Part 1 of the Sacred Mother's Ring - The New World

第三章   メビウスの環(2)




 中央庁舎の区画は、円形都市の中心部にある。ここから周辺部の住宅地区や工場地区に向かって、幅十五、六メートルほどの道路が、放射状に十二本のびている。横の移動を受け持つ環状道路は、ほぼ百メートルの間隔であった。すべての道の両側には、十メートルくらいの間隔でポプラや楓の木が植えられ、その間にゼラニウムやパンジー、スノーポールなどのフラワーポットが置かれている。両側に手すりがついた動く歩道、ここではオートレーンと呼ばれるものがあり(左側通行で、道路の両側に一本ずつある)、その外側に幅二メートル弱の歩道がある。オートレーンは交差点からしか乗れないので、とりあえずそこまでは歩いていく必要があるからだ。二本のオートレーンの間は、普通の道になっているので、ここを歩くこともできる。歩いている人は、ほとんど見たことがないが。道はすべて、歩行者専用だ。車はどうしているのかと言うと、道路の上を飛んでいる。歩いていると時々ふっと影が射すことがあって、見上げるとエアカー(ここではエアロカーというのが正式名称らしい)が、上空十数メートルの高さを、ひゅーっと飛んでいく。たまに赤、白、青や緑のプライベート用も見るけれど、行政用の薄い黄色やシルバーの車が多い。でも圧倒的に多いのは、物資配達用のグレーの貨物車で、運転席に乗っているのは配送用ロボットだ。一人乗りの、自転車やバイクのエアカー版もあって、たまにそれが飛んでいくのも見る。
 僕らの滞在している第三庁舎ビルから歩いて外へ出ると、数分で官庁街を抜けて、公園に着く。中央区をとり囲むような形で、二百メートルくらいの幅で円形に広がっているこの公園は、真ん中に二十メートルくらいの幅で、プロムナードが通っている。中央区から伸びる放射道路には動く歩道がついているけれど、プロムナード部分にはない。道や花壇の部分以外は、一面芝生におおわれていた。季節は十一月でも気温はいつも春のようで、花壇にはチューリップやパンジー、カーネーション、水仙やアネモネなどの花が満開だ。噴水近くのバラ園も花盛りだった。
 さまざまな色の大輪のバラを見ているうちに、僕は奇妙なことに気付いた。バラの花には刺がある。それが僕らの時代の常識だ。でも、このバラには刺が一本もない。それに、どんなに研究を重ねても事実上不可能だと思われていた青いバラ、それもはっきりした青い色のバラまで咲いている。もう何があっても驚かないぞと思ったにもかかわらず、紛れもない濃い空色の大輪のばらがいくつも咲いているのを見た時には、さすがに軽い驚きにみまわれた。
 園内にはポプラや楢、楓などの樹木もかなりあって、本来なら紅葉がきれいなはずだけれど、気温差がないためか、さえない茶色とくすんだ緑の中間のような色になっている。そうするとここの人たちは、紅葉も知らないのか。芝生も青くはないが、茶色という感じでもない。植物はこの、日照は少ないが気温は高いという状態に戸惑っているかもしれない――そんなようにも感じた。芝生も花壇も木々も手入れが行き届いているようで、ゴミ一つなく清められた広いプロムナードには、白い合成樹脂でできた座り心地の良いベンチが、十メートルほどの間隔をおいて設置されていた。
 僕たちの時代、公園には多くの人が集まっていた。子供たちが遊び、恋人たちは散策し、犬の散歩にきている人も少なくない。でも、ここでは数えるほどの人しか出会わない。プロムナードを一周して、ベンチに座っている人の数を数えても、全部で十数人。隣の人と静かに話をしている人もいれば、小型のタブレット端末で本を読んでいる人、眠っている人もいる。歩いている人も、同じくらいの少なさだ。芝生に座っている人は、一人もいない。僕らが通ったことに気づいた人はみな、興味深げにこっちを見、目が合えば礼儀正しく目礼してくれるけれど、だれも話し掛けてはこなかった。そのあと住宅街へ入っていったけれど、ここはますます閑散としている。遊んでいる子供もいなければ、立ち話をしている大人もいない。『外へ出れば他者と交流できる』とシンプソン女史は言っていたけれど、本当にそうだろうかと思いたくなってくる。
 それにしても、人が少ない街だ。ここが本当にニューヨークだなんて、信じられない。僕の知っているニューヨークは、人の肩と肩が触れ合うほど、おびただしい人が行き交う大都会だ。それなのにこの街では、人にあまり出会わない。元の人口が極端に少ないからかもしれないけれど、それにしても半径二キロ半ほどの小さな都市なのに。ここの人たちは、あまり外へ行かないのだろうか? なんて静かな街なんだろう。まるで眠っているようだ。店も一つもないし、おもしろそうなものは何もない。ここにもし暮らすなどということになったら、退屈であくびが出るか、さもなければイライラするだろう、そう思えてしまう。穏やかで平和で静かすぎるというのも、なんだかあまり好きにはなれそうもない――ここへ来た時から感じていたそんな印象を、僕はこの時強く感じた。
 ふと母が昔好きだったという、ジョン・レノンの曲を思い出した。『Imagine』

  国境のない世界を想像してごらん
  そこでは誰も飢えず、貪欲にもならず
  すべての人が愛し合い、平和に暮らしている
  そんな世界を想像してごらん

 ここは、まさにそのものだ。世界は一つになり、争いももめごとすらない。暇も物質も十分すぎるほど充ち溢れているし、気温も湿度も快適に調整されていて、僕たちの時代より、たしかに格段に暮らしやすい。でも、これが理想の社会なのだろうか――本当に。今は問題がなくとも、これから何百年とたっても、こんな穏やかで眠ったような平和が、ずっと続くのだろうか?

 放送プログラムはつまらないし、街にはほとんど遊ぶところもない。ゲームセンターや映画館はおろか、店すらないのだから当然だ。博物館や資料館は一、二回行けば充分だという感じだし、遊園地は子供っぽすぎる。公園は閑散としすぎているし、唯一プールだけは良いと思うけれど、泳いでばかりもいられない。図書館には昔の文献もあるけれど、読書ばかりでも飽きてしまう。何か面白いことはないだろうか――そう思いかけていたころ、僕たちは妙案を思いついた。
 ここでは市民一人一人に、健康維持プログラムが作られ、運動日課が課せられる。トレーニングマシンは、家庭用にすべての運動に対応できる機種があって、それの購入やレンタルができるようなので、普通の人たちは家でやっている場合が多いらしい。でも、僕たちはジムに行ってやるしかない。渡り廊下で他のビルに行くよりはと、いつも同じビルの地下二階を利用していて、昼食後少し食休みをしてから行くのが、日課になっている。
 ジムの入り口には受付の機械があり、リングやブレスレットでID認証をすると、カードが出てきて、同時にディスプレイには、最初に行くべきマシンが表示されている。そこへ行き、カードを差し込むと、マシンが動き出す。時間が来れば止まる。そしてディスプレイ部に次が表示される。すべて終了すると、『お疲れさまでした』と出てくる。再び受付マシンにカードを差し込むと、そこで回収される。そんな感じだ。
 僕のメニューはランニング五分、ストレッチ三分、体幹三分、ウエイトトレーニング三分のコースだ。ただし、どれもぬるい。とんでもなくぬるい。ランニングは歩いているのかと思うくらいのスピードだし、他のプログラムも、汗すらかかないくらいゆるい。短いだけ救いだが、やっぱり飽きてくる。音楽でも欲しいところだが、ジム全体に流れている、ゆるい雰囲気の、たぶんクラシック系だろうと思う、しかも電子音のBGMしかない。レストランや病院じゃないんだから、と思ったが、文句を言ってもしかたがない。
 他のメンバーもメニューはそう変わりないようだけれど、人によって時間は異なる。ロビンとエアリィにはウエイトトレーニングはなく、前者はバランス訓練、後者はダンスのような敏捷性訓練をやっている。ミックは体形のせいか、トレーニング時間が僕らより少し長い。そのへんの違いがあるだけだ。
 たぶん自由時間になってから、三日目くらいのことだろう。その日課で決められた運動をしながら、誰からともなく思いついた。運動! これだ! 身体を動かしていれば楽しいし、あまり余計なことを考えずにすむ。プールもその点良いけれど、他にも何かスポーツが出来ないだろうか。公園の敷地は広いのだし、芝生も自由に立ち入っていいのだから、道具さえあれば――。
 シンプソン女史にその旨を問い合わせ(何か要望があったら彼女を通じて連絡してほしいと、連作先を教えてくれていた)、教えてもらった管理者に連絡をとって、交渉した。驚いたことに、この時代では、ほとんど競技スポーツはやっていないらしい。競争心がすぎると危険かもしれないから、あまり推奨していないのだという。
「普通の人はやってないけれど、禁止というわけじゃないんですよね」と、僕らは食い下がった。
「はっきりと禁止はしていませんけれどね。あなたたちがやりたいのなら、やって結構ですよ。道具は資料館にありますから。ただし、できるだけ壊さないでくださいね。修理はできますけれど、なにぶんにも古いので」
 担当者は渋々という感じだが、最後には頷いてくれた。
 資料館に行くと、なるほど道具がある。いろいろな種類のボール、テニスや卓球、バドミントンのラケット、野球のバットやグローブ、クリケットの道具、ゴルフのクラブ、スキーの板とストック、スケート靴、サーフボードやローラースケート、インラインスケートに、スケートボードまであった。バスケットのゴールポストやサッカーのゴール、野球で使うベース、バレーやテニスのネットといった大道具は展示室にはなく、倉庫の方に入っている。
 道具は揃っているのだから、一応はいろいろなスポーツがやろうと思えば出来た。でも僕らは六人しかいないから、できるものは限られる。サッカーや野球には人数が足りない。
 僕たちは大道具を担いで、公園でスリー・オン・スリーのバスケットやバレーボール、それからテニスもやった。エアリィは時々プロムナードでスケートボードの曲芸を披露していたし、ジョージと僕も、時々ローラースケートで滑った。でも、このプロムナードは地面がつるつるしすぎて、少々やりにくい。それにヘルメットやガードギアはないから、転ぶと怪我をしそうな気がして、僕はおとなしく普通に滑っただけだ。

 それから昼間は公園でスポーツを楽しみ、夜は図書館で僕らの時代の小説を読んで過ごした。公園でのスポーツは最初僕たちだけが楽しんでいたが、二日三日とたつうちに、だんだん見物人が増えてきた。僕らの周りを浮遊し続けているボール――放送メディアのカメラが捕らえたスポーツ映像が、ここの人たちの興味を引いたのだと後でわかったが、三日目には二十〜三十人、それが四日目の午後には五十人を超えるほどになった。五日目の午前中には、さらに百人近くにまで増えた。
 その日、バスケットボールを見物していた人たちの一人が、何をやっているのかと聞いてきた。大雑把に説明すると、彼らは半ば感心したように聞き、それからは熱心に応援してくれた。得点すると、拍手さえしてくれる。午後からやったバレーボールでも、たくさんの見物人たちが、熱心な様子で僕らを見守っていた。
 僕たちがその後休憩して芝生の上に座り、部屋から持ち出してきた飲み物を飲みながら話している時になっても、見物人たちはあまり帰ろうとせず、僕らの周りを取り巻いて見ていた。話しかけたそうな感じではあるが、遠慮しているのだろうか。僕らから話してみようか、でもちょっと勇気がいるな――と思ったところで、エアリィが立ち上がり、彼らに向かって手を振りながら、声をかけた。
「こんにちは! ねえ、みんなもやってみない?」
 そうきたか。こんなことを言い出すのは、僕らの中では彼くらいだろう。僕には考えつかなかったが、面白いかもしれない。向こうが乗ってくれれば――。
 見物客たちは驚いたような表情で、しばらくお互いに顔を見合わせていたが、やがて一人の若者が、「あ、では、やってみたいです」と、前に出てきた。それに勇気づけられるように、さらに三人ほどが(二人は若く、そのうちの一人は女性で、三人目は中年のおじさんだった)おずおずとした感じながら、前に出てきた。
 そこで僕たちは彼らに、まずマンツーマンでボールの返し方を教え、緩いボールならなんとか打ち返せるようになったところで、新世界側からの参加者四人を交えて、円陣バレーをした。慣れていない四人は失敗も多かったが、打ち返せなくとも、声をかけ、お互いに笑いながら、和やかに遊ぶことができた。その間に見物客たちもますます増えていき、さらに「私にも教えてください」と、新たな参加者が五人ほど増え、最後は二組に分かれての円陣バレーから、お互いに球を打ち合うゲームのようなこともやった。僕ら側はスパイク禁止、強いボールも禁止、という相当にゆるいルールだったが、超初心者相手なのだから、それは仕方がない。そして結果的に、みな楽しむことができたようだった。「ありがとうございました! 楽しかったです」と、晴れやかに帰っていった参加者たちの顔は、街で見かけた姿より、はるかに生気にあふれて見えた。
 翌日の午前中もまたバレーボールをやってみたが、この時の参加者は昨日の倍ほどいた。最後は六対十八人の試合もできた。相変わらず僕ら側はスパイク禁止、強いボールNGだったけれど。午後の三時ごろから始めたバスケットボールでも、十七人ほどの参加者が楽しんでくれたようだった。
「この調子だと、サッカーや野球が出来る日も近いな」
 そんな甘い期待すら、湧いてきたほどだ。

 自由行動になってちょうど一週間が過ぎた夜、夕食をすませると、僕らは隣のビルの中にある一般図書館に行った。三つの中央ビルはちょうど三角形のように並んでいて、それぞれ十階と二五階にある渡り廊下でつながっている。僕らの滞在部屋は十八階でどちらの渡り廊下からもほぼ同じ距離なのだけれど、図書館は十五階なので、いつも十階の渡り廊下を利用していた。
 図書館といっても本棚は一つもなくて、丸いブースがたくさん並んでいるだけだ。それぞれのブースの間は、半透明のスクリーンで仕切られている。ジムと同じように、入口で受付機にIDを認証させると、ブースの番号が記されたカードが出てくる。指定された座席に行って、カードを差し込み、セッションを開く。読みたい本のタイトルと作者がわかっていれば、それを打ち込めば一発だが、そうでない場合、メニュー方式でジャンルから指定していき、読みたい本にたどりつく。内容はすべてコンピュータ端末のディスプレイを通じて表示され、映像ものと、活字だけのものと二種類ある。ネット図書館のようなものだ。一般閲覧可能な図書館のデータベースは中央のサーバーにもつながっていて、携帯用読書端末を持っている人は、一冊十セントの対価を払えば、そこにダウンロードできるらしい。そのせいなのか、夜の時間帯のためなのか、図書館はいつもすいていた。
 活字だけのいわゆる“本”は、自分で読むスピードを指定して、文字が自動的にスクロールしていく方式と、昔の本のようにページを繰っていく方式が選べる。画面には特殊なフィルターがかかっているらしく、長時間見ていても、あまり目が疲れない。自動スクロール方式でも、中断したい時にはポーズキーを押せば止められるし、もう一度押せば、再び文字がロールアップし始める。でも僕は昔ながらの本形式を、たいていは選んでいる。そのほうが落ち着いて読めるような気がするからだ。
 僕はブースに腰かけて、昨日から読みかけていた、ある人気作家の本を読んでいた。見なれないタイトルを見つけたから、何気なく開いてみたけれど、まだ読んでいないはずだ。発行年数を見たら、二年先だった。自分の時代から先は見ないほうがいいことはわかっていたし、シンプソン女史の忠告を受けて、新世界の歴史は見ていない。たぶん、僕ら全員そうだろう。でも新作小説くらいなら許されるかな、とつい思って、そのまま読んでいた。もし元の時代へ帰れても、僕が黙っていれば大丈夫だろうと思えたからだ。

 読みはじめて一時間ほどたった頃、誰かが後ろにいる気配を感じた。他のブースにいる仲間の誰かが来たのかと思って振り向くと、知らない人が立っている。二十才くらいの、背の高い男性だった。浅黒い整った顔に、均整のとれた、細身の身体つきの青年だ。濃い茶色の髪が頭全体にくるくると渦巻いていて、目は大きくて黒く、少しラテンの血が入ったような顔立ちをしている。目が合うと、その人は白い歯を見せて、少しはにかんだような笑いを浮かべた。そして手を差し出しながら、低い声で言った。
「こんにちは、はじめまして。僕はアイザック・ジョンソンと言います。もうじき二一才になります。歴史学を専攻している専門学生なんです。あの……あなたがたのことは、ニュースで見ました。旧世界から来た方ですよね」
「ああ……はい。こんにちは、はじめまして」
 僕も少し驚きながらも笑顔を浮かべ、立ち上がって握手をした。初対面の人で、しかも相手は年上なのだし、ここの人たちは礼儀正しい。僕も少し改まって挨拶を返した。もちろん図書室の中なので、普通よりはかなり小さな声で。
「僕はジャスティン・ローリングスといいます。十七才です。職業は、一応ミュージシャンです」
「ミュージシャンというのは、音楽家ですよね?」
 彼は首を傾げて問い返してきた。
「では、あなたはプログラマーですか? それとも製作側ですか?」
「え? 違いますよ。僕はギタリストです」
「なんですか、それは?」
 相手の不思議そうな様子の理由が最初はわからなかったが、この時代の音楽プログラムを思い出して、すぐ納得できた。新世界に音楽家というのは、シンセサイザープログラマーか、製作者だけしかいない。僕らのバンドで、とりあえず自分の肩書きがそのまま通用するのは、ミックだけということになる。エアリィはヴァーチャルだし、ロビンとジョージと僕にいたっては、概念すらないわけだ。
 僕はギタリストとはギターという楽器を演奏する人だと、簡単に説明した。
「では、やっぱりプログラマーの一種ですね」
 相手は頷いて、そんなことを言う。
「違うんだけれど……」
 この時代の人にむきになって自分の職業が何たるかを、詳しく説明しても仕方がない。
「でも、まだ十七才なのに、もう職業をもってらっしゃるなんて、あなたは優秀な方なのですね」
「僕はセカンダリースクールまでしか、出ていないんですよ。大学へは、行かなかったんです」
「大学? セカンダリースクール? ああ、そうでした!」
 相手は頭に手をやって、思い至ったような声を上げた。
「あなたは、旧世界の方だったのですよね。社会システムも、こことずいぶん違う……わかっていたのに。すみませんでした。つい、ここの基準で考えてしまって。とんちんかんな話ばかりしてしまって、申し訳ありません」
「そんなことないですよ。仕方がないことですから」
「でも不思議ですね。あなたは旧世界の人ですから、たぶん生年月日だけ見れば、僕よりかなり年上なんでしょうけれど、それでもあなたは十七で、僕より年下なんですから」
「そうでしょうね。たぶん本当は、僕とあなたは三百才以上違うんでしょうけれど……ああ、なんだか、リップ・ヴァン・ウィンクルみたいだ。あ、でも、あなたにはわからないかもしれないですね。これは僕らの時代の昔話で、谷へ迷いこんでいる間に世界では何百年って経過してしまったという話なんです。その間、本人はたいして年を取っていなくて、周りの時間だけが流れてしまったというような」
「宇宙船の乗組員のようなお話ですね。本当にあったことですか?」
「いいえ、フィクションですよ。お伽話です」
「なんだ、そうですか。僕はてっきり、あなたがたみたいなことが、昔にもあったのかと思いました」
 ジョンソンさんは頭を振り、微笑を浮かべて言葉を継いだ。
「ああ、話が逸れましたね。不躾ですみません。実は僕、お隣のブースで、旧世界に関する文献を読んでいたんですよ。今はあなたがたのおかげで、旧世界に対する興味が急にみんなの中に出てきていますけれど、僕はもともと昔の世界に、非常に興味があったんです。僕たち新世界人から見れば、その……旧世界って言うのは、過去の汚点……こうなっちゃいけないっていう、見本みたいな感があるんですけれど……あ、気を悪くしないでくださいね。生活のため、重労働に負われる、気象変化はまともにかぶる。犯罪や暴力は多発する、戦争すら起きる。殺人は珍しくない。貧富の差は激しい。ごみごみしていて、狭苦しく余裕がない。ほとんどの人が自己中心的だ。そんな見方が一般的なんですよ。でも、僕はそれだけではないような気がして、ひょっとしたら大変だけど、おもしろそうなところかもしれないと、少し憧れてもいたんです」
「たぶんあなたたちから見れば、僕たちの時代は、そう思われても仕方がないと思います。でも、あなたの言うとおり面白いこともいっぱいあったし、この世界よりは変化に富んでいることも、確かでしょうね」
「そうでしょうね。あなたがたをニュースで見て、僕はとても新鮮な衝撃を受けたんです。あなたがたは、新世界人とは違っていますね。でも、いつも生き生きとして楽しそうです。公園で運動をしているところも見ましたが、本当に全身に生気が溢れているようで、本当に羨ましかったです。特にあの子はすごいですね……あの子なんて言っては、失礼だとは思いますが。大主と……あ、いいえ、なんでもありません。でもスポーツをやっているところなどを見ても、なぜあんなことができるのだと思うくらいです。恐ろしいほどの身軽さですよね。くるくる空中で回転したり、ものすごく高く跳んだり……」
「エアリィは例外みたいなものだよ。あれが旧世界人の典型とは思わないでほしいな」
 僕は思わず普通の口調に戻り、苦笑して肩をすくめた。
「でも、なんだか照れるな。あなたが僕たちのことを、それほど買ってくれるなんて」
「本当ですよ。僕はそれで、あなたたちの時代にますます興味を引かれたんです。もともと旧世界が好きで、歴史学者になりたいと思っていたくらいですから。僕の母方の叔父は、歴史研究班の主任学者なんです。ラリー・ゴールドマンというのですが……あなたたちとは、何回か面接していますから、ご存じとは思いますが」
「ああ、ゴールドマン博士の甥ごさん? へえ。あまり似てらっしゃらないから、気がつきませんでした。じゃあ、叔父さんの跡を継ぐんですか?」
「跡を継ぐというのは、よくわからないんですけれど……同じ道に進もうと思っています。僕は父に似ているから、叔父とは似ていないと、よく言われます。でも、叔父には息子と娘が一人ずついるのですが、叔父の研究にはあまり興味がないようだし、同じ母方の伯母の三人の子たちも同様なので、親戚の中では、僕と一番話が合うんですって。それで、良くいろいろな話をしてくれるんです。僕には兄弟がいないので、同じような興味を持っている従兄のヘンリー・メイヤーと二人で、いつも旧世界について、叔父から話を聞いていました。ヘンリーは父方の従兄ですから、ラリー叔父と血縁関係はないのですがね。お互い、二年前から専門課程に進んだので、僕たち二人は本格的に歴史の勉強を始めたんです。僕たち専門文献を調べに、よくここの図書館を利用しているんですよ。個人用端末に取り込むには、少しですがお金がかかりますしね。だから、今日もヘンリーと一緒に来て……彼は十五番のブースにいますが、アイスキャッスルについての文献を調べていたんです。それが見つかったから彼を呼びにいこうと思って、立ち上がったら隣にあなたがいらっしゃるでしょう。それでつい、のぞいてみてしまったんです。すみませんでした」
「僕もあなたと知り合いになれて、うれしいですよ。でも、アイスキャッスルって何ですか?」
 耳慣れない言葉に、僕は何気なくそう聞いた。
「ご存じないんですか? 叔父があなたがたに話しませんでしたか? カタストロフから、唯一生き延びられた場所を」
「えっ、そんな場所が? それはどこ?」
「カナダ地方の、相当北の方です。そこにアイスキャッスルという名の人工施設があって、そこにカタストロフ当時、約八千人の人間がいたんだそうです。地球上で災害を逃れて助かったのは、唯一そこだけなんだそうですよ。でも、もともとすごく寒いところに、核の冬が加わったから、生存条件は非常に厳しかったそうですけれどね。二千人以上の人がそこで脱落して、残った人たちはオタワまで移ったんです。そこから新世界の基礎が築かれたんですよ」
「ええ!?」
 僕は思わず声をあげてしまった。
「詳しく話を聞かせてください。そうだ、みんなも呼ばなきゃ。おーい」
 僕は我を忘れ、声を上げて他の五人を呼び寄せた。みな怪訝そうな表情で、それぞれのセッションを中断して、ばらばらとやってくる。
「なんだよ、ジャスティン。さっきから何をひそひそ話しているんだと思ったら、あげくに大声だ。図書館では静かにしなくちゃ、だめじゃないか」
 ジョージの注意を遮って、僕は言った。
「それどころじゃないんだよ、大ニュースなんだ。ああ、この人はアイザック・ジョンソンさん。あのゴールドマン博士の甥御さんらしいんだ。彼がとても重要な話を知っているみたいで……ねえ、ジョンソンさん、僕たちにもっと詳しい話を聞かせてください」
「ええ。お望みなら、いいですよ。あなたがたには、興味深いお話でしょうし。でも、ここでは少し不向きですね。あちらのグループ用ブースを借りた方がいいでしょう。僕もヘンリーを呼んで、必要な手続きをしてきますから、あなたがたもご自分のセッションをいったん終わらせて、カードを返してきてくださいませんか」
 アイザック・ジョンソンは自分のブースのセッションを終了させ、少し離れたところにいる彼の仲間になにごとか耳打ちしてから、受け付けマシンに向かった。僕らも言われるままに自分たちのセッションを終了させ、カードを返した。

 グループ用閲覧室は、個室としてのつくりになっていた。白い半円形のテーブルが壁際に置いてあり、その上に、少し大きめの端末がのっている。テーブルを囲むようにして、椅子が五客置いてあった。僕らは立ったまま、まずお互いに簡単な自己紹介をし、それからアイザック・ジョンソンと、彼のいとこヘンリー・メイヤーが端末の前の椅子に座り、その周りにロブ、ジョージ、ミックが座った。椅子が足りないので、エアリィとロビン、僕は立ったままだったけれど、ディスプレイはよく見える。
 この端末は(図書館にあるものすべてがそうだが)、タッチパネル方式で操作をする。指でもできるけれど、画面に指紋がつくので、ディスプレイの横に専用のタッチペンがセットされている。アイザックがそれを取り、操作をして、画面を出した。
「ここにアイスキャッスルに関する情報があります。見てください」

【アイスキャッスル および 新世界黎明期の歴史概略】
 そんな表題に続いて、詳しい記述が現れてくる。

【アイスキャッスルとは、カタストロフの一年前、二〇二〇年に、カナダ・トロントに本社を置く総合会社、スタンフォード・コーポレーションが当時のカナダ政府と共同で開発した、北部地方のレジャーランドである。スケート場や遊園地、多目的広場などの屋外施設と、合わせて三二〇〇人を収容できる三棟のホテル、ショッピングモール、アミューズメント施設などの屋内施設とで構成される。屋内施設は核シェルターにも使われる目的で、地下部には数百万食の非常食や数多くの非常用品が備蓄されている広大な倉庫と、一部屋につき十二人が滞在できる、暖房設備つきの小部屋が四百あまり作られ、有事の場合にはアーケードの屋根の上から放射線シールドの幕で覆われたドーム状になるように、設計されていた。水道は深層伏流水を殺菌したのちRO浸透膜で濾過して利用し、下水は独自の簡易濾過施設を通して、海へと放流していた。電力は近くに天然ガスの油田が産出したので、それを利用して自家用発電所を建て、施設自体に電力を供給し、暖房システムはガス油田からとれるガスをそのまま燃料としていた。それらのエネルギーや生活関連施設はカタストロフの衝撃にも壊れることなく機能し、文字どおりアイスキャッスルの生命線となったわけである。
 アイスキャッスルは天然のオーロラと真夏にもウィンター・スポーツのできる多目的スポーツランド、レジャーランド、そして北極圏の動植物生態観察拠点としても、好評を博していたらしい。営業期間は五月一日より九月末日までに限られている。ただし問題の二〇二一年十一月二日は、当時大変に人気のあった音楽グループの野外演奏会が開かれたため臨時に営業し、八千人以上の観客が集まった。そこにいた人々が、我ら新世界人の祖となるのである。構成比はカナダ人二八%、アメリカ人四一%で、双方あわせて六九%に達した。イギリス人十%、その他のヨーロッパ人十三%、アジア・オセアニア地域とラテンアメリカをあわせて八%である。英語を母国語とする人が大半だったため、我々新世界の公用語は英語となり、同じような理由で通貨はドルとなったわけである。
 なぜ、その地だけが恐ろしい災いを逃れえたのであろうか。もちろん、こんな辺地に直接核の被害は届かないが、その後もたらされた大量の放射性物質によって、地球上の辺地に住んでいて、なおかつ天変地異からも辛うじて生き延びられた人々も、ほぼ地球全体で起きたスカイシャイン現象と残留放射性物質で、すべて死に絶えてしまったようだ。当時のニューヨークなど水没地域の大都市でも、おそらく人々は核兵器と放射線によって即死し、その後、海の中に沈んだということが、二三世紀末の調査で明らかになっている。水没地域以外のシェルター内の人々は、即死は逃れたものの、食料が切れた時点で、命運は尽きていた。外へ出れば、外部に残留していた致死量の放射線にさらされ、内部に残れば緩慢な死を待つしかない。そうして全滅したシェルターの跡をいくつか見てきた。地球外の宇宙ステーションにいた人々さえ、帰還手段を失って宇宙で命を終えたようだった。
 しかし、ここは例外だった。原因ははっきりとはわからないが、地上でここだけ、スカイシャイン線も致死量の放射性物質も届かなかったようなのだ。アイスキャッスル施設内に残されていた、当日の気象衛星からの写真には、上空をすっぽりと覆う、巨大な台風のような雲が写っていた。その雲は回転しているようで、真ん中に巨大な「目」がある。それがちょうど施設全体の上空にあった。そこから推測されるのは、ここはちょうど台風の目状態で、周りの気流をはじいていたのではないかということだが、それでも完全には、その謎を解くことはできない。しかしアイスキャッスルにフォールアウトが届かなかったのは事実だということは、唯一その地の人間だけが生き残ったということから、実証されよう。地殻変動もプラスに働いたようで、その施設一帯が隆起し、急激な海面上昇や津波から救ったらしい。さらに隕石群もこの一帯五百キロ四方には、降った形跡はなかった。
 アイスキャッスルでの生存者たちの記録は残っていないので、なぜここだけがフォールアウトから逃れられたのか、それはあの一枚の気象写真だけからしか推測できないが、そこから五千八百人ほどがオタワに移住し、新世界を起こしている事実を鑑みると、その不可思議な天然のバリアは、相当長期間持続したのではないかと思える。それゆえ、鉛を練りこんだ薄いシールドだけで、中の人々の致命的な被曝を防ぎえたのであろう。
 だが、避難民たちの生活は困難をきわめたであろうと推測される。核の冬が訪れると、極寒の北極圏という立地と相まって、低気温となったであろう。さらにアイスキャッスルに備蓄された食料だけでは、八千人あまりの人々が長期間生き延びるのには、不足したことだろう。それゆえか、約二千四百人がその地で力尽きている。個々の名前はわからないが、最初の人数、オタワに移った人数だけは伝えられているので、この数字はそこから割り出したものである。
 生き残った人々は、飛行場に残っていた飛行機を使って、全員がオタワへ移動した。やはり個々の名前はわからないものの、その記録は残っている。さらにその最初の十年間で、放射能障害と、そのために引き起こされた疾病のために、約三千人が死んだということも。人口は最低で二千人を切るまでに落ち込んだ。しかし、オタワに移ってから十年の間に、三人の科学者が万能ロボットを作り上げ、それを使って街を復旧した。初期のロボットたちの生みの親は、「始原の三賢者」と呼ばれる、世界復興の最初の貢献者たちである。その後百五十年間に、七人の傑出した科学者たちが現れ、新しいロボットやコンピュータ、発明された機械を駆使して、現在の文明の基礎が築き上がったのである】

――ノアの方舟。そんな言葉が脳裏をよぎった。世界中が滅びた中に、唯一生き残った救いの地は、方舟ではないけれど、似つかわしくない場所に建設された大規模施設。ただ方舟と違い、世界を滅ぼしたのは大規模水害ではない。核と、水と、フォールアウトの複合技だというその中で、どういう仕組みで、ここだけがその災いを免れたのか。台風の目、気流の関係――記録にはそう推測されているが、仮にその時にはそれで助かったとしても、そういう気象現象は、普通そんなには持続しないだろう。防げるのは、初っ端の中性子線くらいなものだ。もっともそれだけでも、かなり違うだろうが――いや、中性子線は、気流に影響されたりするのか? 奇跡――アイスキャッスルを救い、新世界を作ったのは、神の奇跡なのか――?
 どんな理由にせよ、中の人々、八千人は生き延びたという。最終的には、三分の一ほど脱落しているようだが。その中の生活は、どうだったのだろう。核の冬の極寒。おまけに極地だ。食料だって、ふんだんにあるわけではないだろう。
 ここで最初の日に食べた食事を、思い出した。乾パンと豆の缶詰とドライミルク。『私たちはこれを食べて、先祖の苦難を思い、感謝を捧げることにしているのです』という、シンプソン女史の言葉。この時、すべて合点がいった。新世界創立者たち、おそらく僕らの世界唯一の生き残りたちは、当時それを食べて(厳密にこの献立ではないかもしれないが。記録はほとんど残っていないというから)、生きていたのだろう。劣悪な食事、最悪の環境。多くの人たちが、そこで命を落としたという。でもその条件をまともに考えたら、全滅しなかったのが不思議なくらいだ。
「あっ、でも、あなたがたはまだ、歴史の文献は見ないほうが良かったんでしたっけ」
 アイザックが急に戸惑ったような声を上げた。今ごろ叔父の注意を思い出したらしい。
「しかも、これは一般では見られない、専門文献だよ、アイク。でも、もう遅いね。見せてしまったんだから」
 ヘンリー・メイヤーが苦笑を浮かべ、首を振っている。彼の顔は、従弟によく似ている。ただ、髪や目はもう少し黒っぽく、ちょっとずんぐりした体型の持ち主だ。
「そうだ。一度見せてしまったんだ。僕らはもう知ってしまった。出来たら、もう一度見せてくれないか。ちょっと気になる点があったんだよ」
 ロブが彼らに向かって、熱心な口調で頼んでいた。
 アイザックとヘンリーはしばらく戸惑ったように顔を見合わせていたが、頷いて、ペンで画面に触れた。さっきと同じ文章がまた流れはじめる。
「ストップ!」
 ロブは小さく叫んで、指でポーズキーに触れた。画面はまだ最初のページだ。
「この、トロントのスタンフォード・コーポレーションというのは……」
「あー、うちの会社だ!」
 ジョージとロビンが同時に声を上げた。
「ええ!」
 僕らは驚きを含んだ叫びを上げた。たしかにそうだ。
「そういえば旧世界は商業が盛んで、個人企業が多くあったらしいですね。この会社も、そうですか?」ヘンリーがそう尋ねてくる。
「そう。これは俺たちの祖父ちゃんが作った会社なんだ」ジョージがそう答え、
「そうだな、やっぱり。間違いない。二一世紀初めにトロントにあるスタンフォード・コーポレーションといったら、あのバーナード・スタンフォード氏の会社に違いない。それはここにいるジョージとロビン・スタンフォード兄弟の祖父が創業して、現在は祖父と父親が共同で経営している会社なんだよ」と、ロブは何度も頷いている。
「ということは、あなたたちのお祖父さんの会社が、このアイスキャッスルを作ったんですか?」アイザックも、すっかり驚いたような口調だった。
「この資料によると、そうなるんだろうなあ」
 ジョージは当惑したような表情で、首を捻っている。
「でも、まだ出来てはいないぞ。もちろん俺たちの時代には、だけどな」
「だけど、作るかもしれないって、言っていなかった?」
 不意にロビンが、思い出したように頭と声を上げた。
「この間家に帰った時に、父さんやブライアン兄さんが言っていたじゃない。政府の北方開発計画と、有事対策の一つで、ヌナプト準州のどこかに、大きなシェルターを兼ねた、レジャーランドを作る予定があって、今、その立地調査を請け負っているって」
「……と、そう言えばそうだったな。思い出したよ。シェルターの方は、いざって言う時、南の方の大都市から飛行機で逃げてこられるようにっていうのがもとだから、空港と建物のシェルター部は完全に政府もちだが、商業施設だけでも結構かかるから、物珍しさだけで人が来てくれるかどうかわからない。輸送コストが相当かかる上に、工数もかかるから、リスクが大きすぎる――父さんや兄貴も、伯父さん伯母さんたちも、みなあまり乗り気じゃないが、お祖父さんだけは、シェルターだけにするのはもったいないって、すっかりやる気でいる。バーニー祖父ちゃんの威光は絶大だから、やらないわけにはいかないだろうって――祖父ちゃんのパイオニア精神にはお手上げだ。でもまあ、だからこそ一代でここまで会社を大きくできたんだろうなって、父さんも兄貴も何とも妙な顔で言っていたっけな。まあ、たしかに大冒険だろうけど、何事もリスクなしに大きなことは出来ないってのが、うちの会社の売りだからな」
「そうなんですか。偶然ですね」
 アイザックとヘンリーも、すっかり驚いた顔だ。そしてアイザックが、感嘆したように続けた。「では、もしあなた方のお祖父さんがアイスキャッスルを作る気にならなければ、僕たちのこの世界も、なかったのですね。シェルターは残ったのかもしれませんが、たぶんそれだけでは、コンサートは出来ませんから。そう思うと、不思議な気がします。一つ間違えれば、足元が危うくなりそうな恐さもありますね」
「そうなんだ。それが気になる点の一つだったんだよ。それからもうひとつ。これは関係ないかもしれないが……」
 ロブは頷きながら、さらに指摘を続けている。
「ここの記述だ。営業は九月まで。だが十一月二日は、当時大人気だった音楽グループのコンサートが開かれたから、臨時営業したとあるね。いったい誰が、こんなところでコンサートを開いたんだ? 定員いっぱいの人を集めて。ホテルだけでなく、シェルターまで解放した人数だな、八千人とは。しかもこの日は……」
 ロブはポケットから手帳を取り出し、ぱらぱらとめくってカレンダーを出した。回収されたのは衣服や靴だけだったので、貴重品や他のものは僕らみな持っていて、普段はキャビネットの中の引き出しに、それぞれ割り当てを決めて入れている。ロブは新しい服をポケット付きのデザインで取り寄せ、いつもそこに手帳とペンを入れていた。カレンダーは二〇一〇年のものだが、計算方法がわかっていれば、十一年後の曜日はわかる。それを頭の中で考えているようにじっと見た後、頷いていた。
「そうだ、たぶん火曜日だ。まあ、名の知れたミュージシャンなら、八千人くらい軽く集客は可能だが、こんな辺地で、オフシーズンで、しかも平日だ。それでこれだけの人数を集められるのだから、よほどファンが熱心なのか、すごい人気だったのだろうね。同業者として、そこのところは気になるんだよ。グループ名までは、記録に残っていないかい?」
「概略にはのっていませんけれど、詳しい資料なら出ているかも知れません」
 ヘンリーが首を傾げながら、ちょっと考えるように答えていた。
「個人名なら、わかりやすいんですが、集団の名前というのは、僕らにはあまり理解できないんです。だから概略には、のっていないけれど……」
 彼はしばらくペンを手にし、次から次へと画面を変えていたが、やがて顔を上げた。
「わかりました。参照資料の補遺にのっていました。『エアレース』っていうんです。スペルは、A・I・R・L・A・C・E。みなさんと同じカナダ、トロント市出身の五人組の楽団だそうです。ご存じですか?」
「ええ!!」
 僕らは声を上げ、お互いに顔を見合わせた。
「ご存じも何も……それは……僕たちだよ!」と、僕は思わず叫んでしまった。
「ええ!」
 今度は驚くのは、アイザックとヘンリーの番だったようだ。
「本当ですか?!」
「ああ。少なくとも僕らのバンドと同じ名前だっていうことだけは、たしかだね」
 ミックが頷き、そして少し間を置いて続けた。
「もっとも、同じ名前の違うバンドもいないことはないけれど、一つのバンドがプロとして、その名前を登録したら、解散しない限り、他のバンドはそれを使えないんだ」
「解散って、なんですか?」
「ああ、つまりね、もう一緒に楽団として活動していくことを、やめるということだよ。その時に、グループ名の権利も消失するんだ。有名なバンド以外はね。だから僕らが解散したら、あとに他のバンドが同じ名前を名乗るということは、ありえるんだ。でも僕らが現役でいるかぎり、この名前は僕らのものなんだよ。それに僕らの場合、Raceじゃないからね。もともとCosmic Stringsからの派生で命名したから、宇宙のファブリック、織り成す光の装飾、そういう意味でLaceなんだ。だから、そうそう他が思いつく名前じゃないと思うんだけれど」
「そうなんだ。薄い雲なのかなって思ってた」
 エアリィが少し驚いたように口をはさみ、
「ああ、まあ、そうだね。そういう連想にもなるね」と、ミックは肩をすくめている。
 まあ、僕も最初は絹雲を連想したから、わかる。バンド名の由来と言うか意味は、ちょっと無理やりじゃないか、と感じたのはたしかだし。でも意味と響きが全員気に入ったから、この命名になったのだが。そう言えば、エアリィにはバンド名の意味を説明していなかった。彼からも、訊ねては来なかったし。やっぱり、誤解していたのか。
「そうなんですか……」
 多少の脱線にもめげない様子で、アイザックは頷いていた。
「ということは、あなたがたが、このバンドと同一の可能性は高いんですね。でも、それなら……あなたがたは帰っていないと、辻褄があわなくなりますね」
 その言葉に、僕は飛び上がるようなショックを受けた。
「そうだ! もしこれが僕らだったら……帰れるんだ!」
「たしかにそうだ。それならきっと……」
 ミックが言いかけて、考え込んでいるように少し黙ってから、言葉を継いだ。
「でも、ちょっと待って。喜ぶのは、まだ早いかもしれないよ。もうひとつの可能性も、考えられるからね。もし僕らが帰れなかったとしたら、失踪ということになって、バンド名の権利も、二〜三年で消滅してしまうね。そうなると、他のバンドがその後同じ名前を名乗るって言うことも、ありえてしまうんだ。今の時点では、僕らはまだデビューしたばかりで、知名度もないけれど、トロントは僕らの地元だから、そこで活動しているほかのバンドがたまたま知って、気に入ってつけることだってある。可能性はかなり低いと思うけれど、でも完全にゼロとは言えない。バンドの人数だって、五人は珍しくないからね。これだけでは、僕らが帰れる証拠にはならない。もう少し、詳しいことがわかればね。メンバーの名前とか、デビュー年……それがわかれば、決定的な証拠になるんだけれど。そこまでは、のっていないかい?」
「いいえ。残念ですが、それ以上の詳しい資料は、ここでは見られないようなんです。すみません」
 アイザックがすまなそうに首を振りながら、答えた。
「じゃあ、仕方ないね。謝ることはないよ。君たちの好意で見せてくれているのだし」
 ミックは彼らに笑顔を見せて頷き、
「うん。そうだよ。ありがたく思ってるんだ」
 僕もそうフォローした。
「でもこの問題、ちゃんと調べてみたほうがよさそうですね」
 アイザックは僕らを見、熱心な口調で言った。
「今、ラリー叔父たちが、あなたがたが過去に帰ったかどうかの証拠を求めて、資料を探索しています。でも、彼もあなたがたの集団名までは知らないんですよ。今夜家に帰ってから、連絡を取ってみます。叔父なら歴史主任学者ですし、もっと詳しい資料が見られますから、求める情報があるかもしれません」
「そうしてくれると、ありがたいね。少なくとも、希望の余地はあるわけだ。同一であるという証拠はないが、確実に同名異バンドであるという根拠もないんだ。これだけでは。もう少し調査してくれると、助かるよ。ああ、それから……たぶん、これは直接の関係はないかもしれないが、その記述の最後にある『始原の三賢者』の名前は、わかるだろうか? それも不思議なんだよ。集まったのがロックファンばかりだったら……しかも、我々にしても同名異バンドにしても、ベテランではないのだから、それほど年配の人は、あまり来ないように思えるんだ。その中から万能ロボットを作れるような高度の科学専門知識を持った人が、はたしていたんだろうか?」
「名前は簡単にわかると思いますよ。もっとも一般の人は、始原の三賢者という呼び名だけで、個人名までは知らないと思いますけど……」
 ロブの言葉を受けて、アイザックが再び機械を操作し、しばらくのちに顔を上げた。
「わかりました。この三人です。ジャーメイン・ステュアート博士、アラン・ステュアート博士、ジョセフ・ローリングス博士」
「ええ、ホントに?!」
「なんだって!?」
 エアリィと僕は同時に声を上げた。ジョセフ・ローリングスは、僕の兄と同姓同名だし、あとの二人はエアリィの継父と継兄と同じ名前だ。
「どうしたんですか?」
 怪訝そうなアイザックとヘンリーに、僕らはその事実を告げた。
「ええ?!」彼らもまた、声を上げる。
「まあ、もちろんこれも、同姓同名の違う人ってことも、ありえるけれどね」
 僕は頭を掻きながら、付け加えた。
「それはそうだけどさ、なんか偶然にしちゃ揃いすぎてない? 僕が知ってる限りじゃ、ジャーメイン・ステュアートなんて名前の科学者って、継父さんくらいしかいないし」
 エアリィは首を傾げている。
「うーん。そうだな」ロブがうなった。
「ジャーメイン・ステュアート博士は、機械工学の世界的権威だ。たしかつい半年ほど前に、画期的なコンピュータ理論を発表したばかりだったな」
「けど、あれまだ仮説の段階だよ。証明して実用化するのには、あと十何年はかかりそうだって言ってた。ここ三年くらい、継父さんはそれにかかりっぱなしになってたけど、まだまだこれからなんだろうな」
「でもあれが現実になったら、今までのコンピュータとはくらべものにならないほど、画期的なスーパーコンピュータが出来るらしいね。あの人がロボットシステムの基礎を開発したとしたら、僕は驚かないな。ある意味では、これ以上の適任はないよ」
 ミックは少し感心したように、頷いていた。
「けど、もしその人が継父さん本人だったとしたら、なんでそんなところにいるんだろ? アラン継兄さんまで一緒に」と、エアリィが不思議そうに首をかしげ、
「そうだよ。おまけになぜジョセフ兄さんまで一緒にいるんだろう?」僕も首を捻った。
「そうだな。考えてみると不思議だな。そういえば、エアリィの継兄さんって人は、今MITの大学院にいるって、いつか言っていたよな。おまえにMITの特待生になれるよう教授に紹介してやる、とか言っていたって。専門はなんなんだ? それに、今何才なんだ?」
 そうジョージが聞いていた。
「アラン継兄さん? 機械工学とコンピュータが専門だよ。今二十才。来年の二月で、二一になるんだ。継兄さんは夏休みとクリスマス以外、ずっとボストンにいるから、みんなは会ったことないよね」
「二十才でMITの大学院生か? おまえの継兄さんって、どういう天才だよ!」
「彼はギフテットだよ。州認定の。理系の才能とプログラミング能力に秀でてるって判定で。ハッキングもできるって言ってたけど、いたずらはしてないと思う。継兄さんは普通の学校には行かないで、特別授業だけ受けて、十五で大学入学資格とって、MITに入ったんだ。二年前に大学院に進んで、再来年無事に博士号が取れたら、その後も、ずっと研究室に残るつもりだって言ってた」
「ひえ! それはすごいな! まあ、おまえもそのまま行っていれば、十四才の大学生になったわけだから、不思議じゃないのかもしれないが……それにしても、なあ」
「機械工学、コンピュータの権威に、同じ道を志す天才君の、親子コンビか」
 ロブが頷き、ついで僕にきいてきた。
「ジャスティンのお兄さんは、何をしている人だ?」
「ジョセフ兄さん? コンピュータエンジニアだよ。アメリカの大手コンピュータメーカーのトロント支社で、ハードウェア開発をやっているんだ。今は技術開発室の主任なんだ」
「ほう。お兄さんはいくつだ?」
「二五だよ。僕より八つ上だから」
「そうか。その若さで大手メーカーの技術開発主任となると、相当優秀な人なんだな。なるほど、これは役者が揃ったな。この三人の組み合わせならロボットの開発も、不可能じゃないだろう。これはバンド名の一致より、本人である可能性があるぞ」
「でも、ロブ。親や兄弟は、僕たち本人じゃないよ。僕たちが帰った証拠にはならないんじゃないかな」
 ロビンがためらいがちな口調で、小さな声で言う。
「いや、そこに一つの可能性が成り立つぞ。もしその三人がエアリィやジャスティンの家族ならば、さっきも言ったように、どうして彼らがそこにいたのかだ。同時に学会でも開かれていたなら別だが……そういう記述はあるかい?」
「いいえ。そう言う記述は残っていません」
 アイザックとヘンリーはしばらく資料を探した後、首を振る。
「だろう。そうなると、こういう解釈が可能だ。つまり、彼らは二人の近親者として、そこに来たのだ。おまえたちのコンサートを見にやってきた。そう考えれば、辻褄はあう」
「でも、兄さんが来てくれるかな……?」
 ジョセフは僕のことを今では理解してくれているけれど、仕事で多忙の身だ。十一年後は、今にもまして忙しいことだろう。わざわざ僕たちのステージを見にそんな遠くまで来てくれるとは、あまり考えにくい。
「んー、アラン継兄さんも心許ないけど……継父さんも……まちがってもロックに興味なんかありそうもないし。わざわざそんなド辺地まで来る暇も気も、ないんじゃないかなぁ」
 エアリィは僕より、もっと自信がなさそうだ。
「でも、これもたしかに、非常に興味ある一致ですね」
 アイザックとヘンリーは不思議そうな表情で、頷いていた。
「この事実も、叔父に話しておきますね」
 アイザックはセッションを切り、「みなさんにとって、良い結果が出るといいですね」と、微笑しながら言ってくれた。僕も(たぶん皆も)微笑を返した。

 二人は再び礼儀正しく僕らに挨拶をすると、図書室を出ていった。あとに残された僕らはしばらく言葉もなく、お互いに顔を見合わせていた。
「ここでこうしていても、埒が明かないな。みんな、どうする? 本の続きを読むかい?」
 ミックが口火を切った。
「もう読む気が失せたよ」
 僕らは一斉にそう答える。
「だろうね。僕もだ。このアイスキャッスルの件に関しては、謎だらけだ。とても希望の余地がありそうだけれど、でも僕らには、これ以上確認しようがない。歴史班の研究結果を待ってみるしか、できないようだね。部屋へ帰るかい?」
「そうだね」
 そうするしかないようだ。みな頷いて、図書室を出た。




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