真志喜家

5 お祖父様の花壇 祖父から

 わたしが引き取られた真志喜家の玄関の近くには、小さな花壇がある。そこは父上の物なので近寄らないようにと、お父様に厳しく言われた。花を愛でたいのなら、大きな花壇もあるので、そちらにしなさいとも。そちらは庭師が整えているので、その人の仕事が増えるだろうが。
「見るのも駄目なんですか?」
「駄目だ。」
 お父様は厳しく言った後、ふと、付け加えた。「父上の機嫌を損ねて、酷い目に合いたいのであれば、近づくがよい。わたしは忠告したぞ。」
 そんな事を言われてしまうくらいに、わたしは天邪鬼だと認識されているのだ。まだ娘になって日が浅いというのに。まあ、実際に、わたしはそのお祖父様の小さな花壇が見たくて仕方ないので、言われるのは当然なのだった。


 花壇の側で屈みこみ、花を眺めた。お祖父様は自己中心的な性格なので、きちんと調べたりせず、独自の思想で花を管理しているらしい。だから、庭師が管理している花と比べるまでもなく、出来が悪いらしい。それは多分、ペットに服を着せたり、食べさせてはいけない物をあげたりする、酷い飼い主のようなもので、分かる人が見れば目を背けたくなるか、憤りを覚えるようなものなのだろう。
 しかし、花の種類すら碌に知らないわたしには、可愛く可憐に見えた。歪んだ愛によって虐待された可哀相な花には見えなかった。
「何だ。可愛いし、綺麗じゃん。」
 幸いな事に詳しい人は居ないし、そもそもここは近寄る事を禁じられている場所なので、誰もわたしの言葉に反応する事はなかった。
 満足したので部屋に戻ろうかと立ち上がりかけたわたしは、誰かに突き飛ばされて地面に転がった。
「ちょっと誰? 何すんの!」
 お祖父様以外は誰も近づけない場所なのだから、少し考えれば誰なのか思いついただろうが、そんな余裕がわたしには無かった。
「タルートリーは、お前にも警告しただろう。」
 冷酷な声が聞こえた。その声を聞いて、やっと、わたしは誰に突き飛ばされたのか理解した。
「お祖父様……。」
 わたしは立ち上がった。「そりゃ聞きましたけど、だからって、突き飛ばす事はないでしょ。お金持ちの癖に乱暴ですね。」
「金持ちが何だって言うんだ。」
 お祖父様にジロリと睨まれた。お父様より怖い。だが、わたしは果敢に反論する。
「品がないって言ってるんですよ。」
 頬に激しい衝撃がやって来て、わたしはまた地面に転がった。涙が出てきた。
「わたしはお前と同じ、下賤な生まれだからな。品が無くても当然だ。この真志喜家は代々続くような家じゃない。父が金儲けに成功して出来た家だ。成金と言われたくなくて、必死になって取り繕ったが、所詮庶民だ。裏で笑われるような出来にしかならなかった。家も、子供であるわたし達も。」
 物語では、本当に品のいい人達はそんな事を気にせず、格の低い家の者達が、嫉妬からそういう真に品のある家の人達を貶めようとしたりしているものだが、現実は所詮人間なので、そこまで高潔に生きられないのかもしれない。
 そんな感想は置いておいて……。叩かれた頬がかなり痛い。殴られたかのような勢いだったが、あくまでびんたである。お祖父様は赤の他人としか思ってなさそうな娘であっても、拳で殴りつける人ではなかったらしい。冷静に語ってるように見せかけているが、こんな強烈な一撃を放つくらいだから、見かけほど落ち着いているわけではなさそうだ。
「ううう。痛い……。お父様は、女の顔に手を上げるのは……と言ってますが、お祖父様には、そういう拘りはないんですね……。」
「千里や孫達にはやらない。」
 千里というのは、お祖母様だ。息子に外人にもないような変な名前を付ける人なので、近寄りたくない人間だ。ただ、向こうも庶民のわたしを嫌っているので、お互いに関わらないでいられるのが幸いである。お祖父様とお祖母様は住んでいる棟も違うので、意図的に会おうとしない限り、姿すら見かける事も殆どない。お金持ちは、こんな所でも庶民の常識を叩き壊してくる。一緒に住んでいるのに会わないで済むだなんて、日本の狭い土地に建つ兎小屋の住民には有り得ない話だ。
「わたしは孫の範疇に入ってないと。……って、あれ? お母様は? お母様も入ってないんですが。」
 わたしはびんたされて痛む頬を撫でながら、お祖父様に質問する。
「お前だけではなく、あの娘も家族とは認めていない。」
 お祖父様は、お母様が嫌いらしい。
「結婚は許したのに……? え、って事は、反対を押し切って結婚する情熱がお父様にあった……? あの血がオイルで出来てそうな冷静なお父様に?」
「個人的に嫌いなだけだ。反対するほど力を入れる価値は、あの娘にはない。……しかし、血がオイルってのは何だ。ああ、ロボットか。」
 お祖父様がわたしの独り言に反応している。顔を合わさない生活が出来るので、わざわざ結婚の反対をしなかったという事だろうか。「タルートリーは、そんなに言うほど、冷静でも人間味がないわけでもないだろう。」
「だって、お父様って、怒れば怒る程、頭が冷えて冷静になる人ですよ? 普通怒りに燃えるのに。」
「少ないタイプだが、いないわけじゃない。お前は子供だから、人間の種類を知らないだけだろう。」
「そうなんでしょうけれど。」
 と雑談で話が終わりそうな雰囲気だったが……。
「それよりも。」
 お祖父様に手を引っ張られて、壁に手をつかされた。このまま終わる程、お祖父様は甘くなかった。スカートとパンツを脱がされる。この姿勢だとスカートはまくっても落ちてくるので、下ろされてしまったのだ。腰に挟むスパ動画もあったりするが、脱がせた方が早いとお祖父様は思ったのだろう。
「折檻ですかー? 超痛いびんたしたじゃないですか。まだ、ほっぺたが痛いんですけど。」
 わたしは頬を撫でた。パフォーマンス的な意味もあるが、本当に痛いのもある。
「あれは、お前がわたしを下品だなんて言うからだ。花壇に近づいた罰はこれからやる。」
 問答無用とばかりに、ばっちん、びっちんと平手がお尻に振ってきた。最初からかなり痛い。「姿勢を崩したら、やり直すからな。100回、しっかり耐えろ。」
「ひえーっ。」
 わたしは必死になって耐える事になった。
 強さもスピードもランダムで、お父様やお母様とも違う叩き方だなぁなんて感想が浮かぶ余裕があったのは最初だけで、すぐに姿勢を崩さないように耐える事に夢中になった。
 お尻叩きが好きで、お尻を叩く躾をするこの家の娘になれた事は嬉しいが、痛いのは辛いし、沢山叩かれるとついお尻が逃げてしまうのは、防衛反応として仕方ない事だと思う。60回は叩かれた後に、痛くて、ついお尻を触ってしまった。
 触った右手を掴まれて、手の甲を3回叩かれた。
「姿勢を崩したら、やり直すと言っただろう。最初からだ。」
 お祖父様の怒ったような声とともに、お尻叩きが再開された。


 手が疲れてきて放してしまったり、痛みに耐えきれず座り込んだりして、何度も最初からやり直しになってしまった。何回叩かれたのか分からないくらいになった頃、お母様がやって来た。
「ちょっと、武志ー。あんた、いつまでひろみを叩いているのさ。お尻に痣がいくつも出来てるじゃん。いくら孫と思ってなくても、さすがにやり過ぎでしょ。いい加減許してやってよ。」
 お母様の言葉に、お祖父様が振り返り、お母様の顔に手を振り下ろしたが、何事もなかったかのように、彼女はかわしてしまった。「すぐ顔叩こうとするよね。」
「お前の尻など叩きたくない。」
 お祖父様が不快そうに言い捨てた。本当にお母様が嫌いなんだろう。まあ、夫の親を呼び捨てにするような人は、嫌われても当然だと思う。
 しかし、お祖父様は、わたしのお尻を叩けるくらいには好き、と思っていいのだろうか。
「ひろみ、あんた何その顔。折角庇ってやろうとしてるのに。」
 お母様に睨まれた。嫌われて当然と思ったのが顔に出たらしい。
「だって……。夫の親を呼び捨てする妻ってのは、さすがに有り得ないです。」
「何でそうしてるか、知りもしない癖に、偉そうなガキめ。庇いに来て損した。ふん。武志に散々叩かれて、痣だらけの血まみれお尻になればいいよ。じゃあね。」
 お母様は手を振りながら、あっさりいなくなってしまった。
「恩着せがましい。」
 お祖父様はそれだけ言うと、わたしを壁に押し付けてきた。「もう疲れてきたから、今から100叩きで終わりにする。」
 疲れてきたのに、そんなに叩くの? と思ったが、口には出さなかった。たった今、正直な感想を口にしてお母様に見捨てられたので、反省したのだ。
 歯を食いしばって、何とか100叩きに耐えたわたしだった。


 よろけながら部屋に戻って、ベッドに俯せになった。見ただけで、花に触ったわけでもないのに、こんなに叩かれる必要はあったのだろうかと思ったが、お祖父様は必要と思ったから、疲れるだけ叩いてきたのだろう。
「陰口叩かれてる花の、花見の代償が高すぎる……。」
 わたしはうめく。鏡を見る余裕はなかったが、多分、顔も腫れているんだろうなと思う。「これ、お父様にも叩かれるんだろうなぁ。警告を聞かなかった罰とかで……。ケインあるよね……。」
 わたしは泣きたい気持ちに溢れながら、枕に突っ伏すのだった。



20年3月28日
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