人質(5)

 

(くっ このままではやられてしまう!)

クラゲマシンベムに捕まり、何十本もの触手を絡み付けられ、

水中で身体の動きを封じられてしまったスパイダーマン。

振り解こうともがくが、状況は不利になるばかりだった。

 

醜怪なマシンベムのブヨブヨな巨大な頭部の下にある凶悪な歯が覗く口が、

赤と青のコスチュームの獲物の体に牙を立てようとしたその時、

スパイダーマンは残る力を振り絞り、牙を両手で掴むと、渾身の力で上下に開いた。

限界の力に全身の筋肉はコスチュームの下で隆起し、痙攣するように震えた。

口を閉じ噛み付こうとするマシンベムと、

それに負けじと敵の顎を開かせるスパイダーマン。

両者の力は拮抗し、一進一退を繰り返した。

 

苦痛に呻いたのはマシンベムの方だった。

(はああぁぁぁああぁぁぁっ!!!)

極限まで隆起した筋肉が、限界を超えた力を生み出した。

マシンベムの顎の関節を外れるまでに開くスパイダーマン。

「グロォ・・ ォゴオォォ・・・」

尖った歯がびっしりと生えたマシンベムの巨大な口から苦痛に対する唸り声が漏れた。

無理矢理に顎を開かされた驚きと苦痛に、マシンベムが触手を緩ませた瞬間、

群がる触手からスパイダーマンは脱出することに成功した。

 

(ここで闘っても勝ち目はない!)

そう考えたスパイダーマンは海面へと浮上すると、

息つく間もなく岸へと全速力で泳いだ。

水中では、マシンベムがゆっくりと巨大な体を伸縮させ、

獲物を逃がすまいとスパイダーマンの後を追った。

 

敵が怯んだ僅かな隙をついて触手から脱出し、波打ち際まで辿り着いたスパイダーマン。

鳴り響くスパイダー感覚が危険の再来を告げていた。

波に飲まれながらも、スパイダーマンは陸に向かって走り続けていた。

だが、その後ろでは、膝の半分程の深さの海面の下をマシンベムの触手が伝い、

ついにシュルシュルとスパイダーマンの両脚に再び絡みついた。

(し、しまった!)

絡んだ触手に両足を引っ張られ、

水飛沫を上げて俯せに海面に叩き付けられる様に引き倒されるスパイダーマン。

そのままズルズルと沖に向かって引きずられてしまう。

(くっ・・・ あ・ぁ・・っ!)

 

海からは、クラゲマシンベムがその醜怪な姿を海面上に現した。

半透明でグロテスクな巨体からボタボタと海水を滴らせ、

触手を振り乱しながら迫り来るマシンベム。

更に何十もの触手をスパイダーマンに絡ませながら近付いてくる。

不意を突かれ、呼吸すらままならなかったスパイダーマンは、

もがきながらも何とか顔を海面に上げようとする。

 

だが、海中で四つ這いになり顔を上げようとするスパイダーマンの頭を、

マシンベムが両手で水面の下に押さえつけた。

今のスパイダーマンに出来るのは、両手をばたつかせながらもがくことだけだった。

(くはぁっ・・・ 息が・・保たない・・・ な、何とか・・ しなくてはっ!)

頭を押さえつけられ、呻き声と共にゴボゴボと空気がマスクの下の口から漏れる。

 

「ハッハッハ 無様な姿だなスパイダーマン!」

モニター画面を見つめながら、モンスター教授が笑い声を上げた。

そこには、スパイダーマンがマシンベムに頭を押さえつけられ、

水中で四つ這いになりもがき苦しむ姿が映っていた。

 

スパイダーマンは、体を水中に横たえたままマシンベムを両足でキックし、

不利な体勢からの反撃に転じた。

その攻撃でバランスを崩したマシンベムは、後ろに倒れ込んだ。

マシンベムの攻撃が弱まった隙に、スパイダーマンは立ち上がると、

肩を激しく上下させながら呼吸をすると体勢を立て直し、

絡まる触手を逆に引っ張りながら陸上へと後ろ向きに後ずさった。

 

自らの体に絡み付く触手を両手で掴むスパイダーマン。

赤地に黒いクモの巣模様のコスチュームに包まれた太い腕の指根伸筋群が隆起し、

頑丈な10本の指で白くブヨブヨとした半透明の触手を掴んだ。

「やぁああぁぁっ!」

大胸筋、上腕二頭筋が隆起し、渾身の力を込めて触手を引くと、

水中へと獲物を引き戻そうとするマシンベムを、一気に陸上へと引き上げた。

海面から離れ岩場に上がると、とたんに動きが鈍くなるマシンベム。

(そうか! 奴は地上では力を発揮できないのか!)

 

「ウロロロロロォロォォォォ!!」

叫び声を上げながら触手を鞭のように振り回すマシンベムだったが、

その動きには更に衰えが見え始めていた。

「スパイダーネット!」

左手に嵌めた銀色に輝くスパイダーブレスレットから射出された白い蜘蛛糸が、

網目状に絡みながらマシンベムを捕らえ、醜悪な体の動きを封じ込めた。

純白のネットに触手ごと抑え込まれたマシンベム。

その機会を捉えたスパイダーマンが、固く握りしめた拳でパンチを繰り出し、

左右の脚でキックする。

スパイダーマンの攻撃が決まると、半透明のマシンベムの体は、

ブルブルと震えながら変形し、歪み、裂けていく。

水中では全くダメージを受けなかったマシンベムだったが、

陸上では能力を発揮できずに、攻撃を受け続け、

ついに巨大な体がグズグズと崩れ落ちた。

マシンベムの残骸は唯のゼリー状の塊と化した。

 

周囲の岸壁では、紺碧の波が黒い岩礁にぶつかり、

次々に白く砕け散っている。

 

マシンベムを倒し、岩場の上で肩を震わせながら全身で呼吸を貪るスパイダーマン。

息を吸い込む度に見事な上半身が大きく膨らみ、

前面で胸郭を包む大胸筋が盛り上がる。

しかし、濡れて顔に張り付いたマスクが深い呼吸を阻害し、

息は浅く、体力の回復もままならなかった。

逞しいシルエットを浮かび上がらせる程に全身の筋肉は盛り上がっていたが、

実際は、筋肉は疲労による鬱血のため腫脹していたに過ぎず、

体力の消耗は激しかった。

 

どこからともなくモンスター教授の声がする。

「その岸壁を上りたまえ! 人質は崖の上の建物の中だ」

百メートルはあろうかという垂直に聳える絶壁を見上げるスパイダーマン。

疲労のため鈍く重い身体を動かし、絶壁に取り付いて岩に手をかけるスパイダーマン。

言われるまま岩壁を登っていく。

 

普段のスパイダーマンなら何でもない壁だったが、

既に体力を使い果たした今では永遠につづく拷問のようであった。

全身の筋肉はコスチュームの下で窮屈に膨張し、

鬱血と硬直のため悲鳴を上げながらヒクヒクと痙攣し始めていた。

 

海から上がり濡れた身体で岸壁を上るスパイダーマン。

吹き付ける真冬の冷たい風により体温を奪われ、岩を掴む指の感覚が麻痺し始めた。

(どうしたんだ・・・

 この程度の岸壁など、何でもないはずだ・・)

そう自問しながらも、体力を消耗していることには気付かない。

人質を助けるため、自由にならない肉体を酷使し、

なおも登り続けなくてはならないスパイダーマンだった。

 

スパイダーマンは、頂上へ向けてひたすら絶壁を登り続けていた。

手足を交互に上下させる度に、赤と青のコスチュームに包まれた筋肉が隆起する。

広い背中には、盛り上がる広背筋や僧坊筋などの筋肉が左右交互に波打ち、

堅く締まった大臀筋も交互に上下し隆起した。

 

その筋肉が浮かぶ逞しい逆三角形の背中に、突然激痛が走った。

ビシッという音が虚空に響き、鞭の様なものが打ちつけられたのだ。

肌を切り裂くような鋭い痛みに、マスクの下の素顔を歪ませる。

「くぁっ!!!!」

(くそっ 鉄十字団の攻撃か?! だが、もう少しで頂上だっ!)

岸壁の頂上まであと一息、重く鬱血した全身の筋肉の上げる悲鳴を堪え、

打ちつける鞭からの焼けつくような激痛に呻きながらもなおも登り続ける。

 

ビシッ ビシィッ!

スパイダーマンの無防備な背中へ向けて、更に続けて数発の鞭が打ちつけた。

肩から腰にかけてを稲妻に打たれたかのような苦痛の衝撃に幾度も襲われる。

「あぁっ く、くぁぁっ」

スパイダーマンの後ろ、岸壁から数メートル離れた場所に、

鈎爪の付いた薄い蝙蝠のような翼を羽ばたかせた飛行型のマシンベムが

長い尾をしならせながら、スパイダーマンを狙っていた。

 

「ギィエェェェエェェッ!!!」

濁った緑色の体を持った翼竜の姿のマシンベムが、

尖った嘴を開いて鳴き声を上げながら、

長く伸びた尾を鞭のように振り回している。

しならせた尾を打ちつけると、スパイダーマンの首にグルグルと巻き付いた。

「ぅぐっ くあぁっ!!」

両手を岩から離し、首に巻き付いた尾を解こうとするが

きつく絡みついて簡単には緩まない。

マシンベムは空中を旋回し、スパイダーマンの首をギリギリと締め付けながら、

岸壁から離れようとする。

「くっ! うぅぅっ」

(く、苦しい! い、息が・・で・きない・・・・)

スパイダーマンは、首を絞められ呼吸が阻害され、

目は霞み、視界は周辺部から暗転し視野が狭窄し始めた。