ふわふわ君

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  3 お父さんの決断  

「にゃん、にゃん、にゃん。」
 次の日の朝。ケルラはぽんぽんと軽くスキップするように飛び跳ねながら、リトゥナの家へやって来た。
「おはよう!ふわふわ君、今日は早いね。」
 リトゥナが手を止めて挨拶した。「まだお仕事は終わらないよ。いつもみたいに、お昼ご飯を食べてから遊ぼうね。」
「にゃ。」
 ケルラは首を振る。
「こらぁ、我が侭言うなよー。ケルラ。」
 リトゥナの後ろから、元・偉い人がやって来て言った。
「にゃあー。」
 ケルラは柵の近くまで来て、二人を見た。元・偉い人はケルラが旅装束をしているのに気が付いた。
「お、お前、靴なんか履いて、出かける気か?服も旅用だな。」
 この世界では、裸足でいる人が多い。子供は裸足の方が早く歩き出しやすく、転びにくくなると言われているので、ケルラは滅多に靴を履いていなかった。
「お父にゃん。ふたり。行く。」
「お前一人で旅行してたら、怖いぞ。」
「えー、ふわふわ君、何処かへ行っちゃうの?」
 リトゥナは寂しげな顔をした。この村に住むようになって、初めての友達がケルラだった。人懐っこくて、触ると気持ち良くて、遊ぶと楽しいお友達なのに。
「村から出て行くわけじゃないだろ。」
 元・偉い人は息子に突っ込みをいれた。「でも、このくそ忙しい時期に旅行なんて、何考えてるんだ、ラークの奴。」
 元・偉い人が呟いた所で、ラークがやって来た。
「ケル!何処に行ったかと思って、探し回っちまったじゃないか。」
 ラークはケルラをひょいっと抱き上げると、肩に乗せて、お尻をぱんっぱんっと叩き出した。「少しは落ち着けよ。もう最後なんだから。」
「にゃーっ、みゃーっ。ごめにゃさいっ。」
 痛がっているケルラが可哀想になって、リトゥナは畑仕事に戻った。元・偉い人もそうしようと思いかけたが、ラークの言葉が気になった。
「ラーク、何が最後なんだ?」
 ラークは叩いていた手を止めて、彼を見た。
「何?」
「今、最後って言っただろ。」
「ああ、それか。ケルとは今日でお別れだから。…いや待てよ。明日か、明後日か…?」
「町へは、子連れなら、3日はかかる…って、違うだろっ。」
 元・偉い人は柵を飛び越えた。「お前、ケルラを孤児院へやる気か?」
「それが、一番ケルの為になる。俺は親になれない。」
 ラークはお尻が痛くて泣いているケルラを見た。「ケルは可愛い。大切なクリュケの忘れ形見だ。だから、俺が酷く傷つける前に守るんだ。俺は親父みたいになりたくないから。」
「だから、捨てるって言うのかっ!?ゴミみたいに?」
 元・偉い人は激昂した。ラークの胸倉を掴んだ。ラークはとても背が高いので、引っ張られて前屈みになった。「捨てられたケルラが、どれだけ傷つくと思ってるんだ?」
「あんたに何が分かる?昨日、俺が何をしたか、あんたも見ただろ?昨日は軽く済んだけど、俺は自分が何をしでかすか、分からなくて怖いんだよっ。」
「それを我慢するのが親だろ?」
「出来ないから言ってるんじゃないかっ!口出しするなよ!!」
「…俺は親に捨てられた。それで、とても傷つけられた。どうして親父は俺を捨てたんだろうって。俺はそんなにいらない子供だったのかってな。」
 元・偉い人は上手く説得出来そうになくて、自分の過去を話し始めた。「孤児院の子供達は、傷つくんだ。俺と同じようにな。」
 ラークは吃驚して彼を見た。偉い人だった頃、彼はTVの中でいつも不幸なんて知らない顔で笑っていた。この村でもいまだに尊敬を集めている。
「…。」
「ケルラは、まだ記憶がはっきりしない年だし、お前を忘れるかもしれない。それでも、大きくなったら、きっと辛くなる。お前の気持ちを話しても、多分、分からない。」
「じゃあ、どうすればいいんだ…?」
「一番いい方法は、お前の父親とお前が向き合う。お前は親父と何かあったから、家庭を知らないし、知りたくない。愛する妻が残した大切な子供が目の前にいても、理解しようとしない。」
「それは…。」
「出来ないなら、子育ての本を読め。マニュアル本には平均的な子供に付いて詳しく書かれている。信じきるのは良くないが、参考にする分には、役に立つ。それと、過去に何があったか知らないが、わだかまりを捨てて、村人と関われ。この世界の奴らは皆、教育熱心だから、子育ての悩みには快く答えてくれる。」
「…。」
「ケルラが本当に大切なら、少しは自分を犠牲にしろ。そんな気がないなら、孤児院へ置いて来ればいい。大きくなったケルラに、復讐されても本望だろ?」
 元・偉い人は冷たく笑った。「俺は殺す気だったぜ?親父が死にそうじゃなければ、そして俺が家族に飢えていなければ、な。」
 ラークは足元で丸まっているケルラを見た。彼は、お父にゃんにお仕置きされたので、大人しくしているのだ。
 ケルラもそんな気持ちになる日が来るのだろうか?自分を求めて泣いたり、捨てた自分を恨む日が。この可愛い顔が悲しみに歪んだり、憎悪で荒んだりするのか…?自分が今もずっと父を恨んでいるように…?
「そんなの嫌だ…。クリュケが自分の体調を無視してまで生んでくれたのに…。ケルラがそんな黒くなってしまうなんて…。」
 ラークはケルラを抱き上げて、ぎゅうっと抱き締めた。ケルラは苦しいのか、うにゅ、と鳴いた。ラークは慌てて腕の力を緩めた。ケルラが顔をぺろぺろ舐めてきた。
「なら、家に戻って、俺の言ったことをもう一度考えてみるんだな。」

 数日後。井戸端会議をしている奥さん連中の中に、頭が一つ飛び出ている者があった。
「そうよぉ。子供は大人の言葉を聞いて、覚えて、話すようになるんだから、沢山話しかけてあげるのが一番よぉ。」
「はあ。じゃあ、寝小便は?」
「おしっこを我慢する筋肉を鍛えるの。おしっこしそうな時に、少し我慢させるのよ。体に悪いから、長すぎるのは駄目ね。そうすれば、少しずつ我慢出来るようになるから、おもらしも減るわ。」
「あら、ケルラちゃんは小さすぎて、まだオムツが似合うわよ。」
「うーん、成る程。」
「なにはともあれ、焦るのは厳禁ね。」
「はい。」
 そう、お尻まである長髪をポニーテイルにして、真面目に育児談義に加わっている人は、なんと、ラークだった。

「流石、トゥーリナ様。ラークさんがあんなに明るい笑顔で笑う日が来るなんて…。クリュケさんが亡くなってから初めてですよ。」
 神父が感涙していた。
「様は止めろって言っただろ。」
「そうでしたね。」
「あいつの問題は片付いたから、俺がいまだに偉い人扱いされる問題を解決してくれ。」
 元・偉い人は言った。
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