兎の少年ラルスの物語

22話

 ジリリリリ…。作業終了の鐘が大音量で鳴る。少しすると、働き始めの頃は、耳が聞こえなくなるのではと心配していた機械の音も止まった。軽く掃除を済ませると、ラルスを含む日雇い労働者達は列を成して、出口に向かう。出口では、その日の仕事内容と働きに応じた給料が手渡される。それを受け取った労働者達は、昼飯を摂る為に食堂へ向かったり、酒場へと散っていく。
 ラルスは、中身を確かめた後、真っ直ぐに宿屋へ向かった。今日は、昨日遊んだのが祟って、給料はイマイチだった。それでも、何とか作業できたのは、日頃鍛えていたからに他ならない。
「あーあ。お父さんの言う通り、たまには遊ばなきゃ駄目みたい。」
 溜息をつきつつ、ラルスは歩いていた。「でも、早く落ち着きたいし…。」
 ラルスは、この町からは暫く離れられそうもないと分かってからすぐに、住む場所を探していた。宿屋に長くいるよりずっと安く済むからだ。しかし、何処も2週間分の家賃を前払いしなければならず、その時の手持ちでは無理だった。あと1ヶ月弱宿屋で我慢しながら働けば、家賃を払うだけのお金が溜まる。そう思って、頑張っている。
 今日の給料では、残るお金がなさそうだ。ラルスは落ち込みながら、とぼとぼ歩いていた。そんな彼だったが、やがて町がいつにも増して騒がしいのに気づいた。この町は、旅人が物資を調達出来たり、次の町への中継地点にある為、いつも熱気にあふれている。しかし、今日は、見慣れてしまったこの町に、違和感を覚える程の落ち着かなさを感じた。
 『お祭りまではまだまだあるし、何なのかなあ…?』
 気にはなったが、とりあえずは風呂で汚れた体を綺麗にしたかったので、ラルスは宿屋への道を急いだ。

「あー、やっと来たよ。あんた、お風呂を出たら、すぐに広場に向かいなよ。もう良い場所は残ってないだろうけどね!」
 宿屋の中へ入っていくと、女将さんが興奮した様子で、ラルスに話しかけてきた。訳が分からなくてぽかんとしている彼に、「あんたが帰ってきたから、わたしもやっと行けるよ。急がなきゃね。」
 女将さんは言いたい事を言い終えると、本日の営業は終了しましたカードを手に持ち、カウンターを上げると、急いで出て行ってしまった。
「まだ真昼間なのにどうしたのー!?」
 と、ラルスが訊いたのは、女将さんはばたんと戸を閉めてしまった後だった。「広場に何かが来るのかな…。」
 王様か貴族様でも来るのかもしれない。町が騒がしかったのもそのせいだろう。ラルスは一人で納得すると、お風呂場に向かった。本来なら、部屋へ、着替えや備え付けのタオルを取りに行く必要があるが、ラルスは長期滞在のお得意様なので、宿屋の従業員が彼の為に、お風呂場にそれらを用意しておいてくれている。安い部屋に泊まっているとはいえ、長くいる上に、金払いはきちんとしているから、結構優遇されているラルス達だった。

 大浴場の暖簾をくぐると、父が立っていた。
「あれ?お父さんが昼にお風呂入るなんて、珍しいね。」
「いや、違う。お前を待ってた。」
「え?なんで。」
「女将さんは教えてくれなかったのか?」
「お風呂を出たら、急いで広場に行けとか言ってたけど…。自分も急いでいるみたいで、自分だけ喋ってさっさといなくなっちゃった。」
「そうか…。」
 父はちょっとだけ迷った顔をした後、口を開いた。「今日な、朝、お前が出て行った後に、テレビが、“勤め人達が帰る頃、ギンライ様がご出演なさいます”って言ったんだ。今日は、声だけじゃなく、姿も見せるんだと。」
「それで、町が騒がしかったんだ…。」
 ラルスは納得した。それなら、女将さんが、昼間から宿屋を閉めたのも良く分かる。
「もう少しで、テレビにギンライ様が出る時間だ。ラルス、お父さんを見たかったら、体を洗うのは後にして、軽く汚れを流すくらいにしておけ。もし、見たくないならゆっくりすると良い。」
 父はそれだけ言うと出て行こうとしたが、ふと足を止めた。「ああ、俺はお前の気持ちに従うから。どっちにしろ外で待ってる。」
 そして、今度は本当に出て行った。
 『本当のお父さんがテレビに出る…本当に久し振りに顔を見られるんだ…。』ラルスは機械的に服を脱ぐと、洗い場に入った。
「あれ?」
 思わず声に出た。
 『どうしてお父さんは、僕が本当のお父さんの顔を見たくないなんて思うと思ったんだろ…?』良く分からなくて、ぽかんとしながらも、手はシャワーで汚れを落としていた。
 不意に気づく。長い間テレビに声だけでしか出ていなかったのは何故か。そして、今日急にテレビに出るのは何故か。答えは。最初のは、出られないほど状態が悪かったから。次のは…。最初は、元気になったからだと思っていた。でも、父があんな言い方をするということは、出られる状態ではないけれど、ギンライ死亡説がまことしやかに囁かれる今となっては、出ないわけには行かないから…という可能性を示してはいないだろうか。だとしたら、テレビに出る実の父は、酷い状態かもしれない。父は、それにラルスが耐えられるかどうか不安なので、あんな言い方をしたのだろう。
 実の父に愛情なんて殆ど感じていない。かといって、死に際の姿を無感動で見られるほど、ラルスは冷酷ではない。
 『どうしよう…。』
 迷っている暇はなかった。自分の推測が正しければ、ギンライは、短い時間しかテレビに出ないだろう。急がなければ姿を見ないうちに、終わってしまうかもしれないのだ。
Copyright 2008 All rights reserved.

-Powered by 小説HTMLの小人さん-