兎の少年ラルスの物語

28話

 無我夢中で剣を振り回していたラルスは、ふと、今ここで動いているものは、風にゆられる木の葉だけだと気づいた。
「う…。」
 辺りには何かが沢山転がっていた。何なのか考えようとしても、頭が動かない。左目が見えないまま、呆然と立ち尽くした。音が変な風に聞こえる。
「ラルス…。」
 父の声だ。大丈夫だったのかと思い、そちらを見たラルスは、気を失いそうになった。
 父の体の上に、半透明の父が浮いていた。幽体離脱というやつだ…いや、死んで当然のことをされた父が、健康な時でも体に負担をかける幽体離脱などするはずがない。あれは…あれは、霊体、つまり幽霊なのだ。
「お父さんっ!」
 ラルスは父の側に駆け寄った。途中、辺りに散らばっていた何かを踏みつけて転びそうになったが、何とか転ばずに辿り着いた。その踏んでしまった何かは耳障りな音を立てたし、踏んだときの感触も気持ち悪かったが、ラルスは気にしなかった。
「とりあえず、右耳を縛っとけ。」
 言われてから、ラルスは右耳が酷く痛いのに気づいた。左目の奥も痛い。耳に手を伸ばしたラルスは、悲鳴を上げた。耳が途中から無くなっていて驚いたのと、傷口に触ってしまって痛かったのだ。袋から包帯を出すと、今度は慎重に耳に触れながら、ぎゅっと縛って止血した。顔にも包帯を巻きつけた。癒しの気を全身に漂わせ、ラルスはやっと落ち着いた。
「お父さん…やっぱり、死んじゃったの…。」
「まあな。それに…、予想通り地獄行きだ。」
 父が顎をしゃくった方を見ると、二人から少しはなれた所に半透明の子鬼が立っていた。地獄の使者だ。父が天国行きなら、可愛い天使が来るのだ。
「あんまりのんびりするなよ?俺が閻魔様に叱られるんだから。」
「うん、分かった。なるべく早く済ませるね。」
 子鬼の機嫌が悪そうだったので、ラルスは微笑んだ。死んだ者は霊体となって、少しの間だけ、生きている者と会話ができるのだ。
「しかし、ラルス…。」
 父はなんとなく怖がっているように見えた。
「何?」
「お前って、怒らせると怖いんだな…。大人しい奴ほど、怒らせると怖いって言うけど…。本当だな…。」
「???」
 ラルスはぽかんとしていた。父がまた顎をしゃくったので、ラルスはそちらを見た。辺りに沢山散らばっていた物は…狐と猿の慣れの果てだった。ラルスは、2匹がいついなくなったのかと思っていたのに。自分は怒りに任せて、遺体を切り刻んでいたらしい…。「……。」
 自分の行為が恐ろしくなっているラルスへ、父が言う。
「ラルス。これからお前は、一人で生きていかなきゃなんねぇ。いいか、壊れそうになったら、町へ行け。あれぱ図書館、なきゃ本屋で本を読め。店員に迷惑がられるだろうが、気にするな。言っておくが、読むのは戦いとは無縁の本だぞ。難しすぎるのも駄目だ。頭に入らないからな。ちょうどいいのを沢山読むんだ。そうだな、料理本なんかは最適だ。レパートリーが増えるから、旅には役に立つ。書かれているレシピを、自分流にアレンジしたりすればもっといい。」
 父はまだ続けたそうだったが、ラルスは訳が分からなくて口を挟んだ。
「あの…なんで?」
「壊れる時ってのはな。一気になるんじゃないんだ。無闇に殺したくなる気持ちと、そうじゃない時があって、その間で揺れる。波のように襲ってくるそれから逃れる為には、全く関係ないことをして過ごすしかないんだ。前みたいに町に居座って、戦いとは無縁の生活をするんだ。そうすれば、いつか波が来なくなる。そうすれば勝ち。また何事もなく過ごせる。」
「そうなんだ…。」
「負けたら、もう終わり。お前は、俺らを襲ってきたあいつ等みたいに、普通とは違う感覚になって、人を襲って生きていく。そうなれば、最後には幸せとは無縁の死が待ってる。壊れた奴がいるって人に知れたら、そんな危ない奴は殺されるからな。」
「…分かった…。」
 ラルスは頷いた。「お父さん…。」
「前にも言ったが、ここで旅を止めて帰るか、このまま進むかはお前次第だ。どちらに進んでも、お前が俺にとって大事な息子なのは、変わらねえ。」
「うん…。」
 ラルスは何とか微笑むことが出来た。
「おっと、あいつが睨んでる。そろそろ行かねーとな。」
 ラルスはびくっとした。
「お父さん!僕を…僕を見守っていてね。」
「ああ、当然だ。罪が浄化されて、天国に行ったら、すぐにお前の所へ来るからな。それまで、ちゃんと無事でいろよ。」
 地獄で全ての罪の償いをした後、霊体は天国の住民になるのだ。天国に行った後は、転生するまで好きに過ごせる。
「うん、分かった。」
 ラルスは最大級の笑みを浮かべた。「大丈夫だよ、お父さん。お父さんが天国の住人になって、僕の所へ来てくれるのをちゃんと待っているから。」
 父は、シースヴァスは、ラルスに微笑みかけると、子鬼の元へ向かった。子鬼が父の手を取ると、二人の周りが黒く光った。二人はずぶずぶと地面の中に潜っていった。
 二人の姿が完全に見えなくなった後、ラルスはくずおれた。
 ずっと二人で生きてきたのに、父はもういない。支えになるものを失ったラルスは、この世でたった一人の気がした。
「ぐぉ…。」
 変な声が出た。気になってしまうのが嫌だった。そんなこと気にしないで、父の死を嘆いていたいのに。それでも、涙は止まらなかった。無事な右目から涙が溢れてくる…。

 ラルスの脳裏に父との幸せな思い出が蘇る。滅多に可愛がってくれなかった神父様と違って、父はたっぷりと愛してくれ、可愛がってくれた。大人になってからは、体を鍛え、強くなる必要があったので、厳しく怖い父になってしまったが、それでも、愛されているとちゃんと知っていた。
 笑っている顔、怒っている顔、情けない顔、辛そうな顔、眠そうな顔、ラルスをからかっている顔…。最近は思ったように旅を進められなくて、もどかしそうな表情も多かったが、二人で楽しく笑っていたのに…。
「お父さん…。」
 ラルスの想像の中では、自分だけが死ぬか、父と一緒に死ぬ場面しか浮かんでこなかった。一番可能性が高いのは、父が死に自分だけが生きているという今と同じ状況だったが、それは、絶対にないことだと信じていたかった。「どうして僕を置いて行ってしまったの…?」
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