兎の少年ラルスの物語

17話

「ここは何なの?」
 荷物を置いて宿屋を出た後、二人は宿屋の店員に教えて貰った町の食堂の前に立った。
「飯を食う所だ。宿屋は、朝しか飯を作ってくれないんだ。」
「へー。」
 ラルスは、さっさと歩いていってしまうお父さんの後を急いでついていった。
「いらっしゃいませーっ。」
 元気な店員の声に、ラルスは吃驚した。「二名様でいらっしゃいますか?」
「ああ。」
「では、あちらの奥へどうぞ。」
 普通なら、何処へ座っても良いのだが、お昼時とあって店内はかなり混んでいた。ラルスは、がやがやと五月蝿い店内をしげしげと見回した。色々な食べ物の匂いなどが充満する中、店員が食事を運んだり、家族連れのような人達が楽しそうにご飯を食べたり、待ちくたびれた人が文句を言ったり、お金を店員に渡したり…。
「うわあ…。」
 『ここが食堂…。おもしろーいっ。』お父さんが見せたかった物はここではないらしいが、ラルスはすっかり感動していた。皆が違うものを食べていて、なんだか神父様の結婚式の日を思い出した。あの日も、奥さんや娘さん達が腕によりをかけて作ってくれた山のような料理を、ラルス達皆がお腹一杯食べたのだ。
 ラルスがちょっぴり懐かしさに浸っていると…。
「何やってんだ、さっさと来いっ。」
 いつになく不機嫌なお父さんに怒鳴られてしまった。
「はいっ、ごめんなさい。」
 ラルスは急いでお父さんの側へ向かった。
「ぼけっとしてるんじゃねぇ。何が食いたいんだ?ほら、こん中からさっさと選べ。」
 椅子に座ったラルスへ、お父さんは紙を押し付けた。いつも、メイドが作ってくれたものを黙って食べているだけだったので、食べたい物を選ぶという感覚が分からず、ラルスが戸惑っていると、「さっさとしろよ。俺は腹が減ってるんだ。」
 お父さんに睨みつけられた。
「…お父さん、どうして怒ってるの?」
「腹減ってるって、言ってるだろ。お前、字は読めるだろ。さっさと選べよ。」
 ラルスの知っているお父さんは、お腹が空いているからといって、こんな風に怒ったりしたことがなかった。いや、神父様だってイライラをぶつけるような言い方はしない。自分の何が悪くて、お父さんがこんな風なのか分からない。ラルスは泣き出した。

 ラルスがぼろぼろ泣き出したのを見て、シースヴァスははっとした。寝不足になったのは自分のせいだ。ラルスは何も悪くない。それなのに、早く済ませて寝たいばっかりに、初めてだらけで感動しているラルスを鬱陶しく感じてしまっていた。なんて勝手なんだろう。これで父親だと言えるのか…。
 シースヴァスは慌ててラルスを膝に乗せると、ぎゅっと抱きしめた。
「悪ぃ。ラルス。俺が悪かった。…あのな、実は俺、昨日は少しも寝ていないんだ。だから、眠くてしかも今は腹が減ってて、意味もなくいらいらしてた。」
「そうなの…。」
 シースヴァスはラルスの涙を拭いてやる。
「ラルスは町なんて初めてだし、こういうことにも慣れてないよな?だけど、早く飯食って寝たいもんだから、俺はついお前に八つ当たりしちまった。ほんと、ご免。お前は何にも悪くないもんな。」
「…ううん、いいよ。」
 済まない気持ちで一杯になっているシースヴァスへ、ラルスはにっこり微笑でくれた。「良かった。僕が嫌いになったのかと思った。違ったんだ。」
「まさか。昨日、お前が吐いたり、夜はうなされているのを見て、神父様の所へお前を返さなきゃいけないのか、悩んでて眠れなかったのに。嫌いになるなんてとんでもない。」
 ラルスの目が大きくなった。
「え!?僕のせいで眠れなかったの?」
「ああ。…あ、いや、違う。」
 シースヴァスは溜息をつく。「あんな所を見せてしまったし、お前は俺を怖がるようになっちまったから、ラルスみたいな幼い子を旅に連れて行くなんて、無理だったのかと思って、落ち込んだのさ。」
「僕、幼くないもん!もう、大きいよ!」
 ラルスは怒った。それから、「…うん。昨日のはちょっと気持ち悪かった。でも、あれが旅をしていくってことなんだよね?神父様も、シーネラルさんも“生きて”って言ってたもんね。それって、ああいうことを我慢するってこともあるのかも。…盗賊と戦うっていうのは想像と違って、ちっともかっこよくなかったし、うんと怖かった。でもね、僕、旅、出来るよ。大丈夫。」
「本当か?」
「うん。絶対大丈夫。僕、素敵なお兄ちゃんになるんだから。それに、本当のお父さんにも会うって決めた。だから、絶対に大丈夫。僕、もっと強くなるね。」
「そっか。」
 シースヴァスは微笑んだ。「よーし、ラルスの元気も出たし、飯を食うか。」
「うんっ。」
 店が混んでいたので、実際に二人のお腹がご飯で満たされたのはそれから30分も後だったが、二人の心は十分満足したのであった。

 食堂を出た後、シースヴァスはラルスの頭を軽く撫でた。
「ラルス、今のお前なら、町で友達くらいは作れるよな?」
「出来ると思うよ。」
「そうか。じゃ、俺は寝てくるから、お前は広場にでも行って、友達作って遊んでこい。子供は遊ぶのが仕事だからな。」
 シースヴァスが微笑むと、ラルスも微笑み返した。
「うん、分かった。」
「俺は起きたらお前を探しに行くけど、なるべくなら広場にいてくれ。その方がお前を見つけやすいし、見せたい物は、なんとそこにあるからな。」
「えーっ?じゃあ、行ったらつまらないよ?」
 ラルスは面白くなさそうな顔をした。
「大丈夫。それを見た後でも、俺から話しを聞きたくなる筈だから。」
 シースヴァスはラルスを安心させるように言うと、手を上げた。「じゃ、行って来い。」
「行ってきます。お父さん。おやすみなさい。」
 ラルスは走り出しながら、面白そうに言った。
「…お休み。」
 シースヴァスも笑った。

 数時間後。目が覚めたので、シースヴァスは頭をすっきりさせるのに、洗面所で顔を軽く洗った。
 地下の部屋だからといって、本当に物置に寝るわけではない。ベッドが二つ並んでいるだけの簡素なつくりの部屋で、トイレと洗面所は仕切られている。窓がないのを除けば、それなりに快適なので、寝るためだけに宿屋を利用するのなら、ここで十分とも言える。
 さっぱりしたシースヴァスは、動物の皮と、昨日殺した盗賊から奪った金品を持って、道具屋へ向かう。
 父親としては立派になろうと考えているし、努力はしているが、彼はあくまで小悪党。倒した奴から金目の物を盗み、売っぱらうのにいちいち良心を痛めたりはしない。むしろ、儲けがあったと喜んでいる。そういう点では、神父の彼に対する見解は間違っていない。

 久し振りにパンパンになった財布を喜びながら、シースヴァスは広場への道をゆっくり歩いた。何かあったとしたら町は騒がしいだろうから、今は穏やかな町で、大慌てでラルスを探す必要もない。妖魔界では、子供の躾が厳しいので、ラルスが仲間に入れてもらえないとか、苛められているかもしれないという心配は要らない。村の子供が珍しくて、ラルスが人気者になっている可能性もある。だから、シースヴァスは急がなかった。
 夜は昼とは別のところで食べようかと考えていたので、歩きながら、別の食堂がないかついでに探した。

 広場へ着く。見回すまでもなく、子供達の一団の中に、ラルスの黒に近い灰色の耳が見えた。町の子供達の中では目立つ旅装束なので、ラルスに長い兎の耳がなくてもすぐ見つかったろう。ちなみのその旅装束は、神父とシースヴァスがお互いにお金を出し合って、そろえてやったものだ。
 ラルスは子供達と楽しそうに笑っていたので、シースヴァスは、広場からはあまり離れずに、食堂を探した。そうしているうちに、辺りが少しずつ明るくなり、夜が近づいてきた。子供達は去り、ラルスは一人になった。それに気づいたので、シースヴァスはラルスの元へ向かう。

 楽しく遊んだ後、皆が少しずついなくなり、とうとう一人取り残されたラルスは、お父さんはまだ寝ているのかなと思い始めた。
「宿屋に戻ろうかな…。」
 町には案内板があるので、広場は簡単に見つけられた。二人が泊まる宿屋も案内板に書いてあったから、すぐに戻れるだろう。案内板の元へ行こうとしたラルスの目に、お父さんが歩いてくるのが見えた。
「や、楽しそうだったな。ちゃんと、友達が作れたみたいで良かった。」
「うん、楽しかったけど…。お父さん、見てたの?」
「ああ。お前があんまり楽しそうだったから、声をかけるのを止めたんだ。代わりにあちこち見てた。」
 ラルスはお父さんに抱き上げられ、軽く背中を叩かれた。こうして何気なく見せてくれるお父さんの愛情が、ラルスには気持ち良かった。「で、今は一人になっていたから、やっと会えたってわけだ。」
「そうだったの。僕、お父さんがまだ寝てると思ってた。」
「こんな遅くまで昼寝してたら、また夜に寝られなくなっちまう。」
「そうだね。」
 ラルスは笑った後、「そうだ!僕に見せたいものを教えて!」
「ああ、そうだった。忘れるところだった。」
 お父さんはそう言うと、広場の真ん中に立っている太い柱の上を指差した。そこには四角い箱が乗っかっていた。「あそこにあるあの箱が見えるか?あれは街頭テレビというんだ。俺が見せたかったのはあれなんだ。」
「町の子が教えてくれたよ。僕ね、ここに来たとき、あの箱が喋ってたから、すんごく吃驚したの。そしたら、テレビっていう名前だって教えてくれた。」
「うん。そうなんだ。俺にもよくわからねーが、あれは、別の場所にいる人を見ることが出来るものなんだそうだ。」
 ラルスはそれを聞いて、
「神父様に会える!?お話したい!」
 叫んだ。
「それは無理じゃねーかな…。あの箱が誰を見せるか決めているみたいだし…。」
「僕がお願いしたら、見せてくれるかな…?」
 お父さんは、うーんと唸った。
「俺が空を飛べるんだったら、お前をあそこに連れて行って、一緒にお願いするんだけどな…。」
「…駄目なんだ…。」
「悪いな。」
 お父さんは、ラルスが喜ぶと思ったのに落ち込んでいるので、困った顔をした。
 落ち込んでいるラルスの頭上から、突然、テレビの声が聞こえた。
「では、これからの妖魔界のあり方について、第一者ギンライ様に語って頂きます。ご静聴願います。」
 ラルスは吃驚して顔を上げた。
「今、ギンライ様って言ったよね!?」
「ああ、言った。テレビに出てくるみたいだから、黙って見てよう。」
「うんっ。」
 ラルスはどきどきしながら、高い所にあるテレビを見た。
 拍手の音がして、ギンライが姿を現した。腰まである真っ白い髪の毛は無造作に結われ、横に伸びている黒い角は良く磨かれているのか鈍く光っていて、鍛え上げられた体には、ラルスの想像とは全く違う簡素な服をまとっていた。
「王様みたいな凄い服を着てると思った…。僕達みたい。」
「そういうのは好きじゃねえみたいだな。」
 ギンライは椅子にどかっと座った。こういう表現をすると、乱暴に座ったようにもとれるが、実際は、疲れきっていて倒れこんだようなというのが正しい。彼は酷く疲れたような顔をしていて、これからの妖魔界のあり方とやらについて語りだしたが、喋り方も弱々しかった。ラルスには何を言っているのか分からなかったが、声だけははっきりしていた。
「第一者様って忙しいのかな…? とっても疲れてるみたいだ。」
「…うーん。」
 話を聞き入っているのか、お父さんは唸っただけだった。
 ラルスには本当のお父さんが何を言っているのか、ちんぷんかんぷんだったので、彼の顔を見ていた。朱色に近い赤い顔には、右の目頭近くから左耳の下辺りまで傷なのか模様なのかは分からないが、黒く太い線が斜めに走っていた。喋るとその線がうにょうにょと動き、ラルスはなんとなく蛇みたいだと思った。
 そうやって顔を眺めていたが、彼はだんだん飽きてきた。せめて何を話しているのか分かれば違うのだが、彼に分かるのは、本当のお父さんは具合が悪いのか、疲れているのか知らないが、今、全然元気がないということだけだった。
「お父さん。」
「ん?どうした?」
「お腹空いた。ご飯食べよ。」
 お父さんは吃驚した顔をする。
「いいのか?ギンライさ…じゃねぇや、お前のお父さんはまだ喋ってるぞ。今、ちゃんと見ておかないと、次にいつ見られるのか、分からねえんだぞ。」
「うーん…。だって、何を喋ってるのか、全然分かんないからつまんないよ。もう、顔が分かったからいいや。」
「ラルス、お前結構、冷めてんなー。」
「僕を捨てた人だよ。」
「…。」
 ラルスの言葉に何か思うところがあったのか、お父さんは難しい表情になった。
「お腹空いた! ねえ、またあそこで食べるの? あそこ、食堂だっけ? 美味しかったけど、また遅くなったら嫌だから、早くいこ。」
 ラルスはお父さんの手を強く引っ張った。
「分かったから、引っ張んな。今度は違う所を見つけたから、そこで食うぞ。」
「今度はどんなとこかな。」
「また、美味いさ。」
 ラルスはお父さんと一緒に別の食堂へ向かった。
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