兎の少年ラルスの物語

14話

「お前、奴隷商人に子供を売る奴だろう?それか、奴隷商人本人か?」
 猫が言った。彼は、裾がお尻近くまである長い上着を捲り、棒の先に爪のような形の刃物が付いた武器を取り出すと、それを両手に握った。「生かしておく必要はないな。」
「なっ…違う!確かに、俺とこいつは血が繋がってねえ。でも、俺等は親子だ。」
 お父さんが汗を拭った。「な・なんだ…。そういうのと勘違いしたのか…。吃驚した…。」
 お父さんはほっとしているようだけど…、ラルスは何故か武器をしまわない猫を凝視していた。彼は奴隷商人というものが、何なのか良く分からない。でも、猫が何か間違っているのだけは分かる。
 『どうして…?よく分かんないけど、お父さんは何も悪くない…。』
「少しは知能があるようだが…。俺は騙されない。お前は殺すし、この子はちゃんとした孤児院へ連れて行く。可能なら、元居た場所へ返す。」
 猫は淡々と言った。「何か言い残すことはないか?その子に謝るとか…。」
「何言って…。…!!」
 馬鹿なことを言うなという顔をしたお父さんの首に、猫が武器を突きつけた。
「反省する気もないのか。次に生まれ変わる時は、もっとマシな人生を選ぶといい…。」
 猫の武器が光った気がして、ラルスは慌てて叫ぶ。
「止めてっ!!」
 猫がこっちを向いた。「お父さんを殺さないでっ!!」
 お父さんがくたくたっとくずおれる。猫はそれには構わずに、ラルスの方へ歩いてきた。
「お父さん…?」
 猫はラルスを抱き上げて、ラルスの顔を覗き込む。「催眠術…?それとも、言葉巧みに騙したか…。」
「おじさんが何を言ってるのか、僕、分からない。でも、お父さんはとっても優しくていい人だよ。」
 ラルスは感情があまり感じられないこの猫が怖かった。でも、お父さんを殺されたら大変なので、怖いのを押しやって続ける。「僕の本当のお父さんのことを教えてくれたし、僕が旅に出たいって言ったら、いいよって言ってくれたんだよ。一回だけお尻ぶたれたけど、悪いのは僕だし、神父様の方がもっと一杯ぶつよ…。お父さんはいい人なの!殺したりしないで。」
「…。」
 猫はラルスを下ろした。「もっと詳しく教えてくれ。」
 それで、ラルスは今までのことを一所懸命に話した。

「そうか。面倒な事情があったんだな。」
 猫はラルスの頭を撫でた。気を失っていたお父さんは、今は気が付いて、むすっとしている。誤解で危うく殺されかけたのだから、怒っても仕方ないだろう。
「これが、そのギンライって人のハンカチ。」
 ラルスは大事にしまっていた布を見せた。猫は見ただけで手に取ろうとはしなかった。
「それは、ギンライ様に会うまで大切にしておかないと、ぼろぼろになってなくなってしまいそうだな…。」
「そうだね。」
 ラルスはまた大切に布をしまいこんだ。
「しかし…、小悪党に見えた男がとんでもなくいい奴だったとは…。悪かったな。シースヴァス。」
「…。」
 お父さんは猫を睨んだだけだった。
「まあ、怒って当然か…。ただ、言い訳をしておくと、俺は孤児院で虐待されて育ったんだ。一般の奴らには、孤児院は、身寄りのない子を育ててくれるいい所に思われている。しかし、貴族が寄付をして経営が成り立っているもんだから、上手い汁を吸うのに慣れてしまった院長らが自分達だけ贅沢しているのが実情さ。金が足りないから、子供には酷い生活をさせているんだ。孤児院ですらそうなら、奴隷なんて…。」
 ラルスには難しい話だったけれど、お父さんは興味がありそうな顔になった。
「孤児院って荒廃してるのか…。」
「ああ。勿論、真面目にやっているところもある。俺はラルスをそこへ連れて行くつもりだった。」
 シーネラルと名乗ったその猫は、続ける。「子供をさらってきて、奴隷商人に売ると、いい金になるらしくてな。最近、村を襲った後、子供を奴隷商人に売る奴らが現れたと噂になっている。だから、俺はあんたを殺そうとしたんだ…。あんたもその一人だと思ってしまってな…。何せ似てないだろ、あんたとラルスは。」
「今、そんなふうになってるのか…?」
 お父さんの怒りは完全に溶けたらしい。「昔の盗賊は、村を襲っても金目の物をとるだけだった。今は男と子供達は殺し、女達は慰みものにした後に殺す…とまでは聞いてた。でも、最近は子供を売るのか…。」
「奴隷が不足してるからな。」
「にしても…。」
 お父さんは渋い顔をした。
「結局は、ギンライの体たらくのせいだろう。奴がちゃんとしないから、不満を持った者達が暴れる。やりたい放題となると、今度は悪知恵がある奴が、そういうことを考え付くわけだ…。」
 男二人は深刻な顔をしていた。ラルスは、恐る恐る口を挟んだ。神父は、大人の話に口を挟もうものなら、「この口が悪いんですね!」とこっぴどくびんたしたからだ。
「ねえ…。僕の本当のお父さんは、悪い人なの…?」
 二人とも怒らなかったし、シーネラルはラルスを抱っこしてくれた。
「多数の子供を捨てているだけで悪人だが、正確にはお前の父親が悪いわけじゃない。悪いのは、悪いことをする奴等だ。…まあ、強いて言えば、何もしないことが悪い…かな。」
 ラルスは俯いた。泣きたくなってきた。
「僕、お父さんに会えたらいいなと思ってたのに…。そんな悪い人なら、会いたくないな…。」
「それは違うな。」
 お父さんが言った。ラルスはそっちを見た。
「お父さん。」
「今はまだ無理だけど、いつか必ず、ギンライ様には会うんだ。そして、ちゃんとして下さいって言えばいい。ラルスが、お父さんに教えてやるんだ。」
「…うんっ。」
 ラルスはにっこり微笑んだ。
「…俺は、本当にいい奴を殺そうとしたんだな…。やっぱり正義の味方なんて柄じゃないわけだ…。」
 シーネラルは落ち込んでいた。ラルスは彼を見上げた。
「間違ったら、やり直せばいいんだよ。今度はもっとちゃんと人の話を聞けばいいよ。で、本当に悪い人だったら、殺しちゃわないで、ちょっとぶつくらいにすればいいと思う。殺しちゃったらそれで終わりだけど、ぶたれたら、反省していい人になれるよ。」
 ラルスはちょっと恥ずかしくなって笑うと、「僕はお尻をぶたれたら、反省していい子になるよ。悪い人もそうすればいい人になるよ、きっと。」
 頭を掻いた。シーネラルが笑い出した。
「そうか、じゃ、そうすることにする。」
「頑張ってねー。正義の味方ってなんかかっこいいもん。」
「有難う。生きる目的が出来た。…子供っていいもんだな…。いつか、傷が癒えたら、もってみるのも悪くないか…。」
 猫は楽しそうに呟いた。
「え?他にまだ傷があるの?」
 ラルスには、シーネラルの呟きがしっかり聞こえていた。
「他に?…ああ、これのことか。」
 シーネラルは、左手を見た。それは義手だった。義手の手が治ることはないので、ラルスは、左手以外の見えないところにも大きな傷があるのかと思った。
「何処に傷があるの?」
 ラルスの問いに、シーネラルはちょっと黙った後、何かを思いついた顔をして、胸を指差した。「おっきな傷なの?見たい!見たい!」
「傷なんか見て、おもしれえか…?」
 お父さんが不思議そうに言った。
「えーっ、だって“傷は男の勲章”なんだよ。勲章って良く分かんないけど、一杯あった方がかっこいいと思うな。」
 ラルスは楽しそうに言ったが、お父さんは、溜息をついた。
「…なーんか、戦ったことのない奴が言いそうな言葉だなー…。ねー方がいいに決まってんだろ、そんなん。」
「…そうなの?」
「んー、正確に言うと、戦ってると消えない傷跡なんて、増やしたくなくても増えていく。俺も、この前のがしっかり残っちまってるのを、ラルスも見ただろ。」
「うん、川で体を洗った時でしょ、覚えてるよー。初めてお父さんとお風呂に入ったんだから。」
 今の話には関係ないが、ラルスはその時、川の冷たい水で体を洗うというのがとても新鮮に感じて、おもいっきりはしゃいだのだった。
「…うん、そうだった。初めての親子での裸の付き合いだったんだよな…。」
 お父さんは感慨深げに言った。それから、はっとし、「まあ、それはともかく、俺の傷はかっこよく見えたか?」
「うーん…ううん、痛そうなだけ。かっこよくなかった…。」
「な?そんなもんだ。…や、まあ、シーネラルが見せてもいいと言うんだったら…俺は止めねえけど。」
 ラルスはお父さんと、シーネラルを見た。黙って二人の話に付き合っていてくれた彼は、急に自分に話題が戻ってきたので、ちょっと吃驚した顔をした。
「…胸の傷に思わせて、心の傷だったという洒落を思いついたんだが、答えを言う暇がなかった…。」
「え?心の傷…?」
 ラルスはちょっと怖くなった。「どうやって、そんなところに傷が出来たの?」
 更なるボケにも気づいてもらえない挙句に、素直な反応をされてしまったシーネラルは何とも言えない顔をした。
「…ま、いいか。…うーんと、心の傷は…。そうだな、例えば、友達と喧嘩したり、悪口を言われたりすると、心が痛くなるだろう。」
「うん。」
「そういう時に出来るのが心の傷だ。その傷は、喧嘩した友達と仲直りしたり、悪口を言った子が謝ってくれない限り、何日経ってもずっと治らない。場合によっては、体の傷よりも辛い。」
「そうだね。」
 お父さんのおかげで友達が出来てから、旅に出るまでは短い間だったけど、ラルスも友達と喧嘩したりもした。だから、シーネラルの言うことは、全部とは言えないけれどだいぶ分かった。「…シーネラルさんにもそういう傷があるの?」
「ああ。…俺には結婚を誓い合った女の人がいたんだ。ある日、彼女が両親に、俺を紹介してくれるというから、出掛けて行ったんだ。彼女は王女様で、俺は一般人だったから、王様と王妃様がなんと言うか分からなくて、少し怖かった。でも、彼女はわたしの親はそんなことは気にしないと言ってくれたんで、安心していた。でも、駄目と言われたら…と言う気持ちが少しだけあったりもした。」
「王女様!?凄ーい。」「そりゃ、すげえな。」
 ラルスとお父さんは仰天する。シーネラルはそんな二人を少し寂しげに見た。
「で、そんな期待と不安に胸を膨らませながら、彼女が住む城に着いた俺は、彼女の部屋を見上げた。城には何回も訪ねていたから、彼女の部屋を知っていたんだ。いつもなら、俺が行くと彼女はそこから手を振ってくれる。でも、その時は…。」
「どうなったの?」
「別の国の王子が、彼女にキスしていた。」
「ええーっ!?」「…修羅場か?」
「そいつは元々彼女の婚約者だった男だ。親が決めた相手だが、彼女自身も別に嫌いではなかったそうだ。でも、彼女は俺と出会い、俺の方が好きになってくれた。そいつは可哀想だったが…。しかし、奴は諦め切れなくて、何度も俺達の邪魔をしていた。俺の目からは、彼女が迷惑と感じているように見えていた。」
「でも、そうじゃなかったと。」
 お父さんは納得したような顔をしている。でも、ラルスは不満だった。
「その男の人が嫌だったのに、チューしたの?」
「俺には嫌なように見えていただけで、彼女の本当の気持ちは、俺よりその男が好きになったってことだ。」
「…シーネラルさん、可哀想。王女様って、酷いんだね。」
 怒っているラルスに、シーネラルは急いで言った。
「全部の王女様がそうじゃないぞ。…ま、というわけで、俺は暫くの間、女の人の顔を見るのも嫌になった。今は何ともないけど、結婚という言葉は、まだ怖い。」
「王女様は謝ってくれないんでしょ?心の傷、治るかな?」
 ラルスは心配になって訊いた。
「それは体と一緒で、時間が治してくれることもある。ラルスを見てたら、子供が欲しくなったから、俺はそれに期待することにした。」
 シーネラルは微笑んだ。
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