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シーネラルは眠ってしまった鼠を見ていた。無防備に寝てしまった鼠の髪を、彼はそっと撫でた。
「悪かったな。」
鼠はくすぐったそうに、彼の手を押しのけた。
シーネラルは棚をあさり、着られそうな服を探した。やがて、鼠がサイズを間違って買ったとしか思えない服を見つけた。身に付けてみると、あつらえた様にぴったりだった。あまり彼の好みではないが、さすがにそれは贅沢だろう。
狩りが上手くいかず、気が立っている所へ襲ってきた盗賊は、彼が食べられない種族。お腹は空くわ、疲れはたまっているわで、鼠の前に現れたシーネラルは、限界をとうに過ぎていた。鼠は美味そうで、もし、彼が昼食中じゃなかったら、シーネラルは彼を食べてしまっていたかもしれない。でも、それ以上に彼はそそるタイプだった。
ジオルクにそっちの道に引きずり込まれてから、彼はあまり、女に欲を感じなくなっていた。彼に散々いいようにされたので、自分がする立場になりたくなり、やってみた。女なんかどうでも良くなるくらいだった。人間界へ行ってからも、色々な人間と楽しんだ。トゥーリナは、「どうしていつも相手が違うの?」なんて言っていた。
鼠は、自分が殺されるかもしれない状況に、想像もしなかった反応を示した。シーネラルは彼の魂に触れてみたくなった。この鼠はどんな闇を抱えているのだろう?この鼠と居たら、自分は、トゥーリナといた時のような喜びを取り戻せるだろうか?そんなことを考えながら、自分と鼠の洗濯物を抱えると、シーネラルは外に出て、洗濯場を探しに町中へ歩き出した。
クーイが目を覚ますと、猫が纏めたはずの自分と彼の服がなくなっていた。ただ、彼の荷物はある。
「もう出て行ったと思ったのに、わざわざ洗濯に行くなんて…。ほんと律儀な奴。」
『あの猫、俺と暮らす気かなあ…。』クーイは、猫の荷物の中を覗いた。本当はいけないんだろうけど、猫は随分勝手してくれたんだから、こっちだって遠慮しなくてもいいだろう。気の強いことを考えながらも、かなり強く、しかも何回もお尻を叩いてきた猫に、実は怯えているクーイだった。彼は、荷物の中身を一つ一つ取り出した。旅行用調理器具、簡易救急セット、義手や義足の調整用なのか、機械用油やちょっとした工具。
「これなんだろ…?肖像画にしては、随分凄い物だ…。」
人間には分かるけど、妖怪には分からない物、それは写真だ。描かれている者達が今動き出しても、何の不思議もなさそうなそれは、TVを止めたみたいに見えた。真ん中に猫がいた。周りに居るのは人間の子供達。女の子は一人だけで、側に居る眼鏡の少年の腕に、ぶら下がるように抱きついている。「破廉恥だよ。公衆の面前で…。それに人間ってこんな服を着るの…?」
膝が見える素足は、妖怪には考えられない大胆さだ。クーイの感想を現代の人間の感覚に例えれば、下着みたいな服装の若者を見るお年寄りといった所だろうか。少女は男の子に抱きついているから、余計に…。
クーイは恥ずかしくて見ていられなくなり、別の子供を見た。猫に抱きつくようにしている少年。後ろに立っている背の高い少年は、その少年を少し寂しそうに見ながらも、しっかり体に触れている。眼鏡の少年の近くには銀髪の少年が立ち、猫の前には子供が座っている。少女に似ている子供は、猫の青い尻尾に優しく触れながら、年齢より幼くみえる表情で笑っている。
肖像画の中の猫は自信に満ち溢れているように見えた。抱きついている少年と子供に触れながら、その顔は今が最高の時だと言っていた。
「これ、なんなのか分からないけど、皆楽しそう…。」
その不思議な物の下には数字が並んでいた。クーイには分からないけれど、それは写真が撮られた日付だ。「これ、人間が使ってる数字だったような…?」
ふうっと息をついて、それを置いた。他にも、いくつかその不思議な肖像画があった。それ以外には猫の個人的な物はないようだった。猫は基本的に必要な物しか持ち歩かないらしい。
「つまんなくないのかな?」
クーイには思い入れのある、手放せない品々が沢山ある。猫は、あの肖像画に描かれていた豪邸に、そういった品々を置いてはいなかったのだろうか?そりゃ、あまり沢山あっても、旅には邪魔かもしれないけれど…。
洗濯を終えたシーネラルは、財布を確認した。財布には、洗濯機を買えるだけのお金が入っていた。
どうやって居場所を調べるのかは知らないが、ジオルクは彼に定期的にお金を送ってくる。溜まったお金は換金用アイテムに交換してきた。今は、最高級の換金アイテムであるマーカコインを二つ持っている。マーカコインは第一者の顔が彫られるので、今出回っているものはジオルクの顔になっている。しかし、シーネラルはなるべくならジオルクとは関わり合いになりたくないので、わざわざ別のコインにした。もっと溜まったら、ジオルクの顔に叩きつけてやるつもりだった。シーネラルの役に立っていると思っていたお金を投げつけられ、しかもそれが自分の顔ではないと知ったら、ジオルクはどんな思いをするのだろう…。それを考えるとシーネラルは少し嬉しくなる。
哀れなり、ジオルク。
「この金なら、食堂へ行けた…。」
お金を使い慣れていないので、思いつきもしなかった。あの時は食事を分けてもらうつもりで、戸を叩いたのだ。代わりに、力仕事でも何でもして返せばいい。
それが…。
『思いつかなくて良かった。』お陰でこれから楽しめるだろう。あの可愛い鼠と彼は幸せに暮らすのだ。それをジオルクに見せ付ければ、奴も諦めるだろう。
「それには鼠を説得。」
シーネラルは、すたすた歩き出した。
家に戻ると、鼠が彼の道具を全て出してしまっていた。鼠がびくびくしているのを見て、シーネラルは笑い出したくなった。お仕置きは鼠にちゃんと効いているのだ。
「洗濯物は何処へ干す?」
「えっ?」
鼠はぽかんとした。怒られると覚悟していたのに、全く違う事を言われたので、通じていない、といった様子。まだ彼はシーネラルの所有物ではない。自分が鼠にした事を考えて、こんな事くらいは見ないフリをしようと思った。
シーネラルは洗濯物を指し示し、
「これを干すから、場所が知りたい。」
優しく言うと、鼠は不思議そうにしながらも、場所を言った。