兎の少年ラルスの物語

8話

 その名前で呼ばれても違和感を感じなくなった、元・名無しの少年ラルスは、水汲みに出かけた。いつもなら水やりをしてから行くのだが、今日からはシースヴァスがしてくれるのだ。五月蝿い野菜達の相手をしなくてすむので、彼はとっても嬉しかった。

 かめを抱えてルンルン気分で歩いていく彼に、そのシースヴァスが声をかけた。
「ラルス、お前の仕事は全部俺がやるから、お前は遊んでこい。」
「すっごく嬉しい言葉だけど、それは駄目だよ。神父様は、遊ぶのは悪い人がすることだって言うから。」
 これを訊いたシースヴァスは顔をしかめた。
「何の話だ、それは。」
「よく分からないけど…。神父様、教えてあげて。」
 シースヴァスは吃驚した顔で振り返った。ラルスからは神父が歩いてくるのが見えたが、彼からは死角になっていて、気づかなかったようだ。
「神に仕える者は、快楽に溺れてはいけないのです。ラルスには難しすぎて、意味が伝わっていないようですね。」
 驚きが冷めたシースヴァスは、神父に近づくと、大きな声を出す。
「あのなー、神父様。あんた、自分が何言ってんのか、分かってるんすかね。子供は遊ぶもんですよ。沢山の友達を作って皆で遊んだり、時には悪さして、ひっぱたかれたり。そういう、大人になったら何でもないように思えることが、子供には大事でしょうが。
 あんたは子供の頃、少しも遊ばなかったって言うんすか?それとも、貴族様は、遊んだりしないで勉強ばかりするもんなんすか?」
「い・いえ、そんなことは…。」
 神父は気おされてどもった。
「だったら、何でそんないかれたことを…ん?何だ、ラルス?」
 裾を引っ張られたので、見下ろすとラルスが不思議そうにしている。
「神父様って貴族様なの?なんでシースヴァスさんは知ってるの?」
「あー、それはな、ラルス。神父とか、工場を経営するとか、なんかを研究するとか、そういう役職っつう仕事をするには、学校に通わなきゃなんないんだ。」
「ふーん。それで。」
「で、学校に通えるのは、すんげー金持ちか、貴族様だけなんだ。」
「王子様は駄目?」
「王族は、専門の先生がいるから、わざわざ学校には行かねえ。…というわけで、神父様は貴族様ってわけだ。」
「ふーん。そうなんだ。」
 ラルスは感心している。
「ちなみに、この神父様は、メイドに対する態度をみりゃ、人を扱うのに慣れてると分かる。そこから、ある程度くらいの金持ちではないとも分かるわけだ。そういう家の子供は、人を使ったりしないからな。後、村の人達に接する態度で、金持ちの子供とは違うところがあるから、残りは貴族様ってわけだ。」
「わー、凄いね。何でも知ってるんだ。」
 ラルスは目を輝かせた。シースヴァスさんは凄すぎる人だと思った。
 シースヴァスは照れながら、
「旅していれば、色んなことが少しずつ分かってくるもんなんだ。別に物知りじゃねえよ。」
「そうなの。でも、すごいよ。」
 ラルスは首が疲れてきて、下を向いた。「旅かあ…。…楽しそうかも。」
 大人になったら、旅人になろうかななんて考えている彼に、神父が声をかけた。
「ラルス、わたしは、シースヴァスさんの言うことが正しく思えてきました。」
「え?…はい。」
 なんだったっけと考えているラルス。神父は続けた。
「だから、遊びに行ってきなさい。」
「いいんですかっ!?」
 ラルスは吃驚して、目と声を大きくした。神父様が遊んで来いと言うなんて…。
「…ええ。いいですよ。ただ、今日は勉強の日ですから、間に合うように帰ってくるのですよ。」
「はい!有難う御座います。神父様!!」
 ラルスは子供達が遊んでいる場所へ向かって走り出した。

 元気に走ってきたものの…。今まで、同年代の子供達と口を利いたことがないので、どうやって声をかけるのか、どうやって遊ぶのか、ラルスには分からなかった。仕事をしながら、皆が笑い声をあげたり、楽しそうに走ったりしているのは見ていたけど…。
 子供達の輪から少し離れた所で、ラルスはもじもじしていた。そんな彼を子供達が眺めていた。
「あの子、教会の子だよね。」「今日は仕事をしてないのかな。」「何でこっち見てるの?」「何してるのかな?」
 ひそひそ話しが聞こえてきた。何を言っているのかはよく分からないけれど、自分を責めている気がして、ラルスは恥ずかしくなって逃げ出した。

「何で戻ってきた?」
 ラルスが泣きながら戻ってくると、シースヴァスが声をかけてくれた。
「だって…だって…。うえーっ。」
「あー、泣くな、泣くな。おすは泣くもんじゃない。なあ、俺に分かるように教えてくれよ。」
 シースヴァスはラルスをぎゅっと抱きしめてくれた。彼はその暖かさを感じながら、ゆっくり説明する。
 皆の下へ行ってみたけど、どう声をかければいいのか分からなかったこと。遊び方が分からないこと。困っていたら、皆がじろじろ自分を見たこと。それが怖かったり、恥ずかしかったりしたこと…。
「成る程なあ…。…そうか。じゃ、俺と一緒に行こう。な?」
「いいの?」
「ああ。そんな一緒に遊ぶわけじゃないし、すぐ終わるさ。」
 シースヴァスはにやっと笑うと言った。「神父様に見つからないうちに行くぞ。」
「うん。」
 ラルスはにこっと笑った。
「よし、やっと笑ったな。皆の前でも笑顔でいろよ。そうすりゃ、すぐ仲良くなれるさ。」
「分かった。」
「よーし、神父様に見つかると、色々言われそうだ。急げ、ラルス!」
 シースヴァスが走り出したので、ラルスは慌ててついていく。

「や、今日は。」
 シースヴァスは爽やかな表情で子供達へ声をかけた。
「今日はー。」
 子供達が声をそろえた。返事はしたものの、皆が不思議そうな表情になる。
「今日から、このラルスと一緒に遊んでくれないか?今まで、おっかない神父様に、遊んではいけません、なんて言われてたんだ。だから、皆とは遊んでいなかった。けど、今日、神父様が気持ちを変えてくれて、皆と遊んでいいと言ってくれたんだ。」
「良かったね。」
 一人の子供が言い、皆がうなずいてくれた。皆の反応がいいのに安心したシースヴァスは、ラルスの耳を軽く引っ張った。「でさ、こいつ…じゃなかった、ラルスは、今まで遊んだことがないし、皆とお喋りしたこともないんだ。多分、皆知ってるよな。だからさ、ちょっと変なことを言ったり、やったりするかもしれない。けど、気にしないでくれると嬉しい。何でも初めてっていうのは難しいからな。そうだろ?」
「そうだね。」
「そう。だから、ラルスのことを笑ったり、変だなんて言ったりしないで欲しい。そのうち、やり方も分かるだろうしな。ラルスと遊んでくれるよな?」
「いいよー。」
 子供達が口々に言い、ラルスを仲間に入れてくれた。子供達は、自分の名前を教えたり、今何をしていたのかをラルスに語ったり、ラルス自身のことを訊いたりしはじめた。
 ラルスが嬉しそうに答えたり、聞き入ったりするのを眺めた後、シースヴァスは仕事に戻った。
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