兎の少年ラルスの物語

35話

 最初は、変な奴だと思っていた。でも、今は、ちょっと変わってはいるが、人の良さそうなこの兄が気に入っていた。だから、トゥーリナは必死でその可能性を否定していた。ラルスが死んでいるという可能性を。
「さすが第一者様だ。考え事しながら、僕の攻撃を全部よけちゃうんだもの。」
 兄の笑い声で、トゥーリナは我に返った。そして気づく。
「俺はよけていない。…よける必要もないだろ。きっと、俺の攻撃もあんたには当たらない。」
 暗い声で言うと、ラルスは立ち止まって、目を丸くした。
「どうしてそう思うの?」
 くすくす。
「何がそんなにおかしいんだよ。」
「さあ。」
 ふざけた言い方にむっとして、ラルスを睨んだトゥーリナは、はっとした。兄の体が透けていた。
「兄貴、体が。」
「えー?」
 ラルスが自分の体を見る。体は元に戻っていた。彼は不思議そうな顔で、トゥーリナを見た。「なんともないけど?」
「???」
 『気のせいだったのか…?』呆然としているトゥーリナの顔に、ラルスの蹴りが決まった。
 完全に不意打ちだったので、トゥーリナはよろけた。
「やっぱり、尻餅ってわけにはいかないんだね。でも、一発当たった。へへ。」
 兄は楽しそうに笑った。
 トゥーリナは、自分の仮説が間違っていたことに気づいて、ほっとすると同時に、勝手な推測で落ち込んだ自分が、馬鹿馬鹿しくなった。
「もう当てさせないぞ。」
「わあ、トゥーリナが本気出しちゃった。どうしよ。」
 ラルスはくすくす笑っていた。別に嬉しくもなかったのに、トゥーリナは、つられて笑い出した。
 暫くの間、二人はお遊びのような戦いをしていた。トゥーリナが本気で戦うには、兄はあまりにも弱かったので、そうせざるを得なかったのだ。
 悲しいことに忙しいので、いつまでも遊んでいるわけにはいかない。トゥーリナは、拳を握り締めた。
「兄貴。」
「え、なーに?」
 剣を見つめて、どうして当たらないのなどと呟いていたラルスが、こちらを向いた。
「悪いが、これで終わりだっ。」
 吃驚している兄の顔を殴った。
 その時。
 パキーンッ。ガラスが割れるような音がした。
「あ?何だ、今の音は?」
 自分の手を見た後、兄の方を見たトゥーリナは、呆然とした。
「あ、壊れちゃった…。限界だとは思ってたけど、トゥーリナってば、やっぱり第一者様だね…。」
 霊体になった兄が浮いていた。
「な…やっぱり、兄貴、死んでいたのかよ…。」
「あれぇ?いつバレたの?本当のお父さんも、シーネラルさんも何も言わなかったのに。…やっぱり、体が透けたのが、まずかったかなあ…。」
 へへへ…。照れ笑いをするラルス。
「何でだよ、どうやって…?」
「まず最初の答えね。僕、壊れちゃって、あるお城を襲ったんだ。そしたら、兵隊に殺されちゃった。次のがね、な・なんと、魔女様が助けてくれたからなんだよ。」
「魔女が…?」
「そう。だから、地獄の使いに捕まらずに、こんなことが出来たんだよ。」

 体が死ぬと霊体になって、心は体から出る。その後、死んだ直後の閻魔大王の判断によって違うが、シースヴァスのように地獄の使いの子鬼か、天国の使いの天使かが霊体を迎えに来る。その判断は素早いものなので、霊体にすれば死んだと気づいた直後には、どちらかが側にいる状態になっている。
 葬式を取り仕切る神父の側に居て、それを知っているラルスは、駄目だと分かった途端、急いで幽体離脱した。だから、首を元に戻せなかったからではなく、幽体離脱のダメージによってラルスは死んだ。
 ギンライに会ってもいないし、神父に再会もしていなかったラルスは、使いが来る前に、逃げ出そうと考えた。壊れてから、沢山の人達を無残に殺したので、迎えに来るのは子鬼だろうと思っていたからだ。天国に行くのなら、すぐに下界へ降りられるが、地獄で罪を償っていたら、ギンライが死んでしまい、会えなくなる可能性があった。

「今は居るな。」
 トゥーリナはラルスの後ろを見た。ものすごく怒っている子鬼が立っていた。
「うん。」
 ラルスは冷や汗を流しながら、子鬼を見た。ぎろっと睨まれ、ラルスは慌てて目をそらした。
「あいつに捕まる前に、魔女の家を見つけたのか?」
「うん。すっごい偶然でね。僕が襲った城の側に魔女様が住んでいたんだよ。魔女様の家の周りには、生きているものは決して通れない結界が張ってあったけど、僕は死んでるから、するっと通り抜けちゃった。」
「それ、兄貴みたいな霊体以外の奴が魔女に会いたかったら、どうするんだ?」
「チャイムがあるから。」
「成る程。」
 あまりにも簡単な答えに、トゥーリナは拍子抜けした。しかし、そういう単純なのが、一番強い防犯なのかもしれない。
「で、必死になってお願いしたら、僕に、天国に行った後の人みたいに、触れる体にしてくれたってわけ。ついでに、そこの子鬼さんにも見つからないような体ね。」
「へー。」

 天国に行った後の霊体は、透けていることには変わりないが、触れる幻になる。触ると、暖かくも冷たくもなく、硬くも柔らかくもないという変な感触を味わうことになる。

「でも、あくまで魔法だから、時間がたつと切れちゃうんだ。本当は、まだ充分に時間があった筈なんだけど…。」
「俺が叩き壊しちまったのか…。」
「ま、でも、僕に思い残すことはもうないし、楽しかったよ。」
「兄貴…。」
「へへっ。じゃあね。トゥーリナ!!」
 ラルスはにっこり微笑むと、トゥーリナの前から姿を消した。
「え?兄貴?」
「くそっ。あいつはどこに行った?」
 トゥーリナと子鬼は、辺りを見回した。しかし、ラルスの姿は、影も形もなかった。
「「…。」」
 二人は思わず顔を見合わせたのだった…。
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