりだ。おまけにもし良いメンバーを揃えられたとしても、納得のいく良い作品を作ろうとすれば、最低でもそれから二、三ヶ月はかかる。バンドのオフがそれくらいしかないので、作ったとしてもぎりぎりだ。第一、そんなことをしたら、家族と過ごす休暇がなくなってしまう。自分の作品を作るより、やっぱり僕はステラやクリスと一緒にいたい。ステラだって、それでは未亡人同然だと、きっと嘆くだろう。これ以上、家庭を犠牲にしたくない。それにソロ作品の制作にすべてをつぎ込んでしまったら、次に来るバンドの作品に創作的な貢献をする余地がないほど、僕はすっからかんになってしまう恐れもある。
 だめだ。やっぱり今は余裕がなさすぎる。エアレースがフル活動状態にある今、個人的な活動をしようとしたなら、相当な犠牲を伴う覚悟がいる。そこまでしてソロなど作りたくない。個々のソロ活動を可能にするためには、バンドは最低半年、出来たら一年程度は、活動を休止しなければ無理だ。でも、今の僕たちに立ち止まっている暇はない。バンドは明らかに上っている状態だし、僕たちには最初から厳然とリミットが存在するのだから。
「無理でしょうね、今は余裕がないから。オフが三ヶ月くらいしかないですから、ソロなんて作ったら、僕のプライベートが無くなってしまいます。それはいやなんですよ。僕はやっぱり家族が大事だし、そこまでしてソロを作りたいというほどでは、ないですから」
「まあ、君らは本業が忙しいからね。アルバムのリリースペースも、異様に短いし。最初のモンスターアルバムから、たった一年八ヶ月で次を出してくるなんて、掟破りもいいところだよ。しかも、それもまたモンスターセールスだしね。若いのに、家族思いでも有名だし。おまけに君は几帳面な性格のようだから、いい加減なものは作りたくないのだろう。わかるよ。でも、出来ないことではないかもしれないよ。一度の休暇でやろうとせずに、二回に分けるとかね。最初のオフでメンバーの人選や構想を練って、次の休暇で録り上げる。その間に少しずつマテリアルを書き貯めておけばいいしね。もしやるなら、僕も協力しても良いよ。プロデューサーとかエンジニア、それにセッションミュージシャンの良いのを、紹介してあげようか」
「え……ええ?」
「おっと、お節介すぎるかな? 別に誰かから君のソロを作らせろと、けしかけられたわけではないんだよ。僕には、そんな義理はないからね。それはきっと君にとって、いい結果になると思うからだけなんだ」
「ありがとうございます。そこまで言ってくださって」
「いやいや、礼には及ばないよ。まあ、君にその気があったら、僕に声をかけてくれれば、本当に紹介してあげるよ。多少は人脈があるからね。君ももっと人付き合いを良くして、業界の人脈をきちんと確保しておいた方がいい。君たちは今まで一度も、業界人や同業者、マスコミを呼んでの大きなパーティはしたことがないらしいね。そういうのに出たこともないと聞いているし。でもこの業界では、パーティは必要な営業なんだよ。売れているうちはそういう営業活動をしなくても、ある程度向こうの方から寄ってくるが、そういう連中は離れて行くのも早い。少しでも落ち目になろうものなら、あっという間に手のひらを返して去って行く。だから付き合いというものが、必要なんだ。カールも、どうもそのへんが下手でね。この業界は、才能だけで渡っていける世界ではないんだよ。だから彼もバンドを抜けた後、結局うまく行かなかったんだと思うよ。彼はプロモーションが苦手だったしね。そのあたりは、ずっと僕がカバーしていたんだ。だがソロになって、ろくにプロモーションもこなせなかったら、成功しようがないだろう。それに、たとえ自分のバンドが成功しなくとも、セッションミュージシャンやギタースクールのコーチとして生きていく道もあったんだ。彼は充分に、実力はあったからね。だが、人付き合いが下手で、プライドが高い性格が災いしたようだ。君もどうも、同じような匂いがするんだな。礼儀正しいんだが、真面目すぎるようだ。カールと同じで、育ちが良すぎるのかな」
 たしかにそれは正論だろうし、僕のためを思って言ってくれているのだろうとは思う。でも、ずいぶんきつい言いかただ。それにどことなくからかっているような、もしくは軽蔑しているような、いやなニュアンスも感じてしまう。
 パーティは必要な営業か。しかし売れている間は擦り寄ってきて、落ち目になったとたんに去って行く連中なんて、パーティや接待などでつなぎとめておく価値などないのではないか、そうも思ってしまう。バンドでは社交的な方であるエアリィやジョージでさえ、『大きなパーティって、ちょっと騒々しすぎない?』『会社の営業みたいで気が進まないな』と敬遠しているくらいだ。ミックは『政治家になるのならパーティは不可欠だろうけれど、今はいいよ、遠慮する』と首を振り、ロビンは何をかいわんや、僕も似たようなものだ。結果的に僕らはパーティ嫌いでも有名になってしまっているが、必要性は感じない。今も。だから新年パーティと、ツアーの打ち上げパーティくらいしかやっていない。どちらも、参加者は身内だけだ。唯一僕らが主催し、外部の人が入ったパーティは、エアリィがプロヴィデンスに初凱旋した時、彼の友人知人を招いて行った同窓会的なものだけだ。営業ではない。
 僕は黙っていた。相手はあやふやな感じの微笑を浮かべ、微かに肩をすくめた。
「君とは、もっとじっくり話がしたいな。明日は予備日なんだろう? どうだい、僕の家に来ないか? 一緒に食事でもしよう」
「え……ええ。喜んで……」
 僕は頷いた。後半部分は社交辞令だ。本当は、さほどうれしくもなかった。でも断る理由を思いつかなかったし、せっかく誘ってもらったのに、失礼にもあたるだろう。
「三時に迎えを差し向けるから、ホテルの部屋で待っていてくれ。楽しみにしているよ」
 プレストンさんは微笑を浮かべると、背を向けて再びスタジオの中へ入っていき、僕はジミーと一緒にホテルへ帰った。もうかなり夜も更けていたので、ルームサービスで軽い夜食をとると、着替えてすぐにベッドに入ったが、やはりなかなか寝付かれない。

 もう十年くらい前になるだろうか。僕は彼らのファンになってから、あとで知ったのだが、ディーン・セント・プレストンさんとカール・シュミットさんとの間の確執による突然の解散は、かなりのセンセーションを巻き起こしたらしい。もともと彼らのバンドは、音楽的には典型的なツートップ型だったが、人気はプレストンさんのほうがあった。カール・シュミットさんには根強いファンがいたが、容貌的には普通で、少し地味な印象があり、プレイも繊細で玄人好みだったせいもあるのだろう。でもシュミットさんは温厚な人だったようだ。貴族の末裔の血筋で、育ちも良かったという。プレストンさんは中流階級の出身で、二人は同じ私立小学校に通い、そこで知り合った。そして高校在籍中にバンドを結成し、結成四年目でメジャーデビュー。その後、順調に栄光への階段を上ってきていた。バンドの絶頂期に、二人は同じ女性に恋をしたようだが、彼女はカールさんと結婚した。その六年後、最後のアルバム制作中にカールさんが突然脱退し、バンドはセッションミュージシャンを入れてツアーをした後、解散した。
 1−2分裂。彼らの音楽を輝かせていたのは、プレストンさんとシュミットさんの音楽的なせめぎあい、二人の力の調和と緊張だった。それゆえ、その片方を失ったバンドに以前の魅力はなくなってしまったことを、プレストンさんは本能的に知っていたのかもしれない。アルバムのツアーはもうブッキングされていて、キャンセルをすると莫大な違約金が発生するためだろう。ツアーはやむなく敢行したが、それを最後に彼らのバンドは、レコーディングアーティストとしての十四年の歴史に、幕を下ろした。その後プレストンさんはソロになり、ドラマーの人は引退して、実家が経営している店を継いだらしい。シュミットさんの方は、ベーシストのマーティン・ローグマンさんと新しいバンドを作ったが、うまくいかなかったことは、プレストンさんも言ったとおりだ。
 僕はカールさんの新しいバンドの作品を入手するのに、かなり苦労した。いくつもレコード店を回り、ある中古販売店でようやく見つけたのだが、最初のアルバムは二ドル、二枚目のインストアルバムに至っては、一ドルを切るという捨て値で売られていた。僕はそれをレジに持って行きながら、やっと見つけた喜びと、その値段に対する切なさで、複雑な気分になったものだった。あとで資料を調べたら、最初の作品はビルボードで最高七三位、二枚目は一五四位、どちらもすぐにチャートから消え、市場的な大失敗は明らかだった。元のバンドは、必ずトップ5には入っていたのだから。
 作品自体は、とても良かったと思う。ただ、やはり地味さは否めず、繊細な、まるでペン画のようなプレイが僕は好きだったのだが、市場へのアピールには乏しかったのだろう。彼のプレイが生きるのは、プレストンさんの“華”と個性があったからこそなのだということを、僕ですら感じたものだった。それが、バンドのマジックだったのだろう。そのマジックを壊したのは、カールさんのプライドだったのか。彼がそのプライドを、長いこと押さえつけてきたせいなのか――。
『ギタリストは自意識が強い人が多いよ。同じように、シンガーもたいてい自意識が強い。それゆえ、ぶつかりがちになるのだろうね』
 去年のレコーディング時、ローレンスさんがロブにそう言っていたことを思い出した。あの時ローレンスさんは、僕のプライドが傷ついていないか、気にしていた。プライド――僕はそれを持っているだろうか。去年の秋のツアーでも、ジョージが言っていたっけ。『ジャスティンのプライドは……俺はあると思うぜ、絶対に』と。
 プライドを誇りと自負心とするなら、僕にもきっとあるだろう。僕は自分の属するバンドに、その中での自分の役割に、誇りと満足を持っている。それはたぶん、ジョージたち三人と、同じ種類のものだろう。『人間、誰でも自分が王様になりたいものさ』と、プレストン氏は言っていたが、僕のプライドは違う。自分が一番になれなくて悔しいというのは、プライドじゃなくてジェラシーだ。僕は嫉妬なんてしていない。
『ギターヒーローが他人の引き立て役なんて、そんなことがあるかい?』
 プレストンさんはそうも言ったが、僕はそんなつもりは毛頭ない。僕はエアリィの引き立て役でもないし、家来でもない。僕らは前線のパートナーだ。昔からそうだったように。以前と違う点は、対等に彼と渡り合えなくなったことだけだ。
 でも、それは本当に対等でなくなっただけ、ですまされることだろうか? 対等でないなら、パートナーとはもう言えないのか? そう、あの時、ローレンスさんも言っていた。もう僕たちに、1−2分裂を仕掛ける意味はないと。今の状態で2を離反させても、意味はない。僕たちは、プレストンさんとシュミットさんのように、対等なパートナーでは、もうないからだ。
『あなたが抜けたところで、仕方がないでしょう。多少は痛手かもしれませんが、バンドはモンスターとして存続しますよ。彼がいる限りは』
 一昨年の暮れ、僕に卑劣な脅迫を仕掛けてきた妨害者が言っていた。それは僕にとっては苦い認識、そして事実だ。僕は我知らず、深くため息をついた。
(しっかりしろよ、ジャスティン・ローリングス。おまえはどうかしているぞ。あの人の言葉に惑わされてどうするんだ。自分の足下を見失うな)
 惑わされてはならない。バンドの真実を見失ってはならない。僕たちはたしかにもう対等なパートナーではないが、バンドの音楽を築くために、お互いに不可欠なエレメントだ。僕が抜けたら、エアレースはもう同じものにはならない。ジョージやミックやロビンも、それは同じだ。バンド全体を百とするならば、エアリィだけで百すべてではない。彼はたしかにバンドのエンジンで中心で、今の状態に引き上げている原動力ではあるが、そして彼のバンドに占める割合は、客観的に見積もれば八五、いや九十はあるだろうが、でも百ではない。僕たちは残りの十を担うことに、誇りを持つべきだ。それは引き立て役とかそういうものではなく、百になるために必要不可欠なパーツだ。バンドの栄光は、みんなの栄光だ。僕たちみな、ずっとそう信じてきたように。
 僕たちは民主的なバンドだ。それぞれの意思を持ち、それぞれに全力を尽くして貢献している。自分の意見が通らなくて悔しい思いをしたことは、セカンドアルバム製作時、それだけしかない。みんな対等に自分の意見をいう権利があるし、現実に実践されてきている。一番おとなしいロビンでさえ、バンドの音楽に関しては、はっきりと意見を言うようになった。最終決定は、全員の納得がないとなされない。それがエアレースの不文律だ。僕は今の現実に、何も不満なんてない。
 やっと安心できる答えを見つけて、僕は眠った。

 翌日、約束の時間まで、テレビを見たり本を読んだりして時間を潰し、迎えを待った。退屈な時間だった。招待されたのは僕だけだったので、ジミーは現地の友人と過ごすべく、僕が起きて朝食を済ませるのを待って、出かけてしまっていた。
 今日は雨だ。どんよりした雲が空を覆い、窓から見える景色は憂鬱だった。あの人の家に行くより、予定を一日繰り上げて、今日トロントへ帰りたかったな、そう思わずにはいられなかったが、それこそ僕の“つきあい嫌い”の証明だと思われるのも、しゃくだ。
 午後二時半を過ぎると、僕はため息をつきながら着替えをした。正式の食事会なのだから、あまりラフな格好では、まずいだろう。また昨日のように、嫌みを言われたくはない。
 トランクからクリーム色のドレスシャツと金茶色のベロアでできた細身のパンツ、ボトムスと同じ色の縁取りがついた、同じ素材のダークグリーンのジャケットを取り出した。
「ちゃんとした服装も、一つくらい持っていったほうがいいわ。必要になることもあるかもしれないから」と、ステラが持たせてくれたものだ。専用袋に入れ、トランクから吊り下げるような形で納められている。本当はホテルに着いたらすぐにトランクから出して、クロゼットに吊るしておくべきだったが、おかげでそれほどしわにはなっておらず、ベロア素材のせいか、あってもほとんど目立たない。
 妻の心配りに感謝しながら、着替えを済ませると、仕上げに濃いオレンジ地に緑と金色の細いラインの入ったネクタイを締めた。靴は、茶色の革靴にした。コートはまだ十月なので薄手のものしか持ってきていないが、車でホテルの前まで迎えに来てくれ、帰りもここまで送ってくれるらしいから、要らないだろう。食事の時邪魔にならないよう、髪を緩く後ろにまとめてから、クロゼットの鏡でざっと全体をチェックした。調和は悪くないが、あまり僕らしいとは思えない。プレストン氏は、「ほう、そういう格好も、よく似合うね」と、比較的満足してくれたようだったが。

 ロンドン郊外にあるプレストン邸は、まるでお城のように広かった。敷地的にはエアリィのリッチモンドヒルの家のほうが少し広いが、ここも一エーカー半くらいありそうだ。その中心に、壮麗な建物がどんと建っている。中は二十部屋くらいありそうな感じだ。霧雨の降る肌寒い日だったが、家の中はぽかぽかと暖かい。相当に暖房をきかせているのだろう。プレストン氏も昨日とは違う紫絹のブラウスに、銀灰色のサテンパンツとおそろいのロングベストといういでたちだ。ネクタイはつけず、胸元のボタンが二つほど空いていて、胸毛が見えている。僕もすぐにジャケットを脱いだ。暑くて、とても着ていられない。
 家の中も贅を尽くしていた。最初に案内された広いパーラーには、アンティーク調の家具や革張りのソファ、表面に象眼を施した黒檀のテーブルが置かれ、天井には手の込んだ巨大なシャンデリアが下がっていた。壁に飾ってある絵は、どうやら有名な画家の真作らしい。毛足の長い、ふかふかした赤いビロードの絨毯と、どっしりとした模様織りの、シルバーグレイの絹のカーテン。飾り棚にずらりと並んだ高級陶器や酒。ジョージとロビンの実家であるウォールナット・フィールドもこんな感じだが、プレストン邸の調度は、まるで見せびらかしているかのように映る。
「僕は浪費家なんだよ。金なんて、持っているよりは、使った方がいいんだ。その方が、世の中の役に立つっていうものだよ。特にイギリスは税金が高いからね。僕の稼ぎは、ほとんどこの家とロスにあるもう一つの家につぎ込んだんだ。去年離婚した元女房に、ロスの家は持っていかれたがね」
 プレストン氏は黒い革張りソファに腰を下ろすと、家政婦さんに持ってこさせた食前酒のグラスを取り上げ、含み笑いをした。
「奥さんって……たしか、もとモデルさんでしたね」
 僕もソファに座り、グラスを取り上げた。バカラの薄いグラスに入った極上のシェリー酒の中に、さくらんぼが一つ落としてある。
「そうさ。かつてアメリカでトップモデルだった。いやいや、連れて歩くには良いアクセサリーだったが、気位が高いうえに金のかかる、とんだ贅沢品だったよ。絹のドレスだ毛皮のコートだシャネルのハンドバッグだダイヤの指輪とネックレスだと、湯水のように金を使って飾り立てた上に、別れるとなったら、さらにまた莫大な慰謝料が必要だとはね。慰謝料をもらいたいのは、こっちの方だというのに」
 彼は酒を飲み干すと、穏やかに肩をすくめた。
「このCD不況になる前に、とりあえず我々のバンドはトータル五千万以上を売り上げられたから、僕もこれだけの暮らしができているわけだが、今の時代は難しいよ。アルバム制作が金にならない。ああ、君たちは完全な、今や唯一の例外だろうがね。最初のモンスターアルバムと、去年の秋の第二弾で、トータル七千万に届きそうだというじゃないか。まったく、恐れ入ったね。去年のツアーのライヴDVDも、二千万枚以上売り上げているらしいし。ストリーミングやダウンロードも桁外れだと。まったく、今や市場は君たちの一人勝ちだね。相当稼いだのだろう?」
「ああ……まあ、たしかに、もうお金には困らないくらいにはなりました。ありがたいことに」
 僕は頷いた。それは事実だし、否定はできないと思ったからだ。
「君たちはデビューして五年と聞くが、今、原盤権比率はどのくらいなんだい? ロードのギャランティーと、その比率も教えてくれ」
「今は十八パーセントですね。それで、マネージメントと半分半分です。契約更新までは、十五で、六対四でした。ギャランティーは最新のツアーで八十万、僕らのギャラは、その一割ですね」
 僕はつい、ありのままにそう答えてしまった。
「それは……マネージメントに搾取されすぎじゃないか?」
 プレストン氏は少し顔をしかめた。
「そうですか……?」
「そうだよ。本当に、君たちは世間知らずなんだな。マネージメントは笑いが止まらないだろう」
「そうですか? 僕はすごく好待遇だと感じたんですが。最初マネージメント側の比率が六だったのは、制作費のアドバンス超過分を請け負ってくれたからだし、実際セカンドの時点では、マネージメント的には、かなり赤字になったと聞きます」
「ふん。ロムネルなんて使うからだ。あいつは無駄にギャラが高いが、いい仕事をしたのは最初の何作かだけだ。無駄にプライドも高いし、ろくなもんじゃない」
 その意見に反対する気は、まったくなかった。あのプロデューサーと組んだセカンドアルバムは、僕らの黒歴史なのだから。
「それに、その後三枚目がとんでもないモンスターセールスになって、マネージメントも恐ろしくがっぽり儲かったんだろう。おまけにライヴのギャランティーの九割もマネージメントに取られるなんて、ひどい話じゃないか」
「そうですか? でも、ロードのプロダクションや経費はみんなマネージメントの負担だから、そのくらいは必要だと思うんですが」
「甘いよ。君らのステージプロダクションに、そんなに金がかかっているとは思えないな。最近はどこもエスカレート気味だが、君たちはそれほど派手な装置やギミックを使うわけじゃないと聞いているが」
「でも、スタッフの人件費もありますし、宿泊とか食事とか――まあ、会場のケータリングは主催者持ちですが、それ以外は、マネージメントが出しているわけですから。僕たちも、できるだけスタッフやクルーには、良い環境で働いてもらいたいし、忙しくて大変な思いもしているのだから、それに見合った報酬も受け取ってもらいたいんです」
「スタッフやクルーは、たいがい労働は大変、でも給料は安いというのが、業界の常識だよ。彼らもそれがあたりまえだと思っている。元々この業界が好きで、しかしミュージシャンにはなれなかった連中なんだ。業界に関われている事だけで喜んでいるから、待遇なんて悪くても、さして不満には思わないのさ」
「でも、それじゃ彼らに悪いです」
「やれやれ、今に業界中のクルーたちが、君たちと仕事をしたがるだろうな」
 彼はさかしげな微笑を浮かべ、肩をすくめた。
「まったく君たちは、お人よしだね。スタッフやクルーなんて、はっきり言えば奴隷だ。マネージメントもね。これをしたい、だからその調整をしてくれ、これだけで事足りるよ。たいしてマージンをやることもない。でも君たちはひょっとして、まだ若いからという理由で、マネージメントに大きな顔をさせているんじゃないのかい?」
「いえ……そんなことはないです。僕らの意見は尊重してくれますよ」
「尊重してくれる? そういう言い方をするところをみると、まだ君たちは主人になっていないんだね。驚いたなあ。君たちくらいの力があれば、もっと言うことを聞いてくれて、もっとマージンを取らない、良いマネージメントが、いくらでも見つかるだろうに。移籍する気はないのかい? レコードレーベルにしても、そうだよ。聞いたところでは、君たちは前作の大ブレイクのあと、契約がいったん切れたんだってね。だが会社側に是非更新して欲しいと頼まれると、君たちはなんら付帯条件も金も求めずに、あっさり再契約してしまったらしいじゃないか。まったく、どうかしているよ。移籍を匂わせて交渉すれば、向こうも必死でいろいろな付加価値を提供してくれただろうに。本当に欲がないんだね、君たちは。それとも、単に世間知らずなだけかな?」
「えっ、でも……マネージメントには感謝はしていても、不満なんかないですよ。最初から僕らを理解してくれて、わがままも聞いてくれたし、トラブルが起きた時も、できる限りのサポートをしてくれました。それにレーベルだって、今までお世話になっているんだし、特に不満はないです。変わる理由もないし、更新してくれるなら、それにこしたことはないと思って……更新条件は良かったですし、原版権レートも上がりました。今はとても大事にされていると感じています」
「それはそうだ。大事なドル箱だからね。でも、連中を信用しない方が良いよ。売れているうちは良い顔をしていても、売れなくなったらポイだからね。まあ、でも君たちくらい売れれば、もう生活の心配はしなくても良いだろうがね。君だって、相当稼いだんだろう? いや、あれかな、あの子にみんな持っていかれたかな?」
「あの子って……アーディス・レインのことですか? たしかに配分は一番多いですが。僕らの倍以上はありますから。でも全体で見れば、四割くらいですよ」
「四割? だってほぼ、あの子の作詞作曲だろう?」
「ええ。まあ、そうなんですけれど、原版権分は等分なので。著作権料にしても、全部彼にいっているわけではないですから。全体の七割くらいですよ。最新作はそれよりほんの少し多いですが。一曲、彼の完全単独クレジットになったので」
「驚いたな。ほとんどの曲を作詞作曲しているなら、ほぼ全部いってもおかしくないと思っていたが。それに原版権も等分ということは、まさか五等分なのか? いったい、どういう配分方法なんだい、君たちは?」
「ええ、ですから原版権のうち、僕らの取り分は、メンバー五人できっかり五等分しています。アドバンス分は抜いて。著作権の方は、そうですね、前作はアーディスが全体の七割、去年の秋の新譜で七割二分。僕はその残りのうちの半分。だいたい一曲くらいは、彼との共同作曲なので。あとは他の三人が分けています」
「なんだって? それでは、おのおのの貢献度は、まったく考慮していないのかい? メンバー全員が同じように貢献しているわけじゃないだろう? 常識はずれも良いところだ。著作権も、さっきも言ったが、ほとんどの曲を作っているなら――少なくとも九割以上はないと、変ではないかい?」
「厳密に言えば、そうかもしれませんが、著作権にはアレンジが入らないので、その分を作曲に組み入れて、そういう配分にしているんです。僕らは作曲と編曲の線引きを、歌メロと曲構成は作曲、それ以外は編曲、と決めているから。インスト曲は別ですが、今の状態では、ほとんど作曲の範疇をアーディスがやっているので、いわば編曲を担当している、僕らインストの貢献度が入らなくなってしまう。だから、著作権料の四分の一を、編曲分にしているんです。それに原版権については、僕ら五人みんなが、同じように貢献しているんだから、同じで当然だって、僕らは思っているんです。だから、コンサートのギャラも等分ですし」
「それで、あの子は文句を言わないのかい?」
「いいえ、全然。彼もそれがあたりまえだと思っているようだし、逆に著作権料の上積みが彼だけ多くなってしまうから、いっそのことバンド名義にして、そっちもみんなで五等分すれば良いのに、なんて言っていたくらいですから。僕らインストの四人が、それは承知しませんでしたが。そこまでやってしまうと、完全にただ乗りしているようになってしまって、僕らもあまり気分が良くないですし。プライドかもしれませんが。彼にはただ、気にするな、自分の権利はちゃんと主張しろ、とだけ言いましたが」
「あの子は聖人かね。いや、よっぽどの偽善者なんだね、きっと」
 プレストン氏はあきれたように肩をすくめた。
「エアリィは偽善者じゃないですよ」
「僕は信じられないね。本物の聖人なんて、いやしないと思うからね」
 それは、あなたが彼を知らないからだ。自分の尺度だけで、すべての人間を測るのは間違いだ。自分が物質至上主義だからって、みんながそうだというわけじゃない。まあ、実際はほとんどの人間がそうなのだろうが、例外はある――そう言おうとしたが、今の僕の立場でそこまで言うのは、失礼だろう。
「まあいい。ともかくそれなら、君もかなりもらっているんだね。少なくともあとの三人よりは、少し多い取り分があるのだろう」
「そうですね。一枚あたりの差は他の三人と比べても、そんなに多くないですが。数セントの差ですから。でも枚数が多いので、トータルでは、かなり多くなりますけれど。あと、シングルの売り上げに関しては、カップリング曲がインストのアルバム没曲だった場合、アーディスより僕の方が、印税が多くなったりすることもありますが、それだけですよ」
 この人は、どうしてそんなことを根掘り葉掘り聞くんだろう。それをバカ正直に答えている僕も僕だという気がするが。
「それは表題曲とカップリング曲を同じ配分で割り振るせいだね。今時、そんなことをしたら、揉めて大変だろうに。まあ、シングルだと、今はそんなに枚数は出ないだろうから、まだ許せるのかな」
 彼は肩をすくめ、ニヤっと笑って言葉を継いだ。
「それなら、かなり稼いだわけだね、君も。でも、そのわりに暮らしぶりは派手じゃないんだね。着ているものだって、こう言っちゃ何だが、極上等というわけではないようだ。まあ、今日の服はそこそこ良さそうだがね。どこのブランドだい? ……ヴェルサーチか。まあまあだね。でも、いつもは昨日のような格好なんだろう? 贅沢をしないのかい? それとも、貯めるのが好きなのかい?」
「いいえ。別に貯金が好きなわけじゃないんですが」
「じゃあ、何か大きな買い物はしたかい?」
「ええ。最大の買い物はトロントにスタジオを作ったことです。リハーサルとミックスダウン用に。あと練習用のスタジオもいくつか作って、アマチュアの人たちに安く開放しようと。これは、バンド全員で費用を出したんです。それぞれの収入配分に応じて。僕個人としては、バハマに別荘と、専用クルーザーを買ったのが大きい買い物ですね。あとは家の後ろの区画が売りに出たので、そこを買って、庭を広げました。でもそのくらいです。あまり派手に贅沢をしたいとは思いませんから」
 CDやDVDの印税として自分の口座に振り込まれてくる莫大な金額が、本当に自分のものなのか、なかなか実感できない。それが正直な気持ちだ。まだ二二才の世間知らずの若造には分不相応な富。そんな気分が拭えない。派手に贅沢をするのは成金趣味のようでいやだし、慈善事業や自然保護活動に寄付をするというのも悪くはないが、あまり表立ってやると、かえって売名行為のようで気が進まない。トロント市内に出来たビルの二フロアを買い取り、総額八百万ドルかけてスタジオを作った。僕もそれには自分の出資分として百四十万ドルを出した。それが最近の一番大きな出費だ。別に貯金するのが好きというわけではないのだが、結局それほど使い道のないままに僕らの管財人であるジャック・メイオール氏――レオナの兄でロブの元上司、そしてマネージメントの社長の友人でもある会計士さんに管理してもらっているというのが、現実だ。
「で、君はその会計士さんとやらが、信用できるのかい?」
 プレストン氏は聞いてきた。
「信用していますよ。言ってみれば、身内ですから」
「甘いなあ、まだ」彼は苦笑した。
「で、君たちは全員、その男に財産を管理してもらっているのかい? あの子も?」
「ええ。アーディスも大きい買い物は、自宅とセカンドハウス、それに軽飛行機と、限定版のフェラーリを買ったって言っていましたが。乗るには実用的ではないから、飾っておくだけらしいですが。あとはメイオールさんに管理を任せていますよ。それに彼は、僕も最近知ったんですが、福祉事業にかなり寄付をしているんです。ストリートチルドレンや虐待児の収容施設に。いくつかの大都市でそういう志を持った人が、そういう施設を作っていますが、そこにかなり寄付をしたという話でした。僕も完全に匿名に出来るのなら、そうしたいんで、少し手伝わせてくれって、彼に頼んだところなんです」
「そうか、慈善事業に寄付とはね。不幸な子供たちの救済か……」
「彼もかつて、そういう境遇にいたことがあるので。かつての自分と同じ、もしくはもっとひどい状態にある子供たちを助けたいという気持ちは、僕も凄くわかるんです」
 『Children〜』に収録された『Wild Rose』は、エアリィがストリートチャイルドになった時、雪の中で凍死寸前のところを助けてもらった娼婦さんの物語がモチーフになっているし、同じアルバムの『Through the Window』は、虐待男によって自室に閉じ込められていた時、その開かない窓から見えた外の世界との隔絶感を描いている。『Neverlands』は、ストリートチャイルドのリーダーだったダン少年の言葉がモチーフだ。そう、あのアルバムはかなり、そういったパーソナルな主題が多い。それゆえ、インタビューなどでほんの軽くではあるが言及することもあり、ある程度は公然の秘密なのだ。
 アーディスのその活動は、かつて路上で知り合った、『Neverlands』でも引用したダン少年の『生きて行くためには、人の情けなんか当てにできない』という言葉ゆえ――『みんなが生きてく権利を持ってるんだから、それは情けじゃなくて、必要なことなんじゃないかって思うんだ。経済的なことなら、今は出来るから、盗みとかしなくても、生きてけるようにしたいなって思う。それに、一人でも大人たちに傷つけられたり、殺されたりする子供を少なくできたらって』――その活動を僕らが知った時、エアリィは言っていた。僕も今後は、及ばずながら手伝うつもりだ。
「三文誌が喜びそうなネタだな。どうせ税金対策だろうが」
 プレストンさんは肩をすくめた。
「まったく、君たちは本当に、いやみなくらい優等生なんだな。その調子だと、酒も煙草も薬も女もまったくやらない、とまで言いそうだな。実際そういう評判を聞いて、僕は信じられなかったんだが」
 その言葉に少し苦みを感じて、僕は思わず相手の顔を見た。
「お酒は少しくらい飲みますけれど、酔っ払うほどじゃないです。あとは、やりません」
「おいおい、君たちは、それでもロックミュージシャンなのかい?」
「でも不道徳がロックの証だとは思えないんです、僕らには」
 僕は思わず、そう言い返してしまった。
「不道徳が、かっこいいとは思いたくないです。身体のためにだって良くないし、精神にだって……」
 僕は口をつぐんだ。同じあこがれの人でも、この人はローレンスさんとは、ずいぶん感じが違うし、考え方も合わない。でも、ともかく彼らのファンだった僕が、さらにキャリアの点では彼らより遥かに後輩の僕が、しかも相手にもてなしを受けておきながら偉そうに議論をするなんて、あまりにも失礼だと思えた。実際、相手の顔には少し気分を害したような表情が、一瞬だけではあるが現れている。しかし、彼はすぐに笑みを浮かべ、再び肩をすくめていた。
「まあ、人には人の考え方があるからね。それに君たちに影響される若者が何千万といる今、その君たちが不健全じゃ、ひんしゅくを買ってしまうだろうからね。大変だね。僕はそんなたいそうなこととは縁がないが。僕は今、完全な自由の身だ。やっかいな女房もいないし、ファンの妙な期待に縛られることもない。半年か一年くらいしっかり働いたら、その金がなくなるまでは、ゆっくりしたいね。気が向いたらお気に入りの子を呼んで、食べたい時に好きなものを食べ、飲みたい時に飲み、眠りたい時に眠って、誰にも煩わされず、自由気ままにね。君らだったら、そんな暮らしは怠惰だとか言うかもしれないが、僕には結構心地が良いんだよ。この家には僕の他には飼い犬のファングと、料理人と家政婦と運転手しかいないんだ。料理人と家政婦は五十を過ぎた中年夫婦で、運転手はその息子だ。面白味のない連中だが口は堅いし、信用もおけるからね。それに腕もたしかだ。さあ、とにかく食事にしよう。もうお腹がぺこぺこだ」

 案内された食堂のテーブルには、真っ白いレースのテーブルクロスがかかっていて、金の燭台にろうそくが燃え、ベネチアグラスの器に活けた、みごとなランの花がこんもりと飾ってあった。クロスの上に、極上の食器に盛られた料理がずらりと並べてあったが、その多いこと、僕は思わず圧倒されてしまった。こんなにたくさんの料理が一度に並べてあるのは、みなが集まるパーティくらいでしか、お目にかかったことがない。フォアグラやキャビアなど珍味のオードブル、かきのクリームスープ、詰め物をしたチキンの丸焼き、ヒラメのムニエル、メロンと生ハム、グリンピースとベーコンのいためもの、レタスのサラダ、サーモンのマリネ、魚介をふんだんに使ったパスタ、きれいに盛られたカットフルーツ、カスタードパイにフルーツケーキ、淡雪のようなゼリー、焼きたてのパン。これで、本当に二人分なのだろうか。
 朝しか食べていなかったので、僕もかなり空腹だったが、見たとたんに、お腹がいっぱいになってしまったような気分がした。それでも出来るだけ食べた。イギリスは食べ物がまずいと言うが(実際、今までハズレに当たったことは何回かあるが)、しっかりと味付けがしてあって、でもくどくはなく、どれもおいしかった。プレストン氏は盛んな食欲で、僕の二倍は食べている。給仕をしてくれる家政婦さんも、ちょっと無愛想ながら洗練された態度で、影のように控えていた。
 もうこれ以上入らないまで料理を詰め込むと、コーヒーを飲んだ。テーブルには、まだ半分近くも食べ物が残っている。
「ごちそうさまでした。本当においしかったです。ありがとうございます、こんなにしていただいて。でも、ずいぶん残っちゃいましたね」
 僕はカップをテーブルに置きながら礼を述べた。
「そうかい。それは良かった。でも、もう少し食べないかい?」
 相手もコーヒーカップを取り上げながら、微笑んだ。
「いいえ、もうどこにも食べ物の入る場所は、ないですよ」
「そうかい。君は小食だね」
 小食だって。これでも全部の料理を賞味して、普段食べている量の倍は食べたというのに。こんなに食べたのは、初めてなくらいだ。
「僕は食べることが楽しみでね」
 プレストン氏はカップを片手に、言葉を継いでいた。
「若い頃は、あまり太らないようスタイルに気を使ったものだが、この歳になると、もう開き直りさ。ルックスでは、若い子にとうていかなわないからね。あまりに巨漢になってはみっともないが、まだこのくらいなら、押し出しが良い程度ですまされるだろう?」
「ええ……そうですね」僕は笑顔で頷いたが、内心では(そうかなあ……?)と、首を傾げている。
「残った料理は使用人たちが食べるさ。それとファングとね」
 彼は料理をおおざっぱに皿に盛ると、足下に座っている大きな黒いレトリーバー犬に与えながら笑った。この犬はおとなしいが、あまり愛想のない感じで、僕が部屋に入った時からさっきまで、床でまどろんでいた。が、餌がもらえそうだとわかると、いつの間にかのっそりと近づいてきて、待っていたのだ。
「こいつはいい奴だよ。決して裏切らないからな」
 彼は犬の頭を撫で、呟くように言った。

 やがてマントルピースの上にかかっている手の込んだ美しい鳩時計が、六時を告げた。切り上げるには、良いタイミングかもしれない。僕は立ち上がった。
「今日は、どうもありがとうございました。すっかりご馳走になってしまって。本当に素晴らしい料理でした。それに、とても立派なお宅ですね。今日は、楽しかったです」
「もう帰るのかい? じゃあ、車で送っていくように運転手に言っておくよ。それから、君の上着を取ってこよう」
 プレストン氏は立ち上がって、食堂を出ていこうとする。
「えっ、そんな。あなたが手ずからとって下さるなんて……」
 てっきり使用人にやらせるだろうと思っていた僕は、意外な感じとともに、恐縮した。考え方や価値観はまるきり違うが、案外この人は良い人なのかもしれない──そんなことさえ思った。
 プレストン氏はパーラーのハンガーポールにかけてあった僕のジャケットを取ってくると、近づいてきた。着せかけてくれるというのだろうか? 彼はふわりとジャケットを広げ、僕の肩口にかける。と、何かが後ろから首筋に押し付けられた。
「────!!」
 瞬間、激しいショックを感じた。まるで雷に撃たれたようだ。衝撃で身体が前に飛ばされた。声を上げる余裕すらない。体が激しく痺れる。動けない。僕はたまらず、うつ伏せに床に倒れた。と、誰かが(他には誰もいなかったから、プレストン氏だろう)僕のシャツをつかみ、乱暴な動作で体を反転させた。視界に、その顔が入ってきた。にやにやとした笑いを浮かべ、右手を振り上げる。その手に何か握られていた。黒いなにか、その先に青白い火花のような、電流のような線が見える。スタンガンだ――彼は手を振り下ろし、僕の右肩の下、胸の上あたりに、それを押し当てた。再び激しい衝撃と痛みに見舞われ、僕は思わず叫んだ。しかし、声にはならなかった。身体が激しく痙攣するのを感じた。最初の衝撃も、これだったのだろう。上着をとりに行って、僕に着せかけようとしたのは、武器を隠し持っていることを悟られず、僕に近づくためだったのか。でも、なぜ――なぜこの人は、こんなことをするんだろう──。
「効くんだね、これは。なかなか面白い」
 プレストン氏は残忍な笑みを浮かべた。スタンガンのスイッチを切り、ベストのポケットにねじ込むと、僕の髪をつかみ、ぐいっと引っ張った。髪が引っ張られる痛みを感じたが、どうしようもない。
「動けないだろう? そう、五分くらいは、ビリビリして動けないはずだ。どうだい、くらった感想は?」
「あっ……」
 僕はかろうじて声を搾り出した。でも、ほとんど声になっていない。
「どうして、なん、ですか……なぜ……?」
「まあ、君に直接恨みがあるわけじゃないんだがね。でも僕は、君のことが好きじゃないんだ」
 彼はにやりと笑い、僕の髪から手を放した。束ねておいた髪がほどけて、垂れ下がるのを感じると同時に、頭も床に落ちた。でも幸いふかふかの絨毯の上なので、あまり衝撃は感じなかったが。
「いい眺めだね。さっきまで僕に、生意気に偉そうに話していたけど、今はこのざまだ。君のような優等生は、本当にうんざりだ。イライラする」
 彼はポケットに手を突っ込んだ。まさかもう一度、テイザーで撃たれるのだろうか――思わずぞっとすくみ上ったが、どうしようもなかった。しかし、彼が取り出したのは別のものだった。そういえばスタンガンを突っ込んだのとは、別のポケットだ。それは黒くて平たい、小さなケースのようなものだった。
「そんな優等生に、ご褒美を上げよう」
 プレストン氏は床に投げ出された僕の左腕を持ち上げ、カフスをはずして、シャツを捲り上げた。そして僕の腕を自分の膝の上に置いたまま、床に置いたさっきの黒いケースを取り上げ、中から何かを取り出した。小さなアンプルと注射器――彼はアンプルのふたを開け、注射器の針カバーを外してその中に突っ込み、中身を吸い上げていく。
「!」──なんの注射だ!? 恐怖と不安に僕はぞっとすくみあがり、必死に逃れようともがいた。だが、身体が動かない。強い痺れが自由を奪っている。
 プレストン氏は膝の上に置いた僕の腕を左手で押さえ、右手に注射器を持って、剥き出しの腕に近づけてきた。僕は思わず震え、抵抗しようとした。ああ、でも──身体が動かない。
「心配ない。毒じゃないよ。うんと気持ち良くなる薬だ」
 彼は僕の腕に注射針をつきたてた。ピストンが押し込まれ、中の液が体に入りこんでくる。まもなく、僕は体中の力が抜けるような、心地よい脱力感に見まわれた。まるで重力も消えたような感覚で、ふわりと浮き上がり、そして柔らかく沈み込むような、そんな気分だ。それからゆっくりと、果てしなく沈んでいく。頭の中にだんだんと白いもやがかかっていくようだった。電撃のしびれが消えかけても、身体はほとんどいうことを聞かない。重く、だるく、何をする気も起こらない──。
 あっ、これはきっと、ドラッグだ――そう悟った瞬間、けだるい快楽に押しつぶされそうになっていた心にかろうじて残っていた理性が、悲鳴を上げた。冗談じゃない、いやだ! だが、けだるさはどんどん強くなる。頭の中が激しい陶酔でしびれていく。もう何も考えられない。このあと何が起ころうと、どうなろうと、もうどうだっていい。心の奥底には、あくまでいやだと叫びつづける僕がいる。でもそれ以上に圧倒的なけだるさと快感が、思考も意識も奪い去っていくようだった。
(ごめん……ジョアンナ姉さん)
 ふと、そんな思いが湧いた。自分の意志に反してとはいえ、誓いを破ってしまったと。それが最後の理性の反抗だった。薄いラベンダー色のもやの中に、身も心も沈みこんでしまったようだった。




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