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春からは、新しいサイクルが待っている。三月の末になると、新しいアルバム制作のことを、たびたび考えるようになった。前作のとんでもないセールスをキープできるかということより、最大のプレッシャーは、もう一枚の『Childern for the Light』にならず、しかもそれと同等以上のクオリティを持った作品を作らなければならないということだった。クオリティ面の目標が達成できさえすれば、セールスという結果はあとからついてくるだろう。そんな自負があったし、仮にもしセールスが思ったほど伸びなくとも、アルバム自体に満足があれば、かまわない。
『Children〜』のモンスターセールスのおかげで、配給レーベルは最上級の待遇で、契約更新をしてくれた。関連収入が僕よりちょっと少ないミックやジョージ、ロビンでも、家と車を買って、派手に贅沢さえしなければ、三、四十年くらいは楽に生活できるだけのお金を手に入れている。だがクオリティ、それは大いに問題だ。『Children〜』は、奇跡の名盤だ。みんながそう思ってくれたからこそ、驚異的なモンスターセールスを獲得できたわけだが、逆に言えば、奇跡が二度続けて起きるだろうか? 前作ではすべての状況がプラスに働いて、あれだけの集中力とテンション、爆発力を生んだのだが。
プレッシャーは重くのしかかっていた。家族といる間はほとんど考えもしないが、ミュージシャンとしての自分に戻ろうとすると、次作に対する不安が頭をもたげてくる。いざ新作用の曲を書こうとすると、頭の中が真っ白になりかける。それでつい「もういいや」とばかりにギターをしまい、仕事部屋を出て、妻や子のいる安楽な世界、リビングルームへ向かってしまう。一週間ほどはずっとそんな調子だった。
(これじゃ、いけないなあ)
僕はギターを弾きながら、時おりため息をついた。
(でも、前作の曲を超えるものを作るっていうのは難しいよ。だって……)
考えてみれば、前作の収録曲は、ほとんどエアリィが作ったものだ。彼の目覚めた天分の爆発が生んだ曲だ。僕はただ、ついていっただけ。
「もう、次作もエアリィに任せた方がいいかな」
思わず声に出して言い、ペンをくわえながら苦笑した。でも、彼はプレッシャーを感じているだろうか。僕が感じた思いは、彼にも重圧になっているだろうか? 初めてプロとしてのステージを踏んだ時『プレッシャーってどんなの?』と、あっけらかんと言っていたエアリィのことだから、重圧に苦しむなんていうことは、あまりありそうもないだろう。でも、前作の爆発力を繰り返すことができるだろうか? モンスターの目覚めというエッジから再生したあの異常なテンションの高さは、今回は望めないだろうし――。
僕も精一杯やろう。エアリィがどうであれ、自分自身でもベストを尽くさなければ。僕は気をとり直して、ギターを手にした。うまく行かなくとも、毎日二時間だけは努めてみようと。努力の末、なんとか納得の行くものが二曲だけ作れた。結果的に一曲はアルバムに収録され、もう一つはシングルのボーナストラックになった。
四月に入ってまもなく、休暇は終わった。プリプロダクション作業のために、去年同じ作業をしたあの練習所(今年に入ってからマネージメントが買い取ったようで、優先的にいつでも使えるらしい)、そこに集まる時がやってきたのだ。
現場で顔を合わせた時、ミックやロビン、ジョージはかなり緊張した面もちだった。僕もそうだろうと思う。気にしないようにとはいっても、やっぱり気になってしまう。このアルバムがどういう出来上がりになるかが。
でも、そんな気負いは最初だけだった。エアリィが前作と同じようなペースで、突っ走ったからだ。彼はオフ中に二曲を書き、スタジオ入りしてからは、僕らとの合同セッション最初の四日間で、三曲書いた。その後も僕らのアレンジ作業をときおり見学しながら、ポンポンと追加を出してくる。最終的には二週間で、アルバムに必要なマテリアルが揃った。今回は長めの曲が二、三あったので、全部で九曲だが、そのクオリティは前作と比べても、一歩も引けを取らないものばかりだ。
いきなりそれだけの課題を出された僕らインストの四人は、曲を最大に生かす演奏とアレンジを見つける、その作業に追いまくられた。余計なことなど、何も考えられない。僕が(おそらくミックやロビン、ジョージも)気をつけていたのは、前と同じようなパターンを使わないこと、それだけだ。
五月の半ばにプリプロダクションが終わり、デモが出来上がった時、僕は身体の底から、深いため息をついた。この感覚は、前作のプリプロダクションが終わった時と同じ。そう――前回と同じ。試行錯誤を重ね、求める音楽を見つけた。その深い満足感と、そこに至る長い道のりで費やされた、精神的消耗感。作業の間も、その空間を支配していたのは、同じテンションの高さと集中力だった。気負いやプレッシャーは、いつの間にかなくなっていった。そして出来上がったものは、前作をさえ上回りそうな楽曲群たちだ。
ケベック地方の高原にある、Swifterのセカンドハウス兼プライベートスタジオ、ラセット・プレイスでレコーディングに入ってからは(五月下旬から六月までの夏のシーズンを占領することになり、申し訳なかったが、三人の遺族の方たちは快く了承してくれた)、作業は前回と同様に、ぐんと軽くなった。前回のモンスターセールスで制作費にも余裕ができたため、たっぷり賃貸料を渡すことも出来、かつてそこで料理人をしていた人に、再びお願いすることも出来た。そのために、ビッグママとはプリプロダクションまでしか、一緒ではなかった。僕にとっては少々寂しかったが(ほかの四人も同じようなことを口にしていた)、ロブだけは『やれやれ、やっと母さんと離れられた』と、ほっとしたような面持ちで言っていたものだ。
今回はレコーディング途中で一曲、新規に出来た。レコーディング作業もあと三曲になった六月半ばのある日、僕らは新しい曲の録音に、取りかかる予定だった。その前に食堂で、ローレンスさんとロブも交えて朝食をとっている時、エアリィが僕らに言ったのだ。
「レコーディング、もう終盤だけど、もう一つ曲が出来たんだ」と。
「新曲か? いつ作ったんだ?」僕は問い返した。
「昨夜、っていうか、寝てる間かな」
「寝ている間に出来たのか?」
ジョージは呆れたような口調だった。
「そう。夢なんだよ。明け方に見た夢なんだ。最初に電話が鳴ってて、それを取ったら声がするんだ。英語じゃない、どこかの別の言葉で。そのとたんに窓がばたんと開いて、別世界が展開するんだ。その夢ん中でBGMみたいに流れてた曲なんだ。それがすごく印象的だった。でも夢で聞いたのだから、ひょっとして人のかもしれないけど」
「そうか。じゃあ、食事が済んだら、とりあえず聞かせてくれよ。曲の長さはどのくらいだ?」僕はきいた。
「うーん、どのくらいかな。五分に少し足りないくらい、だと思う」
「そうか。それくらいなら、ものによっては入るよ。まずは聞かせてくれないか」
ローレンスさんがそう言い、僕らはみな頷いた。
夢のモチーフが曲になることもあるから、決してバカには出来ない。もうアルバム用マテリアルは揃っているけれど、もし新しい曲が良いものなら、追加してみても悪くない。あまり長い曲だと、また調整の必要があるが、五分前後までなら許容範囲だ。ただ、聞いてみないと既成曲なのかオリジナルなのかも、わからない。僕を含め、その場のみながそう思ったようだった。
しかし、今はレコーディング終盤なので、プリプロダクションの時と違い、一つの部屋にすべての機材が設置されているわけではなかった。スタジオ部にはコントロールルームをはさんで、大小二つの部屋があるが、ドラム、ベース、ギターは大ホールに、キーボードとヴォーカルマイクは小ホールにセットされている。もし新規曲が採用なら、アレンジ作業で、もう一度大ホールに楽器を集める必要がある。
朝食が終わり、三、四十分ほど食休みをしたあと、僕たちは食堂を後にした。
「とりあえず、セットしなおしたあとで没だったら、また手間かかるから、ここでいいよ」
エアリィはラウンジで立ち止まり、あたりを見まわした。
「でも、アカペラもちょっとあれだから、何か伴奏できるものないかな……」
「アコースティック・ギターなら、そこにあるぞ。でもおまえ、弾けるか? 僕が伴奏しても良いが」
僕はラウンジの隅に置いてあったアコースティック・ギターを取り上げ、チューニングを確認した。これは僕のものではなく、元からアクセサリーのように置いてあったものだ。ローレンスさんは時々弾いていたようだし、僕も一、二度弾いたことがある。
「簡単な伴奏くらい出来るようになったよ、大丈夫。貸して」
エアリィは僕からギターを受け取ると、ちょっとはじいてから、弾き始めた。
彼にピアノができることは知っていたし、ヴァイオリンもできる。一昨年の集中練習の時、覚えたのだという。でも写実的記憶と運動神経の連動技のせいか、彼は本来左利きなのだが、楽器は普通の右利き用を弾く。ギターもヴァイオリンも。「ピアノの左利き用って、あんまりきいたことないし、どれも両手使うんだから、別にそう違わなくない?」と、本人は不思議そうに言うが。
それはともかく、エアリィがギターを弾くのを、僕は初めて聞いた。コードだけだが、カッティングは正確で歯切れが良い。リズムギタリストとして手伝ってもらっても良いかも、と思ってしまうほどの腕前だった。でもやっぱりエアリィは、ステージではヴォーカルに専念させたい。インスト部分だけなら良いが、楽器を持っていると、どうしても動きが制限されるし、歌に百パーセントパワーを集中させることができなくなるかもしれない。スタジオワークなら、僕が多重録音ででも処理できる。たぶん本人もそう思っているから、そういう申し出はしないのだろう。
彼は歌い出した。僕は思わず、ぞくっと全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。驚きだ。今までに一度も聞いたことがないし、第一こんな桁外れの調べが既製曲であるはずがない。まるで循環メロディのようにも聞こえる、不思議なメロディ。一度聞いたら耳について二度と忘れないほど印象的で、強烈なフックに満ちている。
眼を開いて、周りを見て
窓を開けて、音と光を入れて
何が見える
何が聞こえる
内なる窓を開けて
自分自身の奥深くを見つめるといい
打ち捨てられた炎は燃え続けている
君の心の奥深く、秘密の旅路の果てに
打ち捨てられた炎、忘れられた言葉
禁断の約束、破れない防御
それは君の中、奥深くで燃え続ける
暗い波間に漂う光
見下ろせ、自らの内側深く
打ち捨てられた炎、忘れられない言葉
破ることの出来ない使命、約束された道
その炎を見出した時
それはヴィジョンを持った火になる
それは秘密の炎となり
その熱は君の心を焦がすだろう
炎の光が、道を照らす
その道の行く先が、君のゴール
炎の熱が、君を温めてくれる
だから前を見て、怖れないで
光の炎が連なって、路となっていく
その路を歩き続けるんだ
最終到達点にたどり着くまで
生まれた時に定められた最後のゴールまで
光が君とともにある
怖れないで
ただ歩み続けるんだ……
「ああ……」
エアリィはそこまで歌うと、ふと小さな声を上げて止めた。そしてしばらく黙った後、頭を振って呟くように言った。
「わかった……これは僕の歌だ。だから、夢の中で響いてたんだ。昨夜寝る時に、いろいろ考えてたから……」
「どうした……? まだ途中だろ」
僕は鳥肌が立つような気分を感じながらも、急にやめてしまったわけがわからず、そう問い返した。
「うん。でも歌詞はもう、ほとんどあとはリフレインだよ。最終ヴァース以外は」
エアリィはもう一度頭を振ると、小さくため息をついてから、ギターを握り直した。
「途中で止めちゃったから、もう一度、頭からフルでやるよ」
「ああ。これはすごい曲みたいだ。恐ろしく桁外れだ。ぜひフルで聞かせてくれ」
「わかった」
そして彼は通しで歌った後、聞いてきた。
「これ……どうしようか?」
「アルバムに入れよう。おまえがかまわないなら」
僕は言った。みなも頷いている。
「うん……じゃ、追加しよう」
エアリィは少し黙った後、頷いた。意を決したような口調だった。
「それじゃ、次の曲のレコーディングに取りかかる前に、この曲のアレンジを考えて、仕上げてしまおうか。仕上がるまでに、最低でも二、三日かかるだろうから」
ミックがそう言い、僕らも頷いた。
「待って。機材移動させる前に、一応インスト部もやってみていい? これ、夢のサントラだから、フルパートあるんだ。歌もオクターヴユニゾンだったけど、ギターもシンセもベースもドラムも、全部のパートがあったから」
「そうか。じゃあ、とりあえずどんな風だったか教えてくれよ。参考にするから」
僕は言い、他の三人も頷く。
「OK、わかった。じゃあ……スタジオで実際にやってみるよ」
エアリィはスタジオで、全パートを実演してみせた。最初に大スタジオでドラムスを叩き――ときおりフィルインが入るほかは、比較的シンプルなパターンが、最後までずっと繰り返される。それが終わるとベースを弾いた。その後小スタジオに移動して、キーボートのパート。最後にもう一度大ホールに戻ってきて、ギターを弾く。ギターソロまで。最後に録音したパートをすべて合わせ、もう一度歌った。
それは恐ろしく大胆な、そして風変わりなアレンジだった。すべてのパートが一見お互いに関連がなさそうなリフだ。リズムの取り方も微妙に違う。一緒にあわせたらバラバラになりはしないかと、ちょっと心配になるほどだったし、たしかに少しでもタイミングがずれると、目も当てられない結果になるだろう。でも完璧に決まると、なんとも言いようのないほど、不思議な効果が生まれた。まるで万華鏡のように様々な模様を描きながら、絡み合ってはまたほぐれる、美しく妖しい音の渦巻きが出来る。ドラムのビートが心臓の鼓動のように全体の統一性を支え、さらにその上に歌が乗ると、思わず全身鳥肌が立ってしまうほど、すさまじいインパクトを放射する。僕らでは、決してこんな方法は考えつかなかっただろうと思う。でも出来上がってみると、この曲に他のアレンジがあるなんて考えられない。僕は即座に、そう認めざるをえなかった。ギターソロまで規定されたのは初めてだったが、僕がどんなに別のソロを作ろうと思っても、決してそれ以上にぴったり曲に、はまりはしないだろう――そう思えた。
『Abandoned Fire』というタイトルが付き、夢の中の映像を再現したビデオクリップとともに、新作からの第一弾シングルとして、のちに世界中を席巻することになるこの曲は、わずか一日で作り上げられた。四分四八秒、イントロからコーダまで、インスト陣が検討を加える余地は、まったくなかった。エアリィが全パート録ったテイクを採用しても良かったくらいだが(ガイドなしで、まったく他の音のない状態で録ったにもかかわらず、出来上がりは四つの楽器が完璧に合って、シンクロしていた)、それでは僕らインスト陣の立つ瀬がない。ミックがキーボードの機材を大ホールに運び込み、その日を通して、僕らインストの四人は練習を重ねた。そして夜の八時ごろ、なんとか完璧に出来るようになった。
夕食のあと行われた本番のレコーディングも、全体の統一性を重視するため、インスト部は一斉録音となったので、二時間あまりで全楽器のレコーディングが上がり、ヴォーカルもワンテイク。最初にオクターヴユニゾン部を録り(ここまで来ると、もう超音波の域だが。「コウモリを打ち落とせるな」と、ジョージが冗談交じりに言っていたほどだ)、最後にメインラインを歌う。ヴォーカル録音はいつもそうだが、決して途中で切ったりはしない。イントロから聞いて、最後まで一気に。文字通りのワンテイクだ。
ヴォーカル録音に立ち会っていた僕の脳裏に、イメージが浮かんできた。宇宙空間に炎がすぅっと走って、路を創って行くイメージ。そしてエアリィが夢に見たのと同じだろう、幾多のシーンを。それはあとでPVを撮った時、確認された。同じものだ。その背後にあるのは、畏怖と悲壮感、恐ろしいほどのインパクトと、ぎゅっと胸が締め付けられるほどの、名状しがたい感情。悲しみ、切なさ、それを超える強い意志。背筋に戦慄が走り、鳥肌が立つ。そのイメージと感情は、あとで話してみてわかったのだが、その場に立ち会っていた全員が感じていたようだった。
録音が完了すると、みな自分の部屋へと引き取っていった。もう夜中の十二時を回っていたので、この日の作業はおしまいだ。
スタジオを後にした僕は、自室のドアを開けながら、我知らず小さなため息を漏らした。その瞬間、はっとした。なぜ作業を終えて、ため息なんかつくのだろう。心からの深い満足の吐息は、何度となくついた。でも、これは少し違う。何かが違う――。
シャワーを浴びに行き、着替えてベッドに寝ころんだ時、僕はその理由に気づいた。まるで自分が、スタジオミュージシャンになったような気がしたからなのだと。ただ決められたとおりに演奏しただけ。エアリィが最初に弾いたパートを、そのままなぞっただけ。ギターソロまで完全コピーで、僕自身の意見や意向が入る余地が、まったくなかった。『Abandoned Fire』は百パーセント、エアリィのものだ。『これは僕の歌だ』と、本人が言ったとおり――彼は別の意味で言ったような気はするが、文字通りこの曲だけは、作詞、作曲、アレンジまで、エアリィ一人のフルクレジットになるだろう。他の曲は少なくとも、編曲だけは僕らも入れたが、これはアーディス・レインただ一人の作品だ。他とは違う――。
いいや! 軽い驚きに見舞われて、僕は思わず飛び起きた。何も違わないのではないか。程度の差はあっても、自分で書いた『Remember Your Moment』をのぞけば――もっとも、歌メロと一緒に、いつものごとくかなり修正を余儀なくされたから、作曲は共同クレジットだが――前回も今度のアルバムの作品も、ほとんどの曲がエアリィのものじゃないだろうか。『Abandoned Fire』は、たしかに極端な例だ。夢の中のサウンドトラックという性質ゆえに、すべてのパートが最初から彼の頭の中にきっちりあって、それがあまりに完璧だったために、僕らインストの四人が付け足す余地は何もなかった。でも他の曲だって──たしかにエアリィは直接的には、何も指示はしない。インストパートに関しては、完全に僕らに任せている感じだ。でも彼は、歌メロと同時に曲の枠組みと構成、キーとテンポを決めている。『構成は暫定だから、フレキシブルにしていいんじゃない?』と、彼は言うものの、僕らにはそれ以上のものが見つけられないので、いつもそのまま採用している。アレンジでも僕ら四人が行き詰まるたびに感想と意見を言い、結局それが正しい解法となって、その後のアレンジが形作られる。僕ら四人もアレンジ上の選択肢にぶつかり、判断に迷った場合、エアリィに『どれがいいと思う?』と聞く。彼の客観的な意見を聞きたいだけなのだが、結果的にはほとんどの場合、その判定がそのまま採用になる。エアリィ本人はたぶん、ほとんど意識していないだろう。でも、ポイントポイントで僕らはコントロールされている――僕ら四人は自分たちですべてを決めていると思いこみながら、決められたデザインに到達する道を、苦労して捜し求めているだけではないだろうか。
実際、今度のプリプロダクションにおいても、僕らが仕上げた最終アレンジに、エアリィが新しいパートを付け足すことを提案して、仕上げた曲がいくつかある。『At the Storm of the Midnight』のエンディング部と『Cloudburst』中間部のエレクトリック・ヴァイオリン。『The Story Weaver』イントロ部のフルート。こういったプラスアルファはエアリィが自身でやることになるが、歌のない部分だから、差し障りはないだろう。しかし、こういった追加パートに関して、僕らはまったく考えつかなかった。ドラムス・ベース・キーボード・ギター、この四種類の楽器の組み合わせで、しかもライヴでの再現性を考慮するなら、あまりオーバーダビングをせず、せいぜいギターの多重録音くらいにして、あとでライヴ用に一本でアレンジしなおす。僕らインスト陣には最初から、その枠組みが頭にありすぎるのだろう。他の音を持ってきて、という考えは、正直僕にはあまり湧いてこないし、他の三人も同様のようだ。指摘され、実際にできあがりを聞いてみて初めて、アクセント的に入るそういった他の音が、単なるアクセントやスパイス以上に、曲の表情や印象を完璧なものに膨らませることを理解する。
でも僕は(たぶんミックやロビン、ジョージも)その時には、さほど深く考えなかった。ただそのアイデアに感心し、それがベストだと納得して、採用しただけだ。だが考えてみたら、エアリィがそういったアレンジのスパイスを僕らに指し示すということは、たぶん彼の頭にあるできあがりのイメージに、僕らの完成品が少々届かないことを意味するのではないだろうか? だから彼はそういう形で、アレンジに参加してくるのかもしれない。無我夢中で気づかなかったが、前作でも、そういうことは起きていたのだ。『Children for the Light』――空前の大ヒットになった前作は、今にして思えば、ただ一人の意志しか、反映されていなかったかもしれない。アーディス・レインの意向、それがすべてだったのでは。僕を含めたインスト担当の四人がやったことは、ベストなアレンジを練り上げたあの苦闘は、結局エアリィが求め、心に描く音像を完璧に実現することと、イコールだったのではないだろうか。
あの作品自体に不満は決してない。自分があそこまでやれたことに対する満足は、かつてないほど大きかったし、今もそれは変わってない。でも、僕はいつからバイプレイヤー(脇役)になってしまったのだろう。前作は僕らのステータスを天まで舞い上げた。でも同時にエアレースというこの共同体を、以前のツートップ型から、完全なワンマンバンドにしてしまっていた。僕は一応ある程度の評価と名声を得て、バンドのナンバー2という立場にはなっている。でも、それだけだ。
かつてロビンが、ロスアンゼルスの病院で言っていたことを思い出した。
『僕たち三人がいなくても、君たち二人がいればツアーを続行できるじゃないかっていう書き込みを見て、落ち込んだ』
今は、僕もそちら側に落ちているのかもしれない。『僕たち四人がいなくても、彼がいれば……』と。そう、もしあの時のような状況で、さらに僕も怪我で続行不可能になったとしても、今だったらエージェントやレーベルは、エアリィに向かって言うに違いない。『残念だったね。でも、君がいれば……』と。彼は間違いなく、あの時と同じように、『えー、無理です!』と返すだろうが。だが観客たちにとっては、その時と同じように『全然なくなるより、その場のセッションを入れてでも見たい!』となるのだろう。アーディス・レインさえ残っていれば。
集中練習前に、エアリィはソロ独立の話を断った。『バンドの中のOne Of Themでいい』と言って。でも結果的には、あまり変わらない事態になってしまった。彼の中のモンスターが目覚め、未踏の領域に踏み込み、まったく別種の、今まで以上に突出した存在になったゆえに。普通の人間である、僕ら他の四人と違って。
前回のツアーで、エアリィがトロントへ来る前に六年間いた街、プロヴィデンスで初公演をした、その時の異様な熱気を思い出す。あの時はおそらく観客全員が、いや、街の人たち全員が、バンドではなく、アーディス・レイン個人だけを最初から認識し、歓迎していた。それは僕にもはっきり感じられた。プロヴィデンスはエアリィの第二の故郷だから――そう思って自分を納得させていたが、でも例えばオタワはミックの故郷ではあるが、そこに行った時にも、観客たちは別に彼を特別扱いして歓迎はしない。もし僕に第二の故郷という街があったとしても、あれほど歓迎はされないような気がする。僕はバンドのナンバー1スターではないから。
そして今度のアルバムも、前回と同じプロセスを通っている。僕がやること、ミックやロビン、ジョージがやること、それはすべて、たった一つの流れの中に取り込まれている。エアリィの描く音像、カラーの反映という巨大な渦巻きに。奇跡は二度起きた。前作に勝るとも劣らないクオリティとテンションをキープできたのは、中心となったアーディス・レインの爆発力が変わらなかったからだ。僕らは、ただ巻き込まれただけ。それにエアリィはその気になれば、すべてのパートができる。それも意外な発見だった。ただ、あえてやらないだけだ。そういえば二年前の世界旅行中、ヴォイストレーナーを勤めたフレイザーさんが、インドの高原のキャンプ地で、ローレンスさんに言っていた。アーディスは頭で思ったとおり、身体を動かすことが出来る。反復練習は必要ない、と。彼は演奏方法さえ理解すれば、すぐに楽器をマスターできる。ピアニストの演奏風景を見ただけで、その通り弾けるとさえ、フレイザーさんが言っていた。実際ピアノとヴァイオリンの高難度曲を一見で再現したと。ならば、いつも僕らの演奏を見ているエアリィにとって、四つの楽器をマスターすることなど、わけもないのだろう。一人ですべてを作り上げることも、造作もないことなのだ。スタジオでなら。ならば、僕らの存在異議は──バンドとしての存在異議は、本当に絶対的なものだろうか。
その時に感じた気持ちは、奇妙なものだった。不安だけではない何かが、心の中に忍び込んでくる。それは少なくとも不満だとか悔しいとか、そういうはっきりとしたネガティヴな感情ではない。羨望とも、少し違う。バンドの主導権を完全に取られたからと言って、友に対する気持ちが変わるわけではない。
第一エアリィ自身に、自分の意向がバンドとその音楽すべてを形作っているという自覚は、まったくといっていいほどないだろう。彼は五人目のメンバーであり、バンドの中では最年少、いや、今のところスタッフやクルーも含めて、一番若い。三日前に、彼の十八歳の誕生日を、みなで祝ったばかりなのだから。実際の主導権には、そんな要素など無意味なのだが。エアリィはスタッフやクルーなど、周りの人たちに対して、すぐにいわゆるタメ口になってしまうとはいえ、見下しや命令口用でものを言ったことは、僕が覚えている限り一度もなかった。みなに良く話しかけ、みなからも良く話しかけられている。移動のバスのドライバーさんにも、『長い距離、お疲れ様〜』と、コーヒーを持って行ったりする。僕も彼らの仕事に敬意は表し、『ありがとう』といつも言っているが、心の中では一線を引いてしまっているところが多少ある。でもエアリィは、そういうラインをあまり引かないようだ。彼も大勢の共同体の中の一人、そんな認識でいるのだろう。
バンドに関しても、実態はどうあれ、彼自身は自分を『バンドの中の一人』と考えているようだ。その中で詞を書き、曲を作り、自分の意見を言っている。あくまで参考として。その意見を僕らが受け入れるか拒否するか、それは僕らの自由だ。押し付ける権限は、自分にはない。そう思っていることも、普段の言動を見ている限り、僕にも推測できる。バンドの大看板、そしてメインソングライターでもありリリシストでもある、そんな立場なら当然あるはずのおごりや傲慢さは、彼にはまったくないようだ。いや、建前はきれいごとを言っていても本心では他のメンバーを見下している、そういう輩もいるが、エアリィの場合、そういう二面性はない。そう、五年間親しく付き合って、はっきりそう言える。彼は常に、本心で言動をしているように見える。彼に奢りや優越感、傲慢さや慢心がないのは、おそらくそういう人間的なネガティヴさが、生まれつき欠落しているからなのかもしれない――そう思えるほどだ。理不尽なことをされれば怒るし、喜怒哀楽の感情も、その起伏もわりとある方だと思うが、誰かを『嫌い』とか『憎い』などと言ったのを聞いたことはない。そう、あのセカンドアルバムのプロデューサーに対してさえ、エアリィは『視野が狭い』とは言ったが、『嫌い』とか『やな奴』とは口にしなかった。僕ら他の四人はみな、一度ならず言ったが。
彼にとっては、人間は優劣をつける対象ではないのかもしれない――そう、前にも何度かそう思ったが、なにかができるできない、なにかを持っている持っていない、それは優劣の対象にはならない。『それって、結局バリエーションだよね』と、本人もかつて言っていた。でも、『ほとんどできる』『ほとんど持っている』立場のアーディスがそれを言うというのも、かなり無頓着だな、と僕はその時思ったものだ。
僕はどうなんだろう──ふと、そう思った。優劣にこだわっているのだろうか。自分は一番になりたいのだろうか? いいや、そんなことは思ってはいない。どのみち、なれやしない。このバンドでは――。
僕は頭を振って、起き上がった。一つ、自分が全くノータッチだった曲ができただけで、こんなに動揺するなんて、どうかしている。ジャスティン・ローリングスよ。少し深呼吸でもして、落ち着け。前作も今回のアルバムも、僕は精一杯やった。自分のベストを尽くし、時にはそれ以上のものを引き出そうと苦闘し、その結果大きく成長できた。それでいいはずじゃないか。ミュージシャンとして望みうる、最高の境地だ。自分の思うとおりでなければイヤだなんて、ばかげたわがままだ。おまえはいつから、そんないやな人間になった。
再びため息がもれそうになるのをかみ殺し、僕は大きく息をついた。そして、外へ出た。なんだか少し気が立っているようだ。気分転換をして眠ろう。食堂へ行って、何か飲んで――深夜は料理人さんも休んでいるので、セルフサービスになるが、コーヒーはサーバーに入っているし、紅茶やココアの用意も出来ている。お酒もある。
廊下を歩いていると、ロビンが自分の部屋から出てきた。
「どうしたの、ジャスティン?」
彼は少し驚いたように僕を見た。
「おまえこそ、どうしたんだ?」
僕は問い返した。
「なんだか眠れないんだ。だから、食堂でココアでも飲もうと思って」
「なんだ。実は僕もなんだ」
僕たちは連れ立って一階へ降りた。
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