兎の少年ラルスの物語

27話

 目が覚めて体を起こす。隣に父はいなかった。
「あー、また負けた…。」
 ラルスはため息をついた。彼は大人になってから、父と自分のどっちが先に起きられるか、一人で勝負しているのだが、今まで一度も勝ったことがなかった。父に言わないのは、子供っぽいと馬鹿にされそうだから。「うーん、どうして勝てないんだろ。」
 ため息をつきながら、テントを出た。
「どうした?嫌な夢でも見たのか?」
 父が心配そうに訊いてきたので、ラルスは笑って誤魔化した。
「えー?そんなんじゃないよ。へへへ。」
「そうか?」
 結構鋭い父はあんまり信じていない顔だったが、それほど深刻なことでもないのだろうと思ってくれたようだ。朝食を作る作業に戻った。ラルスも川で顔を洗ってさっぱりしてから、手伝った。

「火の気はない。ごみの始末はよし。忘れ物はなし。」
 いつものように父が指差し確認する。ラルスもしっかり確認した。初めて見た子供の頃は面白かったけれど、そのうちそれが一番いい方法だと気づいた。
 確認作業が終了し、さて、今日一日も頑張るかと歩き始めようとした時、久しぶりの盗賊が現れた。
 がさがさ。シーネラルが現れた時のように、盗賊はわざと音を立てながら近づいてきた。旅慣れない者か、相手を襲う気がある者でもない限り、こういう音は立てない。動物なら警戒するか、獲物に気づかれないように気配を殺すし、旅慣れた者なら、よく分からない相手に存在を知らせるのは無用心だと知っている。
「お父さん…。この人達強いのかな?」
 足音だけなら盗賊は二人だった。他にもいる可能性もあるが、ラルスには分からない。
「分からないが…。少なくとも自信はあるな。」
 シーネラルのような、相手がこちらを殺す気なら、なすすべもなく殺されるだろうと思わせられる威圧感はない。あの時、子供だったラルスには、そういった気配を感じることができず、父が汗をかいているのがとても不思議だったが、今なら殺気は感じられる。
 現れたのは二人だった。拳を強化するタイプの武器をつけている猿と、先が藁を集めたりする農機具に似た形をした武器を手にした狐。猿が口を開いた。
「やっぱり2匹か。ガキもいねぇ。殺り甲斐がねえなあ。」
「ま、いいだろ。今まで獲物らしい獲物にも会えなかったのに、兎の方はちっとはできそうだ。少しは楽しめるさ。」
 『金出せも言わないうちから、いきなり殺す話…?壊れた人達?』
 ラルスの額から汗が流れる。今まで、最初から殺す気で向かってくる盗賊なんていなかったのに…。とうとう盗賊ではなく、殺人鬼になってしまった壊れた人に会ってしまったようだ…。
「金貨なら200枚ある。全部持っていっていいから、命だけは…。」
 父が言い出して、ラルスは吃驚した。いつの間にそんなに溜まっていたのかというのと、父が命乞いをするのを初めて聞いたからだ。
「お父さん…。」
「たった200じゃ話にならないな。」
 狐が言うと、猿が笑った。
「たとえ、一万枚くらい持っていたって、逃がすつもりはねーくせに。」
「当然だろ?殺した後にいただけばいいんだからな。」
 2匹の盗賊の言葉を聞いて、ラルスは背筋が寒くなった。
 『や・やっぱり、この人達はおかしいんだ…。…これが壊れるということ…。』
「じゃ・じゃあ、俺はどんな風に殺されてもいいから、この子だけでも逃がしてくれ。」
「お父さん!駄目だよ、そんなの。」
 ラルスが父に叫ぶと、
「心配しなくてもいいぞ。」
 猿が言った。ラルスは希望の光が射したのかと思った。「一緒に送ってやるからよ。あの世で仲良くやってりゃいい。」
 その言葉を聞いた途端、ラルスの中で何かが弾けた。
「分かったよ。だったら、戦うまでだ!」
 ラルスは剣をしっかり握ると、狐に向かって走り出した。長い獲物を持っている狐と足の不自由な父では、父が圧倒的に不利だと思ったのだ。
「ラルスッ!!」
 父の叫び声は、終わりを予感したかのように絶望的だった。ラルスには、この二人がどれくらい強いのか、分からない。父は命乞いをしたが、障害がない時でもそうするくらいなのか、そうでなかったら戦っていたのか。分からないが、何もしないで殺されるくらいなら、抗った方がいい。万が一にでも、勝機が見えるかもしれないのだから。
 猿が父の方に向かうのを視界の端に捕らえたが、構う余裕はない。父が持ちこたえられるのを祈るしかなかった。狐を倒す。彼に出来るのはそれだけだ。
「楽しませてくれるよな?兎君。」
 狐が笑った。

 剣を狐に叩きつけた。狐の腕が飛ぶ。
 『思ったほど強くない…?ううん。油断させておいてから、僕を殺す気なのかも。』
「なかなかやるじゃねえか。」
 片腕がなくなったことなんて、気にもとめていないような狐の口調。腕を拾ってくっつけるのが可能だと思っているからこその余裕だろうが、今の時点で不利になったとは思わないのか?
 『余計なことを気にしちゃ駄目!相手がこっちを殺す気なら、僕もためらっては駄目。』
 今までは、生かして逃がすことを前提に戦ってきた。でも、今日はそれではいけないのだ。それでも、憎んでもいない相手を倒すつもりでやっていくというのは、なかなか厳しい…。
 ラルスがためらっていると、狐が武器を振るった。とっさに後ろへ飛んだが、口元に痛みが走った。ラルスは癒しの気を痛みに向けたが、ゆっくり治している時間などない。ラルスは相手に剣を振るった。

 狐の動きはラルスよりずっと良かったが、攻撃が致命傷にならない。どうしてなのか不思議になってから、ラルスははたと気づいた。
 『お父さんは、“俺はどんな風に殺されてもいいから”って言ってた。もしかして、壊れた人って嬲り殺しとかするの…?』
 自分で考えておいて、ぞーっとした。今まで、ラルスが狐に与えたダメージは、最初にやった片腕を飛ばしたことだけ。ラルスの方があちこちに傷がある。妖怪はそう簡単に死ねない。このままぼろぼろになるまで自分は、深くはないが、無視できるほど浅くもない傷を負わされながら、戦わなければならないのか…。『壊れた人って怖い…。』
 恐怖を感じ、怯えているラルスの耳に、くぐもった悲鳴が聞こえた。
「ぐうっ。」
 何かと思ってそちらを見ると…。
「お父さんっ!!」
 ぼろぼろになった父の胸から、猿が心臓を抉り出していた。「止めてっ!お父さんが死んじゃうっ!!」
 猿はラルスを見て笑うと、そのまま父の心臓を握りつぶした。
「あああああああ!!」
 父がゆっくりと倒れた。妖怪は丈夫だ。頭を切り落とされても、暫くは生きていられる。でも、心臓を潰されたら、いかな妖怪でも…。
 ラルスの目の前が真っ赤になった。猿に向かって走り出す。狐に邪魔された。
「怒るなよ、そのうちお前も送ってやるからよ。」
 左目に痛みが走った。狐が武器を引くと、その先に何か白くて丸いものがついていた。何なのか分からない。分からないまま、ラルスは怒りに任せて剣を振るった。左目が見えなくなったが、どうでも良かった。
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