妖魔界

2 トゥーリナとターラン2

 野宿による体の痛みにも慣れた。獣を狩って食べるのにも。トゥーリナに顎で使われるのには、とっくに慣れていた。

「さっさと金を出せ。」

「ちょっと待って、今…。」

 ターランは、自分の羽根を売って出来たお金を袋から出すのに手間取っていた。ごつんっ。トゥーリナに頭を殴られた。

「金は全部俺の物なんだからな。」

「分かってるよ。ぶたなくてもちゃんと出すよ。」

「ふんっ、お前はいつもそうしてたじゃないか。」

 トゥーリナに言われて、ターランは、はっとした。確かにそうだ。大昔にも思える1年程前までは、ターランは、村の子供達の王様だった。でも、今は…。

「はい。」

 ターランは、トゥーリナへお金を差し出した。

 

 ターランといる限り、お金に困る事はない。ターランが堕天使なので、いきなり殺される事もない。堕天使は金づるになるので、よほど愚かな盗賊でもない限り、生け捕りにされる。

 堕天使は、心と体が最大限に満足した時、その羽が黄金に輝く。それを太陽と呼び、その羽根は、第一者に匹敵するほどの財産をもたらす。だから、堕天使は決して殺されない。子供は特に。勿論トゥーリナ自身はこうもりなので、何の関係もないように思えるが、友達が殺された子供がそう簡単に立ち直るはずもなく、楽して太陽を手に入れたければ、彼を生かしておいてくれる筈…。

 やけに冷静に考えている様に見えるトゥーリナだが、彼だってまだ子供。本当は、疲れていた。でも、始めてしまった。殺した村人達は生き返らない。ターランが、家族を殺した夢にうなされているその側で、後悔している自分に気付いても、もう帰る所はない。時は戻らない。

 

 ターランは、頭が良かった。色々勉強もしていた。彼は、剣で戦うのは苦手だったが、劇薬を調合して、相手に振り掛けて戦う事を覚えた。

 トゥーリナは、子供だと油断している盗賊を思う存分血の海に沈めた。彼は、戦利品の中にいい剣があれば取り替えていった。村を滅ぼしてしまった事は、彼を苦しめていたが、何の関係もない者達を殺すのは、彼にとって気分のいい事だった。

 そうやって戦いながら、二人は強くなっていった。トゥーリナの態度は相変わらず大きく、ターランは、彼に従っていた。いつのまにかトゥーリナとターランは、既に700の歳を越えていた。

 

 いつからだろう、友情が恋に変わったのは。自分は普通だと思っていた。女だって抱ける。でも、欲しくない。自分は多分、異常…。

 ターランの揺れる心などどうでもいいトゥーリナは、相変わらず自分が強くなる事のみ、考えていた。

 

 夜。トゥーリナはターランが見つけた崩れかけた小屋にいた。彼は剣を磨いていたが、隙間から射し込む日の光に疲れを覚え、剣を鞘におさめ、ごろりと横になった。

 誰かが歩いてくる気配がして、トゥーリナは目を開けた。誰が来たのか分かったトゥーリナは、相手を殴り倒したくなったが、眠気の方が強くて目を閉じた。

 やって来たのはターランだった。トゥーリナ好みの人間の若い女になって。ターランは、顔は変えられないけれど、好きな種族に変身出来るのだ。これなら、トゥーが抱いてくれると思って。

「ねえ、トゥー。君好みの人間の若い女になったよ…。抱いてくれないかい?」

 抱きつかれたトゥーリナは、ターランの髪を掴んでぎゅっと引っ張った。

「俺は疲れて眠りたいんだ。ふざけるのもいい加減にしろっ。」

「いたたっ、髪の毛抜けちゃうよ。…ふざけてなんかいないよ。僕は君が好きなんだ。」

「お前、頭おかしいんじゃねえか?そんな女の姿なんかしたって、男であるのには変わりねーんだぜ。…それより、明日の夜、いよいよ、ザンの野郎を攻めるからな。」

 第二者ザンの城を攻める!?驚きでターランの変身はとけてしまった。

「トゥー!正気かい?僕達殺されちゃうよっ!」

「ターラン、お前、俺が女なんかに負けると思ってるのか?この俺が?…本当は第一者から行ったっていいんだが、俺の力を知りたいだろ?だから、まずザンの奴で実力を確かめるんだ。」

「それって凄く一般的な考えだけど…。でも、もう少し力をつけてから行ったっていいと思うよ。」

「もう訓練ばかりで飽き飽きしてるんだ。どうせ俺に勝てる奴なんていないさ。」

「…。」

 トゥーリナは強さはターランも認めている。しかし、もっと強い盗賊達と戦う前から、そんな大物に挑戦して、果たして生きて帰れるのだろうか…?寝入ってしまったトゥーリナの背を見ながら、ターランは大きな不安を抱いていた。

 

「ここだな。」

 トゥーリナが言った。二人はザンの城の上空を飛んでいた。見た目が美しく、王侯貴族の城の様に見えた。戦闘に向かない城だ。門の前には、門番が二人立っている。

「門番に見えないね。ただのお飾りみたい。」

 ターランは言った。門番はとても弱そうだった。あれでは、自分達より遥かに弱い者達でも、充分に城に侵入できる。「第一者の城の警備は厳重なのにね…。」

「女の考える事なんてそんなもんさ。」

 トゥーリナは、女性は物事を考える力がないとでも言いたげだ。「さ、行くぞ。」

 

「ここがあいつの部屋らしいな。」

 巨大な扉の前で、トゥーリナが言い、ターランは顔をしかめた。彼の言う通りに、扉には、『ザンの部屋』と書かれたプレートが張ってある。

「何か変だよ、トゥー。僕達、ここに来るまで凄く簡単だった。おかしいよ。罠だ、きっと。ここへは入らない方がいい。」

「怖気づいたのか?情けねえ奴だ。お前が行かなくったって、俺一人で行くさ。」

 静止しようとするターランを振り切って、トゥーリナはその大きな扉を開けて、中へ入ってしまった。

 

「ザン様、一匹しか入りませんでした。俺、堕天使は初めて見ました。綺麗ですね。」

 ザンの城の監視室。不寝番のネスクリが言う。

「堕天使は生かしておいた方がいいさ。あいつは、羽根が3枚もある。上級天使なんだな。」

「あれがそうなんですねえ。…で、あれはどうしますか?」

 ターランの懸念した通り、トゥーリナが入った部屋は、罠がしかけてある。大抵の盗賊はこの部屋の中の様々な罠にかかって死ぬ。

「説得して、俺の部下にする。堕天使を部下に持てるなんて、俺はついてるぞ。」

 ザンは立ち上がった。「あいつの所へ行ってくる。ネスクリ、もし、蛇こうもりが後2分生きていたら、罠を解除しろ。あいつはハンサムだし、3分も生きられるなら、部下にする価値がある。」

「分かりました。」

 ネスクリは答えて、画面を見つめた。

 

「トゥーっ、トゥーっ。大丈夫かいっ。…なんでこの扉、びくともしないんだよっ。」

 ターランは、中から、トゥーリナの悲鳴が聞こえてから、扉を開けようとしていたのだが、少しも動かないので、非常にあせっていた。

「その扉は俺じゃないと開けられないぜ。」

 ターランは、はっとして振り返った。そこには、男装の美少女が立っていた。

「お・お前がザン…?」

「そう俺がザンだ。女だから、吃驚しただろ。」

 男尊女卑の世の中のせいなのか、誰もザンを女性だとは信じないのだ。部下になりたいと面接に来た人の前に姿をあらわせば、お父さんは会ってくれないのかと言われてしまう。

「テレビで見たから、女だって知ってた。言葉遣いも。」

「そうか。」

 ザンは笑った。たまに出てくれと言われる。第二者の義務として仕方なく出ていた。面倒だけど、テレビの効果はあるようだ。フェル達が部下になる為に来た頃は、まだそんなにテレビが普及してなかったから、テレビで知っていたという人はいなかったけれど。

 

「随分頑張るじゃないか。このこうもり。」

 ネスクリは、画面に呟く。彼はこの城の二者だ。その次がジオルクでその次がフェル。彼のおかげで城がまともになって、フェルはジオルクにお尻をぶたれなくなったが、彼はちっとも嬉しくなかった。年下のネスクリの態度が大きいからである。

 画面の中で、トゥーリナは必死に幻と戦っていた。「後、30秒。これからが厳しいんだ。」

 ネスクリは笑っていた。

 

「トゥーリナを助けてくれるのなら、部下になってもいい。」

「お前、態度がでかいぞ。お前等は、俺の城を襲った賊なんだ。普通なら、すぐに殺されているんだぞ。」

「トゥーが死ぬなら、俺が生きている必要はない。俺は、トゥーと生きていたい。」

「…。こう言う世の中だと、男の同性愛は、女なんかを愛すよりよっぽどいいなんて言われるけど、俺には気持ち悪いとしか思えねーな。」

「別に、誰が認めてくれなくたっていいんだ。どうせ俺の片思いなんだから。」

「…。」

 

 はあはあ…。トゥーリナは、荒い息を吐いていた。あの扉の中で。入った途端に目が眩んだ。部屋は明るかった。その明るさが照明でなかったら、疲労で戦えなかった。魔の生き物である妖怪は、日の光に弱い。

 いきなり自分に襲いかかるもの達が消えた。『次はなんだ…?』ザンの言った2分が過ぎて、罠が解除されたなんて知る由もないトゥーリナは、気持ちを張り詰めた。ターランの言葉は正しかった。しかし、トラップだったと気付いた時には、扉が開かなくなっていた。永遠にここから出られないのだろうか…。そう思いかけてぞっとした。疲れきった自分はここで命通わぬもの達に…!!

 がたっ。

「トゥー、無事かい!?なんともない?何処を怪我したのさ?」

 扉が開いて、ターランが飛びこんできた。ターランは白い闇の中でトゥーリナを探し、抱きついてきた。抱きすくめられた途端に激しい痛みが走って、気がたっていたトゥーリナは思わずターランを突き飛ばし、剣を振るった。

「おいっ、なにやってんだ。」

 ターランは、お腹を切り裂かれて、倒れた。トゥーリナが自分のしてしまったことに気付いて、ターランっと呼ぶのが聞こえた。ザンが大慌てで、走り出して行くのが見えた。ターランの気が遠くなっていく…。

 

「どれ位で回復する?」

「3日と出ています。」

 ザンの問いに、お城の医者は、簡潔に答えた。ターランは、首の所に仕切りがある、“カプセル”と呼ばれる透明な箱に横たわっていた。薄い医療用の服を着せられて、首から下は、黄色の液体に浸っていた。

「2日もあれば出てくるな。」

「カプセルの診断を正確にする装置の開発はどうなっていますか?」

「俺に聞くな。あれまで手が回らねー。ギンライの奴をせっつけばなんとかなる。」

「堕天使は貴重ですが、助ける価値があるとは思えません。子供なら、飼っておくのは可能でしょうが。」

「金づるになんてしないさ。あれは、俺の部下になるんだ。」

 ザンが出て行く。医者は、またかとため息をついた。弱い男を部下にしてどうするのだろう…。まあ、顔だけで部下にするよりましだが…。

 

 トゥーリナは、ザンの前に立っていた。彼も、カプセルに入れられたが、大した怪我ではなかったので、すぐに出られた。

「俺を殺す?あの“生かさずの扉”で苦戦した男が?」

「あれはきつかったが、女には負けない。」

「お前に負けた振りをした門番達でさえ、生かさずの扉に、5分は耐えられるぜ?」

「てめーが言ってる事が正しいと何故俺に分かる?」

 トゥーリナの言葉にザンは目を丸くする。

「…くくくく。それは真理だな。…いいだろう、俺もこの頃は退屈してるんだ。お前の相手をしてやろう。」

 暫く後。

「どうだ、分かったか?俺とお前の絶対的な力の差を。ん?身の程知らずのこうもり。」

「…。」

 戦うどころか、一方的にやられてしまった。

「でも、お前もあの堕天使も鍛えれば、第一者になれるくらい強くなるぜ。俺が鍛えてやる。…ところでよ、お前の名前何て言うんだ?」

「…俺には名なんてない。」

「あー?名前が無い奴なんていないだろ。訳分かんねー事を言うなよ。」

「…。」

「…ちっ、仕方ねーな。じゃあ、お前の名前はザハラン(妖魔界語で名のない男という意味)だっ。」

 ザンは、言った。

 

「トゥーは、いつ目を覚ますんですか?」

 ザンの見込みより少し早く回復したターランは、隣のカプセルに寝ているトゥーリナに気付くと、医者に聞いた。ターランは、まだトゥーリナが目を覚ましていないと勘違いしていた。しかし、医者から、こうもりはザン様と戦って負けたと聞かされた。

「カプセルは、5日と判断している。」

「テレビでちょっと見たことがあるけど、本当にこんな物があるんだ…。」

「いずれ一般の病院にも配置される予定だが、今はまだ、溶液が高価過ぎてな。」

「この緑の水が…。」

「緑の溶液は、一番高価なんだ。…ザン様には、経済観念が無くて困る。」

 医者は、大きなため息をついた。嫌味を言われたと感じたターランは、医者を睨んだが、トゥーリナの治療をいい加減にされたら困るので、何も言わなかった。

 

「ねえねえ、ジオルクさんっ。新しい部下が二人も入ったってほんと!?」

 ジオルクの部屋。フェルは、たった今聞いたばかりの情報をジオルクと語る為に、彼の部屋へ飛び込んだ。

「ああ。一人はザン様好みの美男子で、一人は、堕天使だそうだ。」

「そいつどの程度いいんだろ。でも、僕には敵わないよねっ。」

 ばしっ。「いたっ、冗談ですよぉ…。」

 お尻を撫でながら言うフェルに、ジオルクは厳しい声で言った。

「ザン様は、そいつ等に、二人とも鍛えれば、第一者になれると言ったそうだぞ。」

「ええっ。僕達そんな風に言ってもらったこと無いのに。あの生意気なネスクリだって。」

「そうだ…。ずっと変化の無かったこの城も、…荒れるな。」

「わー、ジオルクさん、格好いいねっ。」

 思わず軽口をきいてしまったフェルは、ジオルクに抱えられて、嫌と言うほどお尻をぶたれた。

「人が真面目に話しているのにっ。」

 ばしいっ、ばしいっ。ジオルクは頭に来て、思い切り平手を振り下ろす。

「痛いよーっ、ごめんなさいっ。」

 フェルは、自分の性格を呪いたくなった。

 

 フェルがお尻を叩かれている頃、ザンも、ネスクリの膝の上にいた。

「いや、だってあいつ等の相手とか、色々することがあったしよー。少しくらい遅れたのは、仕方ないだろ…?」

 ザンが、無駄な言い訳を続けている間、ネスクリは黙っていた。主人が言葉を思いつかなくなり黙った後、彼は口を開いた。

「言うことはそれで終わりですか?他に言いそびれたことは?」

「…ない。」

「ザン様、貴女様の言うことにも一理あると認めます。ですから、30回にします。」

「たった5回しか減ってないじゃないか。」

「本来なら、減らさないですよ。…時間が惜しいので、始めます。」

 ネスクリは、ザンのお尻を叩き出した。ザンは痛みを堪えながら、こうして叩かれないとやる気になれない自分に嫌気がさしてきた。そうでなきゃ青二才に叩かれなくてもいいのに…。

「いてっ、いてえよっ。…くそっ。」

 

「トゥ…ザハラン!これ片付けてくれないと困るんだよっ。」

 ターランは、ザハランになってしまったトゥーリナに、怒っていた。トゥーリナが書類を片付けてくれないと、ターランの仕事が進まないのだ。

「うるせー。なんで俺がそんな仕事しなきゃならないんだよっ。」

 トゥーリナは怒鳴ると、窓を開けて外に飛び出した。部下でいるのは面倒だが、鍛えられて強くなれるのが魅力だったので、我慢していた。が、仕事はまるでしていなかった。ザンと違って、彼は、仕事をしなくても叱られる心配は無い。

「ああー、また僕の仕事が増えるー。」

 口では文句を言いながら、顔はほころんでいるターランだった。

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