兎の少年ラルスの物語

6話

「うん…。いいけど…。」
 布を差し出すと、シースヴァスがそれを受け取り、じっと見た。「ねえ、どうしたの?」
「…やっぱりそうか。」
 シースヴァスはぼろぼろの布をそっと少年へ返した。「お前の名前はラルス。父親は、第一者ギンライ様だ。」
「え!?…あ、神父様は、その名前は、僕のお父さんの名前だって言ってたよ。」
 布を受け取りながら、少年は小首をかしげる。「第一者って何?ギンライ様って誰?」
「俺の方が“え!?”と驚きてえよ…。何で第一者様を知らねえ…。」
 シースヴァスはため息をついた。「神父様は何を考えて、お前を育てているんだろ。名前は付けないし…。」
「だって、神父様は、お父さんが僕につけてくれた名前が、あるかもしれないって。だから、適当な名前は付けられないって。それに、僕は名前がなくても困らないの。」
 少年はちょっと怒った。父親代わりの神父様を責めるなんて、酷いじゃないか。
「会えるか分からない父親がつけた名前なんて、気にしなくてもいいと思うけどなあ、俺は。…とにかく、お前の名前はラルスだ。」
 シースヴァスは布を指差し、続けた。「この布は、ギンライ様が子供を捨てる時に、子供に持たせるって言われているものだ。縫い付けられている赤い文字は、赤鬼であるギンライ様の名前の頭文字なんだ。赤鬼だから、赤い字な。分かりやすいだろ。…で、ギンライ様には二つも名前がないから、その布に書いてある“ラルス”は、お前の名前ってことになるわけだ。…子供の名前が縫ってあるなんて聞いたことがなかったけど、関係ない名前を縫うわけないから、絶対そうだ。」
「ふーん…。ギンライ様って人は、沢山子供を捨ててるんだね。」
 長く喋って、ちょっと疲れているシースヴァスを眺めながら、少年は呟いた。
「ああ。史上最悪の第一者だと言われてるな。治世は悪くねえけどなあ…。子捨てはまずいだろ。やっぱ。お前みたいに拾われれば幸運で、奴隷商人に買われたり、食われたり、死んだのも多いって話だし…。」
「えー…。僕、幸せだったんだ…。」
 少年は顔をしかめた。
 そこへ、いつまでも戻ってこない少年に、業を煮やした神父がやってきた。
「一体、いつまでのんびりしているつもりですか?洗い物が片付かない、とメイドが怒っていますよ。お前もまだ仕事が残っているでしょう。」
 そこまで言ってから、神父は、少年の器の中身がほとんど減っていないのに気づいた。「まだ少しも食べていないではないですか。何をしていたのです?」
「神父様…。あの、お兄さんが…えーと、シースヴァスさんが、僕の名前はラルスで、お父さんは、ギンライ様っていう第一者とかいう人だって、…布に書いてあるのが…お父さんの名前じゃなくて、僕の名前で…。僕、もしかしたら、死んでいたかもしれないって…。」
 少年の説明は滅茶苦茶で、神父は、何を言っているのか分からなかった。
「…お前の説明では分かりません。シースヴァスさん、説明できる元気はありますか?」
 昼食の続きを開始していたシースヴァスは、神父の方を向いた。
「飯食ってからなら…。」
「分かりました。」
 神父は、少年に言う。「ほら、お前も食べてしまいなさい。」
「はい、神父様…。」
 色んなことを言われて、頭がぐるぐるしていたけれど、お腹は空いているので、言われた通りにご飯を食べ始める少年だった。
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