ふわふわ君

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  13 お母さん2  

 友達には怒ったものの…。クリュケは、悪夢に苦しむラークを眺めていた。ここ最近は見ていなかったようだけれど、ラークの心の重みが取り除かれない限りは、彼は、何回でもクリュケを失う悪夢を見るのだろう…。
「…。」
 悪夢から目覚めたラークは重苦しい顔で、ケルラを見ている。クリュケは思った。このままでは、ラークがケルラを嫌がる日が、また来るかもしれないと。『ケルラを無理して産んだせいで、わたしが死んだとラークは思っている。だったら、ケルラが出来たから、わたしが死んだなんて思い始めるかも…。』
 ラークは父として頑張っている。それでも、まだ彼は、綱渡りをしているかのように足元がしっかりしていない。
「いかなくちゃ。辛いけど、ラークもケルラもまだまだ生きていくんだもの…。」

 朝が来た。神の住まう神殿へクリュケは向かっていた。下界に降りるには、神の許可がいる。ケルラ達の前へ出たら、なにか思ってもみないことを口走ってしまいそうだったけれど、それでも行かなければならないという気持ちの方が強かった。
「痛いっ、痛いっ。俺、悪くないよ!いたあっ。何で叩くのー!」
 門番の天使に、神への謁見許可を願い出たクリュケの耳に、腕白坊主のような声が聞こえた。振り返ると、少年天使が教育係りの天使に、丸出しのお尻を叩かれていた。わたし達が、昨日天国へ来た時に打たれていたのも、この子のよう。
「悪いから叩いているんでしょ!ちっとも反省しないんだからっ。今日は、真っ赤になるまで許しませんからね!」
 小さなお尻に平手が振り下ろされる。懲りない子相手だからなのか、結構容赦ない叩き方だ。「悪いことばっかりして!そんなんで、立派な天使になれると思っているの!?」
「生意気な奴をちょっと泣かせただけだ!うわっ、痛いってばぁ。」
 『随分強い子ねえ。わたしだったら、すぐ泣いて謝っちゃうけど…。』クリュケは、ピンクのお尻になっても強情を張り続けている少年天使に感心してしまった。
 教育係りの天使は思い切りに思える強さで、叩き出した。バシィッ、ビシィッ。
「うわーっ、痛いっ、痛いよっ。…ごめんなさあいっ。」
 さすがに痛かったのか、とうとう少年天使は観念した。クリュケは、それで許してあげるのかと思ったが、教育係りは叩く力は弱めたものの、お仕置きをそう簡単に止める気はないらしい。
「クリュケさん。」
 夢中になっていたクリュケは、自分が呼ばれているのに気づかない。「クリュケさんっ。」
「…えっ?」
 何かしらと思って前を見ると、門番の天使が呆れた顔で見ていた。「…あっ、あ、そうでした。…あの、謁見許可は出ましたか?」
「出ましたよ。どうぞ。」
 会釈をすると、クリュケは神殿の中へ入っていった。

 所変わって、ケルラ達の村。今日もいつものように、ラークは百合恵がいれてくれる飲み物を飲んでいた。今日はコーヒー。ラークは、苦さに目を白黒させる。
「お口に合わなかったかしら?」
「いや…。慣れていないからだと思う。」
 ラークは息を吐き出した。
「うん。慣れれば美味いぞ。」
 いつもは子供たちと遊ぶ元・偉い人だけれど、今日は珍しく、ラーク達といた。子供の相手も毎日じゃ疲れるからな、なんて言っている彼だけど、百合恵に言わせれば、子供たちが遊んでくれているのだ。遊びになると、どっちが子供か分からなくなるのだから…。
 百合恵は、自分の分のコーヒーをいれて、ゆっくりと飲んだ。

「また、あの人達の所へ居るのかしら…。」
 4年ぶりの我が家には誰も居なくて、クリュケは辺りを見回した。天国から見ていたが、ラークは元・偉い人達が気に入ったようで、彼らと一緒に過ごしている時間が多い。井戸端会議に参加していない時以外は、かなりべったりと仲良くしている。逆に言えば、ラークは本当に村人と和解したとは言えないってことだ。
 クリュケは少し暗い気持ちになったけれど、気にせずにあの家へ向かうことにした。
 天国からいつも見ていたので、家がどこにあるのかちゃんと知っていた。クリュケが戸を通り抜けて外を歩き出すと、彼女の存在に気づいた村人が驚きの表情を浮かべた。
「あれって…ラークのとこの…。」「降りてきたのは初めてよね?」
 ひそひそ話す声が聞こえてきたが、クリュケは無視した。ラークが苦しむ原因の一つを作った人達へ、どうして愛想よく出来ようか?

「あら、まあ…。この世界で足を出している女の人を初めて見たわ。」
「は?何言ってるんだ?」
 百合恵の呟きに、元・偉い人は変に思って訊いた。ラークはコーヒーを少しずつ飲んでいる。熱いのと苦さに慣れないからだ。だから、二人の会話も聞いていなかった。
「ほら、あの人。」
 元・偉い人は、妻の指し示した方を向いた。「ね、珍しいでしょ?」
「あー…、あれは霊体だからだ。」
「あれが霊体なのね…。この世界の幽霊…。」
 百合恵はじっと見た。「ねぇ、あの人、ここに向かってるみたい…。」
「そうみたいだな…。」
 元・偉い人は当惑したような表情を浮かべた。「見たこともない奴なんだけどな…。」
 ラークはやっと二人の会話に気づいた。
「何の話をしている?」
「ん、あの、霊体の女がこっちに来るんだ。」
 元・偉い人の言葉に、ラークは振り向いた。ラークの目が大きく開かれる。「な、ラーク。あれ、誰だと思う?…おい、訊いてるのかよ?」
 ラークは元・偉い人の言葉なんか聞いていなかった。
「クリュケ…。」
「えっ!?あの人がクリュケさんなの…?」
 ラークの呟きを聞き逃さなかった百合恵が言った。
「そっ、そうなのか?美人じゃねえか。あーんないい女がこいつと…?」
「トゥーリナッ!!」
 夫の無神経な言葉に、百合恵は怒鳴った。「こんな時に何を言ってるのよ!」
「クリュケッ!!」
 幸いにも、元・偉い人の暴言を訊いていなかったラークは、妻の下へ走り出した。

 クリュケは、ラークに思い切り抱きしめられた。体があったら息も出来ずにいただろうけれど、触れる幻に過ぎない彼女は、自分が抱かれているという感覚しかなかった。
「クリュケ…二度と再び会うことはないと思っていたのに…。会いに来てくれたのか…。」
「ええ。」
「怒っていないのか…?」
「怒っているわ。」
 ラークが離れた。俯いて震えている彼をクリュケは眺めた。「でも、あなたが思っているのとは違う理由なの。」
「え…?」
「ケルラを愛さなかったじゃない。あなたは、甘えてくるケルラに酷いことをしたわ。わたしが怒っているのはそれだけ。わたしが死んだことについては怒っていないわ。あなたはちゃんと心配してくれていたもの。わたしが大丈夫って言ったのよ。だから…悪いのはわたし。あなたは何も悪くない…。」
 クリュケは俯いた。「本当はケルラのことだって、そんなにあなたを責められないのよね…。あなたは子供を持つのをとても不安がっていたから…。わたしがいるから大丈夫って言ったのに、わたしは死んでしまった…。あなたを助けられなかったもの…。」
 クリュケの言葉をラークがさえぎった。
「そんなことないっ。子供を育てるって決めたんだ。決めた以上は俺は一人でも、ちゃんとケルラを育てるべきだったんだ。俺は…俺は弱いから、それが出来なかったけどな…。」
「でも、もうそのことはいいわ。あなたは、トゥーリナ様に助けられて、今はちゃんとしてるから。」
 クリュケはにっこり微笑んだ。そして、続けた。「ずっと会いに来なくてごめんなさい。わたし…生きているあなたが妬ましくて、会いに来る気力がわかなかったの。本当はずっと会いたかった。でも…、わたしは死んでしまって、あなたは生きていて、ケルラが大きくなっていくのを側で見ていられる…。それが辛かったの。わたしが死んだことをあなたは自分のせいにして、ものすごく苦しんでいるって分かっていたけど、それでも、生きているあなたが羨ましくて…。」
「クリュケ…。」
 クリュケは、ラークのなんと言っていいのか分からないという顔を見つめた。彼女はまた微笑むと続けた。
「大丈夫だと思ったのに。無理しないで、あなたの言うとおりにしていれば、今、皆と笑っていられたのに。ケルラにもあなたにも、辛い思いをさせないですんだのに。わたしは、あの時の自分が憎いの。」
 またラークに抱きしめられた。
「俺が、もっとちゃんと言えば良かったんだ。俺の言うことをきけって、病院に行けってお前の尻を叩けば良かった。そうしたら、お前とケルに辛い思いをさせなかった。」
「「でも、もう遅い。」」
 二人の言葉が重なった。二人は笑った。悲しい笑いだった。
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