兎の少年ラルスの物語

12話

 夕方。シースヴァスが思っていたより結婚式が長くて、遅くなってしまった。皆たらふく食べ、飲み、騒いだ。後片付けは明日に回し、大体の人達は家に戻ったが、宴会を楽しんでいるものもまだ居た。
 神父は、今日の良き日を迎えられた幸せを神に報告したかったが、酔った人達に囲まれて、出来そうになかった。祝ってくれている人達を押しのけてまで、神父としての勤めを果たすべきなのか、彼は迷っていた。
「神父様…。」
 シースヴァスがやってきた。
「どうしました?」
 彼はその問いには答えず、
「済みませんが、神父様を借りていきます。」
「…え?」
 戸惑っている神父を立たせると、ぽかんとしている皆を置き去りにして外へ出た。

「一体、なんなのですか?」
 神父は旅支度のラルスが立っているのに気づいた。「ラルス…。」
「遅くなってしまいましたが、俺等、もう行くんで…。ラルスに挨拶させようと思って、来てもらったんす。」
 こんな遅くにと言おうとした神父に、ラルスが飛びついてきた。
「神父様!」
 神父は屈み込むと、ラルスをぎゅっと抱きしめた。
「ラルス…。…シースヴァスさん、こんな幼いラルスを連れて行くのに、夜遅く出掛ける必要はないでしょう?太陽の光が眩しくて、ラルスには厳しいはずです。」
 神父は言った。「それに、そろそろ子供は寝る時間です。」

 この世界では、人間にすれば昼夜逆転の生活が行われている。ただ、地球と違って、太陽が沈んでも真っ暗にはならずに、赤く暗い空が広がっている。日が沈みかけの夕焼け空の赤が、毒々しくなったものを想像していただければいい。

「俺も最初はそう思ったんすけどね。ラルスには、野宿に慣れてもらわないといけないって思ったんで、強行することにしたんすよ。」
「…。」
 神父は諦めて、しがみついたままのラルスを見た。
「神父様、僕、立派な大人になって帰ってきます。だから…だから…。」
 ラルスの両頬を涙が流れ落ちた。「…神父様。待っててくれますか?」
「勿論ですとも…。逞しく育ったお前が帰ってくるのを、いつまでも待っていますよ…。ですから…、ちゃんと、生きて元気で帰ってくるのですよ。」
「はい!」
 神父は泣きながら、ラルスの顔を拭ってやる。
「ほら、男が泣くものではありませんよ。素晴らしい旅立ちに、涙なんて必要ありませんからね…。」
「神父様も泣いてます。」
 ラルスは泣き笑いの表情をした。
「…わたしはいいんですよ。お前がわたしの元を出て行くのは、大人になってからだと思っていたんですから…。こんな幼いお前が、急にわたしの前から居なくなるんだから、わたしは悲しんでいいのですよ…。」
 神父は、彼にしては珍しく冗談めかした顔をした。「それに、お前がこんなにも早く成長してくれたことを、わたしは喜んでいるのです。これは喜びの涙でもあるのですから…。」
 神父はまたラルスを抱きしめた。
「いってまいります、神父様。」
「いってらっしゃい、ラルス。いいですか、その言葉通り、必ず元気で帰ってくるのですよ…。」
「はい、もちろんです。僕、神父様の子供の素敵なお兄ちゃんになるんだから…。」
 神父は笑った。
「では、お前が帰ってくるまでに、沢山子供を作っておきますよ。」
「はい!」
 ラルスは、村の出口に立っているシースヴァスに向かって、走り出した。

「大丈夫か?」
 シースヴァスは心配になって聞いた。「もう少し一緒に居てもいいんだぞ。」
「いいの。あんまり一緒に居たら、行けなくなっちゃうから…。」
「それもそうだな。」
 ラルスの手をとると、シースヴァスは歩き出した。少し離れたところまで歩いたが、ふと思いついて立ち止まった。振り返ると、神父が手を振っていた。「ラルス、神父様が手を振ってる。」
 ラルスは神父がいる方を向くと、
「神父様ーっ。元気でいてくださあいっ。いってまいりまあすっ!!」
 手を振りながら叫んだ。神父はその声が聞こえたと言いたいのか、何度も頷いていた。

 辺りがすっかり明るくなって、完全に夜になった。鳥達の鳴き声が聞こえ、太陽が木々の隙間から存在を示していた。この世界でも、大半の鳥は鳥目なので、太陽が出ているときに活動する。人間界風に言えば、夜行性ということになるわけだ。
 シースヴァスは、ラルスを見た。太陽の聖なる光が急速に体力を奪っていくらしく、ラルスはよろよろしていた。シースヴァス自身も、久し振りに日にあたって、疲れ始めていた。
「ラルス、そろそろ寝るか?」
「うん…。お父さん、なんか体がだるいよ…。」
「太陽のせいだ。俺達は魔の生き物だから、太陽の聖なる光に弱い。特にお前は、教会で早寝早起きしていたから、日の光を殆ど浴びてない。それで耐性が低いんだ。」
 シースヴァスは辺りを見回した。ここなら野宿に適していると判断した彼は、荷物を下ろすと簡易テントを取り出した。「ラルス、この中へ入れば、楽になるし、寝られるぞ。」
「うん…。」
 ラルスはその中に入ると、荷物が入ったバックを枕代わりにして横になった。「あ、ほんとだ。いつも通りになったよ。…でも、眠い…。」
「もう遅いからな。慣れてないから背中が痛いかもしれないが、我慢して寝るんだ。」
 ラルスは、シースヴァスにタオルをかけてもらうと、目を閉じた。
「お父さん、おやすみなさい。」
「ああ。」
 シースヴァスはテントから出ると、用足しにそこから離れた。
 『一ヶ月…いや二ヶ月はあの村に居たからなー。すっかり太陽が駄目になってやがる。まあ、どうせラルスもまだたいした距離は歩けないし、徐々に慣らすか…。』
 膀胱は空になったが、体はちっとも楽にならない。いつもならもう少しは歩けるのに…と思いながら、彼も寝ることにした。

 夜中。シースヴァスはふと目が覚めた。『まだ夜中か…。何で目が覚めた…?』そこまで考えてから、彼は青くなった。『俺…完全に眠りこけてたな。たった二ヶ月でそこまで鈍るもんなのかよ…?』彼は慌てて周りを見た。無くなっている物は何もない。

 妖魔界では、盗賊が大量に辺りを徘徊しているので、旅をする者は、寝ていても頭の一部は目覚めているように訓練する。そうすれば寝込みを襲われることがなくなって、生き延びる確率が上がるからだ。襲ってくるのは盗賊だけではなく、動物の場合もある。相手を選ばない分、盗賊よりもたちが悪いと言える。
 だから、この世界で野宿が出来るということは、大事なことなのだ。
 それなのに、シースヴァスは完全に眠っていたのである…。

 ほっと安心しかけたシースヴァスは、また青くなった。
「ラルス!?」
 ラルスの姿がなかった。シースヴァスは急いでテントから這い出した。

 白い闇に顔をしかめる。人間でも暗い所から明るい外へ出ると目が眩むが、日の光に弱い妖怪であるシースヴァスは、目が見えなくて慌てた。いつもなら、目を閉じて目が光に慣れるまで待つが、今はそうも言ってられない。
「くそっ、ラルス…。」
 自分が旅に連れていくとと言いだしたのに、自分のミスでラルスを失うことになるのか…。後悔に襲われるシースヴァス。
 そこへ。
「どうしたの?シースヴァスさん…じゃなくて、お父さん。」
 幻聴かと思った。が、目を細めて何とか前を見ると…。
「ラ・ラルスッ!!」
 戸惑いの表情を浮かべたラルスがそこに立っていた。シースヴァスはラルスの側へ駆け寄ると、彼を力一杯ぎゅっと抱きしめた。
「痛いよっ、苦しいよぉっ。」
 ラルスは悲鳴を上げた。
「あっ、悪りぃ。つい…。」
 シースヴァスは力を緩めた。それから、へなへなと座り込んだ。
「ねえ、どうしたの?お父さん…。」
 ラルスは訳が分からない顔をした。
「いや…目が覚めたらお前が居ないから、子供好きの盗賊か、奴隷商人に連れて行かれたかと思ったんだ…。」
「…。…ごめんなさい…。おしっこしたくて目が覚めたから…。」
「ああ…そういやそうだな。俺が悪かった。俺は小便してから寝たけど、お前はそのまま眠っちまったもんな。起こしてやれば良かった。」
 シースヴァスは頭を掻いた。「俺、親の勤めを上手く果たしてるっていい気になってたけど、全然だな…。」
「そんなことないよ。シースヴァスさんは、ちゃんと僕のお父さんだよ。」
 ラルスはにっこり微笑んだ。
「嬉しいことを言ってくれるなあ、ラルス。」
 シースヴァスは微笑み返した。それから、ふと真面目な顔になると、「ラルス。」
「なーに、お父さん。」
「二度と黙って俺の前から居なくなったりするな。さっき言ったように、いつ恐ろしい盗賊が出るか分からねえ。おっかねえ動物に、お前が食われることだってある。だから、俺が寝ている時に何かあったら、蹴飛ばしてでもいいから、俺を起こせ。俺が起きている時だって、一人で行動したら、絶対に駄目だ。分かったか?」
「はい…。」
 ラルスは言われたことが怖かったのか、硬直している。
「本当に分かったのか?」
「はい!」
「…そうか。それならいい。」
 シースヴァスは、もう一度ラルスを抱きしめた。今度は力加減に気をつけて。
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