兎の少年ラルスの物語
29話
暫くして、ラルスは、お腹がぐるぐると音を立てているのに気づいて、我に返った。
「ほんと、死にそうなくらい悲しくても、お腹は減るんだね…。」
何も感じないで、夜が来てしまえば良かったのに。夜どころか、まだ昼だった。それでも、朝食後、旅立とうとしてすぐに襲われたのだから、かなりの時間がたっていた。あの2匹と、数時間も死闘を演じていたとは思えないので、父との想い出に浸りながら嘆いているうちに、昼食の時間になったのだろう…。いや、空の暗さからすると、日本人の時間で午後2時過ぎといったところか。お腹が抗議の声を上げるはずだ。
ラルスは立ち上がると、自分と父のバッグを持ってきて、中から保存食を出した。さすがに今は昼食を作る気にはなれない。無言でもぐもぐと食べた。機械的に食事を済ませた。
「…。」
いつまでもここで嘆いているわけにもいかなかった。お腹は満たされたのだし、父の墓を作らなければ。
ラルスは立ち上がると、父の心臓を捜した。場所はなんとなく覚えている。無意識のうちに2匹を殺したと思っていたが、そんな状態で戦えるほどラルスは強くない。父が無残に殺されたところまで思い出してしまうから、覚えていないと思い込んだだけだ。
お父さんのお墓を作るのだからと強く自分に言い聞かせ、何とか詳しい心臓のありかを思い出した。そこへ行く途中、自分の耳と眼を見つけた。耳は転がっていたし、あの時は考えないようにしたが、目は狐の武器の先についていた。ラルスは、狐にそれを取る暇を与えずに殺したのだ。
その三つを持って、父の遺体の側へ置いた。それから、ラルスは穴を掘り始めた。
胸の高さまで掘ると、ラルスは穴から飛び出た。父の体の上に、父の心臓と自分の左目を置くと、遺体をお姫様抱っこして、穴の中に飛び降りた。そんなに深く掘ったのは、狐と猿の死肉を食いに来た動物に、父の遺体まで荒らされたくなかったからというのと、墓荒らしにあわないようにする為だ。
穴の中に父の遺体を置いた。
「さようなら、お父さんの体。僕を可愛がってくれて、そして、お父さんの為に働いてくれて有難う。あと、僕の目。今まで役に立ってくれて有難うね。お父さんの体と一緒に、安らかな眠りを満喫してね。」
神父が葬式を取り仕切っていた時のことを思い出したので、その通りの仕草をした。穴から出ようとしてから、ラルスは屈み込んだ。「髪の毛とゴムもらうね。思い出にするの。」
父は前髪の一部を残し、頭はほとんどスキンヘッドにしていたが、髪の毛は伸ばしていた。落ち武者みたいな感じといえば近いだろう。ラルスは父の髪の毛の一部を切り取り、父の髪の毛を結んでいたゴムを抜き取ると、切り取った髪の毛をそれで結んだ。
今度こそ穴から飛び出た。
墓とは言ったが、墓荒らしを避ける為、目安になるような物は何も置かなかった。外国だったら木の十字架を立てたりするが、そういったものは何も。再びここを通りがかっても、多分ここに父の遺体があるとは、思い出せないだろう。それで良かった。その為に永遠のお別れをしたのだから。
ラルスが穴の中にいる間に、既に猿と狐の死肉を食べている動物がいた。置きっ放しにしておいた、自分の耳が心配になったが、今の所はもっと美味しいらしい内蔵に関心が集まっていたので、ラルスはほっとした。目には大きな穴が開いていたので諦めたが、耳はくっつけられるかもしれないので、拾っておいたのだ。
穴を埋め終わったので、ラルスは川で手を洗ってから、父の髪の毛と自分の耳を手拭いで丁寧に包んだ。もっといい物があればと思ったが、旅には無駄なものを持って歩かないのが普通なので、仕方ない。バッグに丁寧に仕舞った。
父のバッグは必要な物を取り出し、遺品として、父の遺体と一緒に埋めた。ずしりと重い財布を出した時、ラルスはまた少し泣いた。
30年の間、新しい町へ必需品補給に立ち寄る度に、ラルスは面倒がる父を医者へと引きずっていった。左腕を治せる医者を求めていたのだ。でも、何処の町でも無理だと言われた。そのうちに、毎回左腕は決して治らないと言われるのが辛かったのか、ラルスにうんざりさせられたのかは分からないが、父は、
「ギンライ様に会ったら、ギンライ様の城の医者に、俺の腕を見てもらう。」
ラルスに宣言した。「あんな状態のギンライ様を無事に生き延びさせているくらいだから、いい医者だろ。俺の腕も直せるかもしれねぇ。そいつも駄目だと言ったら、もう俺の腕は動かないってことだ。」
「う・うん…。」
「その為にも診療代を貯めておこう。いくらお前がギンライ様の息子ったって、ただで診て貰うのは図々しいだろ。」
「そうだね。分かった。」
そんな会話を思い出したのだ。
「もうこのお金も無駄なんだ…。」
ああ、でも。父は、ラルスが壊れかける日がきたら、町に居座って、本屋へ通えと言っていた。その為にはお金が必要だ。「二人で貯めた大切なお金。無駄なんて思ったら、お父さんに叱られるね。」
これで最後と決めて、ラルスは思い切り泣いた。
『暫くは泣きたくなりながら、お父さんを思い出すのかも。でも、そんなのお父さんに笑われるよ。今は駄目だけど、元気を出さなきゃね。』
ラルスは泣きながら、少しだけ笑った。
ラルスは立ち上がると、歩き出した。父は旅を止めるか、進むかはお前次第だと言っていたが、実の父に会わないなんて選択肢はなかった。それを選んでしまったら、父の死は無駄になってしまう。
「そうだよ。こうなったら、絶対会いに行ってやるんだ。」
ラルスはギンライの城がある方角を睨みつけた。ギンライに会うという考えは父から出たもので、ラルス自身はそれ程会いたいわけではなかった。でも、今は違う。父が死んだ今、父の望みを叶えてやるのが、餞になるような気がするから。
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