Part 1 of the Sacred Mother's Ring - The New World

第三章   メビウスの環(3)




 まだ夜の九時前で、眠るには早すぎた。枕に内蔵されている睡眠導入波は十時を過ぎないと出てこないけれど、これに頼らないでは、今は眠れる自信がない。仕方がないから久しぶりに放送プログラムを開き、退屈なドラマをぼんやりと見ていた。でも目は画面を見ていても、頭の中はさっき知った事実の断片が、気になって仕方がない。十五分ほど過ぎて、僕はこらえきれず立ち上がった。
「やっぱり僕、図書館に行ってくるよ。もう一度、本を読んでくる」
「もう読む気が失せたんじゃないのか? それにあと三、四十分で、睡眠波も出てくるぞ」
 ジョージが顔を上げ、ちょっと眉根を寄せて言う。
「うん。そうなんだけれど、でも、その三、四十分が待てないんだ。たいして読めないとは思うけれど、ここで下らないドラマを見ているよりは、まだ好きな本を読んでるほうが、気も紛れそうな気がするし」
「じゃあ、僕も行くよ、ジャスティン。僕もさっきから、落ち着かなくて、仕方がなかったんだ」
 ロビンが待っていたように、ソファから立ち上がった。

 僕らは廊下を通ってホールに行き、エレベータに乗った。いつものように下ボタンを押し、十階へ。そして渡り廊下を使って図書館のあるビルへ行き、上ボタンを押して、待った。そして、まもなくやってきたエレベータに乗りこんだ。でもさっき知った事実と、その因果関係にすっかり気を奪われていたのだろう。ここまで来るのにも、かなり上の空だったけれど、ここで利用階数ボタンを押すのを忘れてしまったらしい。それでもエレベータは動き出し、やがて止まった。僕たちはボタンを押さなかったことも忘れて、機械的に止まった階で下りた。そこではじめて、自分たちが間違った階で下りたことに気がついたのだった。
 そこはとても豪華な印象の(全体的に機能的でシンプルな感じの、この世界の装飾と比べて、という意味で)、広いホールだった。四方の壁は銀色が入ったオフホワイトで、天井からシャンデリアのような装飾ライトが下がり、床には毛足の長い、深紅の絨毯が敷いてある。たぶん合成皮革だろうけれど、本物の皮そっくりのものが張ってある大きな黒いソファが二つと、ガラス張りのようなテーブルが置いてあった。奥の方に、飾りを施した木製のドアが見える。ホールの壁には、金色の額に入った光学写真(プラスティックのようなシートに細かいカラー粒子が浮き出て、立体的に見える感じの写真らしい。以前シンプソン女史に建物内を案内してもらった時、玄関ロビーに飾ってあった写真に対して、そんな説明をされた)が、ずらりと飾られていた。
「ここ、いったいどこ?」
 ロビンは困惑と驚きが入り混じったような表情で、まわりを見回している。
「図書室じゃないことは、たしかだな……」
 僕は当惑を覚えながら、首を振った。
「そういえば、ボタンを押すのを忘れていたんだ。それで、間違った階に来てしまったらしいよ。でも、ここ……なんだかVIPルームみたいな感じがしないか?」
「アンダーソン市長のお部屋かな? この壁にかかってる肖像は、なんだろう。たくさんあるね」
「そうだなあ……」
 ホールを歩いて、写真を眺めてみた。女性も交じっている。若い人もいる。でも、四十才代くらいの男性が一番多い。写真のすみには、二から十四まで番号が入っていて、三番目からは同じ服装で映っている。金色のラインが二本入った、白い上着。上半身だけしか映っていないから、そこまでしか見えない。上着の襟元には、紋章が入っている。でも小さすぎて、その模様まではわからなかった。
 これはきっと僕らの時代と同じ発想なら、歴代の偉人か為政者の写真かもしれない。ひょっとしてここは――エレベータ上の階数表示に目をやった。四五階。間違いない。最上階に来てしまった。ここは、僕らが案内してもらえなかった、大統領執務室のあるフロアだ。なぜここに止まったのかわからないけれど、とんでもないところに紛れ込んでしまった。見つからないうちに、早く帰ろう――。
 僕はロビンの手を引っ張り、あわててホールを通り抜けかけた。が、壁の中央に飾ってある大きな写真に目が止まると、思わず足まで止まってしまった。飾ってある歴代大統領らしい人々の中で、一際目を引く写真だ。これだけが全身像で、大きさも大きいけれど、それよりも中に映っている人物だ。他の写真と違い光学写真でもないので、立体的には見えないのだけれど、それでも写真の中から飛び出してきそうな存在感があった。
 その人は、まだ二十歳を少し超えたくらいの年齢に見えた。襟のついた、ゆったりとした白のプルオーバーシャツに、ロイヤルブルーのボトムス。上下ともに、コットンっぽいような質感に見える。左手に丸めた紙のようなものを捧げ持ち、右手を添えている。金色のネックレスが開いた襟元からちらっと光り、胸の上あたりまで伸びた髪がゆるく波打っていた。不思議な色合いの髪だ。右側の一部分が少し幅広く(手のひらほどの幅はあるだろうか)薄い金色で、それ以外の部分はコバルトブルーのような、鮮やかな明るい青。太陽に光る紺碧の海――そんな印象を感じた。アニメでは見たことがあるが、青い髪なんて、自然には今まで見たことがない。でも写真で見る限り非常に艶やかで美しく、生まれた時からこの色で何の違和感もないと思えるほど、調和している。その色は抜けるような肌の白さや大きな青い瞳、長い睫や珊瑚色の唇によく映え、完璧なまでに引き立てていた。
 思わずはっと息をのむほど、強烈な美だった。絶世の美青年なのか美女なのかはっきりわかりかねるところが、よけいに不思議な魅力を漂わせている。その人は唇に微笑を浮かべていた。でも、目は笑っていない。澄み切った空のように明るいブルーの瞳は、慈悲深くはあるが、同時に氷のような冷たい光をも感じさせる。美しい磁力に満ちた微笑、まるで研ぎ澄まされたダイアモンドのような――同時に、僕は別の強い印象を抱いた。この人は誰かにひどく似ている。こんな風な笑い方は決してしないけれど、本当は僕のよく知っている顔だ、今はっきりとは思い出せないけれど、と。
「やあ、君たち。何か用かい?」
 後ろから、いきなり声がした。僕は思わず飛び上がり、振り返った。ロビンも同じことをしたようだ。
 背の高い男の人が立っている。初めて見る人だった。四十代半ばくらいの年配で、目は深い青。真っすぐな金髪を自然な感じで分け、二枚目俳優のような整った顔立ち。身体は細いが態度は堂々としていて、気品を感じさせた。この人も肖像の人たちと同じ服装をしていた。金のラインが二本入った、光沢のある白い上着。襟元には紋章が光る。ロイヤルブルーの、少し幅広のズボンの裾にも、金色のラインが二本入っていた。
 彼は微笑し、響きのある落ち着いた声で言葉を続けた。
「はじめまして。君たちはあのタイム・トリッパーたちの二人だね。放送や資料を通じて、君たちの顔は知っているよ。名前は……何と言ったかね……そうだ。ジャスティン・ローリングス君とロバート・スタンフォード君だね」
 その人は微笑を浮かべたまま、言葉を継いだ。
「申し遅れたね。私はジョン・タッカー。新世界の第十五代大統領だよ。三年前に就任したんだ」
「ええ! やっぱりそうですか! ……どうしよう!」
 思わず、そう声が出てしまった。時代が違うとはいえ、大統領その人に会うなんて、緊張以外の何物でもない。おまけに僕たちは許可なく、こんな所まで入りこんできているわけだから、ひどく叱られても、警察(ここでは、治安維持局だけれど)を呼ばれても、文句は言えない。でもタッカー大統領は、そうはしなかった。僕らの出現に多少驚いているようではあるが、別に怒ったふうでもなく、眼には愉快そうな光さえ見て取れる。
「申し訳ありません、閣下。僕ら、ここにくるつもりじゃなかったんです。図書室へ行くつもりだったんですけれど、エレベータの操作を間違えて……気付かずに下りてしまったんです。すぐに帰るつもりだったんですけれど……」
 僕は顔が赤くなるのを感じながら、少しうつむき気味にいいわけをはじめた。
 タッカー大統領は、声を上げて笑った。
「ハハハ、それは偶然だね。実はさっき執務を終えて、帰ろうとしたんだ。それでエレベータを呼んだのだけれど、部屋に忘れ物をしたのを思い出してね。引き返してしまったんだ。その時エレベータをキャンセルしなかったから、それでここまで来たのだろう。君たちはきっと、行き先ボタンを押さなかったんだね」
「ええ、そうなんです。うっかりして……本当に申し訳ありませんでした」
「かまわないよ。ここに君たちが入ったところで、そう不都合でもあるまい。ただね……」
 彼は言葉を止めて、写真を見上げた。
「この人は、誰なんでしょうか?」
 僕は思い切って聞いてみた。
「新世界の初代大統領だよ。当時の社会システムを整備して、新世界憲法を発布し、この世界の礎を築いた人さ。彼が就任した三ヶ月後に、建国宣言と新紀元が定められたんだ」
「そうなんですか……」
「彼は我々の時代においても、もっとも有名な一人だよ。二二才の若さで大統領に就任し、それから五八年間在職にあった。新世界史上最初の、そして就任時の年齢がもっとも若く、なおかつ最も統治期間の長かった大統領だよ。この肖像は、建国宣言当時のものらしい。左手に持っているのが新世界憲法の用紙さ。初代大統領で、しかもこれほどの容貌だ。一度見たら、忘れられないだろうよ。この青い髪は、生まれつきらしいんだ。放射線の悪戯だろうかね。彼は一緒に生活していた女性はいたようだが、結婚はせず、子供も持たず、亡くなる二年前、八十才まで大統領職にあり、その後妹の孫の一人、アンセット・カーライル氏に二代目を譲った。そして、八二才の誕生日を迎えた翌月に亡くなった。しかし不思議なことに、その容貌は若い頃のまま、少しも衰えなかったと聞く。まさに、伝説の人物なんだよ」
 大統領は肖像を見上げたが、その目には、はっきりと畏怖の念が感じられた。
「『夜明けの大主(Great Lord of Dawn)』――我々は彼をそう呼んでいる。一般の人たちは、その名前でしか知らない。本当の名前は図書館で歴史書を閲覧するか、歴史専攻の勉強をしないかぎり、知ることはないだろうけれどね」
「閣下は、ご存じでいらっしゃいますか?」
「知っているよ。大統領たるもの、歴代の名前くらい常識さ。特に初代は有名だからね。ただ……」
 彼は言葉を止め、肖像を見上げて、しばらく黙って考えているようだったが、ゆっくりとした口調でこう続けた。
「言っても、差し支えないかな……アルシス・リンク・ローゼンスタイナーだ」
「え……ええ!?」
 僕とロビンは同時に声を上げた。アルシス・リンク――ローゼンスタイナー! 同じ姓、そして響きの似た名前。この肖像が誰に似ていたのか、はっきりとわかった。エアリィ――髪の色と瞳の表情は違うし、年令的にも少し隔たりがある。それに髪型も、長さは同じようだが、少し違う。エアリィは前髪を眉の下あたりで切って下ろしているが、この人は前髪も長くして右側のサイドで流し、額を半分ほど出している。それゆえ、青い眉もはっきり見える。それに髪の巻きも、少しこの人の方が強い感じだ。だから、最初はわからなかった。でもあらためて見てみると、なぜ最初に見た時に思い出さなかったのだろうと、不思議にさえ思える。一見性別不明なところ、その輪郭も顔の造作も肌の色も、天上の青――濃いヘヴンリーブルーの瞳も同じ。青いまつ毛の色も。そう、この肖像画の目を縁取るまつ毛も、黒でなくはっきりした青い色だ。髪の毛と同じような。ここまで似てしまうと、他人の空似なんて考えられないような気がするほどだ。
 ああ……そうか。だからアイザックが図書館でエアリィのことを言及した時、『大主と』と言いかけて、黙ったのか。その時には僕も何のことかわからず、気にも留めていなかったが、『大主とそっくり』――彼はそう言おうとしたのだと、今わかった。それにアイザックは歴史専攻だから、本名も知っていたのだろう。そしてここの人たち、一般の人たちでさえ、エアリィに対して向ける目が、僕ら五人となんとなく違うように感じていたのは、際立った容貌のせいだけでなく、この『夜明けの大主』――彼らはその通称しか知らないらしいが、最も有名な一人と言うからには、肖像は良く知られているのだろう――との相似のせいなのかと、この時改めて納得した。
 新世界の初代大統領だという、アルシス・リンク・ローゼンスタイナー。就任時の年齢から逆算すると、カタストロフから四七、八年後に生まれているこの人は、たぶんアイスキャッスルの生き残りの誰かの孫だろうか。でも誰の? エアリィの双子だと言っても通りそうな容姿で、同じローゼンスタイナー姓を持つこの人は、どう考えても彼の血縁だとしか思えない。それにローゼンスタイナーというのはエアリィのお母さんの姓だけれど、彼女は再婚しているから、仮に姓を変えなかったとしても、その後に生まれた子供はステュアート姓だ。エアリィの妹エステルちゃんも、エステル・ステュアートだし。アリステアさんにはアグレイアさん以外、お子さんはいなかった。奥さんは身体が弱く、一人産むのが精一杯で、しかも最初のお産から数ヶ月ほどで亡くなり、その後再婚はしていない。そうなると、今この姓を継いでいるのは、アーディスだけだ。でも彼は僕らと一緒に、ここ未来世界にいる――。
 ロビンも同じことに気が付いたような表情で、はっとしたように頭を上げた。僕らは顔を見合わせた。
「そう、君たちの仲間の子と、同じ姓なんだよ。まあ、フルネームはアルシス・リンク・シンクレア・ローゼンスタイナーなんだが、長いので、シンクレアは省略されることが多いね。そして、アルシスのスペルはA-R-T-H-I-Sだ。あの子は同じスペルで、アーディスと読む。そう、読み方は違うけれど、同じ名前なんだよ。違うのは、ミドルネームだけだ。それに、私はまだあの子に直接会ったことはないが、写真で見るかぎり、そっくりじゃないか。あの子はかなり若いし、髪の色も違うがね」
 タッカー大統領は、僕らの心の中を読んだように頷いている。
「あの子には、私たちもかなり注目しているんだ。一週間ほど前から我々は、君たちが過去へ帰ったかどうかの事実関係を調査中だが、パストレル君に逆行調査を思いつかせたのも、直接的には、あの子の存在ゆえなんだよ。彼は知るはずのないエスポワール十三号の、詳しい知識を話し出してパストレル君を驚かせたようだし、他にもいろいろと不思議なことが多いが、とりわけ決定的な疑問は、あの子がこの夜明けの大主に、外見も名前も非常によく似ていることと、もう一つ、BB、ブルーブラッドという特殊体質の持ち主だということが、とりわけ注目されたんだ。ブルーブラッドは発現率が非常に少なく、新世界の創立後七十年たって、すべての人のDNAマップが取られるようになってから、まだ正式には四人しか確認されていない。一人は医師、一人は科学者、あとの二人はこの中にいる」
 大統領は、壁にかけられた写真を指し示した。
「八代と十二代。それから、正式に確認されていないが、この『大主』もそうだろう。その当時はDNA分析ができなかったし、まさか墓を暴くなどという不遜なこともできないので、はっきり確かめられてはいないが、伝えられる情報から……彼は瞬間記憶能力の持ち主で、全住民すべてのデータを完全に把握していた。そして社会を統率する手腕だけでなく、コンピュータ技術にも優れ、いくつかの発明品の改良も行った。そういった高知能と、容貌が変化しなかったという記録から、まず間違いないと思う。『大主』は未確認だが五人目で、最初のBBだと思われていたんだ。彼には子孫がいないので、彼の兄弟姉妹たちから、現在にまで伝わったのだろうと。そこに、生きた六人目が出てきたから、生理学者たちにとっては驚天動地だったらしいね。あまりに変化が大きすぎると、異議を唱える学者もいることはいたのだが、それでもPXL因子というのは放射線による遺伝子の突然変異だというのが、今までの定説だったんだ。でも、アーディス・ローゼンスタイナー君は、旧世界の人間だ。放射性変異はくぐっていない。それなのに、今までのサンプルの誰よりも割合が高い。あの子の場合、全DNA中、PXLP比率が平均で、なんと八五パーセントもある。今まで発見されたBBの最も高い比率が、六十パーセントだったというのに。まさに掟破りだよ。『大主』の純度がわからないから断言することは出来ないが、それでもあの子は、史上最高純度のブルーブラッドだ。そう言っても過言ではないだろう。学者たちが驚くのも無理はない。これまでの常識が覆されたわけだからね」
「ああ、だから科学検査の時、エアリィの順番が最後になったわけか」
 僕は思わず呟いた。それに彼は自由行動になった翌日に、再検査に駆り出されていた。それも、そのためだったのだろう。
「あの……でも、いったいなんなのでしょうか、そのブルーブラッドというのは。特殊体質らしいとは本人も言っていましたが……どういうような? それに、PXL因子とは、なんなのでしょうか?」
 科学検査のあとでエアリィが言っていたピクセルというのは、このことなのだな、画素じゃなく――と思い出しながら、そう尋ねてみた。
 大統領は少し黙ったあと、説明してくれた。
「ブルーブラッドとは血が青いわけじゃなく、特別な遺伝子だということで、前世紀の半ばに、当時の主任生理学者が命名したんだ。黒の色素が青い色調に傾く、という傾向も含めてね。もっとも青といっても、確認されたBBのうち二人しかその傾向は出ず、瞳孔の色だけ、それもはっきり青い色ではなく、非常に黒に近い紺なんだが。しかしこの大主は、髪もこの通り鮮やかな青だし、瞳孔やまつげもはっきりとした明るい紺色だ。君たちの仲間のあの子も、同じまつげや瞳孔の色だと聞く。写真でも確認できる。君たちのほうが、それは良く知っているだろうが。PXLPというのは、我々とは異なるDNA系列というべきかな。DNAの詳しい構造については、専門的になりすぎるから簡単に説明すれば、普通DNAは二重螺旋になっていて、A,T,C,Gの、四種類の塩基が配列されている。その塩基の配列で、遺伝形式が決まるのだが、PXLPの決定的な特徴は、その四種類の塩基に加えて、全体から見た配分は非常に少ないのだが、もう二種類PとL、これが対になるのだが、つまり、六種の塩基で配列されているDNAなんだ。PとLはかつて発見されたことのない、未知の塩基だった。発見者のフィリップとリディア夫妻の名前を取って、PとLと名づけたんだ。それに未知という意味のXをつけて、PXLと呼んだ。そして最初に発見され、また主要な要素だからPXLPrimary、PXLPという。それに呼応する、PXLSecondary、PXLSという因子も発見された。それはある種の変成酵素を作り、PとLが加わった六種の塩基配列のコドンを解読できる点が特徴なんだ。そしてPとS、両方あわせてPXL因子と総称しているわけだ」
「そうなんですか……」
「そう。そしてPXLPのパーセンテージは、DNAにおける解明された有効コドンの中で指標とされる主要コドン千五百のうち、PとLが混じったものが、どのくらいの率で発見されるか、その比率なんだ。PXLPの比率が五十パーセントを超え、なおかつPXLSがプラスだと、六種の特異塩基配列を解読し、蛋白質合成をすることができるようになる。その結果、我々一般人とは似て非なる身体が出来上がるわけだ。それをBB、ブルーブラッドと呼んでいる。頭髪以外の体毛はほとんどなく、男性でも髭は生えない以外、見た目はほとんど変わらないが、生理機能は少なからず異なっている。特に代謝系のメカニズムや五感の機能が普通人より数段進んでいて、一部の老廃物を無害な気体にまで分解するなど、特殊な自浄作用を持っているんだ。皮膚呼吸率が三十パーセントを超えるので、彼らは機密性の高い衣服は苦手だ。細胞の再生能力も非常に高く、その能力は睡眠時に最大限に発揮される。さらに五感の機能も並外れて高い。いわゆる第六感も異常に鋭く、非常に高度な知能を持つんだ。写実的記憶や瞬間計算の特技も、しばしば見られる。彼らは一種の超人と言えるかもしれないな」
「超人か……たしかにそうかも」
 僕は思わず納得して、そう呟いてしまった。大統領の説明は、まさにエアリィそのものじゃないか、と思いながら。でも、彼は知能や五感だけでなく、運動能力も群を抜いているが、それもそのせいだろうか。薬品系にアレルギーがあるのも。彼は薬が飲めないだけでなく、メイクもできない。ためしに一度手にちょっと塗ってみただけで、気分が悪くなっていた。エアリィの場合、メイクなどまったく必要のない顔立ちや肌の質なので(普通金髪で色が白いと、写真撮影時ピンクに色が飛びがちだけれど、彼の場合は白いままだ)、それでも差し障りはないのが幸いだ。でも化学調味料や消臭剤、コロンなどは、だいたい大丈夫なようなので、すべての化学物質がダメと言うわけではなさそうだ。それにハーブやコーヒーなどの天然成分ならほとんどOKだけれど、漢方薬は半分くらいがNGらしい。僕は不思議に思い、尋ねてみた。それもBBという特殊体質ゆえの特徴なのだろうか、と。
「いや、薬品アレルギーは、マイルドなものはあったらしいが……若干過敏体質なのは確かだからね、BBは。でも、それほど顕著だという報告は受けていない。それに運動能力についても、普通人よりはかなり優れているものの、それほど突出した値ではなかったようだ。でも、アーディス・ローゼンスタイナー君は違うね。知能テストもそうだが、スポーツテストの方も桁外れの値だ。それはPXLP比率が高いせいなのか、それともミトコンドリアのせいなのか、主に後者かもしれないと、スタンディッシュ君は言っていたが。そのミトコンドリアの性質ゆえに、エネルギー瞬発力は非常に高いが、持続性には欠け、普通の人より疲れやすい体質になっているのだろうともね」
「ミトコンドリア?」
「細胞内のエネルギー産生を受け持つ機関だが……聞いたことはあるかい」
「ええ」
 僕は頷いた。医学部へ向けての勉強をしてきたのだから、生物学も得意分野だ。それにミトコンドリア病の症例もいくつか、医学書で読んだことがある。思わず問い返したのは、知らないからではなく、意外だったからだ。
「ミトコンドリアは母系由来で、DNAとは違う独自の遺伝子を持つんだが、あの子のミトコンドリアは非常に突然変異の強い、かなりユニークなものらしい。それがたぶん、非常に高い運動能力を生み出しているのではないかと、スタンディッシュ君は言っていた」
「スタンディッシュ博士というのは……生理学の主任の人でしたでしょうか」
「ああ。最高純度BBが出現して以来、彼はまるで火がついたような勢いで研究をしているよ。まあ、無理もないね。アーディス・ローゼンスタイナー君の場合、PXLPの出現の仕方も異様だ。普通ではまったく考えられないことなんで、スタンディッシュ君のチームは、今あたふたしているよ。『この子はPXLPの臨界、本当にぎりぎりの、危ういバランスの上で生きているような印象だ』とも、彼は言っていた。化学系の過敏反応が強く出るのは、そのバランスを崩すためかもしれない、ともね。ただBBに関する研究は、細かい実験が出来ないだけに、実証は難しいんだ。BBの細胞は、培養はおろか、保存すら困難なのだから。細胞単体になると、冷凍保存しても、解凍して一定の時間を置くと、アポトーシスを起こして消えてしまうからね。その時間は、どうも純度に比例するようだ。だから彼ら研究チームは、スキャンをかけてあの子のDNAから細胞分子構成など、すべての生理データを丸ごとコンピュータに記憶させ、そこから詳しい解析をしているようだ。血液分析にしてもね。それしか方法がない。だからあの子の検査には時間がかかったし、再検査も必要になったんだ。一度では、とてもカヴァーしきれなかったからね」
「ああ、だからなんですね」僕は納得して頷いた。
「そしてブルーブラッドは、何もなければ、そう、致命的な事故や病気がなければ、非常に長命だ。この体質の八代、十二代大統領は、ともに百才を超えて亡くなっている。初代は若干放射線の影響があったのだろうが、それでも同世代の人たちと比べると、明らかに長生きだ。そして、彼らは老化しない。三十代くらいの容貌のまま、年齢を重ねていく。初代大統領は、二十代後半から変わらなかったらしい。それも純度に比例するのだろう。だから我々の科学検査で、自然寿命を予測することも出来ないんだ。彼らは老化のメカニズムが違うようだからね。それゆえに、まわりから浮き上がり、突出しやすいのも否めない。だから、平和な時代にブルーブラッドの発現はあまり望ましくない、というのが我々の暗黙の了解でもある。今後何かで必要になるかもしれないから、超人因子というものは保存しておきたいが、発現はさせたくない。できることなら、人々は平等であってほしいからね。あまり能力に格差ができるのは、平和な社会においては望ましいことではないし、本人だって、人と違うことがありがたくない場合も、たくさんあるだろうと思う。幸いBBを発現させないことは、たやすい。PXLPの有無と比率、そしてPXLSがプラスかどうかを、結婚する男女のDNAマップを見てチェックすれば、BBの発現率が読める。もし危険があれば、警告をする。そんなケースは、稀だけれどね。それに結婚するなとか、子供を産むなとは決して強制はしないよ。実際、出産に踏み切った夫婦もある。もし不幸にして、と言っていいかどうかわからないが、ブルーブラッドが発現してしまったら、その子には能力を生かして、特別な専門職についてもらうようにしているんだ」
 大統領は少し言葉を止め、何かを考え込んだようにみえたが、再び話し始めた。
「PXLPというのは、非常に特殊な因子でね、全DNA中の比率が二五パーセントを超える場合は、PXLSを介在しないでは、存在しえないんだ。DNAの解読が上手くできなくなって、きっと人体になる以前に壊れてしまうのだろうと思う。PXLPはあまりに我々のゲノムと形態が違いすぎるので、なにか人類ではない、異種の生物に由来するのではないかと言う学者もいる。さらにDNA形態の特徴を見て、これは進化遺伝子ではないかという説を唱えた学者もいるんだ。もし人類のような高等生命体が、相当長い間進歩を続けていけば、あんな風になるのではないかという主張でね。私はその二つの学説を聞くたびに、ある連想をしてしまうんだよ。実際は、何の関係もないことなのだろうがね……」
 タッカー大統領はそこで、ふと気づいたように僕らの顔を見た。
「いかんいかん。そんなことまで話す必要はないな。なぜこんなことを、君たちにしゃべってしまったんだろう」
 大統領は苦笑を浮かべると、首を振り、口調を変えて言葉を続けた。
「ともかく、君たちが帰れるかどうかは、明日結論が出るだろう。私も君たちの帰還の可能性について、いくつかの調査にかかわっているんだよ。大統領しか見られないファイルが、かなりあってね、ここ二、三日ずっとそれを調べていたんだ。だから今日も、珍しくこんなに遅くまでいたわけなんだよ。明日の十時から、最終決定の会議が開かれる。たぶん君たちが呼ばれるのは、午後だろうけれどね。君たちには気になることだろうが、明日までの辛抱だから、できるだけ気を楽にして、待っていたまえ」
「明日ですか……」
 そう言ったあとの言葉は出なかった。いよいよ帰れるかどうかの重大な決定が、明日下される。ぶるっと震えを感じた。
「だが、もし君たちの直系子孫が確認されたとしても、その調査結果は、決して君たちには報告されないだろう。この『夜明けの大主』と、君たちの友達との関係についてもね。未来は未来が語る。ここに迷いこんできたのが君たちで、まだよかったよ。あの子にはこの話は、黙っているんだよ。さあ、エレベータが来た。行きなさい。私も帰ろう」
 大統領は僕たちを見て穏やかに微笑し、僕の背中を少し押した。
「はい。どうもお騒がせして、申し訳ありませんでした」 
 僕は頭を下げた。ロビンは無言だが、僕より深く長く頭を下げている。
 僕たちはタッカー大統領と一緒にエレベータに乗りこみ、二五階で別れて、渡り廊下を通り、自分たちの部屋に帰った。もう図書館に行く気も、なくなっていた。

 部屋へ戻って時計を見たら、十時を少しだけ回ったところだった。部屋に明かりはついているが、見たところ誰もいないようだ。端末の画面は消えていて、静寂に包まれている。シャワールームにも使用中のランプはついていなかった。もう睡眠ウェーヴが来る時間なので、みんな早々と寝てしまったのだろうか?
 かすかにカーテンが揺れている。エアリィが窓のところにいた。長めのカーテンの影になっていたから最初は気がつかなかったが、彼は窓を少し開け、そこから覗き込むようにして外を眺めていた。
「落ちると危ないぞ、エアリィ。いくら身軽でも、ここは十八階なんだからな」
 僕の声で、彼は振り向いた。僕らが入ってきたことに、初めて気づいたようだ。
「落ちないよ。ここ十センチくらいしか開かないっぽいから。いつ帰ってきたの?」
「今さっきだよ。ほかのみんなは?」
「ジョージはベッドに行ったよ。ミックとロブは図書室行くって言って、まだ帰ってきてないんだ。やっぱり、落ち着かないからって……ジャスティンたちが行って、五分もたたないうちだったんだけど……会わなかった?」
「いいや」
 僕らは図書室へなど行かなかったから、会うわけはない。
「おまえは何してたんだ、エアリィ」
「ん、ジョージとしばらく話してたんだけど、十時になったから寝よってことになって、で、彼はベッドに行ったんだけど、僕は寝る前に、ちょっと星が見たくなって。けどさ、ドームのせいだが、曇ってるせいだかわかんないけど、ほとんど見えないね。月がおぼろに見えるから、雲のせいかな」
 彼は頭を振って、窓を閉めた。
「でもドームの中って、変な感じだなって思う。家の外に、もう一つ大きな透明な家がある感じ。家だったら、窓開けたら風が吹いてきたりするけど、ここは窓開けても、何にも変わらないね。空調の風ってのはあるのかもしれないけど、なんか風情ない感じ」
「まあ、それは言えるな。僕もそう思うよ。でも、結構おまえもセンチメンタルなんだな。星だの風だの」
「センチメンタルって、わけじゃないんだけどさ……」
 エアリィは小さく肩をすくめて苦笑したが、ふと真剣な面差しになり、頭を振ると、両手を後ろに組んで、言葉を続けた。
「でも……なんか、今ちょっと落ち着かない感じなんだ。みんなもそうなんだろうけど、ん……たぶん、みんなの落ち着かなさとは違う感じで。ここ一週間くらい、なんかちょっと心の底でざわついたものを感じてたんだけど、さっき窓の外見てる時、あっ、て思ったんだ。わかった。これって、デジャヴなんだって」
「デジャヴ?」
「そう。既視感。なんかこんな話聞いたな、って感じ。突然未来へ飛んじゃった。元の世界は終わりが近い……ううん、タイムスリップものは本でも映画でもたくさんあるけど、違う。そういう記憶じゃなくて、もっと遠い……それも伝聞。自分で体験したことじゃない。誰かに聞いた話。もしかしたら、それなのかなって。それを僕自身が体験して、あー、こういうことかって、ちょっと納得してたり。でもフレームだけで、ディテールは違う。そんな気もするんだ。そのきっかけって、あのエスポワールって宇宙船の話を聞いた時なんだけど……あの時は、あー、なんか知ってるかも、って思ったら、ワーッと言葉が出てきちゃって、ホントわけわかんなくて怖かったな」
「あれはおまえ、パストレル博士に、憑依か何かと思われたんじゃないか? 超常現象とか言われていたからな」
 僕は思わず苦笑して、肩をすくめた。
「憑りつかれたわけじゃないと思うけど……んー、でもそれに近かったかもしれない感覚だったかな、あれは」
 エアリィも小さく肩をすくめ、かすかに笑った。そして頭を振り、窓に目をやって続けた。「でもさ、さっき話したデジャヴ感……なんでなんだろうなぁ、わからないけど……どこの記憶なんだろう。それを考えてみようとすると、怖くなるんだ。あの時もそうだったけど、なんていうのかな……足元見たら、いきなり断崖絶壁の奈落になってるみたいな、そんな感じ。ホント怖い」
 それはたぶん、おまえも内心では動揺しているせいだろう。無理ないさ――僕はそう言おうとした。エアリィもしっかりしているとはいえ、まだ十四才なのだし、こんな異体験をしたら、多少は神経過敏になるのも無理はないと。しかし、本当にそう言い切れるだろうか? 気のせいだけで、知るはずのない知識は語れないだろう。
 彼はもう寝間着姿になっていた。最初に支給された、白地に細いブルーストライプの、エアリィにはほとんど床に引きずりそうなほど、たっぷり長い服だ。だがその一瞬、僕の目には衣装が白一色になり、袖や裾がふわっと広がって見えた。まるでガブリエルドレスのようだけれど、エアリィは本来ずっと、こういう衣装を着ていたんじゃないだろうか、だから普段の服以上に、この妙ちきりんな格好が似合って見えるんじゃないか――そんな考えが、かすめていった。そのとたん、僕の目に別のものが見えた。まるで服から抜けた青い色調が髪に集まったように、彼は姿を変えていく。白い服を着た、青く光る髪の『夜明けの大主』――たった今見てきたばかりの、あの肖像だ。その姿を認めたのは、ほんの一瞬で、すぐにかき消すように見えなくなった。
 エアリィはちょっと怪訝な顔そうな表情で、僕を見ていた。まるで影のように『夜明けの大主』が出現した驚きが、顔にも出てしまったらしい。
「幽霊でも見たみたいな顔しないでくれる? ジャスティン。どうかした?」
「幽霊? いや、幽霊じゃないさ。違うものだよ」
 僕は苦笑して答えたあと、思わずきいた。
「なあ、エアリィ。おまえ、妹さんはいるけど、ローゼンスタイナーって名前継いでいるのは、おまえだけだよな?」
「うん。お祖父さんの身内じゃ、そうだと思う。母さんは一人っ子だし。僕がステュアート姓にならなかったのも、他に継承者がいなくなるからって、母さんが僕の姓を変えなかったからだし。まあ、他にも同じ姓の人って、いると思うけどね。けど、どうして?」
「いや……なんでもないよ。聞いてみただけさ」
 僕は首を振った。大統領に口止めされなくても、やっぱりエアリィには話せなかっただろう。あの肖像で見た、新世界の初代大統領のことは。あまりに似すぎているから、本人にとっては奇異に感じられるだろうし、気味が悪いかもしれない。
 ただ口には出さなかったが、考えていた。あの人が、他人のそら似なんてことは、絶対にあり得ない。アルシス・リンク・ローゼンスタイナー、あの『夜明けの大主』は、絶対エアリィの血縁のはずだと。ただ、彼に父親違いとはいえ、血のつながった妹がいる以上、容貌の相似と名字だけで『直系血族だ』という絶対的な証明は出来ないが。
「わかったらなあ。帰れるかどうか……」
 思わず、ため息がもれた。「明日、科学者たちの結論が、僕らにも伝えられるらしいけれど、今から気になって、しかたがないよ」
「明日わかるの、帰れるかどうか?」
「そう言っていたよ。大統領が……」
 ロビンが言いかけ、あわてた様子で、口をつぐんでいる。
「大統領? この世界の? 会ったの?」
「偶然、エレベータでね」僕はそれだけ答えた。
「ええ? 大統領が普通のエレベータに乗ってんの? 二一世紀じゃ、考えらんないね。SPとかもなしで、一人で? へえ……まあ、ここは犯罪なんかないって言ってたっけ。僕もニュースで見たよ、その人。品があってハンサムで、俳優さんみたいって思った」
「そうだな。たしかに気品があって、ハンサムな人だったよ」僕は頷いた。
「その人が、僕らに言ったんだ。明日の午後に、結論を伝えるって」
「へえ、そうなんだ。思ったよか、早かったなぁ」
「でもそう思うと、今からどきどきして眠れそうもないよ」
 ロビンと僕は、同時に言った。
「眠れるって。仮に不眠症だってさ、ここの枕は特別製だから。イヤでもすぐ明日になるよ。それにさ……」
 エアリィは僕らのそばを抜けてベッド区画へ行きながら、こう続けた。
「賭けてもいいよ。僕ら、ここにはいられないって。もうじき……明後日かその次くらいには、帰らなきゃいけないんだ、きっと」
「おまえらしいな、楽観的で。どうしてそう言えるんだよ」
 彼はベッドの梯子に手をかけながら振り返り、ちょっと髪を振りやって答えた。
「うん。ここでの体験って、僕にはデジャヴみたいな気がするから、これまでもそうなら、これからもきっと、そうじゃないかなって思えるんだ。フレームが変わってないなら、最後は帰還で終わって、輪が閉じるって。根拠はないけどね。じゃ、おやすみ!」
 そして梯子を上り、カーテンの向こうに消えていく。
「ああ……おやすみ!」
 そう挨拶を返した後、僕とロビンは、お互いに顔を見合わせた。
「寝ようか。たしかに眠れれば、何も考えずにすむからなあ」
「そうだね。それに幸い、ここではすぐに眠れるように出来ているし」
「ああ、こういう時には本当に便利だよな」
「うん、本当にね」

 僕は寝間着に着替えると、ベッドに入った。出来るだけ、何も考えないように努めて。でも、考えはひとりでに駆け出し、頭の中をぐるぐる回る。
 世界の滅亡から唯一のがれえたという、北の果ての人工レジャーランド。それは、ジョージとロビンの家の会社が建てたという事実。そこでカタストロフの当日演奏会を開いたという、僕らと同名のバンド。復興の基礎を築くために欠かせないロボットを作ったという『始原の三賢者』――エアリィの義理のお父さんとお兄さん、それに僕の兄ジョセフと同じ名前の人たち。そして、二人のArthis。エアリィの本当の名前、アーディス。その同じスペルの読み方を変えて、アルシス──アルシス・リンク・ローゼンスタイナー。その人が、新世界の初代大統領。読み方を変えたのは、もう一人のArthisと混同しないためか? としたら、少なくとも初代大統領の出生、もしくは命名時点で、もう一人のArthis──エアリィ──は、まだ生きているのか、少なくとも他の人たちにはよく知られていると言うことなのか。それとも、他に同じ名前の人がいるのか。いや、『妙な名前だと思うよ』と本人は言っていたけれど、ともかく、世間一般にはそうない名前だ。
 そして、その初代大統領がBB、ブルーブラッドと呼ばれる特殊体質らしく、それがアーディスの超人因子と同じだという。ということは、あの人はやっぱり、彼の子孫なのか。でもひょっとしたら、エアリィの妹だって、その因子を持っているかもしれない。血族なのだし、彼の特殊遺伝子が母方か父方か、どっちに由来するのかも、わからないのだから。エステル――エアリィの妹のその子は、バスケサークルの親善試合の時も来ていたし、今年に入って彼がバンドに加入してからは、ほとんどいつも練習についてきていた。プロになった後も、アパートで何回も会っているから、僕も良く知っている。とても可愛い子だが、超人的な感じはまったくしない。でも、この九月に小学校に上がったばかりだから、実際のところはわからない。やっぱりそれだけでは、決定的な証拠にはなりえないだろう。
 それにしても、『夜明けの大主』は、なぜあんな微笑を浮かべるんだろう。あの笑みには、慈愛と冷酷が混在している。エアリィは決して、あんな風には笑わない。スペリング上は同じ名前でも、性格はかなり違うのではないだろうか。髪の色のように、アーディスが光なら、アルシスは影──いや、いやしくも新世界初代大統領、『夜明けの大主』が、影のはずはないだろうが。あの新世界大統領が、二十代後半くらいの面影のまま八二才まで生きたとしたら、同じ体質だろうエアリィも、元の世界でカタストロフに会わず、もしここで普通に生きたとしたら、かなりの長命で、しかも容貌は変わらないのだろうか。僕らは老いていくのに――想像したら、奇妙な感じがする。
 自分自身のことも気になる。社会見学の時に見かけた、太陽光発電装置や食料合成装置に刻まれていた、A.L.S. Rollingsという名前は、僕らローリングス一族に関わりある人なのだろうか。それとも、まったく別なのだろうか――?
 いろいろな考えが、とりとめもなく頭の中に渦を巻いていた。すべてのものが、関連ありそうに思えてならない。もちろん、全部偶然のいたずらということだって、ありえる。でもやっぱり、僕らは帰っているのではないだろうか? それとも動いたのは、まわりだけで、僕らはここにいて見守っているだけなんだろうか? わからない。いくら考えても、僕一人では、結論を出せないことだ──。
 睡眠波の影響か、猛烈な睡魔がやってきた。あれこれ因果関係を推測してもはじまらない。とりあえず、なにもかも忘れて眠ろう。未来は未来が語る。結局、なるようにしかならないのかもしれない──。

 眠りは深く、暗く、暖かい水に沈んだようだった。音もなくイメージもない、概念もない混沌の世界に、心地よく沈み込んでいく感じだ。ここでの眠りは、いつもそんな記憶しかない。胎児に戻って、羊水のゆりかごの中で安らいでいるように。でもこの夜は、一つの声が、この暗く暖かい空間に入り込んできた。
『ジャスティン・ローリングスさん……』
 声が遠くから響いてくる。清澄な、柔らかい、雨だれのようなコントラルトの響きは、まるで銀色のベルが低く鳴っているような印象だ。この声は、以前にも聞いたことがある。夢の中で聞こえた、『天の声』だ。
(あなたは誰ですか?)
 僕は意識の中で問い返した。そして半ば無意識に続けていた。
(遠い昔に聞いた、そしてアリステアが言っていた不思議な声は、あなたのなのですか?)
『ええ』声は、ゆっくりと答える。
『姿を現せないのが、残念ですけれど。今の私は、すでに実体はありませんから。それに以前の場合も声だけで、お目にかかれませんでしたね。あの方が目覚めないと、私も具現化ができないのです。その時に、改めてお目にかかりましょう』
(あの方って誰ですか? 目覚めって?)
『二元論を知っていますか?』
 それには答えず、声は静かに語り続けた。
『万物はすべて、陰と陽とで成り立っています。電極にもプラスとマイナスがあり、原子には電子と陽子があり、光には影があり、紙やコインには表と裏があります。私もあなたも、陰の立場に生まれたものです。しかし、どうか字面の印象だけで、受け取らないでください。二元論は善悪とは違います。男と女のようなものです。もしくは、監督と俳優の関係でしょうか。私もあなたも基本的には、行動する立場にはない。しかし、時おり捻じれが生じるのです。たとえば私たち影は、最初のグランドパージには会う。でも、二度目は見守っているだけです。逆に陽の立場の光たちは、最初はやりすごします。そして二度目に遭遇するのです。先行して起こる、このタイムトリップもそうです。わたしもかつて、あなたの立場にいた時に経験しました。だから今は、こうして見守っているのです。でも、彼らは違います』
(どういうことですか? 彼らって、誰ですか?)
 僕は漠然と問い返した。しかし、答えはなかった。暖かい闇と静寂が心地よく僕を包み、さらなる深みへ誘っていこうとしていた。

 目が覚めると、七時を過ぎたところだった。日が昇るところで、窓の外にうす紫に染まりつつある空が見える。でも僕が一番、早起きというわけではなかったようだ。昨夜と同じように、寝間着のままのエアリィが窓のところに佇んで、外を眺めていた。遠くを見ているような表情で、僕に気がつかないらしい。そばへ寄って肩を叩くと、彼は少し驚いたように振りかえった。
「おはよう。おまえ昨日から、ずいぶん外ばかり見てるなあ」
「おはよ。うん。ひょっとして、そろそろ見納めかもしれないからさ。今日は晴れてるね。ドームごしでも、空がきれいに見えるよ。ここのニューヨークも、やっぱり同じような夜明けの色してるって、なんだか不思議に思ってたんだ」
 エアリィは少し肩をすくめて、窓に背を向け、僕を見た。
「ずいぶん早いんだなぁ、ジャスティン」
「そういうおまえこそ。いったい何時に起きたんだよ」
「十分くらい前かな。六時五十分くらい。なんか変な夢見ちゃって」
「また、物騒な夢でも見てないだろうなあ。あのバスの中で見たおまえの夢って、結局正夢っぽいじゃないか」
「あれとは違うよ。あれはもう、本当に二度と見たくない……」
 彼は再び窓の外へ目をやった。そして視線を動かさないまま、言葉を継ぐ。
「けど今もさ、なんか変な気分なんだ。怖いんじゃないんだけど、なんだか……」
「どんな夢を見てたんだ?」
「笑わない?」
「保証はしないけどね。まあ、話してみろよ」
「最初は、真っ暗だった。そこへ、声が聞こえたんだ。『こんにちは』って、女の人の声が。『こんにちは、もう一人のわたし。不思議なものですね。こんな形で会うのも』って。え、なに?って、最初はわけわからなかったけど、なんか懐かしい感じがして、意識の中で、手を差し伸べてた。向こうからも、手、ていうか、光が伸びてきて、その光が手に触れたとたん、パチンって何かがはじける感じがして、次の瞬間には、まったく別の風景の中にいたんだ」
「へえ。どんな場所なんだ?」
 エアリィはしばらく答えず、チラッと僕を振りかえった後、再び窓の外に目をやった。
「すごくきれいだけど……変なとこだった。一面水色の花が咲いてる、緩やかな丘が広がってて、金色の幹をした木がちらほらあって、ものすごく広々とした景色だった。空は緑がかった明るい青で、白い雲が浮かんでて。けどさ、太陽が二つあるんだ。白とオレンジの。それがお互い、ちょっと離れた距離にあって、二つの光が微妙に重なって見えるんだ。僕はいつのまにか子供になってて、花畑の中に座り込んでた。それも、たぶん女の子。それで誰かがそばにいて、一緒に遊んでるみたいな感じだったな。そっちはたぶん男の子で、茶色のまっすぐな髪と緑の目をして、紫と青の中間みたいな服を着てた。その子は僕のことを、違う名前で呼ぶんだ。目が覚めたらどうしてだか、その名前は思い出せなくなってたけれど。でも僕は、それが自分の本当の名前なんだって思ってた。いや、たぶん名前っていうか、愛称だけど。僕は、すごく幸せな気分になってた。無上の幸福感って感じで。ああ、帰ってきたんだなあ、なんて、ものすごくほっとしたような、有頂天な思いがした。丘のてっぺんには、透明な光る神殿みたいな建物があって。僕は花畑の中にダイビングしたりして。それも空に浮かび上がって、ふわりと落ちるんだ。花を潰さないように。ちっちゃな白い、耳のないウサギみたいな動物が、花の中からぴょこんと顔を出したりして、それがすごく人懐こくて。遊んでいるうちにお腹がすいたから、咲いてる花をつまんで食べたんだ。それが最高においしかった。甘いんだけど、砂糖や蜂蜜の甘さじゃなくて、なんて言うか、ふわっとエネルギーの塊が身体の中に入って、浸透してくみたいな感じで」
「はあ……?」
「なんか呆れてない、ジャスティン?」
「ああ」僕も思わず苦笑して、頷いた。
「予想以上に、とんでもなく変な夢だな。まるで桃源郷みたいじゃないか? ちょっと危ないんじゃないか。ミックに話してみろよ。精神分析させてくれって、言われるぞ。さもなきゃ、あの世に片足をつっこんだみたいじゃないか。ぞっとしないな」
「ま、あそこは天国じゃないと思うけど、自分でも目が覚めて、そう思ったよ。ちょっと、やばいなあって……」
 エアリィは小さくため息をついて一瞬黙り、そして言葉を続けた。
「僕は時々、妙な夢見るんだ。自分でも、すごく変だって思うような。もしかして僕自身が変なのかなって、疑ってるんだけど。何がどう変なのかって、深く考えたくはないけどさ。僕はたぶん、他の人と少し違う。それって、特殊体質のせいなのかな。スタンディッシュ博士――僕の検査に立ち会った主任さんが、そう言ってたから。二回目の検査の時に」
「まあ、そうなのかもしれないな。おまえと知り合った頃は、あまりにいろいろ桁外れすぎて、僕も相当ぶっ飛んだからな。今じゃ慣れたが。そう……その話は、僕もここの人に、ちょっと聞いたな。おまえは超人遺伝子の持ち主だって、その人は言っていたんだ。だからあれだけ人間離れしたことが、あっさりできるんだろうな。僕からすれば、正直少しうらやましいと思うよ」
「なんで? やだな、超人遺伝子だなんて。人間離れしてるなんて、言われたくないし。まあ、よく言われることは、たしかだけど。『おまえ、ホントに人間かよ?』とか『おまえ、人間じゃないよ』なんて。けど、そう言われると、ものすごくドキンとするんだ。うそだろ? 僕だって、人間だよって……相手は別に悪意があるわけじゃないって、わかってても、その台詞だけは、やだな。僕は自分じゃ人間のつもりでいるけど、ほんとは違ったり、なんてこと、まさかないよなぁって、思わず悩みたくなったりするし」
「おまえが気にするなら、僕は出来るだけ言わないよ。でもさ、その台詞はたぶん相手にとって、八十パーセントくらいは、ただ感心しているだけだと思うよ。残りはジェラシーかな。本気でおまえを人外だと思ってるやつなんて、いないさ。でも、おまえが人の言葉に傷つくなんて、ちょっと意外だったな、エアリィ」
「僕をなんだと思ってんだよ、ジャスティン。よっぽど無神経な鉄面皮だとでも、思ってたわけ? ひっどいな、その台詞!」
「違うよ。おまえは気丈だし楽天的だし、めったなことじゃ動揺しないからさ。ここへ来てからも、おまえ一番落ち着いてただろ。後から考えたら。僕らの中じゃ一番若いのにな。だから、細かいことは気にしないかと思っただけだよ。怒るなよ。悪かった」
「怒ってやしないけどさ。それに、ホントに自分が人と変わってるってことはたしかなんだから、言われても、しょうがないのかもしれないけど……」
 エアリィは一瞬沈黙したあと、窓枠の上に両腕を組み、外を見つめて言葉を継いだ。
「けどさ……なんで僕って……ここにいるんだろう? ジャスティンはそんな感じって、したことない? 不思議だなあって……」
「ああ、僕も、もちろんそう思ってるよ。ここに来て以来」
「違う。ここって、この未来世界じゃないんだ。昔から漠然と思ってたんだ。だからなのかもしれない。ここへ来たこと自体は、さほどショッキングなことじゃない。ただ、舞台が変わっただけだからって、そう思えたのは。ほら、博士たちに、なぜ二一世紀に帰りたいかって聞かれた時、みんなは『あの世界が僕らの故郷だから』って言ったじゃない。でも僕は、あれ、ホントにそうなのかなって、なんか一瞬、変な感じがしたんだ。故郷……僕の故郷って、どこだろうって。今朝、夢から覚めて、また強烈に感じたんだ。なぜ僕はここにいるんだろうって。帰りたい。でも、帰れない。そう思ったら、涙が出そうになった。僕は一人だ。寂しい。切ない。小さい頃から、ずっと心の奥で、そう思ってたのかもしれない。そう思ったら、ホント……あ、やばい。ホントに泣けてきそうな気がする」
 エアリィは本当に一瞬、泣き出しそうな表情になった。困惑と悲しみ――それは僕が初めて見た、彼の弱い部分。その表情は一瞬だけで、窓の外に視線を投げたあと、再び僕に向き直った時には消えていたが、僕はふっと安堵感を覚えた。アーディス・レインもすべてにおいて、スーパーマンなわけじゃないのだな、と。僕は微笑し、その背中を軽くぽんと叩いた。
「いや、帰れるさ、大丈夫。それに、おまえは一人じゃない。僕らがいるじゃないか」
「うん……まあ、そういう意味じゃないとは思うんだけど……ありがと」
「あんまり無理するなよ。おまえもまだ十四なんだし、それで、こんな異常な体験をしてるんだ。しかも、今日帰れるかどうかの結論が出るんだ。誰だって緊張して神経が高ぶりもするし、変な夢の一つや二つ、見るだろうよ。おまえは、表面では自覚してないだけなんじゃないかな」
「無理はしてない……と思うよ。多少の不安も、ないわけじゃないけど。ただ、ここからは帰れるんだろうなって、そんな気はするんだ、昨日の夜に言ったみたいに。そういう点じゃ、僕は心配してないんだ」
「じゃあ、どうして帰れないって思うんだ」
「わからない」
 エアリィは再び首を振り、窓の外に視線を投げて沈黙した。
「そういえば僕も昨夜、変な夢を見たんだ」
 僕は軽く頭を振り、少し話題を変えようと――まあ、同じ夢つながりだが――言った。
「いや、見るって言うと、正確じゃないかもしれないな。声だけしか聞こえない夢だったんだから。おまえの夢も最初は声だけだったと、さっき言っていたが、僕のは最初から最後まで声だけだったんだよ。視覚は一切なくて、ずっと真っ暗だった」
「へぇ、そうなんだ。映像なし?」
「そう。なぜ映像なしなのかは、わからないけどね。ひょっとしたら、生まれつき目の見えない人だと、ああいう感じの夢なのかなって思えるくらいさ。おまけに言ってることは、全くわけが分からないんだ。覚えているのは『二元論』がどうとかいうくらいさ」
「二元論? 中国の陰陽道みたい。なんか、ミックが喜びそうって感じ」
「たしかに、そう言うのが好きだからなあ、彼は」
 僕も笑った。そしてしばらく、僕たちは無言で朝の空を見ていた。ドームごしの空は、まるでいつも窓ガラスの向こうにあるように見える。
「外から来ているような夢の中の声って、なんなんだろうな」
 僕はあの声の内容を思い出しながら、思わず言った。
「前にも経験したんだ。誰かはさっぱりわからないけれど、妙に荘厳で、でも清澄な感じがする声が響いてくるのを。今まで二度ほど、それを聞いたよ。妙に印象的だけれど、わけのわからない夢の終わりにね。昨夜はその声と、僕は話したんだ。でも、いったい僕は誰と話したんだろうな」
「その人は女の人? 男の人?」
「声だけではわかりづらいっていうのは、おまえなんか、まさにそうだけどな、エアリィ」
「どうせ僕は女っぽいよ。見た目と声は」
「ハハ、冗談だって。腐るなよ。でもあの声も、ちょっと中性的なんだよな。でも……どっちかっていうとあれは、男の人みたいな気がするな」
「男の人か。ふうん。じゃあ……」
 エアリィは言いかけて、言葉を飲み込んだように、窓の外を見ていた。
「心当たりがあるのか?」
 僕はそう聞いたが、彼は微かに首を振り、僕を見た。
「ユングの夢分析だと、そういう天の声ってのは、普遍的無意識や自分の中のセルフ、自己からのメッセージなんだっていうけどね。でも、その声は違うと思う。それに僕も、たぶん同じ声を聞いてると思う。その声が、最後に僕に呼びかけたんだ。『あの頃は至福の時でしたね。でも記憶はずっと残りますよ、このように。そうでしょう、もう一人のアルフィアさま』って……そう、アルフィアだ、あの夢に出てきた名前は」
「はあ? なんだ、それ」
「いや、なんでもない。もうやめた、夢の話は!」
 エアリィは苦笑して頭を振り、ついで肩をすくめた。
「シャワー先使っていい? 寝間着のままでうろうろしてるのも、なんだから。九月にステュアートの家に泊まった時、朝うっかりパジャマのまま下へ降りてったら、ミル小母さんに叱られちゃったしね。『あら、アーディス。あなたはいつも朝パジャマで居間へ降りてくるの? だらしがないわよ。起きたら、すぐに着替えなさい。あなたがそんなだと、エステルに示しがつかないでしょう?』て」
「いいよ。それにしても、まるでホプキンスさんが言いそうな台詞だな。僕も子供の頃、言われたことがあるよ」
 僕は肩をすくめながら、頷いた。同じ注意でも家政婦さんに言われるのと、血の繋がらない継父のお姉さんに言われるのとでは、かなり受け止め方は違うだろうなと思いながら。エアリィの言い方に、苦さはまったく感じられないが。
 一人になった僕は、窓に歩み寄った。時代も場所も違うニューヨークでも、たしかに夜明けの色は同じだ。不思議な気分だった。もっとも、僕は元の時代でニューヨークへ行ったことはない。行くはずだったというだけだ。
 ニューヨーク公演は、どうなったのだろう。その次のボストンも、無理だろうか。あの声は、何を伝えようとしていたのだろう。この世界は、本当に現実なのだろうか。僕たちの世界は、本当にもうすぐ終わりなのだろうか。僕たちは、ここから帰れるのだろうか。それぞれの思いがジャグラーの玉のように、頭の中をぐるぐると旋回する。最後の質問の答えは、今日出る。でも、どうやって待っていたらいいだろう。

 そのうちに、全員が起き出してきた。シャワーと着替え、朝食を済ませてまもなく、キャビネットの端末が音を立てた。画面にメッセージが現われている。
【本日十三時より、大会議室に全員来てください。五分前にお迎えに行きます】
 心臓が跳ね上がった。いよいよ来たか。とうとう帰れるか、とどまるかの結論が出る。イライラ待っているのは耐えられない。午前中はいつものように公園に行き、ここの人たちとドッジボールやキャッチボールをして遊んだ。完全に忘れ去ることに成功したとは言えなかったが、少なくとも落ち着かない熊のように部屋をうろうろしているより、遥かに時間がたつのが耐えやすく感じたことは、たしかだ。仕上げにジムへ寄って、日課の運動をこなした。
 部屋へ帰って昼食を食べようとしても、ちっとも食欲を覚えなかった。お昼は会議の後で食べた方がよさそうだ。飲み物だけ、かろうじて喉を通った。他のみなも同じようだったが、初コンサートの時と同じく、エアリィだけは「おなかがすいた」と、パンとフルーツをつまんでいた。
 最初の通知通り、午後一時五分前に、マネキン型のメイドロボットと銀色アンドロイドが一体ずつ、迎えにやってきた。結論が出るのは怖い。でも、宙ぶらりんのまま毎日イライラと過ごすよりも、たとえ最悪の結論が出ても、今後の身の振り方がきちんと決まった方がいい。僕は覚悟を決めた。みなもきっと同じだろう。僕らは顔を見合わせ、頷きあった後、機械仕掛けの案内人に導かれて、隣の第一庁舎、最上階一つ手前の四四階にある、大きな会議室に足を踏み入れた。




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