兎の少年ラルスの物語

26話

「こんなもんかな。」
 あれから、数日が過ぎていた。最初は、旅を再開するなんてと思っていたラルスだったが、ここでくすぶっているのが、嫌になってきたのも事実だった。毎日の給料の中から父の病院代、宿代、貯金などやりくりしたり、このままこの町で父と二人で暮らし、そのうち好きな娘を見つけて結婚したり…そんな風に選択肢もないまま、将来が決まってしまうのかと不安になったり…。
 旅に出れば、実の父に会うよりも、死の確率の方が高そうだ。自分は未熟だし、父は障碍者。実の父どころか、生きて再び神父様に会うことも、無理かもしれない。
 でも。この偶然に立ち寄った町で、何となく落ち着いてしまうよりは、充実した人生だと思える気がしたのだ。勿論、何事もなく実の父に会い、無事に神父様の所へ帰る方がいいに決まっている。ただ、今回のことでそういう楽観的な考えは捨てるべきと悟ったのだ。神父様もシーネラルも生きてと言った言葉の意味が良く分かった今となっては。
 ラルスは、再確認した荷物を袋の中にしまった。保存食や調味料、調理器具、簡易救急セットなど。剣は手入れし直したし、余ったお金で父が買ってくれた、盾の代わりもしてくれるこてもしっかり身につけた。安いので質は良くないが、何もつけないよりはずっとましだ。
「ラルス、まだか?」
 父が顔を出した。父は旅支度を終え、剣を背にしょっていた。今までと逆になっているそれを少し悲しい気持ちで見ながら、
「済んだよ。行こ。」
 にっこりと微笑んだ。

 宿屋の女将はラルスへ何か言ったようだが、シースヴァスは気にするなと言ってやった。危険なことは十分承知の上での旅立ちなのだ。でも、このままここにいても何も変わらない。今は大人しいラルスも、そのうち我慢できなくなるはずだと彼は思っていた。
 反抗期らしい反抗期もなく、ラルスはずっと良い子だった。大人になった今も、父である自分の言うことを良く聞くし、彼の為に働いてくれた。ラルスが自分を見捨たって文句は言えなかったのに…。
 それに、なによりシースヴァス自身が今の状況に耐えられなくなっていた。ろくに働けないから、ラルスにおんぶに抱っこ。金食い虫のようになってしまい、生み出すことは何もなく、言うことをなかなかきいてくれない右手にいらいらして、ラルスに当り散らしたこともある。ラルスはじっと耐えてくれた。
 こんな筈じゃなかったのに。ラルスに虐待まがいの躾をしていた神父から救い出したつもりだったのに。ギンライへ、あんたの捨てた子供はこんなに強く立派になったんだと自慢したかったのに…。ま、最後のは本当にそうなったとしても、口に出して言う気はさらさらなかったけど。それを聞いたギンライに何かされるかもしれないからではなく、それくらいの分別はあるつもりだから。
 だからこそ、旅なのだ。鬱屈して荒んできた自分にさよならするために。ただの逃げなのかもしれない。それでも、人生の大半を旅して過ごしてきた自分には、それしか思いつかないから。

 思っていたよりずっと辛かった。町の平坦な道と違う、でこぼこ道。ひきずらなければ歩けない足では、健常者だった頃には思いもしなかった障害に感じられた。最初は、久し振りの旅で体が慣れていないからと思ったが、ラルスの村を出た時は、こんな風ではなかった。あの時も、疲れだけは早く来た。でも…。
「お父さん、大丈夫?早めに休もうか?」
「そうするか…。ラルス、お前も多分自分が思っているよりは疲れているはずだから、注意しろよ。」
「うん、分かった。」
 ラルスは自分は大丈夫といいたげな顔をしたが、答えは素直な返事だった。ラルスの村を出たあの時のシースヴァスも軽く考えてしまい、その日は眠りこけて肝が冷える目に合った。結果はラルスがトイレに行っただけだったが、盗賊か動物が来ていたら…。しかし、経験していないラルスには理解できないようだ。
 ラルスが薪を集めに行ったので、シースヴァスは、夕食の準備を始めた。

 次の日。ラルスは一時的に眠ってしまったが、何とか上手く不寝番をこなせた。それでも、シースヴァスの言葉が正しかったと理解したようで、
「体が慣れるまでは、距離は気にしないようにしようね。」
 と言ってきた。
「そうだな。俺も足がなかなか言うことをきかねえ。」
「無理は絶対しちゃ駄目だね。」
「ああ。」

 それから数週間が過ぎた。
「盗賊、弱くなってる気がするよ。お父さんの言う通り、本当のお父さんが生きてるって分かって、悪い人達が減ったんだね。」
「そうだな…。なあ、ラルス。」
「何?」
「ギンライ様のことを本当のお父さんと呼ぶのは止めろ。」
 ラルスは吃驚した顔をしたが、やがて笑った。
「心配しなくても大丈夫だよ。気持ちはお父さんが本当のお父さんだから。」
「いや…。俺は嫉妬して言ったんじゃねえ。そんなこと気にしねえよ。」
 正確にはちょっとだけ…いや大いに気になるが、今はそれどころではない。
「え? じゃ、なんで?」
「知らない奴が聞いたら、お前がおかしいと思うか、利用できるなんて考えるかもしれないからさ。だとしたら、危険だろ。」
「ふ・ふーん。そっか。分かった。じゃ、ギンライ様って呼ぶ。」
 ラルスは真面目な顔で返事をした。

 そうして数年が過ぎた。シースヴァスは、戦闘をしなくても足手まといになっていた。足のせいで、距離をかせげないのだ。ただ、右手はかなり自由に使えるようになっていた。
「このまま何事もなく、ギンライ様の城へ行けそうだな…。」
「そうだね。」
 時間はかかるけど…。その言葉は、ラルスもシースヴァスも言わなかった。町に立ち寄ってテレビを見ると、毎回ではないがギンライが出ていたし、それほど衰えているようにも見えなかったから、焦燥感もないのだ。
 二人は安心して、旅を続けていた。

 数週間後。出会っても、旅人か、殺さずに済ませられる弱い盗賊ばかりで、ラルスは心の奥底で物足りなさを感じていた。死にたいわけではない。歯ごたえのある相手と戦いたいのだ。
 距離を稼げないので、余った時間、ラルスは一人で訓練していた。父が指導してくれる。町で過ごしていた間は、成人する前のように優しい父に戻っていたが、旅が始まったとたん、また恐ろしい父になっていた。自分は訓練についていけないので、見てるだけなのだが、鞭や手はためらいもなく飛んできて、ラルスにとっては嫌でしょうがない。そんな辛い思いをして鍛えても、殆どその力を発揮できないとなると…。
歯が立たないような恐ろしい相手ではなくて、互角くらいの盗賊と力一杯ぶつかり合ってみたかった。でも、現実はそんな試合みたいなことにはならなくて…。

「300歳の誕生日、おめでとう。」
 ある日の夜、夕飯の支度をするのに、小動物が罠にかかっていないかどうか見に行こうとしたラルスへ、父が言った。
「有難う。…もうそんなだっけ?」
「何だ、自分が覚えていないのか?俺はてっきり、朝から期待して待ってると思っていたのに…。」
 残念そうな父を見たラルスは、ちょっと笑った。
「期待して待ってると思っているのに、こんな遅くに言うの…?」
「焦らされた方が、言われた時に嬉しさも増すってもんだろ。」
「うーん…。」
「いいか、恋でもそうだ。追いかけるばかりじゃ逃げられるから、時には引くことも…。」
「覚えておくね。」
 ラルスは笑った。

 少し豪華な夕食を済ませた後、川で水浴びをした父は早々に寝てしまった。
 『300歳かあ…ってことは、旅に出てから30年も経ったんだね…。』
 簡易テントで横になりながら、ラルスは思った。旅を再開したばかりの頃は座って不寝番をしていたが、今はもう、頭の一部だけ起きているというのが当たり前になったので、父の隣に寝ていた。まだそれを練習していた頃は、テントの入り口近くに父がいたが、今はラルスが入り口側だ。何かあった時、父は目を覚ますことは出来ても、不自由な体ではすぐに反応できないからだ。
 父に聞いたら、あと10年ほど旅をすれば、ギンライの居城へ辿り着けるそうだ。
 『なんか、長いようで短かったって感じなのかなあ…。確か、旅に出た時、僕って42歳だったよね…。それがもう300歳なんだ…。』
 喋り方が子供っぽいのをいい加減に直せと叱られたのは、100歳になり成人した後だった。お尻を叩かれたが、直すつもりがなかったのでそのままだ。父の命令に背いているのはこれくらいだろう。
 後ちょっとで実の父に会える。10年といえば長いが、それでも途中休んだとはいえ、42歳から300歳まで旅し続けたと思えば、10年なんて瞬きくらいのもんだろう。
 『10年の間に1、2回くらいはちょうどいい盗賊と戦えるよね…。本当のお父さんも死なないだろうし、神父様に会えそう…。』
 旅を再開したときよりもずっと軽い気持ちで、ラルスは寝入った。この先に何が待ち構えているのか、何も知らないおかげで、最後の平和な時間をラルスは十分味わったのだった。
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