兎の少年ラルスの物語

11話

 我に返った神父は、シースヴァスを睨みつけた。
「あなたが、余計な考えをラルスに植えつけなければ、あの子がわたしに逆らうこともなかったのに…。」
 シースヴァスはそれには反応せず、
「そういう言い方をするってことは、ラルスが旅に出るのには反対しないんすね。」
 冷静な言葉に、神父はひるんだ。
「な…。」
「反対する気があるなら、旅に出るなんて許さないとか、俺にラルスに気づかれないうちに出て行けとか言うでしょう?ラルスがあんたに逆らったことを怒るよりも先に、俺を何とかしたがると思うんすよ。」
「…。」
 そうなんだろうか?神父は自分の心に訊いてみた。『…たぶん、そうなんでしょう。』納得したくなかったが…。

「帰ったら、鞭なのかなあ…。」
 やだなあ、なんて思いながらラルスは、働いていた。神父様に逆らうなんて初めてのことで、彼はびくびくしていた。それにしても…神父様とシースヴァスさんはいつまでたっても出てこない…。「僕だけ働いてて変なの。」
 神父様が出てきたら、早速ぶたれそうで怖いには怖いけど。

 忙しいので、怖がってる暇もなく働いていたら、お昼ご飯の時間になった。神父達も働きに出てきたが、ラルスは側に寄らないようにしていたので、叱られることもなかった。
 怖いにしろ、食事をしないわけにはいかないので、ラルスは恐る恐る教会へ向かった。でも、どうしても怖いので、裏口からそーっと入った。
「何やってるの?」
 メイドが変な顔をしている。
「神父様はいる?」
 メイドから答えを聞く前に、ラルスはつまみあげられた。「わあっ、神父様…。」
「こそこそと何をしているんです!裏口からこっそり入るなんて、お前は泥棒にでもなったのですか?」
「違いますけど…。」
「だったら、正面から堂々と入ってくればいいでしょう。」
「…はい。」
「返事が遅い!」
「はい!!」
 神父は満足そうな顔をすると、ラルスをおろしてくれた。
「おかしなことをしている暇があったら、さっさと食事を済ませなさい。もう日にちがないんですからね。」
「はい…。あの…。」
「わたしの結婚の日が、お前との別れの日になるなんて思ってもみませんでしたが、これも神様がわたしに与えて下さった試練なのでしょう…。」
「神父様…。じゃあ…許してくれるんですね。」
 ラルスはにっこり微笑んだ。
「許すも何もないでしょう。幼くても男が決めた自分の道。間違ってもいないそれを、わたしが反対なんて出来ないのですよ。」
「有難う御座います。神父様!!…やったあっ。」
 ラルスは飛び跳ねた。「旅に行けるんだあっ。」
 喜んでいるラルスを神父はじっと眺めていた。『失ってから、そのものの大切さに気づくとは本当ですね。ラルス…。本当は、この子がいれば結婚の障害になると…。少し…ほんの少しだけ邪魔な存在だと思っていたのに…。でも、いなくなると思ったら、こんなにも惜しい…。彼女がこの子を側に置いていてもいいと言ってくれて、この子が障害ではなくなった途端、居なくなってしまうなんて…。
 どうしてですか?神よ…。わたしが罰当たりなことを考えていたから、わたしからラルスを奪ってしまうのですか…?』
「神父様?どうしたんですか?ご飯は食べないんですか?」
 ラルスの声に神父は我に返る。
「いいえ。勿論食べますとも。お腹が空き過ぎて、眩暈がしてきました。」
「ええ?じゃ、早く食べなきゃ。死んじゃうかも。」
「そう簡単には死にませんよ…。」
 神父は呆れながら、ラルスに手を伸ばす。彼がびくっとする。「急いで食べるから、口に滓がついていますよ。」
 言いながらそれをとって、ラルスの口に押し込んだ。
「ぶたれるのかと思った…。」
「食べながら喋ってはいけません。あと、意味もなくお仕置きしませんよ。」
「はい…。」

 そして…。結婚式の日がやってきた。

 結婚式は盛大に行われていた。目の回るような忙しさで準備した甲斐があるというものだ。神父も、今日ばかりは地味な僧服ではなく、貴族時代に着ていたのであろう豪奢な服で着飾っていた。質がいいので、花嫁より目立ってしまっていた。
「着るものを着れば、いまだ貴族様の威厳は消えず…ってか。」
 シースヴァスは、美味しい酒をあおりながら呟いた。僧服でもにじみ出る雰囲気というものもあるが、きちんとした格好をした今には敵わないと思えるのだった。
 ラルスが駆けてきた。
「シースヴァスさん、そのピンクの何?美味しそう。」
「酒だ。ラルス、飲んでみるか?」
「うーん…。お酒臭ーい。…いらない。よくそんな臭いの飲めるね。」
 ラルスは顔をしかめている。「ねえ、…いつ行くの?」
「気が急いてないか?せめて、神父様の結婚式が終わるまではいようぜ。」
「違うよ。行きたいから訊いたんじゃないよ。」
「心配しなくても、そんなすぐには行かないって。」
 シースヴァスの言葉を聞いて、ラルスはほっとしたようだ。
「じゃ、美味しそうなものが一杯あるから、食べてくるね。」
 あっという間に走って行きそうなラルスを、シースヴァスは慌てて呼び止める。
「ちょっと待て。」
「え?何?早く行かないとなくなっちゃうかも。」
 ラルスはつまらなそうだ。
「食い意地張ってるな…。や、まあ仕方ないか…。」
 普段は粗食を強いられているラルス。山ほどのご馳走に気持ちが向かうのは仕方ないことなのだろう。「あのな。そう簡単にはなくならないから、少し、俺の話しを聞いて欲しい。」
「うん…。」
 ご馳走を眺めながら、ラルスは生返事をする。シースヴァスは彼を無理やり自分の方へ向かせた。
「すぐ終わるから、真面目に聞いてくれ。」
「はい。」
「あのな…。」
 シースヴァスはいざとなると言い出しにくくなってしまい、あらぬ方を向いた。
「……。…すぐ終わるんじゃなかったの?」
「悪りぃ。…あの、…俺とお前はこれから一緒に旅に出かける。」
「うん。」
「…だから、その…。…うん。よし、言っちまえ。…いや。たいしたことじゃないんだ…けど。」
「そんなに言いにくいことなんだ…。」
 ラルスは何なのかとっても気になってきたようだ。それを見て、シースヴァスはやっとちゃんと言う気になった。
「お・俺を…お父さんと…。…お父さんと呼んでくれ。」
「えっ。…えーと、シースヴァスさんをお父さんって呼ぶの…?」
 ラルスの反応に、シースヴァスは言わなければ良かったと後悔した。
「いや、聞かなかったことにしてくれ。」
 いたたまれなくなって、シースヴァスはそこを離れた。

「馬鹿じゃねーの、俺。ちゃんと、理由も話すつもりだったのに…。思わず逃げてきて…。」
 シースヴァスは溜息をついた。大人の男と幼い子供が二人。旅を続けていくには、今みたいな、友達なのか何なのか分からない関係でいるより、ちゃんとしていた方がいいと思ったのだ。ラルスを預かった形になるのだから、躾だって必要だ。それに何より、シースヴァスはラルスが可愛い。神父が冷たく厳しくしているのを見て、可哀想でならない。でも、可愛いだけではやっていけないだろう。だからといって今の関係では叱ったりするのは難しい気もしている。そう。それで父親なのだ。親としてラルスに接すれば、ラルスを叱ることも出来るし、自分も責任感を持てるだろう。ラルスを甘やかして駄目にしてしまうこともない筈だ。
 そんな風に自分なりに色々考えたのに、上手く言えなかった…。シースヴァスは落ち込んでしまった。

「シースヴァスさーん。」
 シースヴァスが振り返ると、ラルスがこちらへ走ってくるところだった。「急にどうしたの?」
「あ…。いや…。」
「僕、ずっとお父さんが欲しいと思っていたから、とっても嬉しかったのに。シースヴァスさん、僕が返事する前にいなくなっちゃうなんて…。」
 シースヴァスは予想外の言葉に目を丸くした。ラルスが呆れたのかと思って、逃げてきたのに。
「俺が親父でいいのか?」
「いいよ。本当のお父さんには会ったことないし、神父様は、お父さんが居るのに、わたしをお父さんとは呼んではいけませんって言ってたし…。僕、ずっとお父さんが欲しかったの。」
 ラルスはにっこり微笑んだ。「だから、今、お父さんが出来て、僕、とっても嬉しいんだよ。」
「そ・そうか。…へへっ。そうか、嬉しかったのか…。」
 先程のラルスの反応は、呆れたり戸惑っていたわけではなく、急に望みが叶えられて、驚いていただけだったようだ。シースヴァスは、早合点して逃げ出した挙句に、勝手に落ち込んでいた自分が恥ずかしくなった。それで、照れ隠しにラルスを肩車すると、結婚式をしている広場まで走り出した。
「うわーっ、凄いっ、早いっ。わーいっ、お父さんだ、お父さんだっ。」
 ラルスははしゃぎだした。よその子供達が、父親と遊んだり、今みたいに肩車されたりしているのを羨ましく思っていた彼は、今、最高に幸せだった。

 二人が広場に戻ると、新郎新婦が村長の前で、結婚の誓いの儀式をしているところだった。本来神父の仕事だが、今回は本人が主役なので、村長が代理をしている。この村に神父が来るまでは彼の仕事だったので、滞りなく進んでいるようだ。
「危ねぇ。大事なところを見逃すとこだった。」
「そうだね。神父様がちゅーするのに。」
 ラルスは静かに言ったが、聞こえたらしく、神父に睨まれた。「わ、神父様、怒った。」
「子供って、そういうのに反応するよな。」
 シースヴァスは呟いた。
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