ふわふわ君
12 お母さん1
空に星が瞬く。ラークは星達をぼんやりと眺めていた。クリュケが逝ってから、4年経った。彼女は一度も降りて来ない。
「俺を許さないか…。きっとずっと怨んでいるんだ…。」
この世界では、生きとし生けるものは死ぬと体を捨て、霊体と呼ばれる幽霊のようなものになる。それから、生前の行いによって天国に行くか、地獄に行くかが決められる。地獄で罪を償えば、天国に行け、天国に一年いれば、転生できるようになる。転生すると今までの姿は捨て、魂が新しい身体を得る。そうしてずっと生長していく…。
人間は特別なものでないと霊体を見られないが、妖怪は誰でも、見る事も話す事も触れる事も可能だ。だから、天国にいる妖怪達は、極たまに下界へ降りて来て、生きている者を慰める。
それなのに…。
それなのに、クリュケは一度も姿を現わさない…。
「あ〜、疲れた…。」
ラークは地面にごろ寝した。1週間に3回、元・偉い人による(元・偉い人の為の)戦闘訓練会がある。本人は皆の為と思っているらしいけれど、強制参加なので、それに同意する者が少なかったりする。
「何だ、ラーク、もうへばったのか?」
「あー、そうだよ。元・偉い人と一般庶民の俺とでは、体力に天と地の差がありますからね。」
「何、やさぐれてんだ?楽しくやろうぜ。」
吸血蝙蝠の元・偉い人は、牙を白く輝かせながら、爽やかに笑った。ラークは汗を手拭いで拭きながら言う。
「あんたは楽しそうでいいな。」
「おお。楽しいな。ラークもそうだろ?」
「…。」
否定の沈黙だったのに、元・偉い人は肯定と取ったらしく、とても満足そうに微笑んだ。
「トゥーリナは、貴方だけが対等に接してくれるから、甘えているのよね。」
訓練会が終わった後、百合恵が紅茶を入れてくれた。ラークは、湯気を立てているそれを、ふうふうと冷ましてから飲んだ。猫だから、当然猫舌で、熱い物は飲んだり食べたり出来ない。「貴方は年上だし。」
「分かってるから、付き合ってやってるけどな…。調子に乗りすぎ。怒っても俺の話を聞かないし。力じゃ敵わないから、諦めてるんだ。」
「貴方は大人だから、我が侭を聞いてくれる…そう思ってるのよね…。」
「精神的に幼いんだよなー。まあ、俺も人の事は言えないけど。」
「そう?」
「大人だったら、ケルラにちゃんと接してやれてた。」
「…。」
百合恵はしばし黙った後、「クリュケさんが恋しい?」
「そんな気持ちがこれっぽちも無かったら、俺はケルラに優しく出来た。ケルラとクリュケが重なる事もないし…。」
「どうしてって、思うわよね…。クリュケさんが会いに来ないのは何故って…。…あ、ご免なさい。立ち入り過ぎたわ…。」
ラークの表情に気付き、百合恵は慌てて謝った。彼は何も言わなかった。それこそ、何回も何千回も浮かんだ疑問…。浮かんでくる答えはばらばらだったけど、最近は1つに落ち着いている。
クリュケは、病気に気付かなかった、自分を怨んでいるから、姿を現わさないのだ、と。
リトゥナとケルラは、一緒にいた。訓練会の後なので、リトゥナは草むらに横たわっていて、ケルラは隣にちょこんと座っていた。
「ふわふわ君は、お母さんの顔を知ってる?」
「写真、ある。」
「素敵な人?」
「にゃ。」
ケルラは、写真の母の顔を思い出し、にこっと微笑んだ。
「そうなんだ。ねえ、会った事はある?」
ケルラが答えようとすると、元・偉い人がやって来て、会話に口を挟んだ。
「母親に会った事ないわけないだろ。」
「お父さん。あのね、そうじゃなくて、ふわふわ君が小さい頃に、お母さんが死んじゃったんでしょ。だから、声なんかを覚えているのかなって思ったの。」
「あんまり。」
「そうなんだ…。」
「1歳くらいじゃ、さすがに無理だろう。」
「会いたいよね…。」
「にゃっ。」
ケルラはリトゥナの隣に寝転んだ。元・偉い人が背中を撫でると、喉をごろごろ鳴らす。「お母にゃん、天国。」
「…。」
元・偉い人に撫でられて、嬉しそうにしているケルラを見て、記憶の無い頃に亡くなったお母さんだから、ふわふわ君はあまり思い入れがないのかもとリトゥナは思った。
ふわふわ雲の上。ここは天国。様々な生き物達が自由に雲の上を闊歩してる。大人の天使が、子供の天使をお仕置きしたりなんて光景も見えたり…。じっくり見たいとこだけど、まあこれは別のお話って事でまたの機会に。
二人の妖怪さんがお話している…。
「わたしには理解出来ないな…。誤解されてまで、ここにいる理由なんてないじゃない。どうして、ラークさんに会いに行かないのよ?」
女性は、興奮して、羽をパタパタさせている。隣のクリュケの髪がなびいた。
「ラークには1人で頑張って欲しいのよ…。あの人にはその力があるわ。」
「そんなものがあったら、ケルラ君は辛い目に合わされなかったわ。」
「でも、なんとかなったじゃない。そもそもわたし達は、下界の人達に関わっちゃいけないのよ。」
「そうだけど…。絶対禁止って訳じゃないのよ?それに、ラークさんの場合は、会って慰めてあげる必要があるの!!」
彼女は、息を深く吐き出した。「そんなに怖い?ケルラ君に会うのが。」
「わたしは…わたしはあの子を抱きしめても、体温も何も感じられないのよ!?わたし達は触れる幻。肉体がないから、会っても辛いだけなの!!」
クリュケは立ち上がると、友達を睨んだ。「もう、その話はしないで。」
クリュケは、すたすた歩いて行ってしまった。その後姿を見ながら、彼女は軽く息を吐いた。
「まだ無理なのね…。自分の事で精一杯、か。」
クリュケがラークに会えば、彼は妻が自分をこれっぽっちも怨んでいない、むしろ深く愛してくれていると知って楽になれる。ケルラへの愛も強まるだろう。
それでも。
彼女には辛すぎるのだろう…。もうケルラを育てて行く事も、ラークと共に生きていく事も出来ない。若くして死んでしまった彼女には、生きている者への憧れもある。それに耐えろと言うのは、まだ酷な要求なのだ。
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