兎の少年ラルスの物語
19話
寝ているけれど頭の一部は起きているという訓練では、父に反撃することができるようになったラルス。他の訓練でも、ラルスよりも先に父が音を上げるくらいになっていた。
そんなある日のことだった。父がいよいよラルスにも戦ってもらう時が来たと言い出した。
「えー…戦うの…?」
「そうだ。もう俺がお前に教えられることはなんにもねえ。後は実戦だ。」
ラルスが嫌だなあと思っていると、父の平手が飛んできた。「いいか、ラルス。もうお前には甘ったれている暇はねえ。急いで強くならないと、ギンライ様がどうなるか分からない。」
「そうでした…。」
ラルスは、ぶたれた頬を撫でながら俯く。ギンライは今でも声だけでテレビに出ているそうだ。だが、声はもう、死人といってもおかしくない位の弱々しさで、死ぬまで秒読み前だと囁かれている。
父の言う通り、後は実戦で強くなっていくしかないのだ。
「…。」
父が前に買ってくれた剣を、ラルスはじっと眺めていた。今まではいたまないように手入れしかしていないが、これからはこれで実際に人を切る…。そう思うと、怖くて仕方ない。手が震えた。実際にそんな場面がきたら、自分はちゃんとやれるのだろうか…?
怯えているラルスの側へ父がやって来た。父は、自分が怖気づいていることに怒って、また打つつもりなのではと思って、身をすくめる。
しかし。
ぎゅっ…。
久し振りに強く抱きしめられた。ラルスは吃驚した。でも、とても嬉しかったので、もう大人だよ、なんて生意気は言わなかった。
「怖いだろうな。俺だって、最初は怖くて仕方なかったさ。いっそ、自分が切られて死ぬ方が、楽かもしれないって思ったくれえだ。でもな、実際その場面になったら、無茶苦茶に剣を振り回してた。…やっぱり、死にたくねえからな。」
「戦わないで生きていられたら、一番良いのにね。」
「そうだな。俺もそう思う。でも、仕方ねえんだ。俺等は魔の生き物。闇から逃れて生きていくには、無害に町人や村人になるか、死ぬしかねえのさ。」
「…そう、だね。」
ラルスは剣を見つめた。これからは、これが相棒として自分を護ってくれることになるのだ、と思った。
そして、来なければ良いと思っていたその時がやって来た。盗賊は一人だった。目が真ん中に縦に並んでいる男だった。頭がサツマイモなどのような感じで所々に、髪というよりは髭のような毛が生えていた。そのせいで余計にサツマイモっぽい。動物系ではないらしく、そういった特徴はなかった。
父は剣を手にしていたが、ラルス一人に任せるつもりのようで、少し離れた所に立っていた。
盗賊は、明らかに戦いに慣れていなさそうなラルスから片付けた方が楽だと思ったのか、真っ直ぐにラルスめがけて、剣を振り下ろしてきた。
「わっ!」
ラルスは声を上げて逃げた。男の動きは酷く緩慢に見えた。それが油断を誘っているのか、本気でそうなのかは分からないが、簡単に切りつけることが出来そうだった。しかし、ラルスは怖くてそれが出来なかった。
盗賊は二打目を放った。ラルスはまた逃げた。どうも相手は、本当にラルスよりかなり弱いらしい。となると、自分の命を護るために、仕方なく切りつけるという行為がしにくかった。実力が近いか、相手が上なら、逃げ回っている余裕なんてないのだけれど…。
ラルスに全く戦う気がないらしいのを見て取ると、盗賊は父の方へ向かっていった。彼はほっとした。
「ちっ!ラルスの奴!」
シースヴァスは舌打ちをすると、盗賊に向き合った。仕方ないので、自分が…と思いかけて、ふと、ある案を思いついた。ラルスを殺せなかったので、いらいらしている盗賊が切りかかってきた。
「まずは貴様からだ。死ねぇ!」
盗賊の剣が、シースヴァスの胸部を切り裂いた。彼はよろけると、尻餅をついた。
「お父さんっ!!嘘でしょ!?」
すぐにでも立ち上がると思った父が、後ろにゆっくりと倒れたので、ラルスは悲鳴に近い声で叫んだ。盗賊は嬉しそうに舌なめずりをすると、またラルスに向かってきた。
「貴様もすぐに親父の元へ送ってやるよ!」
「…!」
ラルスは声にならない叫び声をあげた。
『これでやる気になるだろ。…にしても、やっぱりちっといてーな。』
シースヴァスはほくそえんだ。そう、ラルスにやる気を出させるために、わざと攻撃を受けたのだ。だから、傷は浅く、たいしたことなかった。だますのは嫌だったが、戦わないで旅をするのが不可能である以上、ラルスにはこういったことに慣れてもらう必要がある。
『こういうのを必要悪って言うんだろうな。』
なんて気楽に考えながら、ラルスの方を見たシースヴァスは、呆然となった。
盗賊は真っ二つになっていた。唸りながら、ラルスはさらに盗賊を切り刻む。
「お父さんを殺すなんてっ!僕は、これからどうやって生きていけばいいんだよーっ。」
「ラルス、止めろっ!」
ラルスがぎょっとして、こちらを向いた。
「お・お父さん…?」
ラルスはぽかんとなった。
いつものように金目の物を全部盗ってしまうと、シースヴァスは穴を掘って、盗賊を埋めた。後ろでラルスが吐いている。今になって怖くなったのか、それとも自分のした行為を嫌悪しているのか…。
「…。」
シースヴァスは、盗賊とラルスの実力の差を考えてから、行動すべきだったと反省していた。父を殺されたと思ったラルスが、怒りに任せて相手を殺してしまうことを何故考え付かなかったのだろう…。彼は、深い溜息をついた。
彼は盗賊を殺しても当然だとは考えていなかった。ラルスの目の前で、初めて相手を殺したときもそうだった。首を切り落としたくらいでは、大抵の妖怪は死なない。相手の戦意を奪うことが目的だった。自分の首を意図も簡単に落としてしまう奴を相手にするのは分が悪いと、降参してくれる可能性もあったからだ。ただ、S字剣を操るあいつはそう思わず、シースヴァスとラルスを殺す気持ちを捨てなかったので、仕方なく殺した。
今回、ラルスにもそうしてもらうつもりだったのだ。傷つけることを怖がっていたラルスだから、攻撃しても、致命傷を与えたりはしないだろうとふんでいた。傷を負わされたサツマイモ男は、ヤバいのを相手にしたと逃げてくれるのではないか…。そんな風に考えていたのに…。
男を埋め終わった後、シースヴァスは胸の傷の痛みを感じながら、ぼんやりしていた。
「さ、ぼけっとしてても仕方ないから行くぞ。」
父の言葉に、ラルスは立ち上がった。お父さんがどういう意図で、自分に嘘をついたのかを聞かされ、少しだけ楽になっていた。自分が殺してしまった盗賊に対する、済まないという気持ちは強くなったけれど…。
「うん…。」
ラルスはゆっくりと立ち上がった。子供の時のように、今回もお父さんはラルスの口をすすいでくれたりと、吐いた後始末をしてくれた。最近のお父さんは凄く怖いけれど、ちゃんと自分を愛してくれるのだと思えて、嬉しかった。
『でも…。こんな気持ち悪いことを本当に好きになるのかな…?』
人を殺すのは後味が悪いだけだった。こんなこと、もう二度としたくないくらいだ。それなのに、殺すのが快感になる人がいる…。とても信じられない気持ちだった。子供の頃に聞いた時よりも、実際に手をかけた今の方が、より信じられないのだが…。今回は、本当は殺さなくても良かったかもしれない人を殺してしまったから、そう思うのだろうか?それとも慣れてくると違うのだろうか…?
それから、かつて、人を傷つけることが怖かったなんて、忘れるくらいの時間が流れた。盗賊と戦うことにももう慣れた。しかし、今の所、人を殺すのが気持ち良いという風には有難いことになっていない。だから、命乞いをしたり、逃げ出す盗賊がいる場合には、それ以上は何もしないで、放置した。ラルスもお父さんと同じ考えで、相手を殺さずに済むなら、その方が絶対に良いと思っていたのだ。
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