策略(3)

 

幾つもの照明が照らす巨大スタジオの中央に厨房を模した舞台が作られ、

その周りには料理道具を象ったセット、

巨大な鍋、フライパン、まな板と包丁、調味料の瓶などが所狭しと並べられている。

テレビの人気番組『料理の達人』のセット、キッチンコロシアムだった。

 

番組の壮麗なテーマ曲と共に、

いつもの司会者とは違う一人の男がスポットライトの中に現れた。

過剰な装飾の付いた光沢のある紫のスーツに身を包み、

オールバックに撫で付けられた緑の髪、青白い顔に歪んだ真っ赤な唇をしたその顔は、

紛れもなくジョーカーだった。

 

ジョーカーが観客席とテレビカメラに向かって、大袈裟な身振りをしながら口を開く。

「私の記憶が確かなら、ゴッサムシティーには危険な男が二人いる。

 その二人のせいで、この会場にいる皆さんは、

 毎晩のように恐怖におののいて暮らしているのだ」

テレビカメラが、キッチンコロシアムの観客席を埋め尽くした男達をぐるりと映す。

客席に座っているのは、ゴッサムシティーの暗黒街では名の知れたギャングや、

指名手配犯などの悪人達だった。

 

「そこで、今夜はこの私、ジョーカーが自ら料理の達人として、

 そんな皆様に特別料理を提供しよう!」

客席からは大きな拍手が巻き起こった。

 

広大なスタジオの巨大なセットの一角、通常の番組であれば、

料理の達人として、有名料理人の大きな肖像写真が飾られている場所には、

どぎつい色遣いの悪趣味な額縁に入った大きなジョーカーの写真が掲げられている。

 

ジョーカーが、セットの後方にある大きな銀色のドーム状の物体へと歩き出した。

普段は、このドームの中にその日の料理対決の食材が納められている。

アナウンサー気取りのハーレイが実況していた。

「あぁっと、達人は早速材料を取りに向かいました。

 今日の究極の食材は何なのでしょうか?

 そして、一体何を作るつもりなのでしょうか?

 今日の料理を、達人に聞いてみることにしましょう」

 

「達人、今夜の料理は何でしょうか?」

フリルの付いたエプロンをなびかせ追いついたハーレイが、

銀のドームの横に立つジョーカーにマイクを向ける。

「それでは皆さん、今夜の究極の食材をご紹介しよう。

 ついさっき、港で捕まえたばかりの生きのいいコマドリ(ロビン)です!」

大音響の効果音とともに、ジョーカーとハーレイの脇にある銀色のドームが割れると、

天井から伸びる鎖がガラガラと音を立てながら上がっていく。

鎖の先の鈎爪には、ロビンが逆さに吊り下げられていた。

意識を失ったまま金具で両足首を固定され、両手はダラリと垂れ下がっている。

「今夜は、『若鶏のジョーカー風』をご賞味頂きます!!」

ジョーカーの宣言に呼応するように、客席からは割れんばかりの拍手が湧き起こる。

 

誇らしげなジョーカーがハーレイに命令する。

「まずは下ごしらえです。

 武器を取り上げちゃいなさい!」

スタジオの強力な照明を浴びるロビンに背後から近付き、

難なくユーティリティーベルトを外すハーレイ。

 

強力なライトで照らされた熱と、

逆さ吊りにされ血が頭に上った不快感に、ロビンが意識を取り戻した。

「こ・・ここはどこだ・・・」

まばゆい光を両手で遮ると、目の前にはズラリと並んだテレビカメラが見える。

(なっ・・・? どうなってるんだ?!)

 

「お目覚めかな? ロビンちゃん?

 ようこそ、『料理の達人』へ!

 今夜は、お前さんをじっくりと料理してやるよ、小鳥ちゃん!」

芝居がかった仕草で観客席に向かってお辞儀をしてみせるジョーカー。

キッチンコロシアムのセットを取り囲むように観客席が設けられ、

ガラの悪いギャング達が一堂に会し、中央の舞台を食い入るように見つめている。

逆さ吊りにされたまま、自らの置かれている状況を把握したロビン。

 

犯罪者達の目の前で、囚われ逆さに吊り下げられているだけではなく、

生中継のスタジオの中央で一般視聴者の晒し者になっていることに愕然とする。

(スタジオ? まさか、放送されてるのか? 早く抜け出さなくちゃ・・・)

迷わず腰のユーティリティーベルトに手をやるがベルトはない。

「これを探しているのかな?」

ジョーカーが、金色のユーティリティーベルトを料理台から持ち上げて見せた。

 

(なんでだ? あのベルトには、無理に外すことは出来ない仕掛けがしてあるのに・・)

だが、それであきらめるロビンではなかった。

体を揺らしながら、腹筋だけで上体を起こし、両手を足枷にかけようとする。

「大人しくしろっての!」

ジョーカーが手近にあったフライパンを持って、

吊り下げられたロビンの堅く締まった良い形をした尻を打ちつけた。

バチンッという金属音がスタジオに響く。

「うぐっ」

ヒリヒリとした痺れるような苦痛が、臀部から波紋が広がるように全身へと伝わった。

「ワハハハハハッ」

客席からは笑い声と共に大きな拍手が聞こえてくる。

(くっ、こんなことで・・・ 負けるもんか!)

ジョーカーからの次の一撃を受ける前に、

素早くブーツの中に隠したバットラングを取り出し、

鎖を吊り下げている天井の滑車へ投げつけるロビン。

 

ガキンッ

鈍い金属音を上げ、命中したバットラングは滑車を粉々に砕いた。

足枷を吊り下げていたいた滑車が壊れ、頭から真っ逆さまに落下するロビン。

しかし、ロビンはサーカス仕込みの華麗な動作で、

両手を伸ばし床に倒立しながら全体重を受け止め、落下のショックを吸収し、

腕を曲げた状態から反動を付けて体を床から押し上げる。

上体を反らせて、勢いに乗って伸ばした脚を後方へと振り、

遠心力で体を浮かせて着地した。

体勢を整え、すかさず足枷を外したロビンは、ステージに立ちあがった。

 

だが、ロビンのアクロバティックな行動を黙って見ているジョーカーではなかった。

「せっかくの極上の食材に逃げられたら、視聴者の皆さんに申し訳ないだろう?

 ぼさっとしてないで、さっさと捕まえるんだよ!」

顔に貼り付いた笑みを醜く歪ませながら、ジョーカーが合図すると手下達が現れた。

黒い背広に白い仮面、全員揃いの白いエプロンを付け、

手には、めん棒、フライパン、まな板、中華包丁

といった料理道具を模した武器を持っている。

銃やマシンガンではなく、わざわざ料理道具を武器にしているところが、

いかにもジョーカーの趣味だった。

 

ジョーカーの手下達のバカバカしい扮装に苛立つロビン。

(あいつら、俺をバカにしてるのか?)

ユーティリティーベルトのないロビンは丸腰だった。

拳銃などの飛び道具を使われたら、一瞬で勝負が付くだろう。

それなのに、ジョーカーの手下達はわざわざ原始的な武器を手にしている。

あくまでも舞台装置とマッチした武器を使用するジョーカーは余裕綽々だった。

ニヤニヤと笑いながら成り行きを見つめている。

 

手に持った武器を振り翳しながら襲ってくる手下達。

ロビンは、道具を握る振り上げた敵の腕を正面から掴むと、

殴りかかる相手の勢いを利用して回転させるように投げ飛ばす。

そして床に叩きつけた敵をすかさずパンチで倒す。

そうやってジョーカーの手下達の攻撃をうまくかわしながら、

次々に倒していくロビンだが、倒しても倒しても新たな敵が現れる。

(だめだ、キリがない。悔しいけど、一旦引き上げよう)

そう考えたロビンは、手下がいない方角に向かってダッシュした。

 

スタジオの中央からステージ左手に向かって走り出すロビン。

スチール製の床から、一段高い白いプラスチックの樹脂の床に変わって所で、

足下が左右に揺れだした。

(うわっ どうしたんだ?)

思わず足下に目をやると、床が大きく左右に傾きその揺れはますます酷くなる。

走ることはもちろん、立っていることも出来ない程にまで揺れ出した。

バランスを崩したロビンは、尻餅をつき、仰向けに倒れてしまう。

 

「では、若鶏の羽をむしります!」

ジョーカーが料理人然として客席に向かって叫んだ。

(え? な、なんだ?)

辺りを見回すロビンは、自分が白く巨大なまな板の上に横たわっている事に気付いた。

脇に立てかけられていた幾つもの大きな包丁が、ロビンめがけて倒れてくる。

鋭い刃をした巨大な包丁が、ザクッっと言う音と共にまな板に突き刺さる。

包丁の刃を避けるロビンは内心恐怖に駆られていた。

(あんな刃が刺さったら・・・)

倒れてくる包丁は、的はずれな部分に刺さることが多いのだが、

気が急いているロビンには、必死で転がりながら逃げ回っているだけで精一杯だった。

 

「あいつ、あんなに必死で逃げてやがるぜ!」

「ハハハハハッ」

観客席からはヤジが飛び、転げ回るロビンに向かって笑い声が上がる。

次々に倒れてくる包丁に、次第に逃げ回る範囲を狭められていくロビン。

ザクッ ザクッ

音を立てながら刺さる包丁の音が響く中、必死で転がりながら逃げるロビンだった。

 

ついに、床に広がったマントに刺さった包丁で、ロビンは身動きが取れなくなった。

マントを固定され、ジョーカーの手下に取り押さえられてマントを剥ぎ取られ、

上半身をロープでグルグル巻きにされてしまった。

隆起する大胸筋、腹直筋、上腕二頭筋などがロープによって締め付けられている。

そんな情けないロビンの姿に、会場からは拍手が起こった。

喝采に答えてお辞儀をしながら、ジョーカーは更に辱める事を忘れない。

「ハハハハッ 情けない姿だな! ロ・ビ・ンちゃん!

 これから、じっくりと時間を掛けて料理してやるからな」

(くっそお・・・)

両手を固く握りしめると両腕と上半身に力を込め、

ロープを引きちぎろうとするが、全く緩む気配はない。

体の自由を奪われ、ロープで巻かれた姿でジョーカーの前に引き立てられたロビンは、

怒りに顔を赤くする事しかできなかった。

 

そのまま、スタジオの一角に作られた巨大なパイレックスのガラス鍋のセットへと

ロビンは引き立てられるように連れて行かれた。

「は、放せっ どうするつもりだっ!」

足をばたつかせながら精一杯の抵抗を試み、大声を張り上げるが、

結局はズルズルと引きずられてしまう。

 

「さて、お次は、羽を毟った若鶏をグラグラと沸騰するお湯で茹で上げます!」

ジョーカーの言葉に耳を疑うロビン。

「な、なんだって!?」

後方を振り返り下の水面をチラッと見ると、

鍋はグラグラと煮えくり返り、泡が立ち、白い湯気が上がっている。

(マジかよ! ここに落ちたら、いくらなんでも・・)

煮えたぎる鍋を見つめて、思わず足がすくんでしまうロビンだった。

「どうした? 怖いのか、坊主?」

ロビンの体を縛るロープを掴むジョーカーの手下が薄笑いを浮かべている。

ロビンのコスチュームは

耐火繊維ノーメックスと耐衝撃性繊維カーボンケブラーで織られているが、

一瞬の高温の爆風には耐えられても、

全身が熱湯で包まれることなど想定されていないのだ。

 

ジョーカーが笑いながらロビンを嘲弄する。

「どうだい?

 テレビカメラに向かって『助けて!バットマン!』って言ってもいいんだよ、坊や!」

(そんなこと言うもんかっ! こんな事になったのもみんな俺のミスなんだ。

 一人で何とかしてみせるさっ)

 

突き落とそうとする敵の手下に、必死に抵抗するロビン。

そんなロビンを嘲笑うかのように、会場から掛け声が湧き起こる。

「そーれ!」

客席からの掛け声に合わせて、ロビンが少しずつ押されていく。

走って逃げようにも、体を縛るロープを握られていては身動きが取れない。

今のロビンに出来るのは、せいぜい両足を踏ん張って

手下が押すのに逆らうだけだった。

だが、そんな抵抗も空しく、じりじりとセットの端まで押しやられてしまったロビン。

「そーれっ!」

台の端まで追いやられたロビンに向かって、最後の掛け声が掛けられた。

「や、やめろっ! うわぁあっ」

ついにロビンは突き落とされてしまった。

 

「わあああああぁぁぁあああ!!!!」

恐怖に怯え悲鳴を上げながら、グラグラと煮えたぎる大鍋に落ちていくロビンだった。