「生」と「死」を分けるものは何か
人間の生命の原理を無視した近代西洋医学
コラムNo.16
人間にとって死は宿命であり、すべての人間が必ず死を迎えます。古来、人間は「生者と死者」「生物(生命体)と無生物(物体)」の違いに多大な関心を持ち、さまざまな思索をめぐらせてきました。生者と死者は、外形は全く同じであるのに、根本的に異なっています。人間は死とともに体温が失われ、肉体は徐々に冷たくなっていきますが、この生と死の違いを決定しているものは、いったい何でしょうか。
昔から人々は、人間を生命体として成り立たせているものを“生命”や“生命エネルギー”と呼んできました。こうした生命に関する問題を論じるのが「生命論」です。近代以前には「生命論」は、宗教や哲学だけでなく医学にとっても重要なテーマでした。医学が生命について考察することは当たり前でした。特に、西洋医学の祖と称されるヒポクラテスの登場以後の古代ギリシア・ローマ時代には、生命に関する議論が盛んになされました。
古代ギリシアでは、「物体を生命体として成り立たせている原理」について、さまざまな説が唱えられました。アリストテレスは、霊魂(プシュケー)を生命原理と考え、「霊魂とは生命であり、すべての生命体(生物)に備わっているもの」と定義したのです。
物体を生命体として存在させている「生命・生命力・生命エネルギー」は、古代ギリシアでは「プネウマ」とか「プシュケー」と呼ばれましたが、「プネウマ」という用語が多く用いられました。プネウマには、大気・呼吸気・生命・霊魂といった意味があり、中国の気(気エネルギー)やインドのヴァータに通じる概念です。中国人が「気」を生命の原理として考えてきたように、ギリシア人は「プネウマ」を生命の原理として捉えてきたのです。
しかし、近代科学の勃興とともに「生(生命)と死の問題」は、宗教が扱うテーマとして医学から切り離され、排除されることになりました。やがて「生命論」は、医学の中でタブー視されることになりました。しかしその事実こそが、近代西洋医学が医学として根本的な欠陥を初めから有していることを物語っているのです。近代西洋医学は、医学にとって不可欠な要素である「生命・生命力」を完全に排除し、ありのままの人間(全身体的な人間)を対象としない“唯物医学”であることを自ら表明しているのです。
※「真のホリスティック医学」では、「生命」と「霊」を同じものと見なし、「生命とは霊であり、霊とは生命のことである」と定義しています。生物(生命体)と物体の間には明確な一線が引かれ、物体を生命体として存在させている生命・生命力・生命エネルギーを「霊」と呼んでいるのです。
人体を精密な機械・物体と見なす科学や西洋医学では、人体の物的構成要素を細分化してミクロの次元にまで分析の手を伸ばしてきましたが、どこまで行っても“生命”を発見することはできません。物質ではない生命を、物質的手段で見いだすことはできないのです。しかし、“生命(霊)”は、確かに人間の内に存在しています。