兎の少年ラルスの物語

13話

 朝。
「お早う、お父さん。」
 ラルスはテントから出ると言った。お父さんがご飯の支度をしていた。いい匂いが辺りに広がっている。「うわあ、シースヴァスさんって、ご飯を作れるんだ。」
「お早う、ラルス。…あのなあ、飯くらい作れなかったら、旅なんか出来ねーぞ。」
「そうなんだ…。」
 ラルスはお父さんの側へ行くと、手元を覗き込んだ。「わあ、暖かそうなスープ。いい匂いしてる。」
「そうだろ。俺はずっと旅してるから、料理にはちと五月蝿いんだ。」
 お父さんが自慢げにしているので、ラルスは面白くなった。
「じゃ、すっごく美味しいんだ。」
「勿論だ。もう少しで出来るから、着替えてこい。」
「はあいっ。」
 ラルスはテントに戻った。

 着替えたラルスは、急いでお父さんの前に座った。お父さんは目を丸くした。
「随分と早えな…。そんなに腹が減ってんのか?」
 お父さんが呆れているので、ラルスは急いで言う。
「うーん。お腹は空いてるよ。でも、ご飯がどんな味か楽しみだから、急いだの。」
「そうか。じゃ、早く食べてもらわないとな。ほら。」
 お父さんが差し出してくれた皿をラルスは手に取る。「あ、熱いから気をつけろよ。」
 ラルスはちっとも聞いていなかった。湯気の立つ中身を啜るどころか、ごくごく飲んでしまう。
「…。」
「…なあ、あっちから冷たい水でも汲んできた方がいいか…?」
 あまりの熱さに涙目になったラルスを見て、お父さんは優しく聞いてくれた。神父様だったら、「意地汚いからそういう目に合うんです!」と怒鳴るのだろうけれど…。
 コクコクと頷くとお父さんは、「しょうがねえなあ…。」と呟きながら、歩いて行った。
 『シースヴァスさ…じゃなかった、お父さんは優しくていいな。』涙が零れたのは熱さのせいなのか、優しさのせいなのか、ラルスには分からなかった。スープの味もだけど、この際それは置いておく。

 舌がひりひり痛いのは別にして、旅の滑り出しとしては順調だった。ラルスは、はしゃいでお父さんの前を歩き、見たことのない花や木などに感動していた。時折、走り去る小動物にも歓声を上げた。
「あの木、動いたよ。凄いね、お父さん!うわっ、あの花、虫を食べちゃった。こわーいっ。」
 少しも怖がっていない顔で、ラルスは叫んだ。「ねえねえ、あれ、動物の兎だよね?僕と全然違うよー。」
「ラルス、少し落ち着け。」
「えー、なんでぇー。面白い物、一杯あるのに!もっと色んな物が見たい!」
 ラルスは、しかめ面しているお父さんを不思議になって眺めた。
「あのなあ、そんなでけえ声で叫んで走ってたら、あっという間に疲れちまうだろ。旅はこれからずっと続くんだし、ゆっくり自分のペースに合わせて歩いても、お前の珍しい物たちは逃げていかない。だから、少しは落ち着け。」
 ラルスは俯いた。「あと、お前がへばったからって、俺はお前をおんぶしたりしないぞ。そーゆーのは、癖になって良くないからな。いいか、ラルス。」
「…はい、分かりました。」
 ラルスがしょんぼりしていると、お父さんが抱っこしてくれた。
「俺は神父様じゃないから、普通の返事でいいぞ。」
「うん。」
 ラルスはお父さんにぎゅっと抱きついた。

 旅を始めてから数週間が過ぎた。最初の頃は、早く歩きすぎてすぐ疲れてしまったりしていたけど、今ではお父さんの言う、自分のペースというものが分かってきて、一日に取る休憩の回数も時間も減っていた。

 シースヴァスもだいぶお父さんらしくなってきたし、二人は仲良く旅を楽しんでいた。そういえば、一回だけお父さんに叱られた。けれど、ラルスはちゃんと謝ることが出来たし、お仕置きも素直に受けられた。ただ、お父さんは力加減が分からなかったようで、お尻に痣が出来た。それも、もう跡すら残っていない。次にこんなことがあっても今度はやり過ぎないだろう。…ないほうがいいに決まっているけれど。
「盗賊って、そんなに居ないんだねー。僕、ちょっと歩くだけで、すぐ盗賊に会うのかと思った。」
「そんなに居たら、旅は出来ねーなー…。でも、場所にもよるか。強いのがうじゃうじゃ居る場所もあるし、弱いのが多いところもある。ここは、弱いのばっかりだし、数も少ない。」
「へー。」
「ここら辺の盗賊が強かったら、俺は旅人になんてならねえで、町工場ででも働いていただろうな…。」
「えー?じゃあ、お父さんって弱いの?」
 ラルスはつまらなかった。ちょっとだけ、お父さんが盗賊どもをバッタバッタと切り倒していくところを想像していたのだ。
「そりゃ、弱いさ。強かったら、お前の村で死にかけていないって。」
「あー、そうだったね。僕、あの時、お父さんが死んでると思って、すっごく怖かったんだった。」
 それで逃げ出して、神父様が珍しく優しくしてくれて…そんなことを思い出したら、ラルスはちょっとだけ泣きそうになった。ホームシックはもう終わったと思っていたのに。
「…どうした、ラルス?」
 お父さんの優しく気遣う声のおかげで、ラルスは泣かないで済んだ。神父様には暫く会えない。でも、僕にはちょっと情けないけれども、優しいお父さんがいてくれるんだと思えたから。
「なんでもないよ。怖かったのを思い出しただけ。」
「そうか?」
 お父さんは、本当は違うんじゃないかと思っているようだったけど、何も言わないでくれた。ラルスは嬉しかった。

 お昼ご飯の後片付けが終わって、仲良く歩き出した。がさがさがさっ。草が音を立てた。
「わっ、大きな音だねぇ。とっても早い動物なのかな。」
 ラルスが言うと、お父さんが聞いたこともないような切羽詰った声を出した。
「ラルス、あそこの草むらに伏せろっ。急げっ。」
「えっ!?…うんっ。」
 ラルスは、どうしてとは訊かずに言われた通りにした。お父さんからの初めてのお仕置きは、同じようなことを言われて、その通りにしなかったからだったのだ。盗賊の中には、子供を殺すのが好きなのがいるし、動物も子供なら襲えると判断する可能性があるからと。
 現れたのは雄の猫だった。と言っても、動物のじゃなくて、ラルスと同じ妖怪。耳は人間のを長く伸ばしたような形で、ラルスのように頭の上にあるわけではなかったが、少し変な形をしたふさふさの猫の尻尾が、警戒するようにぴんと立っていたので、猫だと分かった。
「少しも似てない親子だな。」
 猫は、ラルスが隠れてから現れたのに、顔をしっかり見ていたようだ。
「だから、何なんだ?それがお前に何の関係があるっつーんだ!?」
 お父さんの剃っていて一部しか毛がない頭に汗が光っていた。草むらに伏せているラルスの目に、余裕の猫と怯えているお父さんが映っている。
 『僕達、どうなっちゃうの…。』
「妙に焦っているし…。怪しいな、お前…。」
 猫がお父さんを睨んでいる。
「お前、さっきから何を言ってるんだ!」
 お父さんが叫ぶ。剣を構えてはいるが、何も持っていない猫よりも、明らかに怖がっていた。ラルスはそれがどうしてなのか分からずに、とても怖くて仕方がなかった。そして、さっき、お父さんが盗賊を倒すところを想像していた自分が、凄く馬鹿だったような気がした。そんなところなんてなくていい。ちょっと前までのように、笑って歩けたら、それで充分なのに…。
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