4 トゥーリナとターラン4
「トゥー、僕ね、二者になったんだよ。」
フェルとの試合から、7年と少し経った。その間にターランはジオルクとネスクリを倒した。ジオルクをフェルの時の様にぎりぎりで倒した彼は、ネスクリを倒すには少なく見積もっても後10年はかかるだろうと思っていた。しかし、ザンがそろそろいいだろうと言って、ターランを個人指導し始めた。ザンが全部下を鍛える時もとても厳しくて辛いのに、個人指導はそれ以上で、彼は、強くなる前に死ぬのではないかと思ったことも何度かあった。しかし、それはターランを確実に強くした。そして、彼は二者になった。
「そうかよ。」
ザハランはどうでもよさそうな顔をしていた。
「ネスクリはね、自分の地位は決して揺るがないだろうって思っていたみたいで、今ちょっと荒れてるんだ。だから、見かけたら側に寄らない方がいいよ。」
「…。」
何を言ってもザハランは無関心なので、ターランは、諦めて部屋を出た。
「…ザンの言った事、ターランに関しては当たりそうだな…。」
少しだけ心が動いた。でも。『今更あいつに追いつけるか?俺より下だったあいつに…。』
「俺は、やる気のある奴とだけやっていきたいんだ。」
ザンの部屋。彼女がターランに言った。「こうもりはもう駄目だろ。あいつを飼っている意味がない。」
「もうちょっと待って下さいっ。もうちょっとだけ。」
ターランは慌てた。トゥーリナと一緒にいられないなんてとんでもなかった。
「もう充分過ぎるだけ待ったぜ?」
「お願いですっ。やり方を変えますから。今までは甘かった、もっと努力しますから…。」
ザンは必死の顔で言うターランを見ていた。
「どうしてそこまで想える?あいつはお前に対していい態度なんてとらないじゃないか?あいつと一緒にいて、いいことはあったか?報われたことは?追いかけ続けて一生生きて、お前はそれで楽しいのか?…俺には理解出来ねえな。俺はそんなのは絶対に嫌だ。ほんの少しの可能性もないものに、そこまで出来ねえ。」
「いいんですよ。俺は。俺は別に嫌じゃない。…多分これから一生ザハランが俺を見なくても、俺は今のまま、彼を想っていけますよ。」
「…。」
「ともかく、もう少し待って下さい。必ず…。必ず…なんて言えませんが、彼にやる気を出させますから。」
「分かった。俺も出来ればあいつにやる気を出して欲しいんだ。あれだけの力を持つなんて、どれだけの奴が願うと思う?第一者は遠いぜ?限りなくな。お前らにはもったいねえよ。どんなに頑張ってもどうしようもない才能の差がある。その才能を持った奴が自分の力なんてこれっぽちも気にしていないなんて。」
「…。」
ザンの言っていることが少しは分かるような気がした。ターランの求めても得られないのはトゥーリナだけど、もし、トゥーが誰かに取られてしまい、その誰かがその幸福をなんとも思わず、トゥーに文句でも言い出したら…。きっと自分やトゥーが持っている力を無駄にして過ごしていることについて、フェルやネスクリ達はそんな気持ちでいるのだろうと…。
ターランは立ち上がった。トゥーリナ以外の誰かの為に動くのは好きではない。でも…、あの時ザンが自分を殺さないで、今ここにいるのが幸福なのなら。トゥーの為と倒してきた部下達の心を少しは考えても損ではない筈。繋がっていないかも知れないけれど、なんとなくそう思った。
ザハランは、ぶらぶらと歩いていた。手持ちのお金が乏しいので、ターランを探していた。さっき何か喋っていた時に貰えば良かったと思ったが、もう遅い。仕方ないので、普段はゆっくり見たことのない城の中を見学しながら歩く。王侯貴族の住むような華麗な城だけあって、内部の装飾も美しかった。目の覚めるような上品な美女なんかが歩いていてもおかしくないのに、歩いているのは召し使いの小娘や無骨な男達だ。召し使いはおかしくないかもしれないけど、お城で働くなら娘達だってもっと洗練されていそうだが、ここにいる娘達はちっとも良くない。売春宿の女性達の方がましだと思う。
ザハランは、ふと足を止めて窓から見える景色を見つめた。赤く暗い空に、森や川や何もない砂地。この窓からでは城下町が見えない。空には鳥目ではない鳥が少しだけ飛んでいる。妖魔界の鳥は夜行性だ。人間界のように、暗いと大抵の鳥は飛べないのだ。
そうやって窓辺に佇んでいるザハランへ、通りかかる者達は冷たい視線を送る。彼は働かないので相変わらず嫌われ者だった。何で追い出されないのだろうと皆が思っていた。
「トゥーっ、どうしたの?そんな所で何していたのさ?」
ターランが駆けて来る。ザハランは探す手間が省けて、ほっとした。
「お前を探していた。」
「えっ、どうして?」
「金がねえ。」
「…なんだ。もっと違う言葉を言ってくれると思ったよ。」
「いいから、寄越せ。」
ザハランは当然すぐに出すものだと思っていた。しかし。顔を曇らせたターランの言った言葉は、
「…嫌だね。」
だった。
「何だって?」
ザハランは聞き間違えたのかと思った。ほんのちょっと前までは普通だったのだ。しかし、ターランは続ける。
「俺は君に尽くすのを止めたんだ。」
ターランは冷めた表情を作る。「今は俺の方が君より強い。だから、君が俺に従うんだ。」
「ふざけるな。てめーが俺に金を渡したくないなら、それでもいい。が、それくらいで俺がてめーの言いなりになると思ってるのか?」
腹が立ってきたザハランはターランを睨み付ける。
「言いなりになるっていうのは、本人の意思が関わらない事もあるんだよ。俺がこれから証明するよ。」
「何言って…。…?…!!」
ザハランはターランに抱き寄せられて、無理やりキスされた。
「俺はこれから、君と思いを遂げる。出来れば君から誘って欲しかったし、僕は君を受け止めたかったけどね。でも、いいや。そんな夢は永遠に叶いそうにないし。君に僕を受けてもらうことにするよ。」
「なっ、て・てめぇっ。」
ザハランはターランの肩に担ぎ上げられて運ばれた。
「…。」
どんなに抵抗しても無駄だった。蹴飛ばしても暴れてもターランはびくともしなかった。それもショックだったのだが、ターランの部屋にさらに驚いた。ザハランの部屋は、ベッドと小さな机しかなく、とても窮屈な部屋なのに、二者用の部屋のなんと豪華なことか。この美しい城にとても似合う立派な部屋だった…。本当はそんなことに気を取られている場合ではなかったのだけれど。
はっとしてターランを見ると、彼は別人のような顔になっていた。そして…。
ザンの部屋。ザンは戻ってきたターランと会っていた。
「ちょっとあれはやり過ぎだったんじゃあ…?」
ザンは監視室のモニターで見ていた。全部は見なかったけれど。
「いいんです。俺を憎む気持ちがトゥーを強くするのなら…。」
「下手すりゃお前、あいつに殺されちまうぞ?」
「構いませんよ。俺はトゥーの為なら、なんでもするんです。」
ターランは笑った。ザンには信じられなかった。こうもりがやる気になったのは、いいことなんだけど…。
「ほらほら、もうばてちまうのかよ?甘ったれてると戦の時、下らねえ攻撃で死ぬんだぞっ!」
ザンが大きな声を出す。基礎体力を上げる簡単な訓練で、疲れた部下達がばたばたと倒れていく。その中でザハランは、周りの者を視線だけで殺せそうな顔で黙々とついていっている。部下の中には、久しぶりに参加した彼を不信そうな目で見ている者もいた。
暫く後。実力の近い相手と戦う時間になった。皆ふらふらしながら向かい合う。ザハランもかなり疲れているが、凄まじい殺気で対戦相手を圧倒していた。
それを見ていたザンの口元に笑みが浮かぶ。しかし、すぐ複雑な表情になった。ザハランはターランを殺す為に体を鍛えている。ターランはザハランにやる気を出して欲しかっただけなのに…。出来れば気付いて欲しい彼の本心に。
「でないと救われないよなあ…。」
ザンは呟きながら、複雑な表情で向き合っているターランとネスクリに目をやる。
「仕事が滞っているそうじゃないか。ちゃんとやってくれないと困るんだぞ。」
ネスクリは横柄に、今は自分より上になったターランへ言った。
「それはそうですけど…。ザン様は、言ってもやってくれないんですよ。」
「口で言っても無駄だぞ。だから言ったじゃないか!ザン様は尻を引っぱたかないと仕事をしないんだ。」
「で・でも…。」
「叩くのは尻だけだぞ。間違っても顔は叩くな。前にジオルクがそうしたら、危うく死ぬ所だったそうだから。」
「…男扱いしない方がいいんですねー…。」
「ザン様は男になりたいわけじゃない。自分の望みを叶えるまでは、女に戻らないと決めただけだ。」
「願掛けで男の姿をしているんですね。」
「そうだ。…そんなことより、ザン様に仕事をしてもらえ。困るのは俺達だぞ。」
「…ネスクリさんがやって下さいよ。俺には出来ません。」
「…。」
「ザン様のお尻を叩くのまで、二者の仕事のうちってことはないでしょう?」
「ま、それはそうだ。」
「だったら、お願いします。」
「…仕方ないな。」
ネスクリはため息をつくと、ザンの部屋へ入って行った。
「嫌そうな言い方の割には、ずいぶんと嬉しそうだなあ。…きっとやりたくてそうしていたんだ。」
ターランはそう思った。
ザンの部屋へネスクリが入ると、彼女はもう何が起こるのか分かったような顔をした。
「ザン様!ちゃんとしてくれないと困りますよっ!…俺はいいですよ。貴女様のお尻を叩くのは悪い気分はしませんし…。第二者を叱るなんて、普通は夢にも思わないことなんですから。」
ネスクリは言いながら、形ばかりの抵抗をするザンを抱き寄せる。本気で抵抗したら、ネスクリがばらばらになるかもしれないし、そうなるとザンの城はまためちゃくちゃになってしまう。でも、上司が部下に素直に叩かれるなんておかしい。だから無駄な抵抗をしてしまう。
「お前、城よりも俺の尻を叩くのが大事なんだな。」
その言葉を聞いたネスクリは、ザンから手を離し、彼女の顔を見た。
「そんな。俺だってここへ来たばかりだった頃のような貧しい生活はしたくないのですよ。…ま、確かに男として女性にするお仕置きを、第二者である貴女様にしたいっていう少し不純な考えはあります。でも、それ以外に貴女様に仕事をして頂く方法は思い当たらないのですから、俺だけが悪いと言われるのは心外ですよ。」
「別に責めたんじゃない。ただ感想を述べただけだ。…ちぇっ、俺にはやらなきゃならないことが沢山あるっていうのに、目の前に書類を積まれるとそういう大事なものは何処かへ飛んでっちまうんだよな。俺が仕事をすれば少しでも妖魔界が良くなり、俺の理想に近づいていくっていうのによ?書類を読んで片付けるのは些事に思えちまう。その積み重ねが大事な筈なのに、こんなことよりもっと別なやり方でやっていけないかって思うんだ。大人しくしているのは性に合わねえ。面倒だし、外で暴れたいと現実逃避しちまう訳だ。」
「ま、俺に尻を叩かれれば、その怠けた心が変わるのだからいいではないですか。性格はそう簡単に変えられないし、俺は貴女様の尻を叩くのを楽しみはしますが、それは、貴女様が叩かれないと仕事が出来ないと馬鹿にすることにはならないのですよ。他の者達だって、別になんとも思っていないと思いますよ。ちょっとは疑問に思うでしょうけれど…。」
「そうか。」
「そうですよ。」
ネスクリは、ザンを膝に横たえ、ズボンを足首まで下ろす。何の飾りもないので少し面白味に欠ける白いパンツを膝で止める。尻尾を曲げて体と一緒に抱えた。ザンがごくりと唾を飲み込む。ネスクリはザンが身構えて痛みが軽減しない様に、お尻を軽く撫で始めた。
「何すんだよ?」
「大丈夫ですよ。お尻叩き以外の行為をして、殺されたくないですから。ただ、ただでさえ強い貴女様にお尻を硬くされると、痛く叩くのが大変なので、貴女様の気をそらそうと思っただけです。痛くないとお仕置きになりませんから。」
「うー。」
ザンが唸ったが、ネスクリは気にせずに手触りの良いお尻の感触を楽しんだ。が、あんまり続けるとザンが怒りそうなので、とうとう叩き始めた。ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ。
ぱんっ、ぱんっ。最初はゆっくり叩く。弱くしたり強くしたりするが、早くはしない。ぱんっ、ぱんっ。『いくつ叩くか言わなかった…。まあいい。ザン様も気付いていない様だし、久しぶりにいい思いをさせてもらわないと。』ネスクリはふとターランに負けた嫌な思いが蘇った。ぱあんっぱあんっ。私情が混ざり、つい強く早く叩いてしまう。ぱあんっぱあんっ。
「うっ、うっ。」
ぱあんっぱあんっ。ザンが打たれる度にうめき出す。ネスクリは、まずいと思った。ぱんっ、ぱんっ。弱く遅くなる。『そうそう、ゆっくり楽しむんだった。』ぱんっ、ぱんっ。
お尻がいい色に染まってきたとネスクリは思う。ぱんっ、ぱんっ。一旦静かになったザンがまたうめき出し、頭を振る。それを見たネスクリは少し早く叩き出す。ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ。
「うっ、くぅっ、うっ。…いてえ、いてっ。もういいだろうっ。」
ぱんっ、ぱんっ、ぱあんっ。ザンが本格的に暴れ出してきた。ぱあんっ、ぱあんっ。ネスクリは早く強く叩き始めた。ぱしっぱしっぱしっぱしっ。
「まだ駄目ですよ。もう少し痛い思いをしないと、またすぐサボるでしょう?」
ばしっ、ばしっ、ばしっ。叩き方は強いまま、速度を落とす。
「うーっ、いてえっ。もういいっ、もう分かった。いてえってば。もうちゃんとやるって。」
ばしっばしっばしっばしっ。また早くなってきて、ザンは酷く暴れる。ネスクリは叩いていられなくなった。
「大人しくしていないと、お仕置きが多くなりますよ。いいんですか?貴女様のリボンみたいなお尻になっても。」
ネスクリは、ザンの髪と角に結んである血で染めた真っ赤なリボンに触れた。妖怪の血なので酸化して茶色になったりはしていない。
「これに触るな。これは大事な物なんだ。」
ザンは顔色を変えた。
「失礼しました。申し訳ありません。つい調子に乗ってしまいました…。」
ザンの剣幕にネスクリは慌てた。
「いいさ。…もういいだろ?いつもより一杯叩いたじゃないか。もう満足したろ?」
ばしいっ、ばしいっ。その言葉にかっとして、ネスクリは力一杯叩く。ザンが痛みに声をあげる。ばしいっ、ばしいっ。叩きながら言う。
「俺の為だけに叩いているんじゃないんですよ。貴女様が仕事をしないからでしょう?そんな態度なら、本当にリボンみたいなお尻になるまで叩きますよ。」
「いてえっ。…分かった、悪かった。もう言わねえよーっ。」
ぱしっ、ぱしっ。力こそ弱くしたものの、ネスクリは無言で叩き続ける。濃くなってきたお尻の色を見た。こんな色になるまで叩いた事はない。『そろそろ止めてもいいな…。』
「ちゃんと仕事をしますか?」
「するっ、するっ。」
「分かりました。では数を数えて下さい。10回連続で間違いなく数えられたら、お終いにします。言えなければ言えるまで終わりませんよ。」
「なんだよ、それ…。」
今までそんな叩かれ方をされた事がないザンは、不満を漏らす。ネスクリは叩く手を止めていない。お尻はもう充分過ぎるくらい痛い。それなのに…。
「数えないとますます痛いですよ。」
ネスクリは涼しい顔で言った。叩く速度は一定だ。止めるつもりはないが、数えやすい様にした。
「…分かったよ。…1、2、いっ。3。」
「連続ではないので、1からどうぞ。」
「そんなっ。ひでえ…。」
「厳しくした方がこれから仕事に身が入るでしょう?さ、どうぞ。」
「くそっ。…1、2、3…。」
こんな調子で何とか数え終わった頃には、かなり赤いお尻になってしまった。ネスクリはザンのパンツとズボンをあげる。ザンは不機嫌な顔をしていたが、ネスクリは満足そうだ。
「ターランを呼んできますから、仕事をして下さいね。」
「ああ。」
ザンは気に食わなかった。
「沢山叩かれたんですか?」
ターランは何気なく訊いた。
「お前にそれがどう関係すんだ!?さっさと書類を持ってきやがれっ!!」
ザンは先刻のザハランの視線なんか可愛いくらいの凄まじい顔でターランを睨み付けた。
「は・はいっ。」
ターランは仰天しながら、部屋を飛び出した。「どうしたのかな…。これからは俺が叩いた方がいいのかも…。」
彼はこれはネスクリのささやかな復讐なのではと疑いたくなった。