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広い部屋だ。調度も大統領室のホールと同じくらい贅沢な作りで、ビロード張りの赤い椅子もふわっとしているけれど、身体が妙に沈みこむことはなく、しっかりと支えてくれる。四角く並べられた大理石張りのようなオフホワイトのテーブルの前に、二十人ほどの人が並んで座っていた。奥の正面、一番上座がタッカー大統領、その隣がアンダーソン市長、その周りに十人ほどいる見知らぬ人たちは、政府を運営する委員会のメンバーと、他の四都市――オタワ、トロント、モントリオール、ボストン市の市長さんらしい。それからゴールドマン博士とパストレル博士、最後に行われた社会科学者たちとの面接で会った、主任科学者のライト博士。僕は会ったことはなかったが、何度か名前を聞いた生理学者主任のスタンディッシュ博士(座席の前の名札で分かった)。そしてシンプソン女史。末席には、アイザックとヘンリーの顔も見える。
僕たちが席に着くと、全員が一斉にこっちを見た。タッカー大統領がアンダーソン市長に頷いてみせ、それを受けて市長が立ち上がった。
「来たね。では、あいさつ抜きで本題に入ろう。科学者たちの総合調査の結果が出たんだ。その結果が真実であることも確認された。結論から先に言おう。君たちは元の時代に帰っている。それは間違いなく事実だった」
「え?」
僕たちはお互いに顔を見合わせ、次の瞬間、躍り上がって声を上げた。
「じゃあ、僕たち……帰れるんですか?!」
「そうだ。それも、帰れるなどという生易しいものではなく、ぜひ帰らなければならないのだ。そうしないと、私たちの世界の存在が、危うくなってしまうのだから。その点について君たちに詳しい説明はできないが、さしつかえのない事実だけを、それも絶対に必要な点だけを、二、三話しておこう。君たちが昨夜ゴールドマン君の甥たちと話していたという『アイスキャッスルで当日コンサートを開いた楽団』、それは紛れもなく、君たちだ。『始原の三賢者』も、間違いなく君たちの近親者たちだ。君たちの直系子孫も、ちゃんとこの世界に存在している。何人かは重要な役割をはたしている。だから君たちには、もとの時代に帰ってもらわなければ困るのだ」
「帰れるのなら……帰れるのなら、こんなにうれしいことはありません」
ロブの声は(喜びのあまりだろう)、上擦っていた。
「でも、どうやって帰れるのですか?」
「その鍵はゴールドマン君が持っている」
市長と入れ替わりに博士が立ち上がり、手に持った封筒を僕らの前に押しやった。
「この手紙を見たまえ」
それは、黄色に変色した紙の封筒だった。ここの世界で、紙製品を見たのは初めてだ。四隅に、ほとんど消えかかったようなピンクの花模様がある。手紙は開封されていた。たぶん何度か読まれたのだろう。封筒の上の、ほとんど退色していないブルーのインクで書かれた宛名を見て、僕は目を疑った。
【わが父、ジャスティン・ローリングスさま、そして一緒に来た五人のみなさまへ】
父? 僕は子供を持った覚えなんてないのに――。
「これは私の家のファミリートレジャーボックスという、家族の証を入れておく箱の中にあったものなんだ」 ゴールドマン博士が説明を始めた。
「この手紙はその中の、平たい緑色の小さな箱の中に入っていたんだが、タイマーロックという時限式の鍵がかかっていて、開かなかった。しかし、そのロック期限が昨日で解けていた。昨日の夕方、タッカー大統領が歴代大統領の申し送りファイルを詳しく調べていらっしゃる時、私の家の箱を開けよという記述にぶつかったらしい。大統領は連絡を下さり、私は開けた。中には、その手紙が入っていた。その前に甥のアイザックと遠縁のヘンリーが、アイスキャッスルと始原の三賢者に関する君たちの話を持ってきていた。それまでの逆行調査により、君たちの直系子孫らしい人々の存在がすでに確認されていたが、その事実とこの手紙の内容が一致することが、最後の一環になった。手紙を書いたエヴェリーナ・ラズウェルという女性は、新世界の黎明期から創立期にかけて生きていた人で、わがゴールドマン家の、九代前の先祖にあたる。建国宣言の五年近く前に亡くなっているが、その直前にこの手紙を書いたらしい。読んでみたまえ」
封筒を開けると、わけのわからない図や数式がいっぱい書かれた色褪せたブルーの紙が数枚と、便箋三枚に書かれた手紙が出てきた。元は薄いピンクに花柄を散らしたものだろうと思われる色褪せた紙の上に、鮮やかなブルーのインクで、女性らしい丸みを帯びた文字で、手紙は綴られていた。
【お父さん、はじめまして、ではないですが、あなたはきっとこの手紙を読んでいる時には、私のことは知らないでしょう。他の五人のみなさんも。
私の名前は、エヴェリーナ・ローリングス・ラズウェル。以前の世界の終焉から、七年後の九月に生まれました。私の父は私が子供の頃に亡くなりましたが、その父が生前に書いていた記録を、私は十四才の誕生日に読むことになりました。私は驚きながらも、やがて時が来たら、私自身がこの手紙を書かなければならないことを悟りました。あれから四十年以上の年が過ぎ、病の床で自分の一生の終わりを間近に迎えた今が、その時なのでしょう。
二○二一年十一月二日、未曽有の大災害が起き、人類はわずか八千人を残して滅亡した事実を、この手紙が読まれる頃には、父たちみなさまも、もう知っていることと思います。三百三十年も時を飛び越えたその理由は、あなたがたが新世界の発端となるため――唯一の救いの地に、ちょうどそのとき人を集めること。完全な滅亡から救い、一筋の希望となるために、この手紙が読まれる頃にはすでに歴史となっている事実がみなさんの知識となることが、必要だったからです。
知識を得るだけでは、世界は救えません。元の時代に帰らなければ、環は閉じないのです。その手段は、逆方向のタイムリープしかありえません。
新生紀元二四八年十一月十七日の二二時ちょうどに、最初に彼らが遭遇したタイムトンネルのようなものの、未来側の入り口、二四世紀側の入り口が出現します。場所は、最初に来た地点から北に三度北東よりに、三・七キロ離れた地点です。みなさんは最初に見たのと同じ赤いエアロカーに乗り、そこに飛び込むことになります。出た先は、再びみなさんのなじみ深い、昔の世界となるでしょう。
みなさんの時代に戻ったら、お願いしたいことがあります。歴史のシークエンスを壊さないため、新世界が無事に設立されるため、これだけはやってほしいのです。まず新世界での体験は、カタストロフが実際に起きるまで他言しないこと。ジョージさんとロビンさんのスタンフォード兄弟は、お祖父さんや今後の責任者になるはずのお父さんに働きかけて、アイスキャッスルの建設位置を現在のプリンスチャールズ島、西経七六度、北緯六七・五度、という正しい位置へ持っていってください。実際にしなければならないことは、簡単です。もとの世界へ帰還し、正しい時の流れに戻ってから三日後、みんなで夕食をともにしている時、アイスキャッスル建設の話が出ます。予定地は本土に建てるつもりだったのが、気象条件その他の障害で暗礁に乗り上げたと話すはずです。その時『本土にこだわらないで、島でもいいんじゃないか』と、言うだけでいいのです。後は正しい結論に自然に導かれるでしょう。飛行機の離着陸に適した気流の安定地域であることなど、立地条件に恵まれていることが、その後の調査で明らかになるはずですから。
マイケル・ストレイツさんは同じ時期に、その頃国土開発企画庁長官になった父親との間で、同じ話題が出ることと思います。その時、お父さんは北方開発計画の促進と、ロシアや中国、中東などの紛争地域での情勢が不安定なことを理由に、アイスキャッスル自体をいざという時のために大規模な核シェルターとして、設計され運営されるように配慮しようかと思うが、どう思うかと意見を請われるはずです。ここで、ただ同意すればいいのです。その必要性をさらに少し説いておけば完全でしょう。そうすれば非常時のシェルターという設定ゆえに、必要なさまざまな設備を整えることもできます。
アーディス・レイン・ローゼンスタイナーさんと、それからお父さん――ジャスティン・ローリングスさんは、この経験を決して人に話さないということ以外は、さしあたって何もすることはありません。ただミュージシャンとして活動し、十一年の年月を過ごして、当日に始原の三賢者たちをアイスキャッスルにつれてきてください。お父さんの方は問題がないはずですし、アーディスさんも難しいことではないと思います。
ロバート・ビュフォードさんは同封の書類を保管して、カタストロフの後、オタワに移動してから、それを三賢者に見せてください。後は彼らがそれを解いてくれるはずですから。これはロボットを作る上で必要な、核となるパーツと回路の設計図です。それにステュアート博士の新コンピュータ理論と、アランさんのプログラミング能力、そしてジョセフ・ローリングスさんのハードウェア知識が加われば、ロボットの原始モデルが完成できるはずです。あなたにこれを頼むのは、管理者にある立場上、ものの保管には適していると思うからです。お願いいたします。
運命の日、世界は突然崩壊しました。それからのことは、詳しく書きたくはありません。あまりにも悲惨なことです。ただ生き残った人々が多くの苦難と絶望の中から、私たち後世の新世界のために希望をつないでくれたとだけ、書いておくことにします。
私は二五三年後、父たちが新世界を訪れる時のために、この世界が無事に確立されるために、この手紙を書きました。従兄の息子の一人が専用の箱を作ってくれましたので、私はこの手紙をその中に入れ、時が来たら封印が解かれるように、二番目の娘ヴィクトリア・ラズウェル・ゴールドマンに託すことにします。やがて時が来たら、彼女の子孫がこれを再発見するでしょう。
私の記憶の中にかすかに残る父に対して、話したいことがもっとたくさんあります。でも父が再びこの世界を訪れる時、私たちが生きてきた過去は、父にとってまだ未来なのです。未来を知りすぎることは、つらいことです。喜びもあるけれど、何よりも大きな悲劇が、人類全ての上に待ち構えているのですから。私は日記から、父の思いを知りました。でもこの手紙を読む時には、まだ何も知らない父やみなさんに、私は何を書くべきか、言葉が見つかりません。ただ、その世界での幸せを大事にしてください。その恐れも、嘆きも私は知っているけれど、同時にあなたがたみなが勇気を持ち、希望を持ち続けてきたことも知っています。私は父の娘として生まれたことを、誇りに思っています。
あなたがたが無事に二一世紀の世界へ帰り、それぞれの責務を果たし、三三〇年に渡る大きな時の円環を閉ざした時、私たちの新世界は初めて確立されるのです。私はその勇気と努力、涙に感謝をし、祈ることしかできません。そしてどうか私たちの未来に、多くの幸福と平和がありますように。
SS暦六五年十一月十七日
エヴェリーナ・メイ・ローリングス・ラズウェル】
僕は手紙を読み返した。最後の方に丸い小さな水滴の跡があり、文字が少しにじんでいる。彼女はこれを書いて泣いたんだ――そう気づいて、軽い衝撃を感じた。まだ見ぬ娘が、どんな思いでこれを書いたのだろう。その涙の跡に、世界が崩壊してから、彼女がこの手紙を書き残すまでの間の思いを、かいま見たような気がした。
自分の娘と言われてもピンとこない、あと十数年後にこの世に生まれるはずの我が子が人生の終わりに書いた手紙。それをまだ十七才の僕が、それから二五〇年以上先の世界で見ることを、彼女は知っていた。不思議な時間のねじれの中で。まるでメビウスの輪のように時間は再び裏返って繋がり、過去へと戻るのだろうか。
この手紙の行間には、まだ書かれていないその間の歴史が、たくさんありそうだ。未来は未来が語る。今の僕には知る必要のない、やがて時がたてば教えてくれる多くのことが。それでも僕の頭は、勝手にいろいろなことを考えてしまっている。世界崩壊から七年後というと、十八年先――僕が三五才の時に生まれる子供だ。少なくとも僕は、それまでは生きているわけだ。子供の頃に死んだと書いてあるし。その時生まれた娘が子供の時というと、僕はいくつまで、この子の成長を見守っているのだろう――?
とんでもない! 自分の寿命が本当にいつ尽きるかなんて、そんなことは知りたくない。自然終息寿命だっていやなのに、正確な自分の死期を知るなんて。それに、そのエヴェリーナという娘の母親は、ステラだろうか? 僕の希望はそうあってほしいけれど、そんなことは、それこそわからない。手紙に母親の言及は何もなかった。なぜだろう? ただ単に重要なことじゃないと、彼女が判断したからか。それとも、未来を知ることは、僕にとって都合が悪かったんだろうか――?
「SS暦というのは、新世界が正式に発足するまでの間、暫定的に使っていた暦らしい。オタワに移住した翌年がSS元年で、SS七〇年の二月からNA暦が始まっている。その他のことは、改めて私たちが説明するまでもないだろう。すでに必要なことは、みなそこに書いてあるのだから」
タッカー大統領の声で、僕は我に返った。
「ひとつ、はっきり言えることがある。君たちのタイムトリップは単なる偶然の悪戯ではなく、それなしにこの新世界はありえないという、必然的な理由があったのだ。私たちの新世界が完全に確立されるためには、君たちが無事に過去へ帰り、この手紙に記された通り、各自の責務を果たさなければならない。君たちがここへ来る直前から、帰還するまで、この三三〇年の時間は輪になっていたわけだ。この手紙の日付にある君たちの帰還予定日は、明日だ。明日の夜、君たちが帰り、この時の円環が閉じられた時、初めてこの世界は完全に存在することができるのだよ。それまでは、この新世界はまだ確定ではなかったのだな。そのことを知って、私たちはみな非常に驚き、畏怖を感じている」
大統領は僕らの方に視線を合わせ、一人ひとりゆっくりと見ていた。
「我々の人知を超えた何物かが定めた運命の不思議さが、この時の円環の中に感じられるのだよ。君たちが、新世界の創立を導く者だったということに」
「新世界の創立を導く者……?」
僕は言われた言葉を繰り返し、次の瞬間、こめられた意味の重さにぎょっとした。そんなばかな……そんなことが……重すぎる。そんな重責を、負う自信なんかない!
「すべては、あらかじめ定められていた……そう、百年前オタワから、ここニューヨークに遷都したわけも。それも、歴代大統領の申し送りだったようだ。まだ人口一万三千人をやっと超えたくらいの規模だったオタワから、遠く離れたこの場所に町を建て、大型シャトルを作り、人口の半数以上をここに移動させて、以降の首都とした。それも、君たちがここに来るから、それゆえだったようだ。オタワでは遠すぎるからね」
タッカー大統領は相変わらず静かな口調で言い、少し身体を横に引いて、言葉を続けた。
「君たちに、もう一つ見て欲しいものがあるんだ。私の後ろの壁にあるパネルをごらん」
正面の壁に大きく掲げられたパネルが、はっきりと目に入ってきた。金色の枠で縁取りされた白地の中央に、絵が描いてある。左側には、天使か妖精のような子供。青い髪をなびかせ、柔らかい色合いの白い衣装をつけ、こころもち横向きに立ちながら顔は正面を向き、何かものといたげな微笑を浮かべている。まっすぐ横に伸ばした左手は、ほぼ背丈と同じ大きさの、金色の星に触れていた。星の中央部には、二つのルーン文字のような赤と青の不思議なマークが、交差するように入っている。この図案の下に、ロイヤルブルーの文字で何か書いてある。こう読めた。
『THE NEW WORLD―NEO MUNDUS SOCIETAS』
「これは?」
「これが、我々新世界の国旗なんだよ」
大統領は答え、もう一度僕ら一人一人に視線を据えて見たあと、続けた。
「そしてこれが、君たちの音楽集団の、シンボルマークでもあったのだ。今国名が書いてあるところに、君たちのバンド名が飾り文字で入っているのが、オリジナルだということらしい。それが受け継がれて、この新世界の国旗になったいきさつがあるというんだ」
「ええ!?」
これが僕らのバンドロゴ? デビューする時、何かかっこいいロゴはないかと話したことはある。でもあの時は良いアイデアが浮かばなかったし、時間がなかったこともあって、特定のロゴマークを設定することは出来なかった。この可愛いくも不思議な図案が、僕らのロゴになる? なんだか妙な気がするけれど、記録がある以上、そうするしかないのだろう。図案自体は悪くない。でもこれが、やがて新世界の国旗になる――?
そこまで考え至ると、その事実の重さに、またもや押しつぶされそうな気がした。僕らが導く世界――たしかにそれを象徴する。でも、そんなとんでもないことが──。
「そう構えなくとも、大丈夫だよ」
大統領は穏やかな口調になって、微笑した。
「パストレル君の言い草ではないが、おそらく運命が君たちを選んだのだろう。君たちには、それだけの強さがあるのだよ。自分を信頼したまえ。ここに君たちが滞在するのも、あと三十時間足らずだ。もとの時代へ帰ったら、ここの記憶はできるだけきれいさっぱりと忘れてしまうといい。もちろん、やることはやってもらわないと困るがね。それ以外は意識の底にしまうことだ。そうして、残された時間を楽しむといい。君たちにとっては、貴重な猶予期間だからね」
「そう。十一年間と言えば、けっこう長い時間だ。その間に君たちのここでの記憶も、だんだんと薄らいでいくだろう。夢かもしれないと思える時も来るはずだ。私たちはそれでもいいと思っている。ただ定められたことだけ、守ってくれればいいんだ。とくに音楽会を開くのは、忘れるんじゃないぞ」
アンダーソン市長は、どことなく悪戯っぽそうな笑みを浮かべていた。そして僕に向き直った。「ジャスティン・ローリングス君。その手紙に書いてある通り、君は記録をつけておく必要があるな。君の娘さんに、その手紙を書いてもらうために。なに、大雑把なあらすじでも何でもかまわないが、その手紙の文句だけは、しっかり書く必要がある」
「はい……」僕は頷いた。
「日記はつけているんですが……毎日じゃないんですが、それをまとめて、ノートに記録しておきます。手紙は……写させていただけませんか?」
僕はロブからメモ用紙とペンを借り、内容を写した。元々文章を書くことは嫌いではないけれど、この役目はちょっと気が重いかもしれない。まだ見ぬ娘へ向けての記録か。そう思うと不思議だ。いや、もしこれからの世界が限られているのなら、自分が生きた記録、その証を次の世代に残しておくのも大切なことだ。自分のために。
会議の終わりに、アンダーソン市長は僕らに向かい笑顔で、しかし真剣な口調で言った。
「私たちみなは、君たちに好意を持っている。風変わりだが、新鮮だ。それに君たちの心は、旧世界の弊害に犯されてはいないようだ。この二週間、私たちも結構楽しい思いをさせてもらったよ。君たちと別れなければならないのは、私にも少々残念だが、仕方がない。そうするより他はないのだからな。君たちの時代でも、その精神の輝きが失われないことを願おう。そして君たちが限りある未来の中でも、幸せになれるよう願っているよ」
「市長が私の言いたいことを、すべて仰ってしまいましたね」
ゴールドマン博士は苦笑を浮かべ、言葉を継いだ。
「私が付け加えることはあまりないが……私は君たちに出会えて、よかったと思っている」
「過去へ戻ることは、重大な宇宙論理の抵触だが」
パストレル博士は重々しい口調で言い出した。
「しかし、宇宙が君たちに過去への逆行を許すのなら、おそらく君たちがそこでどんな行動をしても、必然的にこの結果へ戻ってくるだろう。私はそういう点、心配はしていない。君たちも、出来るだけ気楽に構えなさい」
「はい」
それぞれの人の善意が言葉の間から伝わってきて、思わず涙ぐみそうになったほどだ。
「色々ご親切に、本当にありがとうございます。みなさんのことは忘れませ……」
「さっさと忘れたまえ! 大統領もそう言われただろう。私も言ったはずだが」
アンダーソン市長が陽気な調子で遮り、出席している人たちの間に小さな笑いが起きた。
「ありがとうございます!」
もうそれだけしか、言葉がなかった。
この世界での経験も、もうすぐ終わりだ。明日の夜、僕たちはもとの時代へ帰る。十一年間の猶予つきの、未来の途切れた世界へと。でも、これからどうなる所へ帰ろうとしているのかなんて、考えたくはない。ここの人たちも、心からの親切で言ってくれた。早く忘れてしまえ、と。ここの記憶が薄れることは、未来の出来事への確信を薄れさせることでもあるのだから。でも、本当に意識から追い出せるだろうか? 猶予の十一年がたっていく間に、完全に記憶から消せるだろうか? たぶん無理だろう。意識の底に封じることは可能かもしれないし、何年か過ぎるころには、あれは夢だったのだろうかと思える時も、あるかもしれない。でも、すっかり消えてなくなることはないだろう。もう未来に対して、子供のように希望に燃えることも、無邪気に向きあうこともできない。いくばくかの恐怖が、必ず付きまとうだろう。ここへ来た最初の夜に見た夢の言葉のように、僕たちの無邪気な時代は、終わってしまったのだから。
「明日で、ここともお別れか……」
部屋に帰って遅い昼食をとった後、コーヒーを飲みながら、ロブが小さなため息とともに言った。
「もうここに二週間以上いて、本当に帰れるのか、ずいぶん気をもんだことと思うが、本当に突然、帰還が決まったわけだな。みんな、どうだい感想は?」
「もちろん、うれしいよ。でも……」
僕は言いかけ、他の四人の顔を見た。みんなの思いも同じだろう。家族や友人、恋人の待つ僕たちの時代へ帰れるのは、たしかにうれしい。でも、いざそれが現実になると、そこから先に控える未来の恐怖をも急に現実味を帯びたものに感じてしまって、戸惑うのもたしかなのだ。
「おまえたちの気持ちはわかる。僕だって、正直言って恐い。だがな、アンダーソンさんがおっしゃったように、十一年間というのは、けっこう長い年月だ。それに、おまえたちには音楽という天職がある。ただじっと待っているだけで、終わらせてはならないんだ。勇気をだせ」
「まあ、勇気がいるのは、覚悟してるけど……」
エアリィが首を振り、決然とした調子で続けた。
「今からそんなこと気にしたくないな。ホント、まだ十一年あるんだ。リミット恐がってたら、今まで楽しくなくなっちゃう。貴重な時間なんだから」
「そうだな。考えたくないな。そうできるものなら」僕も深く頷いた。
「せめて、いい思い出をたくさん作りたいよ。この与えられた時間の間にさ。かりに十一年後に世界が壊れても、僕たちも一緒に壊れずにすむようなものを、この間に築きたいよ」
「そう、その通りだね」ミックが力強い口調で、同意した。
「そうだ。この問題は、あまりじっくり考えるべきものじゃないな。他に集中できることがあれば、それにこしたことはない。そこでだ、みんなに提案がある。おまえたちは、ミュージシャンだろう? なのにここへ来てから、一度も音楽をやっていないじゃないか。向こうへ帰る前に、セッションでもしてみたらどうだ」
「ああ、それはいいね!」
ロブの提案に、僕は即座に声を上げた。考えてみればこれまでの数年間、毎日毎日ギターに触らない日はなかった僕が、ここへ来てからずっと忘れていた。毎日、なんとなく落ち着かなかった原因の一つは、それだったのかもしれない。
「でも、機材はまだ車の中だよ。まだ、あそこにあるんじゃないかな」
ロビンは少し不安げな口調だった。
「いや、あのバンは僕らがここへ来た翌日に、回収して保管してくれているそうだ。物品センターの倉庫にあるそうだよ。その際、彼らは壊れた機材も修復してくれたらしい。僕は一昨日そのことを思いついて、シンプソン女史に問い合わせてみたんだ。ここで使えるかどうかをね。そうしたら使用しても良いが、ここではなく、物品センターの十階にある、倉庫の空きスペースでやってくれということだった」
「演奏しても良いんだね。やった!」
僕は思わず飛び上がった。
「じゃあ、さっそく行こうぜ!」
ジョージもすっかり興奮しているようだ。
「そうだな。じゃあ、許可をとってこよう」
ロブが端末のキーを叩きかけた時、通話セッションのランプが向こうからついて、やさしい音色の呼び出し音が響いた。ボタンを押してセッションを開くと、画面にアイザック・ジョンソンの姿が浮かび出てくる。
「こんにちは」
画面の彼は、少しはにかんだような笑みを浮かべていた。
「明日お帰りになるんですね。今からヘンリーと一緒に、会いにいってもかまいませんか? お帰りになる前に、少しお話がしたいんです」
「どうぞ。喜んで」
ミックがそう答えた。みんな早く演奏したくて気ははやっていただろうが、ここの世界の人たちとの交流を断る気は、毛頭ないようだ。それは僕も同じだった。
それから二十分ほどたったころ、アイザック・ジョンソンとヘンリー・メイヤーが、連れ立って部屋にやってきた。お互いにまったく違った世界観に立っているために、話している間にも微妙な食い違いはしょっちゅう起きるけれど、なんとかお互い理解しあうことができたと思う。彼らはこの世界での、初めての友達だ。僕らが運悪くずっとここにいることになったとしても、きっと二人とは、いい友達でいられたに違いない。
「あなたたちは教育課程受講中ではなくて、音楽を職業にしていらっしゃるのですよね。アイスキャッスルでコンサートをしたのが、あなたがたなのですから。でも、あなたがたは五人組で……ビュフォードさんは、音楽家ではないのですか?」
しばらくいろいろな話をしたあと、アイザックが小首を傾げて、こう聞いてきた。
「そう。僕は直接、音楽活動には携わらないんだよ。エアリィ、ジャスティン、ミック、ロビン、ジョージ。五人でAirLaceだ。僕は彼らのマネージャーなんだよ」
ロブが微笑を浮かべて答えている。
「マネージャーとは、管理者ですよね。あなたは、彼らを管理しているのですか?」
ヘンリーが不思議そうにきいていた。
「いや、管理というより、世話係だね。調整係でもある。僕らの時代の音楽形態は商業ベースだから、ミュージシャンはただ曲を作って演奏していればいいというわけじゃない。ビジネス上のいろいろな煩わしいことが発生する。そういうことを処理するために、マネージャーがいるんだよ」
「音楽もビジネスなんですか?」
「そうさ。ミュージシャンは音源を作り、演奏会をする。その音源を聴いたり、演奏会に行ったりするのに、みんなお金を払うんだ。そのお金は製作者に還元される。それで成り立っている世界なんだ。だからある意味では、非常に流動的で厳しいものだね。聞く人が気に入ってくれなければ、活動そのものが危うくなるんだよ」
「つまり、僕たちの感覚で言うなら、放送セッションがあまり開かないような曲は、だめだということですか?」
ロブの説明を受けて、アイザックが少し考えるように黙った後、そう聞いてくる。
「まあ、そういうことだね。セッションが少ないということは、あまり人が気に入らないということだろう。そういう気に入らない曲ばかり出していると、そのアーティストにはお金が入らなくなって、生活できなくなるんだ。だから、厳しいんだよ」
「へえ、大変なんですね」
ヘンリーは驚いているようだった。アイザックも同じようだ。
「まあ、君たちに二一世紀初頭の音楽システムの詳しい話をしても、あまり理解できないかもしれないけれど、僕らの時代のミュージシャンは、音源としてCDを作る。インターネットを通じての配信もするけれどね。ミュージシャンはスタジオで曲を録音し、音楽CDを作る。シングルという単発曲と、アルバムという十曲以上の長いものの二種類がある。シングルはストリーミングという、この時代のように、オンラインでリクエストして聞く形態に移行しつつあるようだが。この音楽CDを買ってもらうために、大量生産して流通経路にのせなくてはならない。それを支配しているのがレコード会社で、まずアーティストはディストリビュートを得るために、レコード会社と契約を結ばなければならない。さらに演奏会を開くのも普通単発ではなく、何ヶ月かに渡って何十回ものシリーズで、いろいろな都市を巡って行うのが一般的だ。これをツアーと呼ぶんだが、この演奏会場や宿泊場所の手配、移動手段や機材の管理、チケットの販売、そういったことを請け負っている、エージェントという組織がある。さらに自分たちの存在や音楽のことをより多くの人に知ってもらうために、メディアを通じてインタビューを受けたり、写真を撮ってもらったりする。そういうのをプロモーション活動と言うんだが。それにライヴ映像を作品に残すのも、CDと同様、重要なことだ。まあ、そういうわけで、商業ベースで音楽活動をするのは大変なのさ。とてもアーティスト単独では成り立たない。だから、彼らを取り巻いて仕事をする、多くの人たちがいるんだ。マネージャーというのは、そういう人たちとミュージシャンとの、いわば調整役だな」
「そうなんですか」
ロブの話を、アイザックとヘンリーは目を見開いて頷いているが、その表情は、わかったというより、驚きの方がはるかに強いという感じだ。
「なんだか旧世界の音楽形態って、今の僕たちのものとは、かなり違うみたいですね。その、ストリーミングというのは、同じようですが。音楽そのものも、違うんですか?」
アイザックが問いかけた。
「そうだね。いろいろ違うだろうね。まず、僕たちは自分で音楽を作る。歌詞もメロディもアレンジもね。それから、君はジャスティンに楽器演奏者というのはプログラマーかと聞いたらしいけれど、違うんだ。たしかに僕はシンセサイザーを扱うからプログラミングも少しやるけれど、ジャスティンやロビンやジョージは違う。楽器演奏者というのは、コンピュータに自動演奏させる人じゃなく、自分の手とそれから足もちょっと使って、直接楽器から音を引きだす人のことをいうんだよ」 ミックがそう説明していた。
「と、いいますと……?」
「わからないかもね。この時代には、直接演奏しなければならない楽器がないのだから。じゃ、百聞は一見にしかず。これから僕たちは許可をもらって演奏しにいくところなんだ。一緒に来るかい? そうすれば、君たちにも僕の言っている意味がわかると思うよ」
「いいんですか? ええ、ぜひ一緒に行かせてください!」
ミックの言葉に、二人は同時に目を輝かせ、頷いていた。
演奏許可をもらい、アイザックとヘンリーも一緒に物流センターの十階倉庫へ行くと、機材はもう運搬用ロボットたちの手によって運びこまれていた。ケースごとだが。久しぶりに愛用の楽器に触れて、まるで懐かしい友達に出会ったような感じだ。でも、さてセッティングをしようとして一瞬、はたとつまずいてしまった。ここは未来世界だ。アンプをコンセントに繋ごうとしても、それらしきものはどこにも見当たらない。そういえばここの電気は変換されて床に流れていると、言っていたっけ。
「そのことについては、方法を聞いておいたぞ」
ロブがポケットから、数個の銀色の丸い筒を取り出した。直径はおよそ二インチ、厚さは一インチくらいの円盤で、上にコンセントの差し込みがついている。
「これはACコンバータだそうだ。ここじゃめったに使わないもので、なんでも新世界の初期に、昔からある装置を動かすために使っていたらしい。今じゃ博物館に保管されている代物だそうだ。それをアンダーソン市長に直接お願いして、借りてきたんだ。床の上において、その上のコンセントに、機材の電源を差し込めばいいらしい」
「でもロブ、交流規格やコンセントの形状は合っているかい」
ミックがちょっと不安そうに聞いている。
「その点は確認してきたから、大丈夫だ」
僕たちはアンプのプラグをそのコンバータに一つずつ差し込み、床に置いた。でもPA関係の機材はクルーがトラックで運搬しているので(もともと僕らのものでもない)、PAダイレクトで送るヴォーカルとキーボードの出力先がない。仕方がないから、二台ずつあったギターとベースのアンプを、一台ずつ代用することにした。ちょっとオーバードライヴ気味になるので、きれいに響かせるために、調整が必要だったが。そしてセッティングをすませ、音を出してみた。電源が少し心配だったが、音は普通だ。
「ああ、出たよ。良かった!」
思わずそんな声が漏れた。みなも同じようだ。
「俺はエレクトリック関係ないぜ。停電したって、ドラムソロはできるさ」
ジョージがちょっと得意そうにスティックを振りながら、そんなことを言っていたが。
改めてそれぞれのポジションにつき、音を出してみる。僕も裏に張りつけてあったピックを手にとって弦に触れ、軽くディストーションをかけて弾いた。アンプから返ってくる音。僕の出したかった音。聴きたかったサウンドだ。しばらく忘れていた情熱、音楽だ。
ウォーミングアップとしてロックのスタンダードを何曲かやった後、ファーストアルバムの曲を全部おさらいした。何も考えられなかった。ただ本来の自分たちを取り戻した喜び、音楽の興奮。それだけしか感じない。ギターもまるで僕の一部のように、思いのままに音を出してくれる。二人の観客のことすら、いつのまにか忘れていた。
陶酔から少しだけ我にかえった時、晩秋の短い日はもう落ちていた。倉庫というだけあって、ここはあまり窓の多くない部屋だけれど、僕の立ち位置のちょうど正面にひとつ、普通サイズの窓がある。そこから、街が見晴らせた。僕は手を止めて、外の光景を見た。公園ゾーンの向こうに広がる、無数の灯火。それは僕らの故郷トロントの夜景を思い起こさせた。ここでも人は生きている。この世界のもとで生活している。たとえ時代が隔たっていても、世界が隔たっていても、生きる人たちの本質は、そんなに変わりはしない。そして自然も。いくら四季をコントロールしても、太陽の運行や時間の流れまでは止められない。
不意にこの世界が、親しみ深いものに思えてきた。ここも決して異世界ではない。多くの善意の人々が日常を営んでいる、普通の世界だ。たとえ環境は僕たちの時代と大きく変わっていても――どこにいても、人間はみな精一杯生きている。
「ああ、何か曲ができそうだ!」
僕はギターを握り直すと、弾き出した。メロディが流れ出してくる。フレーズが溢れ出ていく。やがてロビンが、ジョージが、ミックが同調して続いた。音楽が、楽器群が大きな流れになって部屋に渦を巻く。パターンはさまざまに変化しながら、やがてひとつのまとまりになり、形を作っていく。
「おーい、これで歌が入れば完璧だぞー」僕は呼びかけた。
「そんな急に無理だよ! しばらく四人でやってて!」
エアリィは床を歩きながら、僕らに叫び返す。曲作りでは、彼はいつも僕らのセッションを聞きながら、ヴォーカルパートのインスピレーションが出てくるのを待っている。その間に、僕たちは自分のパートをより練りあげていく。五、六回同じことを繰り返しても、七回目に新しいアイデアが出てくることもある。だんだんと流れがタイトになっていく。ロブはミックがいつも持ち歩いているノートパソコンを機材につないで、録音しているようだった。
やがてエアリィはふっと窓に歩み寄り、外をじっと見ていた。と、「ああ」と小さな声を上げて、頭に手をやり、目を閉じた。おそらく僕の感じている主題、思いが彼にも伝わったのだろう。そういうことは、ファーストアルバムのマテリアルを作っている時にも何度かあった。音楽を通してのコミュニケーション――数分後、彼は小さく言った。
「ああ、書くものないけど、まあいっか……」
最初の数曲は文字通り頭の中だけでの構築だったけれど、それからはノートに歌詞だけを書く方法で作り始めた。言葉を視覚的に見たほうが、イメージが湧きやすいと。でも今回は何もないので、元に戻ってやらざるをえない。それからさらに十分ほどたった頃、エアリィはぽんと両手を打ち合わせ、僕らに宣言した。
「うん、出来た!」
そして曲はフルパートになり、完全形となって、新たな命を持つことになる。まだアレンジを練る余地はあったけれど、出来あがった曲は、創作の歓びを取り戻させてくれた。僕たちの感じた思いが、この六分の曲に集積されている。今、五人の心が一体になって、一つの曲が生まれた。
出来上がった曲の譜面を起こそうとして、僕はやっと二人のギャラリーのことを思い出した。最初に演奏を初めてから延々四時間近く、二人は倉庫の椅子に腰かけて、じっと聴いていたことになる。時計を見ると、もう夜の八時を回っていた。
「ああ、ごめん。すっかり夢中になっちゃって。退屈だった?」 僕はそう声をかけた。
「それに音大きくて、びっくりしちゃったんじゃない?」と、エアリィも問いかけている。
「いいえ、とんでもない!」
アイザックとヘンリーは、同時にかぶりを振った。
「それどころか、感激してます、とても。確かに音は大きくて、最初は驚きましたが、それ以上に……僕たちも、すっかり夢中になってしまいました。あんな音楽を聞いたことがありません。なんだか変な感じですよ。どう言ったらいいのかな……そう……気持ちが深く揺さ振られるような、そんな気がしたんです。それで、すっかり我を忘れてしまいました。もう二十時十五分なんですね。そんなに遅くなったのすら、わかりませんでしたよ。すっかり夕飯を取るのを忘れてしまいました」
アイザックは、心から興奮しているような口調だった。
「うん、考えたらお腹すいたね。夕食、どこか外で一緒に、っていうのは、ここじゃ無理なんだけど」 エアリィが首を振って小さく笑い、
「レストランとか、ないからな。部屋で食べるしかないし」僕も苦笑した。
「あなたたちがよければ、あなたたちのお部屋で、一緒に食事を取らせてくれませんか? 僕たちの分は、家に帰ってとってくるのは少し時間がかかるので、今、配送センターに注文しますから」 アイザックがそう提案し、
「ああ、もちろん!」と、僕たちはいっせいに頷く。
僕たちは機材を片付けてから、アイザックとヘンリーと一緒に仮住居へ戻った。自分たちの夕食を調理器で順番に温めている間に、ゲスト二人の分の食事が届いた。ベッドスペースの横に立てかけてあった予備の椅子を二つ持ち出し、僕たち八人はテーブルを囲んだ。
「楽器を自分で演奏するということの意味が、君たちにもある程度はわかったかい?」
食事が終わり、ドリンクメイカーで作ったコーヒーを飲んでいる時、ミックが穏やかに笑って、そう問い掛けていた。
「ええ」二人は同時に頷いていた。
「最初は自分でしなければならないなんて、めんどうだなと思ったんですが、あなたたちの演奏はコンピュータよりも、ずっとすてきで、衝撃性がありますね。あなたたちの楽器が違うからですか?」
アイザックが熱心な調子で、そう聞いてきた。
「楽器云々よりも、何より大切なのは、人間が演奏しているということだよ。プレイヤーは、自分たちの指先に感情をこめることが出来るんだ。微妙な間のとり方、タッチの仕方、力の入れ方、そんなものを通じてね。楽譜どおりにやるっていうことにかけては、たしかにコンピュータ演奏の右に出るものはいないだろう。だけどね、機械には感情的なニュアンスは表現できないと、僕は思うよ。音楽というのは、それにともなう感情がなければ、決して人の心に訴えかけるものは出来ないと思うんだ。この世界の音楽には、それが欠けている気がするんだよ」
ミックがゆっくりした口調で、説明している。
「特に僕たちの音楽はロックっていうジャンルで、比較的歴史が新しいけれど、この時代ではなくなっているんだね。でも、わかる気もするよ。ロックはある意味、欲求不満と熱情が生み出す音楽なんだ。少なくとも、ジャンルとして円熟してくるまでの、十数年間の間は。ここにはそういった土台はないようだから、発生しにくいのかもしれないね。でもどんな形であれ、本来音楽は人間の手によるものでなければならないと、僕たちは思っているんだ。音楽だけでなく、美術も文学もね。芸術は人間の感情を必要としているんだよ」
「なんとなく、あなたの言うことはわかります。あなたたちの演奏を聞いていると、たしかにそんな感じがしますから」
アイザックは熱情と当惑の入り交じったような表情を浮かべていた。
「でも、あなたたちが帰ってしまったら、もうそういう音楽は聞けないんですね。残念です。僕は今の時代の音楽は、単なるBGMにしか感じなくて、あまり好きではなかったんです。でも、あなたたちの音楽は違う。あんな素晴らしい音楽が、僕らにもできたらいいですね」
「教えてもらえないかなあ」
ヘンリーが独り言のようにつぶやき、二人は顔を見合わせていた。
「そうだ。教えてくださいませんか!」
アイザックはテーブルに身を乗り出し、熱のこもった口調で訴えてきた。
「あなたがたが帰るまでに、あまり時間がないのはわかっていますが、この時代に、少しでも感情のある音楽を残していってください。それを僕たちに教えてください。お願いします。僕たち、おおよそ音楽に関しては何も知識がないんです。クラシックや基本的な音楽理論なんかは、勉強すればある程度わかるんでしょうけれど。でもあなたたちのやっている音楽は、ここには何もデータがないし。僕たちは練習の仕方さえ、わからないんです」
「そうだ。うん、新世界に音楽を持ち込む。これは、なかなかのアイデアだよ。一から、もう一度ロックを起こすのって、悪くないよ。すばらしい事だ!」
僕はその考えに、すっかり興奮してしまった。
「教えてあげるよ、喜んで。でも本当は君たち二人だけじゃなく、もっと大勢の人にも教えられたらいいんだけれどね。少なくとも僕たちのやっているような音楽形態だと、最低三人、できたら四、五人は欲しいから。でも、今から希望者をつのって全員に一から教えることは、無理みたいだね」
ミックが考え込むようにゆっくりと言った。
「全員に教える時間はないだろけど、聞いてもらうことくらいは、できるかもよ」
エアリィがいたずらっぽい調子で言い、僕はすぐに意図が飲み込めて、手を打った。
「そうか。演奏会か! 明日の夜までは僕らここにいるわけだから、その時間はあるよな。当然許可はいるだろうけれど……そうだ、公園あたりで夕方やるのがいいかもな。僕らの置き土産だ」
「ああ、ぜひそうしてください!」
アイザックとヘンリーは同時に叫んだ。
「明日の朝許可をとって、午前中に告示を出せば、夕方きっとかなりの人が来てくれると思います。ここでは、あなたがたは一番の有名人ですからね」
「なかなかおもしろそうじゃないか。ここじゃ、この手の音楽はないわけだからな。俺たちも、ちょっとしたビートルズ気分になれるかもな」
ジョージも目に笑いをちらつかせている。
「そうだね。そしてとりあえずジョンソン君とメイヤー君の二人に、出来るだけの基礎を覚えてもらって……もちろんある程度、記録もとってね。あとは僕らの演奏を聴いて幸運にも興味を持ってくれる人が出てきたら、君たちがその人たちに、教えてあげればいいよ」
ミックが笑みを浮かべて、アイザックとヘンリーを見、
「じゃあ、そういうことで……君たちは聞きたいことあるかい? 俺たちでわかることなら、何でも答えるぜ」
ジョージがコツコツとテーブルを叩きながら、ウィンクをしている。
アイザックとヘンリーはさまざまな質問をし、僕らはそれに答えた。できるだけわかりやすく――それは僕だけでなく、ミックやジョージも気をつけていたことらしい。でも、答えにつまるものも多くあった。どうしたら曲が書けるかとか、即興で演奏して、どうして全員の呼吸を合わせることが出来るかとか、これは一言では答えられない問題だ。感じでわかるというのは、言葉では説明しづらい。
とりあえず僕たちはロックバンドの基本的な編成や、それぞれのパートの役割、基本コード進行、簡単なリズムパターンなどを教えた。そんなことをしているうちにいつのまにか夜は更けて、十一時をとっくに回ってしまった。
「今日は、ここまでにしたらどうだ?」
ロブが僕らを見回し、肩をすくめながら、ついにそう提案した。
「君たちは一度家へ帰って、明日の朝、食事がすんだら、ここへまた来てはどうだろう。その時に、実践を教えてもらうといいよ」
「そうですね、そうします。こんなに遅くまで、ありがとうございました」
二人は礼を述べ、帰っていった。
僕たちはその後すぐに交替でシャワーを浴び、ベッドに入った。この世界で過ごす最後の夜は、夢のない眠りと一緒に過ぎていった。
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