兎の少年ラルスの物語
24話
ギンライは、ラルスが最後に見た姿とはだいぶ違っていた。実の父を初めてテレビで見た後に、数回、彼の姿を目にする機会があった。その度に彼は、少しは元気そうだったり、疲れはてていたりとばらばらだったが…。
ザンが念を押した気持ちが良く分かった。骨と皮だけとまではいかないが、げっそりと痩せこけ、鍛え上げられた体をさらしていた簡素な服は、バスローブというのか、寝巻きというのか、前で重ねて着るタイプの体型を隠す服に変わっていた。ぐったりと背中のクッションにもたれかかっていて、座っているのもやっとの様子。赤い肌がくすんで見えた。人間だったら、真っ青に見える顔色だ。
『あんなに痩せちゃって…。本当に元気なの…?』
「ねえ、あの手首についているのは何?」
近くで女性の声がして、ラルスは我に返った。何を言っているのかと思って、手首を見てみた。
「て・手枷!?なんで、第一者が手枷されてるの?…それに、あんなのつけなくたって、ベッドから立つことも出来なさそうなのに…。」
ラルスが叫んだので、他の人もその存在に気づいて、ざわざわし始めた。ギンライの両手首に手枷がつけられていた。擦れないためなのか、リストバンドのような厚い布を巻いた上に手枷をしている。枷についている鎖は、どこに繋がっているのか見えなかった。両手の間には鎖がなく、それぞれの手が自由に動くようになっていた。
「手枷って何?」
平和に暮らしていたら何の縁もない物なので、彼女はそれを知らないらしく、ラルスに訊いてきた。隣にいた夫か父親はちょっと不機嫌そうだったが、自分で説明できないのか、邪魔はしなかった。
「罪人や奴隷につけて、自由を奪うの。場合によっては、狭い牢屋に入れておいて、さらにあれをつけて、全然動けないようにするんだけど…。」
「有難う…でも、変ね。第一者様はどっちでもないのに。」
視聴者の衝撃が去ったと思ったのか、リポーターが出てきて、挨拶をした。
「皆様、今日は。これから、ギンライ様に色々と質問したいと思います。」
リポーターは、ギンライへ最敬礼に当たる仕草をすると、マイクを差し出した。ザンが手を伸ばしてきて、マイクを受け取ると、ギンライの口にそれを近づけた。
「あまり、時間がないので、手短に、してくれ。」
一言一言がとてもゆっくりで、声だけでテレビに出ていた時と一緒だった。テレビなどに詳しい人達は、その声は録音されたものだから、ギンライ様は死んでいるのだと言い、死亡説の噂を支持していた。しかし、これで本人がちゃんと喋っていたと証明された。
「では、まず、皆が一番気になっていることですが、200年前、神様がこのお城に向けて放った光の正体について…。」
「俺を、見れば、分かるだろ。」
リポーターがみなまで言わぬうちに、ギンライはさえぎった。「沢山の、子供を、捨てた、天罰だ。」
「…やっぱり、そうなんですか…。…では、その…手枷は…?」
「説明、するのが、面倒だ。ザン…。」
ギンライは、マイクを支えているザンを見た。
「おお。あのな、これは発作が起きた時、こいつがベッドから落ちないようにするためだ。」
「発作…ですか?」
「ああ。こいつを見ただけだと、徐々に弱っていくのが天罰なんだと思うだろ?でも、違うんだ。本当の罰は、激しい苦痛が数時間かけて与えられる病気だ。時間が過ぎると、数十分の休みが与えられ、その後は、また数時間続く苦痛。その繰り返しだ。拷問と一緒だろ。時間がないってのもそれ。今は落ち着いてるけど、また苦痛が来るからな。で、苦痛の時間を発作と呼んでるんだ。」
「…拷問…。」
リポーターは青くなった。穏やかでない言葉に、広場の人達も顔をしかめたり、気分が悪そうな表情になった。
「拷問ってのは、ずーっとやってても無駄なんだ。人は痛みに慣れてくる。それに、休みなくやってると死ぬ可能性もある。だから、ある程度責めたら、休ませる。そしてまた、拷問、休みと、やるわけだ。そうしていくうちに、受けている奴は、休みが恋しくなる。あの休みをずっと与えられるなら、何もかも話してしまおうとか、拷問が終わる条件が、何かをやったりすることだったら、それをやろうという気持ちになるわけだ。」
「はあ…。」
「こいつがこんなに弱ったのはそのせいだ。数時間かけて与えられる苦痛とほんの少しの休み。その繰り返しで飯も食えなくなってきたし、気晴らしもねえ。しかも、これには終わりがない。最悪だろ。」
ザンは顔をしかめた。「ギンライがやってきたことは重罪だと俺は思うし、皆もそうだろ。でも、俺は、こんな病気をこいつに与えるくらいなら、あっさり殺して地獄に送った方がいいような気もするんだよな…。」
ザンは溜息をついた。
『これが、本当のお父さんのしてきたことにたいする報いなんだ…。』
ラルスはぼんやりしていた。他の兄弟は知らないが、彼は、普通の少年時代を送ってきた。父は、神父様はお前を虐待していたと言うだろうけれど、少なくとも飢餓に苦しめられたり、死んだ方がましだと思ったことは一度もない。だから、実の父をそれほど恨んでもいない。そんなラルスからすると、ザンの言う通り、地獄に行って罪を償ったって一緒だと思うのだ。『本当のお父さんを殺しても、神様は悪人になったりしないと思うんだけどなー。…良く分からないや…。』
ラルスが考えている間も番組は続いている。
「では、最後の質問なのですが、こんな状態で、ギンライ様は第一者としての役割を果たせているのでしょうか…?」
一番大事な質問だったので、広場がまた静かになった。
「問題、な…い。休みの間に、出来る、かぎり…。」
ギンライの言葉がさらにゆっくりになり、途切れた。
「何であんなに汗をかいているんだ?」
また誰かが言った。たしかに、ギンライの額からだらだらと汗が流れてきた。ザンの表情が変わった。
「おいっ、テレビを止めろ!!」
「えっ?」
リポーターが不思議そうな表情になる。
「早くっ。」
ザンが怒鳴った。広場の皆も何が起きたのか分からず、ざわざわし始めた。数人は気づいて何か言ったが、騒がしくなってきたので、ラルスの耳には聞こえなかった。
「どうしたんだろうな?」
父がポツリと呟いた。ラルスが返事をする前に、テレビが吼えた。皆が仰天してテレビに見入る。
さっきまでもう少しで死にそうに見えたギンライが、激しく暴れていた。手枷の鎖がびんと伸び、ガチャガチャと音を立てていた。足枷もつけていたらしく、細くなった足から鎖が伸びていた。凄まじい叫び声をあげて、第一者が暴れているので、泣き出す子供もいた。
音と映像がぶつっと途切れ、テレビが真っ暗になった。発作の激しさに皆が呆然となってしまい、泣き叫んでいる子供たちをあやす者もいなかった。ラルスも動けなかった。ザンが喋っていたのと、実際に目にするのとでは違いすぎたのだ。
Copyright 2008 All rights reserved.