兎の少年ラルスの物語
16話
シーネラルと会ってから、数ヶ月が過ぎた、ある日。今度は本物の盗賊に会ってしまった…。
「ガキと金、置いてけ。そうすりゃ、あんたの命までは取らねえよ。」
垢じみた顔を愉快そうに歪めながら、その盗賊は言った。S字形の玩具か飾り用のように見えてしまう剣を3つ腰からぶら下げていた。
「冗談じゃない。」
お父さんも顔を歪めていた。背中の剣を引き抜く。「ラルス、目を閉じていろ。」
もう見つかっているので、草むらには隠れず、木にもたれかかっていたラルスは、急いで返事をする。木を背にしているのは、盗賊が現れた時、お父さんに命じられたから。その理由は少しでも死角を減らすためだが、本人は楽だなあと思っていた。
「はい、お父さん。」
どうしてかなとは思ったけど、お父さんの言う通りにして、何か困ったことは一度もなかったので、ラルスは大人しく目を閉じた。
「俺を殺る気かよ?」
盗賊は怒りの表情に変わっていた。子供に目を閉じさせたのは、自分を殺すシーンを見せたくないからだと思い、目の前の鬼に腹が立った。
「そうするしかないだろ。」
シースヴァスは相手を睨みつける。「あの子を、お前の餌にする気はないからな。」
「ああ、そうかよ。大層な自信だなあ、おい。」
男は3つの剣を3本の手で握った。「お前の手は2つで、剣は1本しかないのに、俺に勝つ気なんて、お笑い草だ。」
「…お前の自信は手の多さだけか?俺は、5本の手と3本の足を持つ奴とだって戦って勝ったぞ。」
シースヴァスは軽く溜息をついた。「お前、人間しか襲ったことないのか?手や足の数なんて、何の関係もねえだろ。」
「うるせえっ!!」
怒声とともに男がかかってきた。
『怖いなあ…。』
ラルスは震えながら、早く全部終わってしまえばいいのに…と思っていた。今度のお父さんは、汗をかいて怖がったりしていないが、だからと言って、お父さんや自分が無事で済むと決まったわけでもないのだ…。
怯えているラルスの耳に、剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。ラルスは頭の上にある長い耳を両手で押さえて、音が聞こえないようにしようとした。
と、その時。
「ぐうっ…。」
うめき声が聞こえた。お父さんが刺されたのかもと思い、ラルスは吃驚して目を開けた。
「あっ…。」
盗賊の首がころころ転がっていくのが見えた。頭を失った体は、その後を追って行き、首を拾い上げた。
「ちょっと油断しただけだ、調子に乗るんじゃねえぞっ!」
盗賊が叫ぶ。首を持っていない腕が動き、お父さんの体に切りかかる。
ラルスは恐ろしくて目を閉じたかったが、目は気持ちに反して開いたままだった。
攻撃をかわしたお父さんの剣が動き、盗賊の頭を体ごと真っ二つにした。
「ぐっ。」
その光景はラルスの胃にきた。四つんばいになって、食べたばかりのお昼をもどしてしまう。息が苦しいのに、止まらない。涙で前がかすみながらも、吐き続ける。
「ラルスッ、大丈夫か!?」
お父さんが駆け寄ってきて、ラルスの背中をさすってくれた。ラルスはビクッとし、そのショックで吐くのが止まった。
「お父さん…。」
お父さんが相手を倒さなかったら、多分自分は死ぬか奴隷商人というものに売られてしまっていた。でも、初めてお父さんが人を殺すのを目にしてしまい、ラルスはお父さんが怖かった。
それを見たお父さんはショックを受けたらしく、青ざめる。
「ラルス…見ていたのか…。」
お父さんの服が返り血で汚れていた。辺りにラルスの吐瀉物と血の匂いが漂っている。ラルスは、酷く気分が悪くなった。吐いたせいで、喉がひりひりと痛み、口の中が気持ち悪い。
涙が溢れてきた。シーネラルが現れる少し前、盗賊と戦うお父さんが見たいなと思っていたなんて、嘘みたいな気分だった。どうして、こんな嫌なものを見たいなんて思ってしまったんだろう…。
「ラルス、とりあえず、口をすすげ。」
お父さんが水筒を出してきた。呆然としているラルスは、泣きながらされるがままになっていた。
夜。『こんな幼い子を旅に連れて行くのは無謀だったのか…?』シースヴァスは、丸まって寝ているラルスを見ていた。相手を生かしたまま、戦意をなくさせるなんて出来なかったし、多分、それはラルスも分かっている。だったら、殺し方がまずかったのか?もっと見ても怖くないようにすべきだったのか?
「はぁ…。」
シースヴァスは、寝ているラルスの頭をそっと撫でた。どうすれば良かったのか、全く分からなかった。
ラルスをあの村へ連れて帰りたくはなかった。第一者ギンライの息子が、あんな村で神父にこき使われて終わってしまうなんて、勿体なさ過ぎる。正確に言えば、まだ幼いから、戦いの才能があるかどうかも分からない。あったとしても、本人が強くなりたいと思うかどうかは別の話だ。そうは言っても…。
それに繰り返しになるが、シースヴァスはラルスが可愛い。神父に返す気はさらさらなかった。ラルスが大人になって、村で暮らしたいといえば止められないが、それまでは手元においておくつもりだ。本人が側にいたいと言ってくれれば、なおのこと良し。
なのだけれど…。
シースヴァスは途方にくれていた。ラルスは目が覚めてからも、自分に嫌悪感を示すのだろうか?どうやって、二人の関係を元に戻したら、いいのだろうか…?
時々、うなされるラルスの手を掴んでやったり、頭を撫でてやったりしながら、悩んでいたら、太陽が沈み、朝が来てしまった。
「うわっ、もう真っ暗じゃねえかよっ。朝飯の支度、支度。」
シースヴァスは慌ててテントを出た。急いで、昨日ラルスが集めた薪に火をつけ、スープ用に水を入れた鍋を上からぶら下げた。それから、罠にかかっていた小動物の肉をさばく。
休んでいないので、頭が重い上に体がだるかったが、腹が減っていた。ラルスも、遅くなってからは落ち着いて眠っていたので、少し寝坊をするかもしれないが、普通に起きるだろう。それに、体を動かしているうちは、余計なことを考えずに済む。昨日も同じことを考えて、ラルスにいつもと同じ仕事をさせた。
ラルスは目が覚めた。いい匂いが鼻をくすぐる。お父さんが朝ご飯を作っているのだ。お腹がきゅるると鳴く。でも、彼は起きたくなかった。このままずっと眠っていたい。そうすれば、怖いことも何もなくて済む。神父様だったら、「サボるなんて許しませんよ!」などと言って、ラルスのほっぺたかお尻を叩いて、無理矢理起こすのだろうけど、シースヴァスさんなら、そんなことしないでくれる筈…。
『今、僕、普通に“シースヴァス”さんって思った。“お父さん”じゃなくて…。』
間違えて、お父さんをシースヴァスさんと呼ばなくなって大分経つのに、今、意識しないでシースヴァスさんと考えた。ラルスはショックだった。『どうして…。“お父さん”は何も悪く…。…もう、やだ。もう何も考えたくないっ!!』
ラルスは泣きながら、目をぎゅうっと閉じて、枕代わりの物入れに、顔を押し付けた。
そこへ。
「ラルス〜。起きているかあっ。」
やたら明るいシースヴァスがテントに入ってきた。ひくひくと静かに泣いているラルスを掴むと、外へ引っ張っていく。「ほらー、いつまでもねんねしてると、お尻ペンペンだぞぉ。起きたー、起きた。」
ラルスは吃驚して涙が止まった。お父さん…はどうしてこんなに明るいのか。
「どうしたの…?」
「お早うの間違いじゃないのか?今日もいい天気だ。な、星が綺麗に瞬いているぞぉ。」
ラルスがもう少し大人だったら、お父さんは酔っているんだと思ったかもしれない。でも、彼は、酒は嗜む程度で済ませる真面目な神父に育てられたので、そういう発想はなかった。それで、訳が分からず戸惑っていた。
「お父さん…。」
「腹が減ったろ?おいしーい、ご飯が出来てるぞぉ。ははは。」
ラルスは変なお父さんがなんとなく怖かったので、少し離れて座った。しかし、お腹が空いているのは確かなので、お父さんが差し出してくれるお皿を受け取り、スープを啜った。
朝食の後片付けをしながら、シースヴァスは、ラルスがいつもと比べて大人しいのは、昨日の出来事にショックを受けているせいだと思っていた。寝不足のせいなのかやたら高揚してきて、自分が妙に明るくなっているとは、本人は気づいていなかった。
シースヴァスは、ラルスに優しく話しかける。
「今日は町へ行こうな。村とは違って、人がおーぜい居てなーあ、すごーく面白いんだ。そうだ!町に行ったら、ラルスに見せたいなあと俺が、思っていた物があるんだ。ラルスなら、絶っ対、吃驚して驚くぞぉ。楽しみだなあ…。なあ、楽しみだろ、はははははは…。」
今のを聞いたラルスが、なんなのかなあと想像して喜んでいる様子を見せていないのに、シースヴァスは、一人楽しげに笑っていた。
妙に明るいお父さんが気持ち悪かったラルス。だが、町への道を歩いているうちに、お父さんは僕に元気になって欲しくて、こういう風なのかもと思い直した。そして、お父さんが僕に見せたいと思っているものは、なんなのだろうと思い始めた。
「その見せたいものって、どんな物なの?」
「…。」
「お父さん?」
やっとラルスの元気が出てきたのに、今度はお父さんの元気がなくなっていた。
「…ああ、悪ぃ。聞いてなかった。何だって?」
「うん、だからね。お父さんが、僕に見せたいと思っている物って何?」
「それは、町に行って、それを見てからのお楽しみさ。」
「あ、そうか。そうだよね。そっちの方がいいや。」
そうなると、早く町に辿り着きたくて、うずうずしてくるラルスであった。
シースヴァスは、すっかり元気になったラルスにほっとしながらも、襲ってくる睡魔と必死で戦っていた。だから元気がなかったのだ。
町へ入ると、急いで宿屋へ向かう。さっさと今日の宿を取って、昼食を腹に詰め込んで、寝てしまおうと考えた。ラルスには悪いが、相手をする元気はもう尽きた。
「ここはなーに?」
「宿屋だ。久し振りにベッドで寝られるぞ。」
「わ、やったあ。」
ベッドなどと余計な単語を口にしてしまったばっかりに、このまま寝てしまいたくなった。でも、昼食を摂らないと、どうせ腹が空いてろくに寝られないだろうと、自分を奮い立たせた。受付に向かう。
「大人と子供が一人ずつ。寝るスペースさえあれば良い。」
「分かりました。地下の左端です。」
鍵を受け取ると、地下に寝ると聞いて驚いているラルスの手を引いて、そこへ向かった。
「地下室に寝るの?野菜みたい…。」
「あんまし余裕がないんだ。我慢してくれ。」
「えっ、…うん。」
今まで食べてきた動物の皮を売れば、懐には余裕が出来る。けれど、今の彼にはそれをしている体と心の余裕がないのだった。多分、ラルスは財布の余裕がないと思っているだろうが、それを説明するのも面倒なくらい眠かった。
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