兎の少年ラルスの物語

34話

 トゥーリナと一緒に、闘技場ー向かって歩いていたラルスは、すれ違うトゥーリナの部下の男やメイド達が弟に向かって一礼するのに気がついた。会ってみると、トゥーリナ本人は、第一者様らしくなかったが、それでも、彼がこの城で一番偉いのには変わりないのだと気づかされた。礼は彼が命じているものなのか、自発的なのかは分からないが…。
「…。」
「ん?どうした、兄貴。」
「皆が君に頭を下げているなあと思って…。」
「ああ。俺はこういうのが好きじゃないんだけどなあ…。誰もききやしねぇ。」
「ふーん。」
 でも、礼をするなと命じるのも、結果として立場に物を言わせているのには変わらないわけで、だから、やりたいようにやればいいことにしているそうだ。「なんか、第一者様も大変なんだね。」
「そーそー。最初は、皆にかしずかれていい気分だったけどよ、そんなの最初だけ。俺は引退したくて仕方ないんだ。」
「え?そうなの?」
 ラルスは吃驚した。
「でも、ザンとターランが五月蝿くてなー。あ、ターランってのは、俺の親友で、今は部下なんだけどよ。折角第一者様になれる力があるのに、生かさないのは勿体無いとか何とか…。なりたいのになれない奴の心情を考えろとか…。」
「ほんと、大変そう。」
 分かってくれるかあとトゥーリナが大げさに嘆いているのを、ラルスが微笑ましく見ていた、その時。また誰かが頭を下げたので、ラルスは何気なくそちらを見た。「シーネラルさん!!」
 シーネラルが立っていた。父シースヴァスを、子供を誘拐して奴隷商人へ売りつける悪党と勘違いした男だ。出会いは良くなかったが、別れ際には仲良くなり、ラルスは彼を覚えていた。
「…。」
「僕を覚えていない?」
「悪いが…。」
 シーネラルは首を振った。
「…そうなの…。」
 ラルスは俯いたが、ふと、あの時の自分はまだほんの子供だったのを思い出した。「あ、そうそう。…うーんと、シーネラルさんは正義の味方をやっていて、お父さんを悪い人と勘違いして、殺そうとしたんだ。その、お父さんが僕を奴隷商人に売る人だと思ったんだよね。」
 ラルスの言葉を聞いて、シーネラルがはっとした顔になる。
「思い出した…。お前、あの時の子兎か…。」
「え、あんた、そんな正義の味方なんてやってたのか。」
 トゥーリナが口を挟んだ。シーネラルの顔が赤くなる。
「…まあ、その。そんな大仰なものではないっすよ。この兎と、一緒に居た男が似ていなかったので、そいつを悪い奴と勘違いして…。俺みたいな不幸な子供を増やしたくなくて…。」
「へー。」
 トゥーリナは感心している。その様子は別に嫌味っぽくもないのだが、シーネラル自身にとっては恥ずかしい記憶なのか、さらに赤くなった。
「でも…、良かった。シーネラルさんにまで会えるとは思わなかった。もう思い残すこともないや。」
 ラルスが呟くと、トゥーリナが反応した。
「またかよ。一体何なんだ、兄貴は。いい加減に教えてくれよな。」
「僕のお願いを聞いてくれたら、ちゃんと教えてあげるよ。」
 ラルスはにっこり微笑んだ。
「本当かよ。」
「うん。」
「なら、いいけどよ…。」
 トゥーリナが納得したので、ラルスはシーネラルの方を向いた。
「今日、会えて本当に良かった。ねえ、女の人、好きになった?」
「…まだ。…俺は、そんなことまで子供に言ったんだったか…。」
「色々教えてくれたよ。…そっかあ。まだ駄目なんだあ…。」
 ラルスは微笑むと、「早く傷が治るといいね。」
「そうだな…。」
 シーネラルは軽く頷いた。
「話しは終わったな?兄貴の秘密が知りたいから、闘技場まで急ぐぞ。」
 トゥーリナが宣言した。ラルスは笑いながら、返事をする。
「了解しました、第一者様!」

 闘技場に着いた。ラルスは話を聞いた時、城の中に闘技場があるのかと思っていたが、廊下で繋がっているのだった。
「ねえ、どうしてお城に闘技場があるの?」
「第一者と第二者は強さで決めるだろ?それと同じで、部下の中から、幹部って言うのか、重役って言うのか…まあ、偉い奴を決めるのに、仕事が出来る奴ってだけじゃ、皆は面白くない。頭は良いがもやしみたいな奴に、偉そうなことなんか言われたくないからな。でも、ある程度の仕事が出来て、さらに強い奴が偉くなるってなら、誰もが納得できるだろ。そこで、闘技場ってわけだ。」
「成る程ねー。面白いね。」
「勿論、仕事に支障が出たら困るから、制限をつけるけどな。命を懸けた戦いじゃなくて、お遊びみたいな試合なのさ。それなら観る方も安心できるし、戦う方も、気楽だろ。ま、下っ端連中にとっての娯楽だな。」
「自分の好きな方を応援したりして、楽しむんだね。」
 ラルスは頷いた。「それ、凄く良いね。妖魔界らしいし。」
「そうだろ。考えた奴は偉いよなあ。」
 二人は話しながら、闘技場の真ん中に立った。話が一旦終わったので、ラルスは周りを眺めた。すり鉢上の形をしていて、椅子は壁と一体型なので、階段のようだ。上の方には特別席があった。
「あれは、君が座るの?」
「ああ、そうだ。ザンの城の方は本格的で、窓越しに見下ろせるようになってる。戦う部下の家族が、そこにザンと一緒に座るんだ。あの女は、戦うために生まれてきたような奴だからな。他にもよ、あいつの城には色々仕掛けがあるんだ。ほんと、男の城なんか目じゃねえくらいだ。外観だけは貴族の城みたいに綺麗だけどな。」
「へーえ。」
「後で、ザンにも会いに行こうぜ。」
「第二者ザン様かあ…。会いたいね。」
 ラルスは微笑んだ。

 『しかし、兄貴は良く笑うな…。』人がいいのか、何が楽しいのかは知らないが、ラルスはいつもにこにこ笑っている。身近に居る誰かに似ているなあと思う。あっちは子供だが、兄も子供のように純粋なのかもしれないと、トゥーリナは思った。
「じゃ、戦るか。」
「うん。」
 兄はまた楽しそうに言った。
 ラルスが剣を引き抜いた。その時、また兄と最初に会った時に感じた、不思議な感覚がトゥーリナを撫でた。
「…。」
 もう少しで死ぬかのような発言、不思議な感覚…。
 『もしかして、兄貴は…。』ギンライやシーネラルは、ラルスを見て驚いていた。通りがかる部下も、妖力の強い者、年齢を重ねた者は、ラルスを見て、いぶかしげな顔をしていた。『いや、まさか…。』
Copyright 2008 All rights reserved.

-Powered by 小説HTMLの小人さん-