兎の少年ラルスの物語

最終話

 ラルスが住んでいた村。
「にゃあ。ぴょん、ぴょん。」
 子猫が、動物の蛙を捕まえた。逃げようともがく蛙に顔を近づけた。子猫が蛙を舐めようとする前に、側にいた母親が止めた。
「あら、ケルラったら。蛙さんを舐めちゃ駄目。逃がしてあげましょうね。」
「にゃーっ!!」
 母親は、怒る息子の手から蛙を逃がす。子猫は、暴れてわめきだした。「みゃーっ、にゃーっ。」
「そんなに怒らないで頂戴な。こっちの方がいいわよ。」
 母親が紐を揺らすと、子猫は、怒りも忘れて紐に飛びついた。「ほーら、捕まえられるかしら。」
「にゃ。」
 息子を紐で遊ばせていた母親は、夫がこちらにやってくるのに気づいた。
「クリュケ、待たせたな…。…ん?何だ、あの兎?」
 霊体の兎が、ふわふわと教会に向かうのが見えた。

「魔女様に、魔法をかけてもらっておいて良かった。これで神父様に会える。」
 ふふ。ラルスは微笑んだ。目的を全て果たせずに魔法が解けた時、果たしていない目的地に強制テレポートする魔法もかけてもらっておいたのだ。
 急いで神父様に会えば、子鬼に連れて行かれる前に、少しくらい会話が出来るだろう。
 ラルスは、村人達が変な目で自分を見ているのに気づいたが、気にしないことにして、教会の前に立った。天国へ行った霊体は、皆、白いワンピースか着物を着ているのだが、ラルスはそうではないので、注目を集めてしまうらしい。人間界ならともかく、妖魔界では、地縛霊や浮遊霊などのような成仏していない霊体は皆無なのだ。
「懐かしいなあ…。神父様、元気かな。」
 襟を引っ張ったり、ズボンの皺を直したりしてみる。実体がないのでそれはイメージに過ぎないのだが、おっかない神父様の前に出ると思うと、生きている時のようにしたくなってしまうのだった。

 教会の扉を通り抜ける。
「…ですから、神のお言葉というのは、時に我々にとって…。」
 神父が集まっている人達に説教をしていた。
「神父様…。」
 ラルスが声をかける前に、村人が気づいた。神父が顔をあげる。神父が、目を見開く。
「ただいま、神父様。」
 ラルスはにっこり微笑んだ…のだが…。
「迷える魂よ。恐れることはありません。神の国では永遠の安らぎが待っています。たとえ今、地獄の業火が待っていようとも、罪を償いさえすれば…。」
「神父様?もしかして、僕が分からないの?」
 一度しか会っていないシーネラルならともかく、まさか神父様まで気づかないなんて…。ラルスはショックだった。「えー、僕ってそんなに変わったかなあ…。」
「どなたか分かりませんが、きちんと地獄で罪を償うべきです。」
 神父の答えはそっけなかった。変わっていないと言えるわけだが…。
「ちぇーっ。」
 ラルスは俯くと目を閉じた。

 神父は目の前の不気味な兎をじっと見つめていた。ぼろぼろの外見に、子供のような口調。きっと悲惨な死に方をして、死しても正しい自分の記憶を取り戻せないのだろうと思われた。たとえ壊れても、死ねば治ると聞いていたが、目の前の兎は違うようで、神父は哀れに思った。
 ところが…。
「あ…。」
 半分になった兎の耳がぐんぐん伸び、元通りになる。落ち窪んだまぶたが膨らむ。顔の傷が癒えていく。そして、兎の体が縮み始めた。「若返ってどうすると言うのですか…?」
 目の前の兎はどんどん縮む。その姿を見て、神父の心臓が、痛いくらい大きく鳴った。
「まさか、あなたは…いえ、お前は、ラル、ス…?」
 大人の兎は子兎になった。信じたくはないが、それは、記憶にある姿と全く変わらないラルスだった。
 子兎は、にっこり微笑んだ。
「神父様、やっと分かってくれた。」

「ラルスッ、ラルス…、どうしてですか。生きて帰ってくると、わたしと約束したでしょう…?」
 神父が泣きだすのを見て、ラルスは少しだけ胸が痛んだ。心の何処かで、神父様は僕が帰っても、邪魔に思うのではないかと考えていた。だから、壊れるのを止められなかったとも言える。シースヴァスは可愛がってくれたが、神父は冷たく厳しかった。こんなに泣くほど、自分の死を悲しんでくれるのなら、壊れないように努力すれば良かった。そう、思った。
「ご免なさい、神父様。」
 実の父は元気で、可愛い弟までいた。神父は自分の死を嘆いてくれる。
 『僕、ほんと、後経った10年ぽっち、耐えればよかった…。』
 愛してくれた父に死なれ、自分はこの世で、たった一人だと思っていた。でも、そうではなかった。ラルスは泣きながら、神父に謝った。
「神父様、僕、壊れちゃったんです。それで、暴れてたら、殺されて…。生きて帰ってこられなくて、本当にご免なさい。」
「そう…だったんですか…。」
「シースヴァスさんが死ななかったら、壊れなかったと思うんですけど…。」
「あの人、亡くなっていたのですか。」
「はい。」
 神父は目を閉じて、お祈りの言葉を呟いた。
「お前が、生きて帰ってくる日を夢見ていたのに…。」
「僕、神父様の子供達のお兄ちゃんになれなかった。」
「そうですよ。お前の為に、沢山子供を作ったんですよ。」
 神父は泣き笑いの表情になった。「お前が罪を償い、天国へ行ってからでも遅くありません。わたしも子供達も待っていますよ…。」
「はい!!」
 ラルスも微笑んだ。

「ったく…お前のせいで、どれだけ、俺が閻魔様に叱られたと思ってるんだっ!?」
 神父との別れを終えて、待っていた子鬼の元へ行くと、子鬼に怒鳴られた。
「ご免なさい。今も、待っててくれて有難う。」
 子鬼は、ラルスが子供に戻っている最中にやってきていた。しかし、彼はラルスをすぐに連れて行かないでくれていたのだ。ラルスは凄く嬉しかった。「本当に有難う。」
「もういいよ。さ、今度こそ、地獄へ行くぞ。」
「はーい、宜しくお願いします。」

 それから、数百年後。
 ぶにょ、ぶにょ。
「天国の雲って、もっとふわふわ柔らかいと思ったのに、ぶにょぶにょするー。面白ーい。」
 ラルスは雲の上で跳ねていた。地獄での長く苦しい贖罪を終え、やっと天国に来ていた。「でも、天国に着いたら、すぐに下界へ下りられると思ったのに、2週間も待つなんて…。暇。」
 霊体が触れる幻と変わるまでに、それだけの時間がかかるそうだ。ラルスは2週間も何をして待とうか、ぼんやりと考えた。雲の上に寝転がった。
 と、その時。
「ラルスっ。」
「えー?誰?」
 天国には知り合いなんていないのに、誰だろうと、ラルスは顔を上げた。「お父さんっ!!」
 ラルスは飛び起きると、シースヴァスに向かって走り出した。ラルスが勢いよく飛びついたので、シースヴァスは尻餅をついた。
「乱暴だな…。」
「だって、だって…。」
 ラルスはシースヴァスにしがみつく。「お父さんは、とっくに生まれ変わったと思ってた…。」
「俺が天国に来た時には、お前は既に壊れてて、俺にはどうしようもねえと思ったんだ。」
「だから、会いに来てくれなかったんだ…。」
「お前もかなり無茶したな…。」
「うん。閻魔大王様に、うーんと叱られたよ。好き勝手してって。」
 ラルスはその時の話をシースヴァスにし始めた。


 これで、ラルスの短くも長い旅は終わった。これからは、天国の住民として、父シースヴァス、神父やその家族、そして実の父ギンライやトゥーリナ達と、仲良く過ごしていくだろう。
 ラルスに訪れた永遠の幸せを喜びつつ、話を終わろうと思う。

終わり
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