兎の少年ラルスの物語

23話

 無意識に綺麗にしていたらしく、汚れは落ちていた。後は、ラルスの心次第だった。
「馬鹿みたい。何迷ってるんだろ。」
 ラルスは洗い場を出ると、用意されてあったタオルで体を拭った。服を着ると、彼は外へ出た。
 父が近くにおいてある長椅子に座っていた。先程は気づかなかったが、手に何か包みを持っている。ラルスを待っている間に、それを取りに行った可能性もあるが、まあ、気にするほどでもないかもしれない。
「早かったな。なあ、どうするんだ?」
「訊くまでもないよ。」
「…そうか。じゃあ、やっぱり行かな…お・おいっ、ラルス!?」
 抱き上げられ、父は仰天しているようだったが、ラルスは気にしなかった。
「行くに決まってるでしょ。生きている本当のお父さんの顔が見られるのは、これで最後かもしれないのに。
 今のお父さんは遅いから、僕が連れて行ってあげる。しっかりつかまっててよっ。」
 ラルスは宿屋の裏庭へ通じている窓を開けると、外へ出た。玄関から行くよりも、そっちの方が広場に近いのだ。窓を閉めると、ラルスは久し振りに本気で走り出した。まだ、発展途上のラルスには、目にも留まらない速さで走るなんてことは無理だが、それでも、普通の人が驚くくらいのスピードなら出せるのだった。

 宿屋の女将さんの言葉通り、良い場所なんてもうなかった。街頭テレビは太陽光を電力に変えて動いているため、どの町でも高い所に設置されている。妖魔界には高層ビルが存在しないので、大抵の町で一番高い建物はテレビ台だ。だから、開いているところといえば、テレビが置かれている高い柱のすぐ近くか、テレビを見るには遠すぎる広場の外くらいしかない。翼を持っていたりして空を飛べる者達だけは、柱のすぐ近くに立っていた。放映が始まったら、空を飛んで、皆の邪魔にならない程度の近くで、テレビを見ようとしているらしい。羨ましいと皆思っているだろう。町には見慣れない者たちもいた。噂を聞きつけて、テレビがないところから来た者達や、旅人なんだろうとラルスは思った。
 ラルスは父を下ろすと、何とか見える位置に移動できないか、辺りを見回した。
「ここからでも何とか見えるだろ。諦めろ。」
 父に軽くお尻をはたかれ、ラルスは諦めることにした。
「ま、まだ始まってなくて良かったって思おう…。」
「そうそう。」
 父はうんうんと頷いて見せた後、手に持っていた袋を開けた。美味しそうな香りがラルスの鼻をくすぐった。「今日は、食堂で昼飯をゆっくり食えないと思って、買ってきておいたんだ。食うだろ。」
「うんっ!」
 ラルスは父が差し出してくれた肉と野菜が挟まったパンを食べ始めた。それは、ラルスに振り落とされないように踏ん張っていた父の手で少しつぶされていたが、充分に美味しかった。
 お腹が満たされてから、辺りを見回すと、ラルスのように昼食を摂る暇のなかった勤め人達が、妻の作った弁当を食べていたり、手に持って食べられる物を買って食べていた。
「…テレビが始まらないね?」
「そうだな…。飯の間待ってくれるのかもな。」
 ラルスの問いに父が答えてくれた。
「あんなに急がなくても良かったかなあ…。」
 ラルスが溜息をつくと、それに答えるかのように、テレビが話し始めた。
「朝から待っている方々、お待たせしました。勤め人の方々、お仕事お疲れ様でした。これから、緊急特番“第一者ギンライ様の生会見”をお送りいたします。」
 ざわついていた人達が一気に喋るのを止めた。まだ少しは物音がしているが、嘘みたいに静かになり、ラルスは内心驚いた。「皆様方も知っている通り、第一者ギンライ様は、ここ暫くの間…そうですね、200年ほども、我々の前に姿を現しては下さってはいません。そう、200年前といえば、500年ぶりに神様が光臨なさった年です。あの年、神様はいつもと違って、我々に分かるような奇跡を起こさず、ギンライ様の居城に不思議な光を放っただけで、天国へとお帰りになりました。そのことと、ギンライ様がその姿を我々の前に見せて下さらなくなったことと、何か関係しているのか、我々は取材していました。」
 テレビの中にいる男性は、一旦ここで言葉を切った。視聴者に色々考えさせるためだろう。そして、皆が待ちきれなくなった頃、やっと口を開いた。
「そして、今日やっと、ギンライ様は我々の前に姿を見せると約束して下さったのです。…それでは、ギンライ様の寝室にカメラが行っていますので、そちらに映像を切り替えます。」
 テレビの場面が変わる。広場の人々があっと声を上げたが、ラルスは黙って見ていた。出たのは第二者ザンだった。ギンライや父と同じ鬼で、美しい少女なのに、男装している。ただ、妖怪は成人すると、外見の成長は止まってしまうので、実際の彼女の年齢はラルスより遥かに年上のはずだった。
「ギンライじゃなくて、悪かったな。今すぐ奴に変わるからよ、まあ、待ってくれ。」
 そう、黙っていれば品のある美少女で、化粧をし、ドレスを着せればどれほどになるかと思わせるザンだが、言葉遣いは男そのものである。男尊女卑の感がある妖魔界で、人の上に立つためには仕方ないのかなと思わせられるが、実際は、性格も豪快で、見た目が勿体無い感じである。「皆がどう思っているのか、俺は知ってる。だが、ギンライはそう簡単には死なねーぞ。そりゃ、第一者に成り代わろうとする野郎が、死に物狂いでかかってきたら、奴もきついだろうな。でもな、そう簡単にやられるほどには弱ってねー。そうじゃなきゃ、とっくに俺が第一者やってるぜ?それを忘れねーで、奴を見てくれ。見た目に騙されるな。いいな?」
 ザンは真剣な表情で言った。いつもの彼女は、脳味噌まで筋肉で出来ているのかと思うような発言しかしないのに。
「つまり、それだけ酷いんだね。」
 ラルスが呟き、聞こえた人達も同意した。
 ザンは、ラルスの言葉が聞こえたような顔で続ける。
「ここまで言えば、俺の言いたいことは分かるよな…。ま、そーゆーことだから、心が弱い奴は、強く気を持ってくれ。…じゃ、そっち写せ。」
 最後の言葉はカメラを持っている者に言ったらしいが、テレビの仕組みが分からない人達は、何だろうという顔をしたり、ギンライがどんな様子なのか想像したりした。
 テレビにギンライが映し出され、ラルスを含めた広場の殆どの人達が、息を飲んだ。
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